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猫が生きている、あるいは死んでいる、と確定されるのはどの時点でしょうか?

A 回答 (39件中1~10件)

No.10,20,22,27,29,33,35,38です。



ややこしくなったので、まとめます。

No.10,33,35では、この世(A)と猫を閉じこめた箱(B)とが分離していて出会うという場面にて記述していましたが、たとえば二つの世界のスタート地点をビッグバンに置けば、一つだった宇宙が二つの宇宙に分離し、その後出会う。という想定にて考えることも含んでいます。

この分離・再開という想定を猫レベル(散逸構造適応レベル)に持ち込んで思索するというのが、そもそもの「シュレーディンガーの猫」を閉じこめるという発想そのものですので、二つの宇宙に分けるという想定では、
[1]
一つの世界(A)-> 二つの世界(A AND B) -> 複数の可能性の重ね合わせ(A AND (B:生 AND B:死))-> 二つの世界(A AND B) -> 一つの世界(A)
と成り得ます。

また、「猫」ではなく「猫状態」レベル(量子もつれレベル、単純にスピンの上下とか)であれば、量子ペア(B)と均質に作用する外部(C)を想定することで、この世:(A)= C AND B となるので、
[2]
一つの世界(A)= 二つの世界(C AND B) -> 複数の可能性の重ね合わせ(C AND (B:上 AND B:下))-> 二つの世界(C AND B) = 一つの世界(A)

となるでしょう。

「均質に作用する外部」(たとえば、真空中であっても生じる仮想粒子との相互作用)が「無い」とするならば、逆に「時空連続体」から切り離された状態として考えざるを得ないでしょうから[1]の状態と同等になるでしょう。[2]では、観測者はCの一部として含まれますし、[1]ではAの一部に含まれます。観測者は「実験中に対象に対して何もしない」という行為(対象に対して均質な状態を保ち続ける)を常に行わなければ成りません。

[1]の場合、複数の可能性の重ね合わせを(散逸構造適応レベルの)猫の生死が決定するレベルにまで引き延ばすことには、だれしもが抵抗を覚えるということです。(抵抗を覚えない場合、エヴェレットの多世界解釈を受け入れることができるということです)

観測者(認識主体)と対象の状態とを切り離して(すなわち、[1]の状態にて)思考しようとするのであれば、(観測者にとっての)波束の収縮は、二つの世界が出会う前に生じていることになります。しかしながら時空連続体として繋がっていない外部(A)の観測者にとっては、出会うまで(箱を開けるまでに相当)は波束は収縮していないと同等の状態なので、出会った時点で決定することになります。

観測者(認識主体)と対象の状態とを切り離さずに(すなわち、[2]の状態にて)思考しようとするのであれば、(観測者にとっての)波束の収縮は「無いと同等に扱いうる均質な外部との関係がエンタングルメントを破るような特定の方向に変化)」した段階で生じるでしょうから、やはり箱を開けるに相当する時点で決定することになるでしょう。(こちらの考えにて、猫レベル以上に適応しようとするとエヴェレットの多世界解釈に繋がります)
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No.10,20,22,27,29,33,36です。



「シュレーディンガーの猫」ではなく猫状態としての量子(すなわちエンタングルメント状態の量子)について、(実際に生じているかどうかは別として)波束の収縮が「認識主体」にとってどのように把握されるかという問題であれば、No.22で記述した

>>> No.22
そもそも、「この世」にある物質を、たとえ真空の世界にて二つに分離したとしても、仮想粒子との相互作用とは切り離すことができず、「時空連続体の内部にて扱いうる」ので、シュレーディンガーの猫を閉じこめられる箱を「この世」から分離して生成することは不可能と言えるでしょう。

この世のなかにあっても、量子を「シュレーディンガーの猫」状態に保つことができるというのは、「周囲と全く相互作用のない」ではなく「ない」と同等に扱いうる「均質で、かつランダムな相互作用が常に生じている」状態なのかもしれません。(←真空状態でも常に仮想粒子との相互作用が生じているという概念に相当)
<<<

