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悩んでいることがあります

ですが、自分の中で、人間として、恥かしい質問だと思って親や友人には相談できずにいました

ぜひとも、この場だからこそ言えることなので、よろしくお願いします

質問と言うのは、僕自身のことなんですが

僕は、恥ずかしながら、趣味の範囲ですが詩や小説、脚本の創作をしたりすることがあります

その時に、普段であれば何の気兼ねもなく、楽しく作ることができるのですが、いざ、「○○賞」などの公募に応募したりする作品を創るぞとなったとたんに、自由に表現できなくなってしまいます

公募というものは、まず、審査員がつくものです。審査員が選んだ作品を優秀賞、優良賞とするわけです

僕は、そこできっとまごついているのだと思います。

これこそが、人間としてすごく恥かしい質問と題した所以であるのですが、僕はおそらく「人の目を気にしている」のでしょう、「この表現は自分にしか分からないのではないか、エゴでしかないのでは?」そんな意識が、僕の中ではたらいているのだと思います

ですから、創作をしている最中にいきなりフッと我に返るのです。そして、ジワジワと、「これが賞にはいったらどうしよう」「もっと、良いのができないかなぁ」という思いが広がっていって、言葉が出てこなくなって、そんな自分が嫌になって、書くのをやめてしまいます

今、ここまで書いてみて、自分は最低だと、改めて実感しています

自分の中の思いを表現したいのに、周りの目が気になって、訳が分からなくなってしまう、そんなもの私の中では害悪以外の何物でもありません

ぜひとも、自分の想いを純粋に紙に表すことのできる、自分をただただ突き詰めていくために作品を創る、「賞」「見返り」「評価」「人の目」なぞ、もろともしない、自らのための創作

そんな人間に一歩でも近づく為に、どのような意識を持っていけばいいでしょうか?

長々とスイマセン、ぜひとも、いささか抽象的ではございますが、よろしくお願いします

A 回答 (9件)

こんにちわ。


『お礼』有難うございます。
・・・ある方へのお礼文を読ませて頂きましたが、『ご相談』の内容イメージとは違い、かなり“熱く”語られているとした印象をもちました。

>(1)「理解」してもらうための作品を書くべきか、それともあくまで「自己表現」にこだわるか、その2つの狭間で苦しんでいたのだと思います
*****
(2)自分の実力を超えたものを期待して何がいけないのでしょうか?たとえそれが重圧になったとしても、その重圧を乗り越えたところにこそ、新しいものができるのではないでしょうか?
******
(3)「今の自分の実力以上のものを自分に期待してはいけない」
*****
(4)・・・僕は常に、自信過剰で生きて生きていくつもりです。自分以上の仕事に常に全力でぶつかっていくつもりです。その点だけは、反論させていただきます
*****

これらはすべてある方へのご自分の意思なり、反論としたものを載せてもらった(抜粋)ものですが、特に共鳴(同調)するものは(2)の向上心ですね。

・・・やはり“乗り越え、掻き分け、しつつ良い作品(月並みな言い方ですが。)が生まれると思います。
何も“悩まず、苦しまず”して・・・なんて有りえないし、考えられないとおもいます。

幾度ともなく、壁に突き当たり、それを自力で乗り越えて行ってこそ“創作性、創作力”が養われるのではと思われます。これは“人生”に措いても同様な事が言えるのではないでしょうか。“努力”を忘れてしまえば、それなりの人生しか無いと思います。(先が見えていると言うことです。)

“創作活動”というものは“イマジネーション”の世界ですよね。1つの“テーマ”をどれだけ自分なりに表現し、膨らませ、自己満足の世界ではなく、如何にして伝えることが出来るか・・・とした事なのでしょうね。(ど素人の考えですが。)
“イマジネーション”は無限大ですから、そうした意味からしたらとても“遣り甲斐”のある、飽きることなく、とした世界ですよね・・・。言い換えれば、“一生涯”続ける事の出来るお仕事ですよね。

その時代、そしてご自分の年齢(加齢)と共にまた違った作品が生まれるということが言えますよね・・・。そんなふうに思っています。

(そして偉いと思ったのは、よく“キレ”ずに辛抱されたと思います。それだけでも個人的には将来性を感じました。) 長々と失礼いたしました。
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恥ずかしながら、自分も中学高校の頃小説家になろうと思っていた頃がありました。

学校の文芸部とか入って小説みたいのを書いていました。大学に入っても文芸部がありましたので、入部しました。でもその頃は流石に将来に就いてより現実的に考えていました。

種々雑念が入って思うように書けないという状態に関して言うなら、その状態もつまり自分自身の雑念も、一つの淘汰のファクターだろうと思います。

小説家になろうと思った人の何%が小説家になれるのか判りませんが、なれるような人はまず一番に書く才能がある人、或いはそう信じる人に限られるでしょうが、それ以外にも自分自身の思惑や雑念に阻まれて、作品が書けなければ挫折せざるを得ないでしょう。

