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タイトルのような考えについてご意見願います。

A 回答 (20件中1~10件)

満員電車の中で白い杖をつきながら、車両移動をし続けるかたを拝見しました。

車両の中には、足を怪我されているかたもいらっしゃいます。また、外から見えないだけで、本当は杖でたたかれたら、泣き出したい位痛くてたまらないかたもいると思います。本人が障害者だから、すべてOKは存在しないと思います。
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この回答へのお礼

仰るとおりですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/08/08 02:03

“障害者は何をしても許されるべきだ”・・・



考え方は人それぞれでしょうが、少なくとも、障害者本人が言葉にしていい考えではないと私は思います。

「困ったときはお互い様」とはいえ‥障害者の場合、相手を助けるより、相手から助けられることの方が、必然的に多くなるわけですから。
だからこそ、障害者自ら「障害者だから」を免罪符にしてはいけないし、するべきではないと、私自身は考えます。

望んで障害者になったわけではない。好んで周りのお荷物になりたいわけではない。
そんな想いは、障害者なら誰しも、多かれ少なかれ抱えていることでしょう。
でも、実際問題、周囲の理解や援助に頼らざるを得ない部分を否定できない以上、誰に対しても何事にも「おかげさま」という謙虚な姿勢を常に忘れずにいることも、障害者には欠かせない「努力規程」だと自分は感じています。

ただ、それは、ともすれば、障害者本人にとって、ハンディキャップそのものに立ち向かうことより、厳しい試練となります。
なぜなら、障害の種類や程度を問わず、障害者自身は「障害を抱えた自分」に何かしらトラウマやコンプレックスを抱えているものであり、それを補う手段として、「障害以外の分野で、他人に文句は言わせない自分」を見付け出そうとすることで、心の平穏を保とうとする傾向が、大なり小なりあるからです。
障害として認定を受けた部分そのものより、そうした「二次障害」に苦しむ障害者はゴマンといるのではないでしょうか。
そしてまた、その「二次障害」の弊害によって、人間関係の構築に苦労する障害者も、決して珍しくない。
とりわけ、病気や事故などにより、ある日を境に障害者の立場に追いやられた、いわゆる中途障害者ほど、その傾向は顕著なようです。

たとえば、職場の会議などの場面で、議題の進行上さして重要でもないテーマを一方的に掘り下げたり、他人の提案に情報合戦を挑んだりと、場の空気を読まない知識自慢に走って周囲から失笑や反感を買う障害者の姿を、私は何度か目にしています。
障害の症状そのものより、そういった周囲の人間との協調面の問題で、自分では気付かない内に「変わり者」という先入観を周辺に与えてしまい、言動も自然と軽視されがちになる傾向が、「働く障害者」には目立ちます。
でも、障害者自身は、自分が孤立してしまう要因について、なかなか気付けないんですね。
「どれだけ努力したところで、健常者からの偏見を拭うことはむずかしい」とか、「なんとかして“出来る自分”を周囲に認めさせたい」という風に、どんどん意固地になり、あたかも自分だけ別会社にいるかの如く、カベを築いてしまう。
そうした障害者の扱いに困惑する健常者は、自身の感情に折り合いをつけるための対策として、「それもこれも障害のせいなんだから仕方ない」と、自分に言い聞かせることを覚えてしまう。
こうして、お互いの溝は深まる一方なんですね。

「働けない障害者」の立場は、より深刻かも知れません。
たとえば、「我々健常者が汗水流して働いているというのに、働かずに生活保護を受けるなんて…」という健常者からの指摘があったとします。
仰ることはごもっともなんですが、生活保護申請者だって、「働くことによって、社会から必要とされる自分を実感したい!」という欲求はあるはずです。
法律に守られ、高額な生活費を受給できたところで、「健康な心身」も、そうした「生きる張り合い」も、おカネでは決して買えません。
「誰にも迷惑をかけずに生きてみること」は、障害者にとって永遠の憧れです。
そうした境遇の人間にとって、真に求めてやまないのは、おカネでは決して買えない「自立した生活」や「他人から愛され頼られる人生」だったりします。
そうした羨むべき「健全な心身の持ち主」によって、それまで必死に保ってきた自身のプライドを突き崩されてしまうことぐらい、障害者にとって、やりきれないことって他にないもんなんですよ。
そういう想いが「私のつらさを少しは理解して」といった“売り言葉に買い言葉”の反応となって現れるんです。

