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犬や猫に感情があることを疑う人は少ないでしょう。

哺乳類の大多数は意思を持ってそうです。

その他の動物はどうでしょうか。

或いは昆虫や植物はどうか。

植物は音楽が好きなんて聞きますね。

正の走行性やら生存本能やらで、昆虫は本能のまま行動しているから意思はないとは言いますが、本能も意思の一種ではないでしょうか。

脳があるかないかの基準が1番わかりやすい気がしますが、そもそも脳=思考の中枢かすら疑わしいです。

そこで、

「人間以外の生物の意思」
について、皆様の考えをご自由にお聞かせ下さい。

A 回答 (7件)

状況に対して機械的に反応が決まっている、


行動に個体差の無い生物には意志が無い可能性があります。
その行動には意志無用だからです。
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この回答へのお礼

非常に妥当なご意見だと思います。
人間の反射行動もその例に漏れませんよね。

ただ質問の真意としてはその先を聞いて見たかった、というのが正直な所です。

だってもし多くの昆虫に意思がなかったら、命って一体なんだろうってなりますよね。

なんとなく世界が色褪せて見えます。

お礼日時:2010/12/24 22:49

全部意思というか意識ありますよ。


いろいろつくって見たけれど一部の体験しかできないだけです。
全部ひっくるめて同時に観察、体験するために、感覚をそなえた人間の肉体をつくってみたということです。
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この回答へのお礼

素晴らしい回答ありがとうございます。

あくまで一説ではあるとは知りながらも、この昆虫の自我の肯定、存在の無機質から有機質への昇格は、なんとなく昆虫の気持ちになったら、ちょっと涙が出る程いじらしくて嬉しかったです。

というのも、上手くは言えませんが、人の命を理解し尊重し価値を認める事は、他の生物の命を、存在を尊重する事に他ならないと思ったからです。
人間の在り方について考えてしまう今日この頃、この小さな肯定は、人間の命の肯定への第一歩として確かに感じられ、

何となく救われた気がします。ありがとうございました。


そしてどうでもいいことを長々とすいませんでした(^_^;)

お礼日時:2010/12/24 23:36

人間で言うところの意志とは違っても、他の生物なりの意志は存在すると思います。


人間から見れば無意味なことでも、その生物にすれば大事なことでしょう。

人間は気づいていないかも知れませんが、密かに人間に取って代わるのを狙っているかも知れませんよ。
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この回答へのお礼

私も同感なんですが、その、意思を確信できる器官を確認出来てないらしいことが問題なんですよね。
そう思いたいですが、いかんせん根拠に乏しいのがネックです(^_^;)

お礼日時:2010/12/24 23:43

つづきです。



「質問の真意としてはその先を聞いて見たかった、というのが正直な所です。」
ではなぜ正直に真意を最初から書かないのですか?
また、その真意は依然として示されていません。

真剣な回答に対して
うやむやに否定的なことを言ってますよね。
ようするにあなたは何も回答を求めておらず
クダを巻くのが目的ということです。
迷惑なのでやめなさい。
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この回答へのお礼

まず不快にさせたことお詫び申し上げます。

正直に言ってsumimiさんが書かれたようなことは知ってたし、書き込まれるだろうなと予測して質問してます。

ただその余地を潰して質問するより、余地を残してsumimiさんのご意見+αのような回答になるように誘導した方が意図が明確になるだろうし、かつ私の意図を絞らないことで、自由なご意見も聞けると思ってこういう形式で質問しました。

とはいえQAサイトの相応しい形式の質問ではないので、悪いのは私です。
それゆえ冒頭にてお詫び致しました。

ただ何も意見を求めていない、これは些か見当外れな見解です。知りたい事がなかったら質問しません。

クダを巻く、これは我ながら悪い癖ですね(^_^;)
単純にお見苦しくてすいませんでした。


一言で言うと、私が悪いです。
以後気をつけます。

お礼日時:2010/12/25 01:20

意志の定義が問題だと思います。

時々刻々変化する外界へその都度適切に反応して自分を生き延びさせること以外の精神活動が意志だとすれば、こういう能力は外からの観察で詩うことができない部分になると思います。また一つの考え方として意志というものを自分を客観的にみる能力と将来を予測して行動する能力を足したものとすれば、やはり現在に対しての反応だけでなく、ある種の余裕を持った精神活動ということになります。
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この回答へのお礼

そうですね。
ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2010/12/26 20:21

意志の定義がよく分かりませんが、


今地球上にある多くのものには意志があるような気がします。
というのは、長い年月をかけて、その物は、厳しい環境の中、絶滅することなく、
そこに居るわけですのですから、何らかの生存本能や意志があったと仮定するのが
妥当ではないかと思っています。
ただ、意志の表現方法は大きく違うと思います。
例えば、魚の求愛行動と、人の求愛行動は見た目違いますが、本質的な部分(生存したいという意志)では同じに思います。菌やウイルスなど他の生物?無生物?についても、やっていることは違っても、本質は同じではないかと思っています。