逆にそのような阻害要因があった人は、作家にはなれなかった筈であり、なかった人が職業作家にまでなれた、というダーウィンの自然淘汰論に凖じてくるわけです。

そもそも書きたいという欲望(才能?)が阻害要因に負けてしまうという事実があるとしたら、その人の才能もその程度という事になってしまいます。

小説家に限らず、一つのことに何の疑念も抱かずに没頭できたら、それがその人に向いているということだろうと思います。

今でもよく小説を読みますが、自分が感じることはつまらない作品とは思いながらも、どの文学作品にも一貫して感じることは「虚仮(こけ)の一念」ということです。「原稿料(生活)のために書いてるのじゃないか」と感じながらも、それでも必死に、命がけで書いているのだろうと勝手に信じています。

頑張ってください・・・というよりも、頑張らないと書けないようなら、心配です。
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No1です。



なんだか、質問文を読んでいると、独り相撲だなと思いました。

まだなんにもしていないうちから取り越し苦労をして同じ所を

ぐるぐる回っているように感じました。

自分自身にプレッシャーをかけるのはやめましょう。

人が見ようと見まいと、アナタはアナタ自身でしかないのですから。

自由にのびのびと作った作品もアナタから出たものですし、

人目を気にして作った作品もアナタから出たものです。


作品というものは不思議なもので、自分から出たものですが、

自分の中からアウトプットされた瞬間に、自分とは別物になってしまいます。

その作品に触れてどう感じるかは、見る人まかせになってしまうということ。

だから、理解など求めて作品を作る必要はないのだなと思います。

もともと理解などさせることはできないのです。

見る人触れる人がそれぞれ自分だけの理解をするのです。

つまり、人の目など気にしたって同じということ。

ご自身がしたいように表現しましょう。

ただし、なにか明確に伝えたいテーマがあるのなら、

どうすればより伝わりやすいかを考える必要はあるのではないでしょうか。

「表現したい思い」+「技術」により良い作品はできるのだと思います。
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自由に表現できなかったとしても、公募に応募してみることをおすすめします。


何度もしてみることをおすすめします。

審査されるのにも慣れが必要ですし、緊張?する中でやっていくうちに
あなたの中で学ぶ事も出てくるとおもいます。

人の目にさらされるって緊張するものです。
そんな中で、自分をどうコントロールするのか、
そのストレスとどうつきあったら自分を表現できるのか、
いったいこの感情はどこからでてきているのか。

これも自分を深めるためのいい材料になります。

もっといろんな角度から自分をみつめ
あなたの今の「害悪」も表現できるような創作活動を期待しています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

これからも、どんどん公募に応募していくつもりです

自分を深めることは、僕にとって、今、かなり重要なことだと思います。

あなたの今の「害悪」も表現できるような創作活動

これができたら、もう最高ですね!だから、まだ今の自分にはできないでいてほしいです

親切な回答ありがとうございました。

これからも、よろしくお願いします

お礼日時:2011/04/10 13:58

こんにちわ。


とてもお悩みであることは伝わってきました。
文面そのものが“自問自答”とされているように感じられます・・・。(それはとてもご自分を見つめる意味ではとも必要なことだと思います。)
>いざ、「○○賞」などの公募に応募したりする作品を創るぞとなったとたんに、自由に表現できなくなってしまいます
>公募というものは、まず、審査員がつくものです。審査員が選んだ作品を優秀賞、優良賞とするわけです
>ぜひとも、自分の想いを純粋に紙に表すことのできる、自分をただただ突き詰めていくために作品を創る、「賞」「見返り」「評価」「人の目」なぞ、もろともしない、自らのための創作
>そんな人間に一歩でも近づく為に、どのような意識を持っていけばいいでしょうか?

このように全部、認識がおありなら解決できることではないでしょうか。あなた様の迷いは、“賞”だとか、評価し決めるのは“人”が下すもの・・・とした思いが“立ちはだかって”いるからだと思われます。

高評価を得たい、“あっ”と言わせるものを書きたい、とした“邪念、雑念”が頭の中を占めてしまう・・・。
そして、これまでいろんな『賞』を受けられた方々も最初は(才能にもよりますが)そうした“壁”の様なものを乗り越えられてこられたことと思われます。

あなた様が“趣味”の範囲で楽しまれるのか、本業として“物書き”として行きたいのかは、分からないのですが、好評価されたい、もっといいものを書きたい、とした考えがお有りなうちは、“修練期”ではないでしょうか。

