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日出処天子の国書の文意について考えるとき、客観的にはどのような意味合いの外交文書なのでしょうか。

A 回答 (1件)

大和朝廷と隋王朝は同じ立場である。



という事を暗に含んだ文書と思われます。あの様な文書を隋王朝に送れば、隋の怒りを買う事は聖徳太子にだって分かっていた筈。それを敢て自国を「日出る国」とし、隋を「日没する国」と表現した。あくまでも隋は日本より格下では無く、対等であるという事を強調したかっのでしょう。これを真逆に書いたならば、大和朝廷は隋との国交に失敗。隋に、大和国は我が国よりも格下であると認めさせてしまう事になる。

ここにシーソーがあります。向かって左側には隋王朝が、右側には大和朝廷が乗っています。当時の政治状況、歴史、文化の発展から言えば、隋に重みがあるのは明らかで、シーソーは当然、左に大きく傾きます。しかし、「日出処」を大和朝廷側に乗せる事により、シーソーは平行になる。聖徳太子の狙いはそこにあったのではないでしょうか。
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