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なぜ文章を難しく書く必要があるのか

大学生なのですが、高校時代から疑問に思っていたことがあります。
なぜ、文章をわざわざ言い回しを難しく書かなくてはならないのでしょうか。

特に評論がそうではないでしょうか。
大学受験を通じて、「ここはどのようなことをいっているのかわかりやすく答えよ。」
という問いを幾度となくこなしてきました。
なぜ始めからわかりやすく書く努力をしないのであろうかと思われたのです。
そして難解なレトリックや比喩の多い文章ほど、経験上、内容が貧困なのです。

本来、文章はコミュニケーションの一つの手段として用いられるべきであるのに、
わざわざ相手の理解を難しくしているような気がしてならないのです。

また、文章を世間に出すということ自体が、知的階級に属していることを示していますが、
知的階級の使命とは、「難しいことをわかり易く伝えること」であると思われるのです。

結局、難解な文章を書く人間は自己満足に浸っているだけなのでしょうか?

A 回答 (13件中1~10件)

あなたの主張を突き詰めれば、難しい言語は廃止ということになってしまいます。


わかりやすさや合理化ばかりを追求すれば結局は知性の剥奪ということになります。
為政者としては民衆がバカになればダマしやすくて都合が良いでしょうけどね。

知識には抵抗の意味もあり、言語表現の幅があればその分、意思伝達のバリエーションも広がります。
一見素晴らしい主張のようですが、あなたの主張が危険を孕んでいることに気付くべきでしょう。
『1984』の「ニュースピーク」が良いことか否か、考えましょう。
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人によって感性が違うので、ある程度そのようなことが起こるのはやむをえません。



書き言葉の文章には、3つのレベルがあります。
(A)必要以上に硬い文章、必要以上に格式を重んじた文章
(B)ちょうど良い硬さ・格式の文章
(C)ごく親しい人にしか使わない、口語でしか使わない文章

もちろん理想は(B)ですが,(A)や(C)を好んで使う人はたくさんいます。
(A)や(C)で書いても、ふだんだれも注意してくれないので、自分で自分の文章を見つめなおすしかないでしょう。
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頭の中にある思いや考えを人に伝えるための媒体として言語を捉えると、考えを「正確に」人に伝えることは実は非常に困難なことであることに気づくと思います。


ハンバーグの作り方であれば材料や分量、調理手順を詳細に書けばある程度伝わるでしょうが、5種類のハンバーグの味の違いを正確に人に伝えることは困難です。
このように、伝えたいと思う内容が複雑な概念、抽象的なものになるほど正しく人に伝えることは難しくなってゆくのです。

そこで、複雑な概念を出来るだけ正確に人に伝えるためには、多くの言葉を用いて繰り返し注意深く考えの輪郭を文章によって浮き彫りにしてゆかなければならないということになります。ですから正確さを期す必要のある論文は、内容がたとえ冗長となってもひとつの考えを繰り返し様々な角度から多くの言葉を費やして述べ、根拠を挙げ、例示によって補強するということが行われるのです。

多くの言葉を費やしてようやく浮き彫りとなった筆者の考え全体を俯瞰して、全体として言いたいこと(要旨)を読み取る能力を問う問題こそがご指摘の「ここはどのようなことをいっているのかわかりやすく答えよ。」の問題であって、これは解答者の回答を見れば筆者の述べたいことを正確に読み取れているかどうかを採点者は知ることができます。しかし、元の文章が初めからその解答のような簡潔な文のみで書かれていた場合、筆者の考えはむしろ誤った解釈をされてしまう可能性があるのです。

一方、別にそれほど多くの言葉を必要とするとも思えない単純な概念をやたらと難解な言葉で飾り立て権威のある文章に見せかけようとする傾向も多く見られることは確かです。こういった文章は言うまでもなく悪文ですが、実は悪文ほど問題作成者にとっては問題を作りやすい(やたらと難解な割に要旨は単純なので)ために、こういった文章は入試問題などには出題されやすいのかもしれませんね。
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簡潔に書けばいいのに、くどい説明が多くごてごてした文章になるのも



最近の傾向じゃないですか

非常に誠実だと思います
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NET右翼なんて子供しか騙せない詐欺師みたいなもんですから



ほとんどWILLとか言う雑誌のコピーアンドペーストばかりですから

渡部昇一とか言うおっさんも怪しいですね

詐欺師の親玉ですか
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訳の分らない引用を持ち出して、自分の文章の信用性を高めるのはNETに限ったことではなく