障害者が自分本位な態度を見せる背景には、「それだけ自分に余裕がない」という実情が絡んでいる場合が殆どです。
その元凶は、技術的な問題だったり心理面の問題だったり、様々でしょうけれど。

「障害者は何をしても許されるべき」という発想は、傍若無人に見える障害者に対し、その境遇に少しでも理解を示せる「ゆとり」をひとつ増やそうと、健常者が努力した結果、辿り着く諦めの境地なのかも知れません。
文字通りに「何もかも許される」と、心から信じ込んでいるわけではなく、その言葉に精一杯の皮肉を込めたつもりなんでしょうね。

この回答への補足

誰にも迷惑を掛けずに生きている者など存在しませんね? 常日頃から謙虚であれと思うのです。スーパーでレジを打って下さった方はそれが仕事です。でも「ありがとう」の言葉と気持ちは持っていたいものです。たったそれだけのことで快適な毎日になる。自然と友人にも恵まれる。

嫌な態度を取る人なんて相手にしたくありませんよ。なにをどう言い訳されてもこちらには関係ありません。

自分のなかだけで勝手にやっといて下さい。係わってくるな。迷惑。

障害を盾にする者は、結局【甘え】なんです。横着で図々しい。

障害者・健常者、共に心があるんです。
傷つけておいて「私は精神障害者なんだから仕方ないんだ」は通用しません。

ひとつ例として、
躁鬱病のAは突然に、それまで仲の良かったBを罵りました。誰にも理由が分からない。CはAが精神病なのでたまたま調子が悪かったのだろうとBを宥め、Aに理由を聞いてみると「Bが戦争のことを話したから悪い。私の祖父は終戦があと少し遅れていれば出兵していた(つまりピンピンしている)。そんな気持ちなんてオツムの悪いBには分からないだろうけどね。」

そんな理不尽なことで責められては堪りませんよ(苦笑)
しかも、Aは何故急に怒ったかの説明に止まらず、Bを馬鹿だと罵るんです。

馬鹿だと言い切ったBに、困れば頼っていく見下げた根性ぶらさげて。

BはそれでもAの相談に乗り、優しく接していましたが、思い通りにならないとAは【見損なったよ】とBを罵る。
見損なうも何も、最初からBを馬鹿にしていたではないか。

利用できなければ【クズ】扱い。

そんなAを人間扱いするに値しますかね。鬼ですよ。


>「私のつらさを少しは理解して」といった“売り言葉に買い言葉”の反応となって現れるんです。

これを言いたいのはこちらです。

あんなものを甘やかすことこそが悪。
誰だって懸命に生きてるんです。理解するのは互いに求められること。
そう思います。

補足日時:2012/07/21 16:00
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>傷つけられた者は精神疾患者すべてに嫌悪感を持つ事になります。



つまり、身障者をひとくくりに見てるわけね。
単純だなあ。

この回答への補足

かように奇を衒った表現をなさらなくとも(笑)

仰る通り人とは単純な面も持ち合わせています。たったひとりの人から受けた被害によって「〇〇人は最低だ」とすることも珍しくありません。無論のこと、それを良しとはしておりませんが、精神疾患を言い訳にやりたい放題であれば、偏見に繋がることも仕方なしの面もあります。

「それは言い過ぎではありませんか」の一言で狂ったように攻撃してくる。「精神病を理解しろ!」と言われましても話の通じないことが精神病というものなのかとしか理解できません。

こうした経験から精神疾患者と係わることを避けるのは当然の防衛本能です。わざわざ不愉快な思いをしたい人などいないに等しいでしょう。

補足日時:2012/07/20 10:52
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>障害者は何をしても許されるべきだ。



