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電車内での通話が迷惑というのはなぜですか?

どなたか的確な理由を説明してくださいませんか?

世の中に既に存在する決まり事ってなんでだろうってことがありすぎます。
その中の一つなんですけど。

電車内での通話がダメ。
・周りへ迷惑である。
とよく言われますが、いつまでも友人・同僚同士で会話している方がうっとおしい。
電波的な事を言ってもメールをしていても迷惑行為に該当しますよね?
何故通話はだめでメールはOKということになるのでしょうか。

どなたかその辺お願いします。

A 回答 (15件中1~10件)

 こんばんわ!



 日本人は、「みんながダメと言ってることは、同調しないとダメ。」
ですね。だから、私もダメ!

  会議や抗議デモまず、「携帯の電源を切ってください。」
 といいますね。

◇会議や公演中に大きな呼び出し音が鳴りますね。
  あれは、主催者が講演者などに、かなり「申し訳ない。」という
   感情になると思います。

◇携帯で話すとき、かなり大きくなりますね。
  いや、遠くの人に話すように甲高い声になりますね。
   耳障りです。

 で、呼び出し音も会話も極少数の不届き者のおかげでマスマス携帯が悪物扱いですね。

 着信がバイブで、話し声がヒソヒソなら、メール同様他人に不快感を与える程度が低いので
やがて、認められるようになるのではないですか。
 と思います。
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よそみ運転と一緒だと思う



周りの人に注意をはらわなければならない場所で、携帯に集中しちゃいかん

ちゅうことなのかも知れない

もしくは警察の都合、なんらかの連絡を取っている人間が目立つようにしたいという理由

後者は珍説

推測の域を出ません
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私の実経験ですが、結構満員のバスに乗っていて、携帯にかかってきたことがありました。

立っていたのでその場にうずくまって、乗車口のステップへ下りてともかく最小限の会話をして済ませました。かけることはいまのところありませんが、やはりこんな状況に似た、どうしてもかけねばならないこともあるだろうと思います。出来るだけ周囲に声が響かないように、不快感をあたえないようにして通話する分には許されるのではないでしょうか。
同様に友人同士の会話とか、楽しいものですが、やはり混んでいれば必要以上の音量で話すことは避けたいし、これらはまあ常識の範囲で判断が出来ることではないかと思います。

ご質問とは直接関係ないのですが、やはり公共の場でたとえば女性が化粧するのはマナーにはずれるとか、通勤列車内での弁当喫食は周囲に不快感を与えるから駄目だ(マナー違反?)とか、以前にもいろいろこういった質問内容がありましたが、基本的にこれらのことは個人の都合が優先するもので、周囲はよほどのことがない限りある程度は寛容して受け入れるべきなのでは、と私は思います。ですから、音が出なければメールは迷惑にはならないし、全く問題ないでしょう。

そういった思いは私の場合常識としてすんなり心に理解できますし、多くの人も受け入れられるのではと思いますが、やはり世間には残念ながら周囲の迷惑を顧みない、無神経な人たちも相当数いらっしゃいますので、そんな人たちも含めて、ある程度一律の公共マナーといったものを普及させることは無意味ではないのではないか、とも思いました。

あまり徹底しない回答ですが、ご参考になれば。
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初期の頃、大声で話す人がいたせいです。



人は自分のところが騒音等でうるさいと相手は聞こえてるのに大声を出しますから。

それと、同じように書いている方がいますが、一人で話しているのは気になるんですよ~

2名で話ししてると気にもなりませんが・・何故か独り言のように話ししているのは気にかかる物です。

まあ最初に書いた、初期の頃大声で話す(今もいるしね)これが1番の理由でしょう。

メールは音がしないじゃないですか?