朝刊1面の下のほうに書いてあるコラムも一緒です

最近よく聞かれるのが「ソース」と呼ばれる言葉で


その根拠となるのは学者の説ですが、非常に怪しい論理も多く金で権威と信頼性を売っているのでは

と思ってしまうことも度々有ります

国民が反論できないほどアホになったってことじゃないですか

仕分けするなら学者なんかいいんじゃないですか
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文章を難しくすることによって権威を示しているのだと思います。

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モンテーニュの『エセー』の中の断片を紹介します。



 「アリストテレスばかりでなく大部分の哲学者がむずかしさをよそおったのは、空虚な事柄に箔をつけて、われわれの精神にうつろな、肉のない骨を与えてしゃぶらせ、好奇心を満足させるためでなくて何であろうか。クレイトマコスは、カルネアデスの著書から彼がいかなる意見をいだいていたかを全然知ることが出来なかった、と言った。エピクロスが著書の中に平易を避け、ヘラクレイトスが<<スコテイノス>>とあだ名されたのはなぜだろうか。難解さは、学者が手品師のように自分の技倆のむなしいことを見せまいとしている貨幣であり、愚かな人間どもはこれで簡単に支払いを受けたつもりになる。

彼はあいまいな言葉のために、むしろ愚かな者の間に有名である。、、、
なぜなら、愚かな者は難解な言葉の下に隠された意味を見つけて感嘆し、これを喜ぶからだ。」

この質問の回答でも、正確さだ厳密さだといろいろな理屈を付けながら難解な言葉の下に隠された意味を見つけて感嘆して喜んでいないと良いんですがね。

自分で何を言っているか解りながら文章を書いている方は、必ず平易に書けるものです。
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わざわざ難しく書こうとするのではなく、それが言語というものだからではないでしょうか。



話すことは普通は誰でもできることです(心身が健康な方は一般的にという意味で)。
学歴がなくても、子供でも、話はしますよね。それは日本でも外国でも同じことです。

でも、書くということは一定の知識がいります。字を書けない人は文章は書けません、当然ですが。

文語と口語という言葉があるように、昔は書き言葉と話し言葉というのが明確に分かれていて、書き言葉の方が難しい言葉遣いをするものでした。
外国語もそうです。文章にする場合は、普通文法通りにくずさず書くのが一般的ですが、話すとなると発音がルーズになったり、省けるものは省いたりします。

日本で口語体で書くことが一般的になったのは、多分戦後だと思います。それも年々口語が幅を利かせてきた歴史があるかと…。

私も必要以上に難しく書く必要はないと思いますが、文章の種類も様々で(論文、純文学、大衆文学、記事、エッセイ、作文等々)、ものによっては硬い文章を書くべきだったり、硬い文章の方が効果的だったりもすると思います。
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>なぜ、文章をわざわざ言い回しを難しく書かなくてはならないのでしょうか。



もちろん必要はありません。

文章に装飾を施してちょっと普段使い慣れない言葉を選んだり、荘重に、あるいは美しく、韻を踏んだりして書くことで、読む人に感銘をより強く与える効果を狙っている例は、特に文芸作品の場合はあります。必ずしも分かりやすさを第一にしない文章もあると言うことです。

>そして難解なレトリックや比喩の多い文章ほど、経験上、内容が貧困なのです。

それは質問者様の個人的な感想であるかもしれません。
私は経験上必ずしもそうは思っていません。

>特に評論がそうではないでしょうか。
一般的に、評論はくだけた内容を扱うものではなく、著作者自身がぎりぎりの頭脳的思考を重ねて対象に相対している場合が殆どであり、文章も微妙な内容を、しかも誤解を招かないように厳密に表現することが多いと思います。そのために文章も難解になってくるのではないのでしょうか。よく似た文章に、法律文書などがあり、やはり誰が読んでも誤解がなく、緻密に厳格に表現する必要からそういった一見難解なものになるということでしょう。

>大学受験を通じて、「ここはどのようなことをいっているのかわかりやすく答えよ。」
という問いを幾度となくこなしてきました。
そういった場合、わかりやすく書き直された文章が、原文と全く同じ意味を表現でき、しかも長さがあまり変わらなかったら、それは確かに原文が悪文だったということでしょう。でも殆どの場合、分かりやすく書き直すと原文よりもよほど冗長になって、文章としての味わいも失われるのではないでしょうか。

>本来、文章はコミュニケーションの一つの手段として用いられるべきであるのに、
わざわざ相手の理解を難しくしているような気がしてならないのです。

質問者様のお考えはそのとおりだと思います。そういった例が全くないとはいえないと私も思います。
今後もプロの文章を批判的に読まれることはいいことだと思います。
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