だと、個人的には思っています。

デコヒーレンスという概念の本質は、上述のようなことではないのか?と思っています。
「無いと同等に扱いうる、周囲からの均質な作用」を保ち続ける努力が、離れた量子ペアのエンタングルメントを保ったままにしうるのだと思っています。
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 #19,26です。


 #36さん、そ、そんなにむきになられなくても・・・(^^);。

>エヴェレットの多世界解釈には特に拘泥しているわけではなく、「シュレーディンガーの猫」を考えるうえで、概念として外せないというだけです。

 と、#35さんは仰ってるので、可能性として無視できないと言ってるだけのようにも読めます。でも#36さんの気持ちも少しわかります。次の部分です。

>ようするに、「シュレーディンガーの猫」についての考察をする限りにおいて、箱の内部で波束の収縮がどの時点で生じるかどうかを議論するのは、無意味だということです。

 猫の箱は厳密には実現不可能だとしても、近似的な物はいくらでも作れますし(現在の技術なら)、たとえ箱が実現しても、同じ物理法則が成り立つなら、箱をこの宇宙の一部とみなして何が悪い!、という素朴な疑問です。最初は外部と相互作用しない箱ですが、ただそれだけの事であり、いずれ箱の蓋は開かれて、普通のやり方で相互作用するのだから、そいつはもともと宇宙の一部だったと思うのが自然じゃないのか?、という話です。
 そうすると、箱の内部で波束の収縮がどの時点で起こるかを議論するのは無意味、どころか、それは是非知りたいし、知らなければならない事になります。

 以下は思ってるだけで確認していないので、間違いはご指摘下さい。次の3つが、困り者です。(1)実在は確率的存在である事,(2)長距離相関の問題,(3)波動関数の収縮機構。
 デビット・ボームのパイロットウェーブは、シュレーディンガーの波動関数を雛形にしていますが、それでも(2)に対して、古典論に従うパイロットウェーブのようなものがあれば、(1)と(3)はたんなるみせかけとなり、素朴実在論は守られると考えたのが、アインシュタインだと思います。当初彼は、波動関数はそういうものだと考え、最初は積極的にシュレーディンガー方程式を支持しますが、コペンハーゲン解釈が主流になるにつれ、シュレーディンガー方程式=量子力学は不完全だと言い出します。シュレーディンガー本人も確率解釈には納得できず、猫を言い立てます。アインシュタインの解決策は、ベル-アスペの実験(と沢山の追試実験)により、現在のところ再起不能です。古典的なパイロットウェーブがあったところで、(1)は成り立ち、ベルの不等式は破られるが、アスペの実験の重要な意味だと思います。そして数学的には一応成功した、ボームのパイロットウェーブを説明するような物理機構は、けっきょく誰も考えつけませんでした。

 こっからさらに怪しくなります。デコヒーレントは(1),(2),(3)いずれに対しても応えません。ただ次の事は確かそうだ。

  (D)内部がコヒーレントに保たれている、2つのデコヒーレントな関係にある系を相互作用させたら、内部のコヒーレントは壊れ(波動関数は収縮し)、観測が成立する.

 この事だけを持って、観測問題を解決できないか?。例えば、適切に整備された射影原理(物理機構で説明されるのが望ましい)のもとで、箱の全粒子(光子なども含む)のシュレーディンガー方程式を解いたら、波動関数の収縮は、やっぱりβ崩壊時(本当はα崩壊時)だったというような結論は出せないか?。最悪でも、電子(陽子)検知器に崩壊粒子が飛び込んだ時点だと・・・。
 この方向の利点は、実際に計算の俎上に載せられ、実証実験も可能な事です。ボーア・アインシュタインの論争から80年経ってやっとこさ出た、2つ目の現実的な提案だと思います(1つ目はベルの不等式)。これが上手くいけば、シュレーディンガーが問題とした猫問題は解決できます。ミクロとマクロの境界はないが、波動関数は古典論に矛盾しない妥当な範囲で常に収縮すると。これだけでも大進歩だと思えるのです。

