10秒目をつむったら…

今日図書室にてぼけっ~っとしていたら「新保守主義」とかなんとかいう文字が目についた。
かつて(いまだに?)産経新聞などでワーワーやってたような連中が勢揃いでまたぞろワーワーやってる。
内容は・・ようわからんが確か「日本人は日本人としての誇りを取り戻すべき」なんだそうな。
そういや今小学校の教科書が問題になっているらしいし・・・
皆さんはどう思われますか?

A 回答 (16件中1~10件)

そうした「新保守主義」とやらが、西洋コンプレックス丸出しの教科書を誇らしく掲げている時点で、「誇り」も何もあったものではないですね。



そもそも、「誇り」が個人(自身)ではなく、その属する組織や国家に向けられるべきという発想からしておかしい。

第一、そんな狭隘なナショナルアイデンティティの確立を目指してる場合じゃないですよ。

そういう意味では福田カズヤはまだまともな保守と言えるかな。
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この回答へのお礼

返信どうもありがとう。

>そうした「新保守主義」とやらが、西洋コンプレックス丸出しの教科書を誇らしく掲げている時点で、「誇り」も何もあったものではないですね。

まあね。実際相当へんな国ではあるよね、君たちの日本って国は。(笑)

>そもそも、「誇り」が個人(自身)ではなく、その属する組織や国家に向けられるべきという発想からしておかしい。

うん。組織や国家に向かう誇りはあり得ないとおっしゃってるのかな?
そこのところはどうだろ?

>第一、そんな狭隘なナショナルアイデンティティの確立を目指してる場合じゃないですよ。

うん。そこで君らは何を目指すべきなんだい?

お礼日時:2001/04/13 23:31

日本人としての誇りと言うよりは、もっと日本のことを知るべきだとは思います。


日本に生まれたことを疎む必要も喜ぶ理由もないけれど、
民族的なことを誇りにもつことよりも、自分がその民族であることを
理解する?必要はあると思います。

知らないことが多すぎる。
それはよく思います。
なんか、返答になってないですね。

この回答への補足

返信感謝致します。

>日本人としての誇りと言うよりは、もっと日本のことを知るべきだとは思います。 日本に生まれたことを疎む必要も喜ぶ理由もないけれど、
民族的なことを誇りにもつことよりも、自分がその民族であることを
理解する?必要はあると思います。

うん。なるほど。
しかし、日本について疎むことも喜ぶこともさしてない君が自分が思うところの自分の民族について理解する必要があるのはどうしてなんだろう?

補足日時:2001/04/13 23:33
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わたし自身に関しては。


日本人であることに全く誇りは持てません。
そのよりどころがどこにも見つからないのです。
確かに日本は長い文化的歴史を持っています。
しかしそれは過去の遺産にすぎないように思います。

今の日本のどこが誇りに思えるでしょうか・・

また、まだ真っ白な小学生に政治的意図を叩き込むのは
卑怯な行動に思われます。

それでも、「日本人」として生まれた以上は、
知る努力、知らせる努力をして行くしかないと思います。

さて、最近聞いた意見で目を開かれたものがありました。
「日の丸・君が代」が他国の民族に一度は死をもたらした以上、使うべきでないと思っていました。
ところが、出典は定かでなくて申し訳ないのですが、
「日本人は日の丸というくびきを背負って行くべきだ」
・・・そうかもしれません。
また、こういうときに「じゃあ他国は何をした」という言葉を持ち出す方がよくいらっしゃいますが、それは話題のすり替えにすぎませんので、先に申させていただきます。

この回答への補足

返信感謝致します。

>わたし自身に関しては。
日本人であることに全く誇りは持てません。
そのよりどころがどこにも見つからないのです。

うん、そりゃそうだろう・・・君はまだ誇りなんてものがよそから指し示して貰い得ると思っているのかね?

>今の日本のどこが誇りに思えるでしょうか・・
そりゃそうだ。(笑)

>それでも、「日本人」として生まれた以上は、
知る努力、知らせる努力をして行くしかないと思います。

どうして「していくしかない」のかね?

