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私たちは、経済的合理性(金銭的な損得で考えて行動する)を追及することに幸福があるか否かについて、みなさんの個人的な意見がききたいのでよろしくお願いします。 ちなみにわたしはお金がすべてではないと考えていますが…!

A 回答 (4件)

お金は物の交換券でしかない。

何らかの物やサービスを得るための交換券としてコピー出来ない紙として紙幣は守られ流通している。

人間というのは馬鹿なので、何かを作ってそれを利用するのが本来の目的なのに、いつの間にやら作る事が目的化して閉まっていたりする。お金をいっぱい稼いで貯めこむ人間もこれと同じであり、それ自体には意味はない。
ただお金の場合、貯めこみ次の人に渡さない人が増えると七並べの関止のような行為となりゲームが進まなくなる。そして経済とはトランプゲームではない現実世界の話なので、関止が続けば食えない人やひもじい思いをする人が増える事になってしまう。

皆が朝から晩まで毎日あくせく働き何をしているのかといえば、それは基本的には食料やエネルギー資源など、その分配を受けるために汗水流して働いている。ある人は直接食料を生産し、ある人は食料を加工し、ある人はその人達のマッサージをして、それらの分配としてお金として受け取っている。

お金はただの紙であり交換券なので、実は機能をつけてしまってもいいし、それをばらまいてしまってもいい。それをしないのは問題がより複雑化してしまう事を恐れてのことであったり、現状の権力中枢(国家権力以外も含む)利得を得ている人の損に繋がるために、そのような行為が行われていないだけの話。

また、「経済的合理性(金銭的な損得で考えて行動する)を追及することに幸福があるか否か」という考え方はナンセンスで「損得で考えて行動しその追及に幸福があったから、お金が流通し経済が資本主義経済が存在している」というのが実態でしょう。
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経済的合理性と道徳心は別物として考えるべきと思います。



経済的合理性とは、限られた資源の中で個人が最も幸福になる行動をとるということ思います。

このとき、幸福になる理由のひとつに、環境を良くしたいや周りの人をハッピーにしたいというのも含まれていると考えています。

アダムスミスも、「国富論」の他に「道徳感情論」を著しており、市場論理の前提条件として道徳観があるとしています。
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私は、経済的合理性=金銭的損得とは考えていません。


のどが渇いたときに100円で水を買って飲む。
金銭的にはマイナス100円ですが、100円以上の効用が得られるので経済合理的です。

質問のご趣旨が「金銭的損得を追求することで幸福は得られるか?」ということだとすると、違う回答になりますが。
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お金より大事なものはある。

     でもある程度、お金は持つべき。     貧乏はダメ。     貧困は人を変える。     給料;年金なんかに頼らない、「独立力」を持つべき。     私は、そう思う。     そして、私はそれを「実践」している。
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