プロが教えるわが家の防犯対策術!

泣ける小説やら映画やらって、昔から人気がありますよね。
それは、やはり「泣きたい」から読んだり観たりするのでしょうが、何故わざわざ「泣く」という、いわば負の感情?を味わいたい人が多いのでしょうか。
実生活では、「泣く」などという出来事には出会いたくない人が殆どだと思うのですが・・・

そんな小説や映画には一切興味がない私に、どうぞその理由を教えて下さい。
尚、アンケートとしての質問ですので、正解が何かというより、仮説でもジョークでも何でも結構ですから、いろいろな視点でのご回答を歓迎します。

A 回答 (12件中11~12件)

泣ける映画泣ける小説…


いーな暇で幸せで
泣くどころか地獄に落ちちゃった
見たくないもの聞きたくないものばかりになっちゃった

そんなに泣きたいならいつでも私と交換してあげるよ毎日血の涙がでそう

“感動出来る”なら
わかるんですけど

他人の不幸を一瞬味わって泣いて古い塩分出して
スッキリみたいな

不幸な小説を書いて
今、私が書かなきゃ誰が書く
みたいな事言ってる著者、監督、●ね馬鹿
(-_-)

お邪魔しました
ずっと言いたかった、愚痴らせて貰ってすみません
m(__)m
    • good
    • 0
この回答へのお礼

泣ける映画泣ける小説を求めるというのは、それだけ「心に暇がある」ということでしょうか。
むしろ逆のケースも多いように思いますが、これは「現実を、虚構の世界でどのように扱うか」という違いなのかもしれません。

また、同じ「泣ける」ということでも、「感動して泣ける」と「他人の不幸に同情して泣ける」では大きな違いもあるでしょう。
今回の質問は、どちらかといえば後者のケースについてお聞きしたいと思ったものです。

ありがとうございました。

お礼日時:2010/11/27 19:50

『泣く』というのは結果であり、目的ではないと思います。



要は、感動を味わいたいのでしょう。
人は強い感動を覚えた時、涙を流します。

これは、必ずしも『負の感情』ではありません。
涙もろい人ほど、感受性が強いのだと思います。
ちなみに、私もその一人です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

結果で「泣く」というケースは、ありましょうね。
ただ、ここで私がお聞きしたいのは、「泣ける小説を読みたい、泣ける映画を観たい」という感情についてです。
「泣けます泣かせます」というような前宣伝がありますが、これはつまりは「泣きたい」という人が多くて、その人たちをターゲットにしているということだと思います。

ご回答いただいたように、「人は強い感動を覚えた時、涙を流し、涙もろい人ほど、感受性が強い」のでしょうが、私にとってはそれを求めて作品を選ぶという感覚がどうも分からないんです。
感受性が強くて涙もろい人は、その感受性を刺激してもらいたいものなのでしょうか・・・というのも、私の疑問の一つでした。

ありがとうございました。

お礼日時:2010/11/27 19:44

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!