補足日時:2001/04/14 00:20
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これは中年のぼくでも足を止めて、ちょっと考えてみようという質問ですね。



「日本人としての」というのは、日本という「民族・文化」または「国家」ですよね。多分第2次大戦前は、日本という「国家」は戦争が強い、高度成長時代は経済が強いというような誇りを大衆は持っていたと思う。こうした単純な誇りは第2次大戦の敗戦と、ここ十年の大不況でで殆ど消えてなくなったんじゃないかな。政治もあんなだし。ですからいまは、「国家」に対する誇りは最低だと思うし、いまは「国家概念」それ自体が希薄になっているといわれてます。

「民族・文化」となると、これは伝統文化がかろうじて対象になる。ヨーロッパ人なんかは、これに依存する傾向が強い。しかしこれも「世界遺産」、つまり地球人の遺産なんて概念が出始めた。

またアメリカを考えてみると面白い。「民族・文化」は他より希薄で、ヨーロッパ人は軽蔑さえしている。しかし「国家」には誇りを持っていると言われている。これは「国家」がいろいろの意味で強いし、世界のリーダーになってることが、影響してるんじゃないかな。

一方でハンチントンは「文明の衝突」という本を書いたし、哲学者のレヴィストロースは固有な「民族・文化」の重要性を言っている。

こうして考えてくると、ぼくは「日本人としての誇り」というのは、「日本人の創造力」ということに非常に近い意味を持っている気がします。過去の文化や伝統はその結晶だし、将来に向けても、たとえ世界のための創造ではあっても、日本人からノーベル賞がどんどん出たり、世界に類のない政治や経済のシステムを創ったときには、また「誇り」という感情が沸いてくると思うんですが、いかがでしょう?

この回答への補足

返信感謝致します。

>「日本人としての」というのは、日本という「民族・文化」または「国家」ですよね。
 
う~ん・・・あなたのいう「日本」とは「民族」ないし「文化」または「国家」なのですね。
あなたのいう「民族」・「文化」・「国家」について是非お話していただきたい。

>多分第2次大戦前は、日本という「国家」は戦争が強い、高度成長時代は経済が強いというような誇りを大衆は持っていたと思う。こうした単純な誇りは第2次大戦の敗戦と、ここ十年の大不況でで殆ど消えてなくなったんじゃないかな。政治もあんなだし。ですからいまは、「国家」に対する誇りは最低だと思うし、いまは「国家概念」それ自体が希薄になっているといわれてます。

うん。あなたのいう大衆の国家に対する誇りとは、とある集団が富んでおり強兵を持ちその中の一員であることなんだ。であるから上記二つがなくなると同時に消え失せるものなんだ。あなたはご自分をその大衆の一人である・・・と思っているわけだね。

>「民族・文化」となると、これは伝統文化がかろうじて対象になる。ヨーロッパ人なんかは、これに依存する傾向が強い。しかしこれも「世界遺産」、つまり地球人の遺産なんて概念が出始めた。

>伝統文化がかろうじて対象
何の何の為の対象だと思う?

人が歴史を持つということには興味があるね。
ヨーロッパ人云々はさておき、「人が歴史に依存する」ということは一体どんなことなのだろう。
「人」が「歴史」と呼ぶその正体とは?

>またアメリカを考えてみると面白い。「民族・文化」は他より希薄で、ヨーロッパ人は軽蔑さえしている。しかし「国家」には誇りを持っていると言われている。これは「国家」がいろいろの意味で強いし、世界のリーダーになってることが、影響してるんじゃないかな。

うん。アメリカね。あなたのいうアメリカ・・・ありゃ何だと思う?

>こうして考えてくると、ぼくは「日本人としての誇り」というのは、「日本人の創造力」ということに非常に近い意味を持っている気がします。過去の文化や伝統はその結晶だし、将来に向けても・・・

いやいや・・日本人としてなにを誇りと呼ぶかはどうでもいいのさ。
今はそんなことをいってるんじゃないだろう。

>たとえ世界のための創造ではあっても、日本人からノーベル賞がどんどん出たり、世界に類のない政治や経済のシステムを創ったときには、また「誇り」という感情が沸いてくると思うんですが、いかがでしょう?

日本人からノーベル賞がどんどん出たりシステムというヤツを造ったならばまたぞろ湧いてくるのが「誇り」ってヤツなんだね。

・・・ところで世界水泳大会が近いわけなんだが・・・どうして人は自国の選手をあんなに応援するのかね?
彼らと選手になんの関係があると思うかね。

補足日時:2001/04/14 00:16
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「日本」と一口に言いますが、



1)日本国という国家(その代表者は日本政府)
2)日本文化(食や言語を含む)
3)大和民族(アイヌや朝鮮系を含まず)
4)日本の気候風土(四季や自然も)

どれを指すのでしょう?時代も

a)石器時代以来
b)縄文以降(縄文人は古モンゴロイドの血が濃い、アイヌ・沖縄に繋がる)
c)弥生以降
d)古墳以降(大和朝廷に繋がる)
e)明治以降
f)戦後
g)現代