>タイトルのような考えについてご意見願います。

上記のような考え方は、私はNOです。(私は健常者ですが)
でも、私の知っている人でそういう考え方をしている人が以前入院
していた病院に一人いました。(普通の内科病棟だったんですが…)
その人は、精神疾患あり、下半身麻痺ありで難病持ちの障害者手帳持ちだったので
何か面白くないことがあるととにかくお金のかからない個室に移してくれと大騒ぎしたり
その他色々やって自分の重症度をアピールしていましたね…そして自分でも「自分はこんなに大変なんだから、何をやってもいいんだ」的なことを平気で話しているのを聞いて余計に”なんだコイツ”と思いました。その人は現在も元気に入院中ですが。

この回答への補足

>「自分はこんなに大変なんだから、何をやってもいいんだ」

まさしくこれです。

【自分はこんなに大変なんだから、何をやってもいいんだ】

>自分の重症度をアピール

こちらもそうです。

【自分の重症度をアピール】


優しく接する者への甘えから、傷つけ楽しみそれでもいつも「自分は被害者だ」という者を誰が相手にしますか。

表面上は「大変ですね」と言葉を掛けても、心のなかでは「なんだコイツ」なんですよ(苦笑)

>その人は現在も元気に入院中ですが。

爆笑しました。

補足日時:2012/07/20 13:37
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全ては許す事から始まります

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>障害者は何をしても許されるべきだ。



>タイトルのような考えについてご意見願います。

先の回答は、タイトルのような考えについての、ウソツキの意見でしかないが、
それ以外に、何か答えてほしいことがあるのかなぁ???


暑いから、熱中症に気をつけてください。

この回答への補足

補足日時:2012/07/18 13:20
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この回答へのお礼

お礼日時:-0001/11/30 00:00

おはようさんです。



単純に、かわいそう、という思いしかありません。

同情ではなく、哀れみしかありませんねぇ。

この回答への補足

補足日時:2012/07/18 11:45
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この回答へのお礼

お礼日時:-0001/11/30 00:00

>辛くなかった?俺は辛いわ。



これだけ弱ければ辛いでしょうね。(笑)

ネットで噛み付いたとか噛み付かれたとか、普通は痛くも痒くもないのに・・・。

この回答への補足

はは(笑) 励まし、ありがとさん。
痛くも痒くもないって、そらそうやん。
弱い奴がどういう扱いを受けるかってのがよーく分かる現象ですやろ。

「やり返すことは悪」「騒ぐ者は叩かれる」
ほんまに弱い奴は泣き寝入りするしかありませんねー
俺はそんなん御免やけど(笑)

「こいつリアルでは何にもよう言えへんクソやろ」って思う奴が嬉々として叩いてくる。目の前で言うてみぃやってなりますわ。あーいうカスがいっちゃん嫌いやな。しょーもない。

結局イジメに通じるところは、やった者は自分が悪いとは思っていない。端から相手を見下げているのでその者に頭を下げるのは屈辱なんでしょう。

補足日時:2012/07/18 12:54
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この回答へのお礼

お礼日時:-0001/11/30 00:00

精神障害あります。



市街地に自転車を放置していたら、撤去されて撤去費用も負担しましたし、
煙草のポイ捨ても注意されるでしょう。
(自治体によっては罰金を支払うことになるでしょう。)

したがって「障害者は何をしても許されるべきだ。 」は、法でも経験でも「No」という意見です。

この回答への補足

補足日時:2012/07/18 02:17
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

煙草のポイ捨てなんかしてるんですか。駄目ですよ。私が見掛ければこっ酷く注意します。で、罰金いただきますね。
それってただのカツあげやんけ!と仰られると違うとも言い切れません(笑)

冗談はさておき、
むやみやたらに【弱者にみえる者】を擁護することを正義だとしているのでしょうか?
そういう安易で一見正しいかのような振る舞いが横柄な人間を作り出すのではなかろうかと思えるのです。

回答者様の発言はイジメの連鎖に通じるものがある。
今一度、考えてみて下さい。
何も知らない者が、無責任に被害者を嗜めることの残虐性を。

お礼日時:2012/07/18 14:16

障害者に迷惑です。

この回答への補足

精神疾患を盾に、人を傷つけるとどうなるか。傷つけられた者は精神疾患者すべてに嫌悪感を持つ事になります。

姑息で我儘な振る舞いは、決して許してはならない行為です。

補足日時:2012/07/20 00:27
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

ほんと仰るとおりですね。

お礼日時:2012/07/18 02:33

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