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旧約聖書の創世記はいつ頃に書かれたものですか?

色々と調べてみましたが、確定的な情報は得られませんでした。回答の程、どうかよろしくお願いします。

A 回答 (5件)



長い動画の中で、謎解きの部分をピックアップしてみました。


イエスの後光、仏像の後光。 その意味がわかったと思います。
古代の太陽信仰ですね。

何故イエスはまた来るという話になったのか。
プラトン年です。

地球はいつも同じ方角を向いているのではなく、首振り運動をしており、地球からみると星座が移動してみえる。
長い年月かかって、黄道(地球から見える太陽の移動する軌跡)上にある星をグループ化して12の星座郡とした。
イエス(太陽)が、12使徒(12星座)と旅をしており、2万5千800年くらいかけて、またもとの位置に戻る。
実際は地球が首を一周振るのに2万5千800年くらいかかる。
だから次イエスの時代の象徴のうお座の方角を地球が向くのは約2万3千年後。

聖書に書いてあるでしょ?
弟子:
イエス:「この世の(この時代の)終わりはどうなるのでしょうか」 「水の瓶を持った男の屋敷に入る」

はい この世 つまりうお座の時代の次はみずがめ座の時代なので、「次はみずがめ座の時代です」って天文学的に地球がどっちの方角を指すか答えただけの話。
この世が終わるわけではなく、時計の針のように次の時代に想像上はいるだけの話。
ゆっくり動くので、引力によって地球の動きが急激におかしくなるってことはない。

それより太陽が盛んに燃えたり、沈静化したりするので、それによる気象の変動の方がきつい。
太陽が沈静化しているときは、それだけ地球に届く熱量が少なくなるので冷夏になるわけで、そうなると作物は取れず、それを食べていきてた動物・人間も食べ物が減るので飢餓が起こる。

古代の人は生命と太陽が密接な関係にあると知ってたので、太陽信仰ができたわけです。

太陽を擬人化して物語を作ったのがホルス。
天文学的な空の現象をホルスの生誕としたわけです。
ギリシャ神話だって、星座を擬人化して物語を作ってますよね。
実在の 人物 ではなく 星座を観察して、物語を書いたわけです、人間が。

記憶喪失になったというより、その知識を持つ図書館を閉鎖し、一般人がその知識を知ることのないようにキリスト教はしたわけです。
情報コントロールして、自分たちに都合のいいことだけ、信者に与えた。
「聖書だけ読めばいい」と。
長い間そういう情報操作がされたので、古代の人の天文観察が新約聖書だとは、ずっと後にならないと気づけなかった。

19世紀に粘土板が出たとき、もう オリジナルだと言い張れなくなった。
まさか 聖書の元ネタが今頃になって出てくるとは 思っていなかったと思う。

キリスト教会の主流となった派閥は、自分たちの都合が悪くなるようなものは燃やさせた。
証拠隠滅。 これで人々は気づくことが永久にできないと たかくくった。

悪いことはできないもので、何千年もたってでてきてしまった。

最初は楔形文字だったので、いったいなにが書かれているのかわからなかった。
突然解読可能になり解読したら、聖書の内容の元ネタだとわかった。

あらま・・・・

というわけで、何故粘土板に書いたのかという話になっており、私が聞いた情報だと、観劇のためにストーリーを粘土板に残して、後世の人が覚えて観劇を引き継げるようにってことだったのではないか だそうです。
いわゆる台本ですね。

農業を発明したことで、移動して食べ物を探さなくてよくなり、人々は食べものを探す時間が減り、観劇などを催して楽しむ余暇が増えたってわけですね。

農業を発明しなければ、いまだに 食べ物を探して人々は移動し続けていたと思います。
定住したことで、文化が花開き、文学ができたってわけです。

農業の発明で定住できて、食料が計画的に手に入るようになると、子供が死亡する確率が減り、女は授乳の間、次の子供を妊娠しないが、農業の発明で離乳が早くなり、次の子供をすぐ妊娠できるようになり、人口が急激に増えて、集団をまとめる共通了解である法律が必要になったってわけですね。

聖書の中に結構ハンムラビ法典からパクった というか 重なる部分ありますよ。

あっちこっちの文化をつぎはぎしたものが聖書。
だから、そのあっちこっちの文化がいつその物語を作ったのか ってことになるわけです。
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この回答へのお礼