『無』になられ、勝手にペンが動くとしたところ(状態)にいきたいものですよね・・・。
(辛口ですみません。)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

全然辛口なんかじゃないですよ。

むしろ、丁寧に回答してくださりこちらも、ほっとしました

これからもよろしくお願いします

お礼日時:2011/04/10 13:55

大事な部分を書き忘れたので追加。



No.3の回答で
今の自分の実力以上のものを自分に期待しているから。(これをプレッシャーっていうよね。重圧。)
これ誰にだって少しはある感情だ。
そう書きましたが、この感情を持たない人が稀にいます。
そういう人は芸術においてもスポーツにおいても成功しています。
メンタル面を語る上ではよく評価される「プレッシャーに強い」というやつです。
そう評価される人たちは2タイプに分れます。
A自分の中にプレッシャーを作り出してしまっても尚打ち勝つタイプの人とBプレッシャーそのものを持たない人です。
貴方はメンタルトレーニングをすればAにはなれるかも知れない。
Bになるのはほぼ不可能。
私はプレッシャーそのものを持たないというのはすごい才能だと思います。
そういう人は自分に期待していないわけじゃないんです。
自分にめちゃめちゃ期待してる。
だけど本当の自分を知る勇気がある。(本人にしてみれば勇気とは言わない。)
自分を知りたいという欲求が強い。
貴方みたいな迷いがないんです。
貴方は自分に過度の期待しているにもかかわらず結果を知ることを恐れています。
貴方の現在の本当の実力を、貴方自身が知ることを恐れている。評価されないことを恐れている。
違いますか?(違ってたらすみませんね。参考程度にして頂ければと思って書き込んでいるだけなんで続けます)
本当の自分を知りたくないんでしょ?知る勇気がない。
誰だって酷評されるのが怖いんですよ。
だけどこれからじゃない?作家として成長していく気満々でしょ?
貴方は普通なんです。
Bのような才能がなくて普通なんです。
ほとんどの人がそうなんだから。
だけどBのような性質の人もいるんだ…ってある意味「気づき」にはなるでしょ。^^
長々と失礼しました。
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この回答へのお礼

NO3も含めてここで。

ありがとう、本当にありがとうございます!

僕は、人の想いに非常に興味があります。だって、想いって自分自身のしか分からないじゃないですか?

人の想いを察したり、この状況だったらこう思うって言うのは、あくまでその人の推測であって、本当に

その人の気持ちが分かったというわけでは無い

だから、僕自身が感じていることが果たして皆さんも同じように感じているのか知りたかったのです

やはり「ありがちな感情」だったのですね、それが聞けてとても嬉しいです

実は、今回の質問文、かなりネガティブに書いてしまいましたが、実際はそんな「人間として、すごく恥

かしい質問」なんて思ってはいません。若干、誇張させすぎちゃいました。(「自分は最低」なんても

う、最悪ですね・・・)

そして、回答を拝見しますと、この質問で、不快な思いを与えてしまったようです。本当にごめんなさい

でも、回答者さんの回答を聞いて本当に嬉しかったです!

昔から、周りの人から「何を考えているのか分からない」とかって言われ続けてきて、作品も本当に表現

した作品を出したりすると、「奇抜すぎる」とか「枠にとらわれないのは良いけれど、もう少し分かる芝

居を書いてくれ」とかと言われてきたことも多々あって、「本当の自分の表現って、一体何なんだろう、

これはエゴなのだろうか、でも、自分自身の表現ではある、だとしたら表現って・・・」と悩む日々でし



○○賞に入るということが、表現をすることにとって最も重要なことだとは思っていません。ですが、やは

り賞などというものは、どっかかしら「審査」という「人間」を通過してでるものですから、やはりそこ

には「理解」というものが作品には存在していなければならないのでしょう。作品というものは、理解さ

れてナンボのものですから

それが、質問に書いた「人の目をきにする」ということです

「理解」してもらうための作品を書くべきか、それともあくまで「自己表現」にこだわるか、その2つの

狭間で苦しんでいたのだと思います

それから、「今の自分の実力以上のものを自分に期待している」ことは回答者さんはいけないことのよう

に書かれていらっしゃいましたが、僕はそれは若干違うような気がします

自分の実力を超えたものを期待して何がいけないのでしょうか?たとえそれが重圧になったとしても、そ

の重圧を乗り越えたところにこそ、新しいものができるのではないでしょうか?