 以上で問題なのは、箱の全粒子がコヒーレントだったらどうするんだ?、という話です。それは殆どあり得ないとする立場が、自分が自然のランダム性の仮定と呼んだものです。これは機械論的自然観から継承した物理思想のエッセンスだと思います。自然は無目的である、と。だから箱の全粒子が足並み揃える事なんぞない、と。なのでこの仮定は、統計力学や熱力学以前の仮定で、時間の非対称性なんか全然考慮してません(力学に先立って、時空間の等方一様性が仮定されたように)。ボルツマンの統計力学と、けっきょく同じ方向です。
大抵のTOEの理論家や素粒子の専門家が、散逸構造や熱力学を原理として重要視してないのは、たぶん本当だと思います。だから「それでは何故今日貴方の奥様が怒っていたかをその理論で説明して下さい」と問われたら、「それは見掛け上の破れだよ」と、平然と答える気がします(^^);。自分も、あまりそういう事は考えて来ませんでした(もちろんTOEも素粒子も、全然専門外ですが)。

 http://nucl.phys.s.u-tokyo.ac.jp/sakai_g/epr/は、「物質との相互作用が必ずしも波束を収縮させるわけではない」結果を導いていないと思います。シュテルン・ゲルラハ実験の言ってる事は「何回波束が収縮しても(観測しても)、長距離相関は維持される」だけです。自分には、その追試に見えました。
 多世界(多時間)解釈は、可能性はもちろん無視できないし、物理理論として変かというと、そんな事はないと思っています。でも余り好きになれないのは、(現在のところ)実証実験が立案できない上に、観測問題よりもっと得体の知れない可能性のある、時間や宇宙に責任転嫁している風に見えるからです。あくまで「解釈」の方ですが、このような状況で深追いすると、現在の超弦理論のようにあらぬ方向に行ってしまいそうで心配です。時期尚早というのが、自分の印象です。
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#35さんへ



んで、あんたはフォン・ノイマンのように、この宇宙には統一原理などなく、幾つもの独立した原理がある多元論的な宇宙であると言ってんの、それとも観測の理論も結局は力学の原理から演繹されるものだと言ってんの、どっちなの。
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No.10,20,22,27,29,33です。



少し勘違いされる方がおられるかもしれませんので、追加しておきます。

1.本題は「シュレーディンガーの猫」についての質問です。
2.したがって、「猫のようなマクロ系(散逸構造として扱わざるを得ない系)にまで、量子力学的効果が及んでいると考えざるをえない箱(B)に閉じこめる」というのが前提条件です。
3.そのため、時空連続体としてのこの宇宙(A)の外部(「この世」ではない世界)に閉じこめられた「猫」を想定しました。(No.10参照願います)
4.箱の内部で波束の収縮が起ころうと起こるまいと、箱を開けるまで(宇宙同士が相互作用を来すまで、内部の状態は量子力学的な孤在系として扱わざるを得ない。なぜなら、そのように想定された箱なのですから。(No.20では考え方が少しふらついてました。お詫びいたします。)

本筋は以上です。
あとは、二つの可能性について、考えるだけです。

波束の収縮が相対的にマクロな系へと移行する段階で生じるとすれば、箱(B)内部にいる認識主体にとっては、「ある時点で」猫の生死は決定している。
けれども、猫の生死が(超常現象などを含む)どんな手段を用いても分かりようのない「この世界(A)」、および「この世界の認識主体」にとっては、量子力学的な時間発展が続いていて重ね合わせの状態だと考えざるを得ない。

波束の収縮がマクロの系にても生じない(収縮が生じていると思っているのは、波束が収縮していない系内部に含まれる認識主体もまた、複数の可能性の重ね合わせ内部にいるため、気づくことができないとされている)場合(エヴェレットの多世界解釈、およびその亜系)でも、同様に、箱(B)の内部については、「この世界(A)」、および「この世界の認識主体」にとっては、量子力学的な時間発展が続いていて重ね合わせの状態だと考えざるを得ない。