まさかキリスト教の裏にこれほどの事柄があるとは全く知りませんでした。イエスに似た人物が歴史上に非常に多い上に、聖書自体がつぎはぎ。恐ろしい事実です。あまり立派なことをかけなくて申し訳ありませんが、とにかく勉強になりました。本当に有難うございました。

お礼日時:2011/04/05 12:30

あら  まあ 不思議好きだからと 多読だから 雑学として知っている程度なんですけど。

。。笑

例えば

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4270005734/re …

<本書は、「ユダヤ人」「ユダヤ民族」にまつわる「真実」とされている事柄について、根本的な疑問を提起した本です。

曰く、ダビデ王やソロモン王に関する聖書の記述は、真実なのでしょうか。彼らは、「実在」したのでしょうか。 >

強烈な一撃ですね。

何故 市民から熱狂的に歓迎されエルサレムに入場したはずのイエスのことを、ユダヤの歴史の隅々まで書いていた寄席フスは一言も書いていないのか。

どんだけってくらい ヘロデ王のやった悪事を書いたヨセフスがイエスの生誕にまつわることになる幼児殺しのことを書いていないのか。

どうしてあれほど有名だったはずのイエスがローマの歴史書に残っていないのか。
ピラトもヘロデも書いてあるのに。
ちなみにピラトは、疑いがあるというだけの理由で、ユダヤ人を処刑していた人物。
聖書に描かれている人物像とは真逆。
ユダヤ人を挑発して怒らせて楽しんでいた人物。
ユダヤ人の謀反を恐れるどころか、煽って反逆させようとしていた人物。

歴代の提督たちは、ローマ皇帝から寵愛を受けて、独自の宗教をやることを認めてもらっていた特別扱いされるユダヤ人をねたんでいた。
だから、彼らがローマ帝国に反逆させようとして挑発しまくっていた。
皇帝に「あなたが大事にしているユダヤ人は、あなたに反抗してますよ かわいがるって特別扱いするべきじゃあない」ってしたくて、何度もユダヤ人を挑発していた。

その中にイエスは出てこない。
実際の歴史所にはイエスは出てこない。 聖書という物語にのみ登場する。
しかも、内容はエジプトの神話と400年以上前に実在したと思われるプラトンの書いた小説の内容がイエスの人生物語になっている。

エジプトの神話は人間が創作した御伽噺だし、プラトンの義人の証明は、師匠のソクラテスのことだと思う。
イエスじゃあない。


ユダヤ人は、有名な名前を使って物語を書き、思想を語っていた。 これは慣用だった。
実際やったことじゃなくても思想として、ダビデ物語、ソロモン物語を創作して作っていた。

聖典とするにあたり、それが実際に起こったことなのか、創作物語であって実際起こっていないのか わからなかった。
倫理を語る上で必要な物語であれば、史実かどうか確証が無くても、聖典に入れたってことですね。


http://www.geocities.jp/todo_1091/bible/jesus/ol …

エヌマ・エリシェはハティ(聖書だとホリ人)らが残した物語。
それを後にそこに住むことになったバビロニア人が継承した。
アブラハムもバビロンの近くの出身なので、先住民(前の文化)が持っていた物語を知っていてもおかしくないわけです。

いったん民族が分裂しても、バビロニア捕囚で南ユデア王国の上層階級3000人ほどは、その才能を買われてヘッドハンティングされ、バビロニアの上層階級に職についてバビロニアを治世していたので、当然 再びバビロニア地方に継承されていた、創世記の物語を知ることとなるわけです。

分裂する前から知っていたかもしれないが、、、、、
モーセの十戒は、古代エジプトの死者の書の簡略版であって、ユダヤ人のオリジナルではない。
洪水物語も、オリジナルじゃあない。

日本だって古事記の天地創造の場面は、聖書の天地創造の場面とまったく同じ。
つまり、ひとつの物語が、人の移動とともに一緒にくっついていったので、各地の同じ内容の神話が残ることになったってことですね。