と色々あります。中国文化から多大な影響を受けながら、独自の繊細な文化として結晶した日本文化。それを愛することと、「日本国」なる国家を愛することは全く別です。すりかえてはいけません。日の丸・君が代を強制し、戦前のアジア侵略を正当化することと、日本の文化や気候風土を愛することは別です。個人的には日の丸を付けた特攻機に乗り込んで南の海に散って行った若者にはシンパシーを感じますが...。

では、国家としての「日本」に愛着を持つべきか?それは個人個人の自由でしょ?別に好きな人に干渉する気はありません。その方が牛丼が好きだからと言って私が反対する理由がないのと同じです。

しかし、私や第3者に「牛丼」を押し付けられても困ります。最近の上記論調は、そんな印象を持ちます。

残念ながら、IT時代の今こそ、「国粋主義」が世界的規模で蔓延するでしょう。というより、既にそうなりつつあります。しかも一番厄介なのは、街宣車でガナリ立てる大音量のスピーカでもなく、一部突出したマスコミの宣伝でもなく、「我が内なる国粋主義」です。それは私自身を含めて、確実に広がりつつあります。街で中国福建省からの蜜入国者らしき者を見たら、「警察は何しとるんじゃい」と心の中で叫んでいますし、日本から、彼らを一掃すべきだと、思っています。これって、下手すると関東大震災時に朝鮮人虐殺した人達の心理にも繋がるのかも知れないですね。ああ、おそろし~。
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この回答へのお礼

返信どうもありがとう。

>「日本」と一口に言いますが、 ・・・どれを指すのでしょう?

いやはやまったく。

>中国文化から多大な影響を受けながら、独自の繊細な文化として結晶した日本文化。それを愛することと、「日本国」なる国家を愛することは全く別です。すりかえてはいけません。

うんうん。まったく。

>残念ながら、IT時代の今こそ、「国粋主義」が世界的規模で蔓延するでしょう。というより、既にそうなりつつあります。しかも一番厄介なのは、街宣車でガナリ立てる大音量のスピーカでもなく、一部突出したマスコミの宣伝でもなく、「我が内なる国粋主義」です。それは私自身を含めて、確実に広がりつつあります。 

いやはやまったく。

>ああ、おそろし~。

いやあまったく。

お礼日時:2001/04/14 00:35

話を初等教育に絞るならば、自国に誇りを持って欲しいという願いを教科書に込めることは悪いことではないと最近思うようになりました。


日本の外を見ると、政治も経済も文化も低調でちょっと誉めようのないような国の人でも、自国のことはそれなりに誇りに思ってるようです。
偏狭なナショナリズムと切って捨てる事も可能でしょうが、私はこれはやはり正しいというより健全なことだと思います。そういう思いは将来実際に社会を良くするためにもきっと必要でしょう。

で、学問としての歴史とは別の問題として、根本的な所で「自分の国は良い国だ」という誇りや信頼感を持って貰う事は、社会を良くするためにも、そして人間としても重要な事ではないかと思うのです。
小さい子供が「ウチのママは世界一の美人だ」「パパは世界一エライ」と素朴に信じるのと似てるかもしれません。明らかに独善な訳ですが(笑)子供の頃にそう信じる事はやはり意味があると思います。知恵と経験を身につけるに連れ「そうでもないかも」という事は分かってくる訳ですし、歴史についてもそういう風に自分の頭で考えられるような教育をこそするべきだと思います。
もちろんウソを教えて良いはずはありませんが、「教育=学問」という一面的な見方を離れればきっと折合いのつけようはあるのではないでしょうか。

こんな風に思うのも、明らかに受け売りで「こんな国ろくでもない」「日本は滅びた方がいい」と言う人を本当によく見るからです。
私自身の学生時代を振り返っても、教育の影響は否定しきれないと感じています。
しかし普通の高校生くらいの人がこんなことを軽く言ってのけるのを見ると、さすがに首を傾げるというか気持ちの悪いものを感じます。
保守的・進歩的という以前の問題として、やはりある種不健全だなと思わずにはいられないのです。
(ちなみに最近は「人間は滅んだ方が地球のためだ」と言うのも良く聞きます。人間のことをどれだけ知った上で言っているのやら…)

あまり自信のある意見ではありませんし、あるいは危険な考え方かも知れませんが、まぁ一つの見方として読んで貰えれば幸いです。

この回答への補足

返信どうもありがとう。

>話を初等教育に絞るならば、自国に誇りを持って欲しいという願いを教科書に込めることは悪いことではないと最近思うようになりました。

うん。日本人であることに「誇り」を持てと教えればそりゃ持つかもしれないね。
だって現に日本人なんだから。そも「誇り」を持つ仕方とすれば一番簡単なんだから。
だけどそもそも善く生きていないから誇りを持てないでいるあれらの人々が一斉に「日本人」であることに「誇り」を持ったって仕方ないんじゃないの。
そのまんま戦争にでもなった日にゃ、どうなるかあなた、よく知ってるはずだがね。