ようするに、「シュレーディンガーの猫」についての考察をする限りにおいて、箱の内部で波束の収縮がどの時点で生じるかどうかを議論するのは、無意味だということです。

No.33で記述したように、宇宙全体同士が相互作用する(ぶつかり合う)瞬間に、猫の生死が分かるでしょうが、分かる前に全てが消滅してしまうかもしれないということです。

あと、No.34にてcyototu氏が「不可逆的遷移の時間」について述べられておりますが、波束を収縮させないまま長時間に渡って保存し、長距離に渡って波束を収縮させないまま送信しようとする試みが物理学者にて行われているようで、実際に成功しているようです(No.22での「シュレーディンガー猫状態光パルスの量子テレポーテーションに成功」など)。この辺りの操作の基礎となっているのがNo.27の小澤氏による不確定性原理の新たな定式化のようで、あるていど自由に操作できるようです。

エヴェレットの多世界解釈には特に拘泥しているわけではなく、「シュレーディンガーの猫」を考えるうえで、概念として外せないというだけです。
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#33さんへ、



>エヴェレットの多世界解釈のように、複数の選択肢を温存したまま、「波束の収縮は生じない」とすれば、猫の世界に住む認識主体(B)もまた、(この世界から見れば)複素数と実数を含めた状態の重ね合わせであり、「生きている猫を見る認識主体(B)」と「死んでいる猫を見る認識主体(B)」とが重ね合わさった宇宙を想定するということになります。この場合、猫の住む宇宙全体を表す波動関数が、「この世界(A)」からみたときに、複素数の重ね合わせとして捉えられるということです。

に関して、この多世界解釈の是非を検証する具体的な実験は提案されているのでしょうか。

波動関数の収縮を不可逆な力学過程として考える立場では、既に収縮の時間が計算されているために、その是非の実験的検証が原理的には可能になっております。例えば、Itano等の量子ゼノン効果に対する実験[1]に関して、それを力学的な現象とする立場からシュレーディンガー方程式の解として計算した場合、この収縮の時間が原子の不安定レベル3の基底状態への不可逆的遷移の寿命時間であると具体的に計算されております。従って、この立場の是非は実験的に検証可能です。例えば、文献[2]にその具体的な計算がなされております。

[1] W.M. Itano, D.J. Heinzen, J.J. Bollinger, and D.J. Wineland, "Quantum Zeno effect," Phys. Rev. A 41, 2295 (1990).
[2] T. Petrosky, S. Tasaki, I. Prigogine,"Quantum Zeno Effect," Physics Letters A 151 (1990) pp.109-113: Physica A 170 (1991) pp.306-325.

物理学の主張は数学的に無矛盾であることを指摘しただけでは、物理学者は納得しません。何故なら、人間の脳味噌は、この宇宙の現象に無関係でしかも数学的には無矛盾な論理を無限に多く提示出来るからです。物理学は論理的に何が可能であるかを探る学問ではありません。人間が考え付く無限に多くの論理的に可能な存在様式があるにもかかわらず、何故自然は、あの存在様式ではなくてこの存在様式を選んでいるのかと言う、この宇宙の個性を探る学問だからです。ですから、物理学はカントの指摘した総合的真偽の判断を検証する学問であり、数学のように分析的な真偽を検証する学問ではありません。

もしエヴェレットの多世界解釈の是非の実験的な検証が既に提案されているのなら、それの具体的な提案が載っている論文を教えて下さい。それを読んでみたいですから。
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No.10,20,22,27,29です。


No.30とNo.32にてcyototu氏が散逸構造の話を出されましたので、シュレーディンガーの猫を閉じこめた箱との関係を考えてみました。

参考にしたのは、
http://zero21.blog65.fc2.com/blog-category-10.html

自然法則の可逆性と不可逆性
 -発展・進化現象の不可逆性について-
自然界の対称性の破れと多様性:複雑系科学の哲学       
        存在の科学から発展・進化の科学へ