確かに、今回の質問はかなりネガティブに書いてしまったので、重圧に押しつぶされたら元も子もないと

いうつもりで書かれたのであれば、僕自身に負があります。ですが、果たして今回の質問のようにネガテ

ィブでなく、ある程度しっかりとした文章で同じような質問に回答した場合、回答者さんはどのようにご

回答するでしょうか?同じように

「今の自分の実力以上のものを自分に期待してはいけない」

そうお書きになるのではないでしょうか?(もしそうでなければごめんなさい、聞き流してください)

私は、今の自分の実力を分からないだろうし、分かるつもりもありません。自分で制限をつくってしまう

そんな事は絶対にしません。僕は常に、自信過剰で生きて生きていくつもりです。自分以上の仕事に常に

全力でぶつかっていくつもりです。その点だけは、反論させていただきます

あと、「私は貴方みたいな作家の詩や小説を読んでみたいとは思いませんね」

これは、ちょっと傷つきました。

でも、回答者さんの回答、とても刺激的で心地よかったです。わざわざ、こんな質問に親身に答えて下さ

ってありがとうございました

趣味と書きましたが、本当は、将来、創作で飯を食っていくつもりです。

謙遜はごめんなさい、ちょっとやりすぎましたね

これからもよろしくお願いします。回答者様の、最後の行の言葉を励みに、これからがんばります

お礼日時:2011/04/10 13:36

誰にでもよくある、こんな有りがちの感情を「人間としてすごく恥かしい」


と思っているところがまず人間として思慮/考察が足りないんじゃないでしょうか?
そう思ってしまいますよ。
だから私は貴方みたいな作家の詩や小説を読んでみたいとは思いませんね。

今の自分の実力以上のものを自分に期待しているからでしょう。

はっきり言ってこれだって誰にだって少しはある感情ですよ?
大丈夫です。
そこで書くのをやめず自分の浅ましさを自覚して通過出来れば。
貴方の心象「恥ずかしい自分」を振り払えばいい。
「自分にしか分からない誰にも伝わらない表現ではないのか(つまりは自己満足)、エゴではないのか、」あなたは自覚している。
全て自我。我が強く出ていることに貴方は気がついている。
だけどそれを誰にも相談出来ないレベルの恥辱にまでしてしまっているのが駄目。
貴方だけじゃない、人間には誰にだって負のエネルギー/腐の感情がある。
それを全部認めて書き続けなければ人の心を掴む作品なんか書けませんよ。

>ぜひとも、自分の想いを純粋に紙に表すことのできる、自分をただただ突き詰めていくために作品を創る、「賞」「見返り」「評価」「人の目」なぞ、もろともしない、自らのための創作
これすら期待しちゃいけない。

貴方に重圧をかけているのは貴方だけです。


あとね、余計なお世話だろうけど、謙遜しすぎです。
謙遜するのは良い事と思いがちなんでしょうが人を苛つかせることも多いですよ。

一生涯趣味として続けていくおつもりですか?
あなたのような精神の人は芽が出ても一発屋で終わります。今のままでは必ず。

しつこうがもう一度言う。
あなたは最低じゃない。
がんばれ。創作活動楽しんで。
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kouennobentiさん、こんにちは。



なかなか難しい悩みですね。
作品を作るなかで、いろいろな葛藤や想いが出てきて、
余計なことを考えちゃうような感じでしょうか。

1つ確認したいのですが、
kouennobentiさんが、詩や小説、脚本の創作をする「目的」は
なんなのでしょうか?
誰かに自分の世界観だったり、伝えたいことを発信したいのでしょうか?
それとも、自分自身をひたすらき詰めて行きたいのですか?

創作した作品が人目に触れることを想像すると、
手に付かない、余計なことを考えてしまうようですが、

>自分の想いを純粋に紙に表すことのできる、
>自分をただただ突き詰めていくために作品を創る、
>「賞」「見返り」「評価」「人の目」なぞ、もろともしない、
>自らのための創作

が目的ならば、賞に応募しなければいいだけの話では?
誰かに評価されることが目的ではないのですよね?
それならば、創作して自分自身で評価し、自分自身の納得いくものだけを、
ひたすらに付き詰めていけばよいのではないでしょうか。


まだ評価されていない作品に対して、「どう評価されるんだろう」という心配は、
する必要性はどこにあるのでしょうか。

宝くじ当たったらどうしよう・・・
100万円拾ったらどうしよう・・・
芸能人に告白されたらどうしよう・・・

考えても仕方ないことです。
現実に起こってから悩むしかない問題では?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

目的は「自己表現」です!

「現実に起こってから悩む」確かにそうですね。ウジウジしててもしょうがないですもんね!

常に玉砕覚悟で行きたいと思います

お礼日時:2011/04/10 13:48

とりあえず、



「自分は誰にも注目されていない存在である」ということを

自覚されてみてはいかがでしょう。
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この回答へのお礼

端的にありがとうございます

ですが、自覚したことで何になるのかを教えてほしかったです。注目されていようがされていまいが、僕

が作品を出したことで、それを見て下さる人は少なからずいるのですから

お礼日時:2011/04/10 13:43

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