>小さい子供が「ウチのママは世界一の美人だ」「パパは世界一エライ」と素朴に信じるのと似てるかもしれません。明らかに独善な訳ですが(笑)子供の頃にそう信じる事はやはり意味があると思います。

いやいや。子供はそんなこと素朴に感じはしないね。
子供がそうするのは必要だからなんだがね。

補足日時:2001/04/14 00:36
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「誇りを取り戻す」、「名誉挽回」、「汚名返上」


どれももともと誇り、名誉、名をもっていた者が
言う言葉と思います。まずそれらが日本人という
集団にあったのでしょうか。私は疑問です。

というのも、「日本人はそも始祖は~」って言っ
たとしてもそれを私個人の誇りとすればそれは虎
の衣であり、また、他国に諂うも諂わないも個人
の選択であり、集団が諂っても個人が諂っている
とは思わない。

ですので、この新聞記者は「国会はとか~省は」
とか付ければいいんじゃなかったのではと思います。

個人的には他国の人に諂う必要はないと思います
す。個の誇りは個でもっていたいと思います。
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この回答へのお礼

返信どうもありがとう。

>「誇りを取り戻す」、「名誉挽回」、「汚名返上」
どれももともと誇り、名誉、名をもっていた者が
言う言葉と思います。まずそれらが日本人という
集団にあったのでしょうか。私は疑問です。

おっしゃるとおりだね。
日本は世界に冠たる長寿国なんだが、それは彼らが命大事で生きてきたからだろう。なんにせよまずは命、これが大事なんだ。
こんなんで誇りもへったくれもないわな。
そういや日本でも江戸時代、切腹を善しとする風潮があったらしいけど、官僚化した武士はそうそう往生際がよかったわけじゃない。
たいていはオカミに逆らえずメソメソ腹を切ったのだ。
一方で誇り、名誉、名を持っていた者なんて個人じゃいくらでもいたと思うけど。

>個人的には他国の人に諂う必要はないと思います
す。個の誇りは個でもっていたいと思います。

賛成だね。

お礼日時:2001/04/14 01:01

論点は大まかに見て2つあると思います。


1つは世界中のあらゆる国民が自国民として誇りを持つことの是非。
もう1つは他国民が誇りを持つことは認めるが日本人が誇りを持つことの是非。

1つ目に関しては、私は誇りを持つべきだと考えます。
実際のところほとんどの国では誇りを持っている人が多数を占めているように思えますし、自分の所属に誇りを持つことは自然なことと思えるからです。
ここで注意しなければならないのは、民族ではく文化を内包する国籍に誇りを持つべきだということです。

2つ目に関しては、日本人であることを特化する必要は無いと考えるのでやはり誇りを持つべきであると思います。
ここでは過去の誇りを取り戻す云々は特に意識する必要は無く、現在において誇りを持つことを云々する必要があると考えます。
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この回答へのお礼

返信どうもありがとう。

>論点は大まかに見て2つあると思います。
1つは世界中のあらゆる国民が自国民として誇りを持つことの是非。
もう1つは他国民が誇りを持つことは認めるが日本人が誇りを持つことの是非。

いやあ・・・たかが誇りを持つのに是非を吟味せねばならんかね。
知らなかったよ。迂闊だったね。

お礼日時:2001/04/15 00:01

わたしは「どうでもいい」と思います。



ここで問題は、なにが「日本人」なのか?ということだと、私も思います。

また、こう言う人もいると思います。「地球人 ノ 誇リ ダ」
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この回答へのお礼

返信どうもありがとう。

いやいやまったく。
僕もそう思っているのだ。

お礼日時:2001/04/14 00:29

ここで定義される日本人とか、日本民族など、どうでもいいことだし、


興味はない。

自分が●●民族や●●人であることなど、単なる属性にすぎないし、
たまたま受け継いだ遺伝的形質でしかありえない。となれば、それは
●型という血液型であることに誇りを持つかどうかという程度の
論理に他ならない。

要は、自分に誇りを持つ為になんらかの後ろ楯が欲しいのか、欲しくないのか。
議論はそこの一点に尽きると思う。

僕自身としては、いかにそのようなものに頼らぬ確固たる自己を形成するべきか?
ということのほうが重要に思えるが。
さて、いかがなものか?
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