です。

猫の生活している箱、というより、何度もくり返しますが、「この世・この宇宙」(以下、A)とは時空不連続帯で切り離された「世界」(以下、B)の内部では、猫が生まれて生きていけるだけの環境、すなわち散逸構造が十分できるだけの世界が必要になります。

早い話、この宇宙(A)外部にて、別の宇宙がビッグバンにて構成され、そこで生きている猫の話と相同の状況を想定しなければ、仮想のシュレーディンガーの猫を想定することすらできないということです。

この宇宙内部(ないし猫の住む宇宙内部)で見いだされている量子力学系での「重ね合わせ(and)」の状態は、散逸構造が関与するだけの複雑系では消えているように見えます。このことと、波束の収縮の有無、ないし波束の収縮がどこで生じるか?は、並列して考えることができます。

(B)での猫の生を+1,死を-1としたときに、量子力学の系で半死・半生の「重ね合わせ(and)」を記述すると(虚数を含む)複素数が入ります。複素数での表現形を含めた複数の状態の重ね合わせのうち、実数で表現される世界の「いずれか一方が選択される(or)」状態への変化が実質的に起きている(どこかの過程で波束が収縮する)とすれば、複数の確率から一つの事象が選択されたことになります。

そうではなく、エヴェレットの多世界解釈のように、複数の選択肢を温存したまま、「波束の収縮は生じない」とすれば、猫の世界に住む認識主体(B)もまた、(この世界から見れば)複素数と実数を含めた状態の重ね合わせであり、「生きている猫を見る認識主体(B)」と「死んでいる猫を見る認識主体(B)」とが重ね合わさった宇宙を想定するということになります。この場合、猫の住む宇宙全体を表す波動関数が、「この世界(A)」からみたときに、複素数の重ね合わせとして捉えられるということです。

散逸構造が特定の状態(自己組織化)を形成するということは、複数の可能性の選択肢の一つで在るにもかかわらず、確率的に非常に高い頻度で生じるということを意味しています。すなわち、散逸構造は、マクロの系へと波動関数がシフトしたときの確率密度分布の偏りの程度に影響していると考えるべきだと思われます。そうしていつ波束の収縮が生じるか、あるいは生じないのかは、独立した事象として考えられるということです。

(A)の世界と(B)の世界が出会うとき、この世(A)の認識主体にとって、猫の生死が確定するでしょうが、宇宙同士が接触する時ですので、宇宙全体の運命が決する時点になるでしょう。
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#30です。

そこで、

>従ってこの問題をネーターの定理に関連付けることも出来ません。

とだけ言い放っているので、ご不満の方もおありでしょうから、一寸だけ解説します。例えば、密度がゼロでないN個の粒子からなる古典的な気体を考えてみます。Nの数は10の23乗個と言うような膨大な数で、実質的には無限大と考えても良い程大きいとします。密度が有限で、さらに無限の自由度をもった系のことを熱力学的極限と呼んでいます。この膨大な自由度を持った系でも、粒子間が2体力の中心力であった場合には、系のラグラジアンは時間の符号を反転させても不変に保たれています。ですからネーターの定理によって、時間に正準共役なエネルギーは保存します。別な言い方をすると、ネーターの定理はエネルギーが保存する系では、時間の反転に関して物理法則は対称であると言っているだけです。

しかし、現実の気体系を考えてみると、外界と物質やエネルギーの遣り取りをしていない孤立系では、我々の未来に向かって熱平衡に近づいて行っています。そして、その反対の現象が存在していない。それは何故なのか、と言うのが熱力学や統計力学の時間の向きの反転に対する対称性の破れの問題です。その問題を解決するために先ず第一にクリヤーしなくてはならないハードルは、たとえ運動方程式やラグラジアンの段階で時間に関する対称性が在ったとしても、その運動方程式の解が時間の向きの対称性を破る解があり得るのかどうかを示すことです。非常に簡単な非線形の力学系では、セパラトリックスと言う特殊な初期条件では、そのような解が存在していることが簡単にかつ厳密に証明出来ます。しかし、巨大な自由度を持った多体系ではそんな簡単で特殊な場合だけでなく、系が我々の未来に向かって熱平衡状態に近づいて行く解が本当にあることを示さなくてはなりません。それは大変難しい問題です。そして、もしそんな解が在ったとした場合でも、ネーターの定理から出て来る帰結は、もしそのような解が在ったとしたら、その運動方程式は必ず、その反対に我々の過去に向かって熱平衡状態に近づいて行く解もなくてはならない、と言っているのです。