ある人は、日本の古事記がヘブライ人に伝わったから、日本の古事記のオリジナルだと言う人がいる。
笑  ずーっと前に栄えて滅びた文化が残した物語を、各地の人が自分たちの民族のオリジナルだと思って保持しているにすぎない。
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この回答へのお礼

ひたすら驚きの真実ばかりが明かされていて唖然呆然とした次第です。Amazonのリンク先も読みました。イエスが存在しない、という事実に震えています。(これは私の信仰が覆された、という意味ではなくて、これ程斬新な思想が存在したのか、という驚きです。)値段は張りますが、出来ればその本を買いたいと思います。古事記でも聖書の創世記と似た記述があることにも驚きです。
本当に有難うございました。未だに私は驚きで震えが止まりません。

お礼日時:2011/04/04 20:11

大概のことはkigurumiさんの独壇場でしょうから(^^;


以下、補足というか蛇足です。

創世記の成立時期については未だ結論を見ていません。
19世紀以降、文献を扱う種類の学問は、
創世記を幾つかの資料層に区分する仮説を立てました。
つまり、創世記がもともと一つの物語ではなく、
異なった時代に、異なった場所で、異なった人達が
編纂したものを集約した綜合文書であるという仮説を立てたのです。
(例えればパッチワークキルトみたいなもんです――いいのかねtaco?)
さらにそれら個々の資料にさえ加筆と削除を繰り返した運動の所産が、
今日の創世記であるという見方を提示しました。

こうした見方は、使われる語彙や、記事の矛盾、不整合性に加え、
時代状況や、編纂者自身の思想も吟味した作業の結果なのですが、
ともあれ創世記というひとつの文書を、編纂時期と編纂者に依って
別個の資料として幾つかに区分付けしたのです。
これらの資料の成立年代が古くは、ダビデやソロモンといった
伝説上の王様の生きていた、ユダヤ人が一番輝いていたとされる時代から、
新しくは、歴史の教科書にも出てくる、バビロン捕囚前後、
ユダヤ人が一番悲惨な時代と、5、600年間あるいはそれ以上という
非常に長い長い時間をかけて段階的に出来上がったと見成されてきました。
さらにそれらのモチーフのソースがさらに古い時代に遡れることはことは
既にkigurumiさんの回答に詳しいですね。

じゃあ比較的新しい資料の編者はいつ頃の誰なのかと云いますと、
他の資料への加筆や削除部分も含めてどうもそれなりの宗教集団、
しかもかなりのエリート層が手がけた資料が最も新しいようです。
最終的な成立年代はkigurumiさんも言うバビロン捕囚前後と云いますから、
年表と照らし合わせると、最初の捕囚が前597年頃、
以後、前586年頃に第1神殿崩壊、つまりユダヤ人の王国滅亡を挟んで
段階的に捕囚があり、その後、神殿を再建したのが前539年頃
(ちなみにこれらの年代はいずれも諸説あり)これ以降となると、
前400年代で日本では弥生時代になるのでしょうか。

――ところが、
20世紀中頃からこうした資料仮説の手法に対する疑義も挟まれます。
実は資料区分の根拠が言うほど確実なものではなく、
その区分自体が曖昧な上に、さらに同一資料の中でさえも
語彙の使い分けや不整合性が少なかず見出されるという疑問です。
結果そうした時間軸に沿った資料群が存在するのでは無く、
それぞれの記事が、それぞれ別個に、
伝承として共時的に存在していたのではという見方です。
最終的な編纂事業に携わったのは矢張り祭司集団だとしても、
彼らが担ったのは言ってみれば、
創世記の増補、改定作業であったと主張します。

また中間的な見方もできます。先の資料区分は概ね認めながらも、
その編纂の期間をコンパクトに繰り上げようという試みです。
実は創世記には固執するある一つのテーマがあります。
失楽園に始まって、ノアの箱舟、バベルの塔、ソドムの滅亡、
放浪するアブラハムに与えられた約束の地、子孫繁栄の約束。
これらの物語に既に亡国の民となったユダヤ人の切望を
重ね合わせて読み解こうとします(物語内部からの分析に近いですね)。
この場合、創世記の編纂が始まった時期を、
ダビデ・ソロモン期からずっと後の捕囚期以降に見ています。