また、人の意志についても、どこまでを意志と呼ぶのか・・・
その意志決定が、長い年月の間に、生存に有利な判断をし続けた結果かもしれません。

例えば、相手の行動を予測(気持ちを察する)能力の少ない人は、求愛に失敗してそのDNAを残せる確率がちょっと減る。そんな感じです。
ただ、予測できないからこそ、不測の事態に備えることができ、生き残ることができる可能性もあるため、時代の変化によってはそれが有利に働くことはあると思います。
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この回答へのお礼

なるほど。。
素晴らしい回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/12/26 20:40

こんにちは。


まず本質的な問題から取り上げますと、現在、生物学では、例え人間であろうともその脳内に自由意志の存在を認めることはできないという考えが持ち込まれています。
我々の脳が如何に高度な情報処理を行おうとも、それは進化の歴史の中で遺伝的に構築されたシステムであり、その全ては生物学的利益の延長線でしかありません。つまり、我々は自分の意思で生きているのではなく、自然界の意志によって活かされているのです。従いまして、全ての生物がこの原則に従う限り、そこに自由意志の存在は否定されます。

ですが、古くは哲学、現在でも心理学や法律においてそれぞれに意思の定義というものがあり、それは概念として実在します。では、他の動物にも我々人間と同様にそれがあるかどうかを論ずるとしますならば、そのためにはここで意思の生物学的な定義というものを明らかにしなければなりません。
何でもかんでも他人の言うことばかり聞いていますと、あいつには自分の意思がないなどと言われます。このように、意思といいますのはこの時点では単にそこに宛がわれた概念でしかありません。では、この在る無しを生物学的に決定しようとしますならば、脳内にその行動選択の動機となる「意思決定の機能」を見付け出せば良いのです。

このサイトでは度々同じネタでちょっと恐縮なのですが、我々高等動物の脳内では行動選択を司る中枢が以下のように三系統に分かれています。
「本能行動:脳幹~脊髄」
「情動行動:大脳辺縁系」
「理性行動:大脳新皮質」
このうち、本能行動と情動行動は定められた反応に基づく「無意識行動」であるため、これを自分の意思と呼ぶことはできません。では、これに対しまして大脳皮質の理性行動とは未知の結果を想定して行われる「計画行動」であります。本能や情動はその場の反応であるため、ここでは未来の結果を予測することはできません。ですが、大脳皮質では過去の学習結果などを基に今現在の入力情報とはまた別の可能性を導き出します。これにより、我々は複数の対応策からその何れかを選択することができるわけです。

イヌやネコにも感情があるとされていますのは、その脳内で情動反応を司る大脳辺縁系の働きによるものです。我々哺乳類や鳥類などの高等動物は爬虫類から進化を遂げたため、その脳はみな上記のような三層構造になっています。では、これによる行動の選択を意思決定機能と呼ぶならば、イヌやネコにも自分の意思があります。そして、恐らくサルやイルカ、あるいはカラスなど、巷に比較的賢いと感じる多くの動物たちがこれにより、我々人間とほぼ同様の意思決定を行っているであろうことに疑いの余地はありません。
我々動物の意思決定とは、それは複数の結果を比較して行動を選択することです。そして、少なくともそのためには大脳皮質の発達が条件ではあるのですが、果たしてこれは意思の大きさではなく、基本的には思考能力に比例することです。

ところが、ここにどうしても問題がひとつあります。実は、我々動物の行動選択といいますのは、これは厳密には意思決定ではありません。
我々の脳内で行動選択の動機として働くのは「意欲」や「欲求」であり、果たしてこれは本能や情動の機能によるものです。ですから、大脳皮質が如何に高度な計画行動を想定したとしましても、そこに動機が発生しなければ一切の行動に移ることはできません。つまり我々の脳内では、大脳皮質には決定権というものがないのであります。
では、行動選択の最終的な動機となる欲求といいますのは本能や情動に従うものです。ですが、果たしてここで行われるのは外部入力に基づく定められた反応であり、これは自分の意思ではありません。

「美味しそうなケーキ屋さんがあるけれど、お小遣いがもったいないから我慢しよう」
美味そう:情動
食べたい:本能
お金を節約しようというのは極めて理性的な計画行動であります。ですが、大脳皮質には決定権というものがありませんので、最終的な判定はここで再び情動機能に託されます。ケーキを食べたいと思うのが欲求であるならば、お金がもったいないと思うのが必ずしも理性ではなく、結果的には紛れもない人情であります。いったい、どちらが自分の意思だったのでしょうか。
我々は選んだ方を自分の意思と考えます。ですが、脳内で実際に存在するのは果たして与えられた状況を基に行動を選択するための機能でしかありません。我々はその結果を意思と呼んでいるのですが、飽くまでこれは生物学的構造によるものであり、何処を探しても我々の脳内に意思というものは見当たりません。そして最初に述べました通り、現在では多くの生物学者、脳科学者が神経系を有する動物に蓋然的な自由意志の存在を否定しています。
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この回答へのお礼

素晴らしい回答ありがとうございます。
ただただ素晴らしいですね。

正直定義もせず従来の研究も踏まえずして、これだけのご回答が頂けると思っていませんでした。

満足です。ありがとうございました。

お礼日時:2010/12/26 20:32

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