下向いてるだけですから。

比較対照にはならないと思いますが・・
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周りの人にとっては、興味の無い独り言に聞こえるというのが一番の理由だと思います。



知らない人から届く興味の無いメールが届いたとして、それが2~3通なら無視すれば済むことです。
しかし、数十通届くようになると迷惑メールだと感じますよね。

一方的に送られてくるメール同様、一方的に送られてくる言葉が迷惑に感じるのは当然でしょう。
隣同士に座っている人が大声で話すのも迷惑ですが、通話相手の声が聞こえない電話だと会話として成立していない言葉なので、余計に不快だと感じるのではないでしょうか。

ダイレクトメール、訪問販売、選挙演説等々、自分にとって興味のないものであれば迷惑ですが、必要な人からすれば「何が迷惑なの?」と感じるものは世の中にたくさんあります。

携帯電話での通話内容が、身内が事故にあって病院に運ばれたとか緊急を要するものであれば、迷惑行為だと断罪されることもないと思いますが、取るに足らない内容なら迷惑行為と言われても仕方ないかと。
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明確な理由は、おそらくないと思います。



単に「新しいもの」だからではないでしょうか。
例えば携帯電話と同時期に、ヘッドフォンステレオや新聞が普及していれば、
同じようにダメになったのではないかと思います。
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私は、今年の初めにインドに行ったのですが、そのときに乗った列車の指定席で、斜め向かいの席の男性が、最初から最後までずっと携帯で話続けるという場面に遭遇しました。


その列車はコンセントが付いていて、彼はそれで充電しながら話したいたようですが、声自体かなり大きく回りはかなり迷惑そうでした。でも本人全然気にすることもなく到着までこれが続きました。

その後日本に戻って、わが国の乗り物内の携帯のマナーが大変良いのに改めて感激しました。今では大きな声で社内で通話するのは殆どないですね。これは結構外国人からも賞賛されているようです。

社会のマナーと言うのは別に法律ではありませんから、守らないからといって処罰されるものではありません。
他人が不愉快と思うかもしれないことは自粛するのがマナーです。
それを理解して社会生活を送るのが成熟した大人ではないでしょうか。それがわからないと、入学前の子供と同じと取られても仕方ありません。
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> どなたか的確な理由を説明してくださいませんか?



ありませんよ、そんなもの。

単に誰かが最初に「不快に感じた」と主張したんでしょう。
その本当の理由は、単に贔屓の野球チームが負けたからかもしれませんし、上司に叱られたからかもしれません。不幸なことに、その主張は「クレーム」として充分に大きな声でした。
一人か二人、そういった人間がいたと思ってください。

そういったクレームを受けた側である旅客会社は、呼びかけだけであれば特にコストもかからないので、乗客に呼びかけをすることで「我々は努力している」という免罪符を得ることになります。したがってそういったアナウンスを行うことになります。

一方で「電車内での通話はご遠慮ください」というアナウンスに強硬にクレームを入れる人はいないので、このアナウンスはある程度の期間流れ続けることになります。既成事実化です。
そうすると、電車内での通話を行いたいと思っても、今度は「通話することを認めるべきだ」という相手が、旅客会社ではなく一般大衆という訳のわからないものになっているため、クレームをつけることができません。大衆には、クレームを受け付ける窓口はありませんからね。

かくして、携帯電話の電車内通話禁止というルールが確立することになります。そして、興味深いことに、ルールが確立する前ではなく、ルールが確立した後にそのルールが正当であるという「科学的な」様々な証拠が発見されます。
ルールが間違っているという証拠が発見されても、それが何らかの重大な問題を引き起こさない限り、このルールは改変されることはありません。



こういったルールは、往々にして理不尽なものです。
芥川が侏儒の言葉で「最も賢い処世術は社会的因襲を軽蔑しながら、しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである。」と言ったように、この種の物は敬して遠ざく、程度の扱いで良いと思います。
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実際、対面して会話をする場合は周囲を気遣う事ができますが、電話の場合は


気遣うことが困難な場合が多いです。車の運転中の事故は、携帯電話をかけている
場合が非常に多いから、法律で禁止される羽目になったのです。運転手と話している
ぐらいで事故に遭うのは、携帯電話の時と比較しても確率は低いでしょう。

周囲への気遣いができないから、慎むべきなのです。
まあ、それ以前に、質問者には周囲への気遣い自体が不可能のように見えますので
この例は不適切かもしれませんね。
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デカい声だとどっちもウザイですね



常識的に小声で話せばどっちも気になりません
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