一例を挙げれば、バベルの塔のモデルはメソポタミアの
ジグラトと呼ばれる高塔だと考えられていますが、
バビロンにジグラトが聳えていたのは前8世紀以降、
前7世紀始めにはアッシリアのセンナケリブによって破壊され、
その後カルデアのネブカドネザル2世が再建したと
古(いにしえ)の文字は伝えています。
(これらの人物はいずれも聖書にバッチリ登場しますので探してみて)

そして21世紀、こうしてつらつら回答しているこの瞬間も、
世界のどこかでは新しい創世記論を執筆している人がいます。
結局、なんだか分かったような分からんような回答で
ほんま申し訳ないなあと思うのですが、
一つだけ確実に言えることがあって、創世記にせよほかの文書にせよ、
どっかの狂信者がしでかしたような、コーランを無残に焼き捨てるに足る
神聖な永遠不変の聖典と結論付けるには、
まだまだ時間をかけた吟味が必要な書物であることは間違無さそうです。
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この回答へのお礼

ものすごい、予想を遥かに超えた回答が続いて驚いています。聖書の創世記にそれ程のドラマがあるとは予想だにしていませんでした。聖書の創世記が何度も改訂された。その可能性させ全く知りませんでした。皆様の素晴らしい回答に感動しています。ありがとうございました。

お礼日時:2011/04/04 18:24

http://www.geocities.jp/todo_1091/bible/jesus/ol …

<最も重要な書と言われるモーセ五書は、バビロン補囚からの帰還後かなり遅い時期に書かれ、しかも創世記1章「天地創造」は、モーセ五書編集の一番最後に書かれたとも言われています。>

この見方が有力みたいです。
文字や単語からそう判断されたのだと思います。
自体や単語は時代によって変化していったので、その書かれている文字がいつの時代の形かとか、言い回しかとかで、書かれた年代が特定できる。


ちなみに 創世記の元ネタのエヌマ・エリシェ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%8C% …

『都市神マルドゥクの地位が向上した、紀元前18世紀に成立したと考えられている。紀元前14世紀から12世紀に成立したという説もある。』

成立ですから、作られたのはもっと前。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB% …

『主人公のギルガメシュは、紀元前2600年ごろ、シュメールの都市国家ウルクに実在したとされる王であるが、後に伝説化して物語の主人公にされたと考えられる。

『聖書』と対比される大洪水の部分を見つけ有名になった。』


エヌマ・エリシェの中に書かれている。

19世紀にその書かれた粘土板が発掘されている。
粘土板の年代測定をしたのかは知らないです。
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この回答へのお礼

確かに、時代によって言語は変化するので、文体から時代を割り出すことは出来ますね。言われてみるとその通りですが、初めて知りました。また、創世記自体に元ネタがあるのは全く知りませんでした。驚きました。それぞれ該当項目のリンクまで貼ってくださって嬉しいです。丁寧にありがとうございました。

お礼日時:2011/04/03 18:00

創世記を含む「モーセ五書」はイスラム教の聖なる書として、紀元前400年ごろまでには成立されたとするのが通説です。

何年何月何日に書かれた、という性質のものではありませんし、現在の形になるまでの成立史に関しては様々な研究がなされております。どの時点を持って「成立」とするかは、旧約聖書の創世記のどの内容・形態のものを指すかによって変化すると思います。

以下の概説書、研究書を参考にしてください。

・S. ヘルマン、W. クライバー、『聖書ガイドブック――聖書全巻の成立と内容』1996=2000、泉治典、山本尚子訳、教文館。
・池田裕、大島力、樋口進、山我哲雄監『新版 総説 旧約聖書』2007、日本基督教団出版局
・関根正雄、著作集第4巻『旧約聖書序説』1985、新地書房
・関根正雄、『旧約聖書文学史』1978、1980、岩波書店。

あまり詳しく述べられていませんが以下のものはネット上で無料で読めます。

宮川俊行「聖書正典成立史の諸問題」『純心人文研究』2004(10):101-46
http://goo.gl/y5Utq
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この回答へのお礼

恐ろしく丁寧に回答してくださって恐縮です。ネットで調べても分からなかったので、回答が大変かとは思いましたが、想像以上に素晴らしい回答にただただ驚いています。本当に貴重な時間を割いてくださってありがとうございました。

お礼日時:2011/04/03 17:56

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