ですから、ネーターの定理を幾らいじくり回しても、果たしてそんな解を許す保存系が存在するのかどうかな解りません。さらに、また、もしそんな解が在ることが示されても、それでは何故、ネーターの定理によって保証されている時間の反転している解が未だにこの宇宙では見付かっていないのか、に関してネーターの定理は答えることが出来ません。その答えを探ろうと現在活発に議論されているのが、熱力学第二法則に絡んだ、時間の向きの対称性の破れの問題です。それが、はたして小林さんの言うように見掛け上の近似的な破れなのか、それとも、この宇宙では熱力学第二法則の意味での時間の対称性の破れが本当に起こっているのか、と言う問題です。

別な表現をすると、熱力学第二法則は永久運動機関を作ることが出来ないことを主張していますが、それに加えて、タイムマシーンをこの宇宙で作ることが出来るのかどうかと言う問題であるとも表現できます。良くあるホワイトホールややワームホールがどうのこうのでタイムマシーンが出来るのどうのと言う話しは、この自由度の数の役割や、物理的構造とは何かと言う問題を完全に無視した話しですので、机上の空論も良いところです。

散逸構造が認識される以前の熱力学では、熱力学第二法則とは、単に構造が自発的に崩壊して行く方向に時間の向きが流れていることを表している法則であると理解されていました。だから、こんな悲観的な法則を本気で論じる物理学者は殆ど居りませんでした。現に、ボルツマンやエーレンフェストなど、熱力学や統計力学の巨人と言われた人達は、どういうわけか自殺していましたね。ところが、現在では熱力学第二法則が成り立たないと、散逸構造と呼ばれている我々も含めて、この宇宙にある高度で複雑な構造が自発的に出て来ることが出来ないことが判るようになった。別な言い方をすると、熱力学第二法則はこの宇宙に構造をもたらす大変建設的な法則であることが判るようになった。ですから、ネーターの定理が如何に重要な定理であっても、その段階で物が判った気になっていられないのだ、というのが最近の非平衡熱力学や非平衡統計力学の動きです。要するに、我々がこの宇宙に存在出来るようになった根拠を説明出来ない論理体系でこの宇宙が理解出来たと言うわけにはいかない、と言うことです。だから、超弦理論や大統一理論や超大統一理論が完成したからと言って、この宇宙が理解出来るようになったと言うわけにはいかないのです。

私は万物の理論(Theory of Everything)と呼ばれている超大統一理論や超弦理論が完成する日を首を長くして待っております。なぜなら、それを完成させた人に「いよいよ、Theory of Everythingが完成したとのことですが、それでは何故今日貴方の奥様が怒っていたかをその理論で説明して下さい」って聞いてみたいからです。

そして素粒子物理学や宇宙論とは別な分野で、我々がこの宇宙に存在出来るようになった根拠を現在の物理学は本気で語れるようになり始めているのです。

そして、波動関数の収縮を力学の枠内に取り込見たいのなら、この問題を先ず理解しなくてはならないのだろうと言うのが、私の主張です。勿論、フォン・ノイマンのように、この宇宙には統一原理などなく、幾つもの独立した原理がある多元論的な宇宙であると言うのなら、そのような問題の解決は必要ないかもしれません。しかし、その場合には、何処から何処までをどの原理に任せ、何処から何処までを他の原理に任せるかを、この宇宙はどう決めているのかを明らかにしないと、支離滅裂で理解不能に陥ってしまいます。
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 猫ではなくてパソコンを箱の中に置き、ある特定のアドレスのビットを調べて、そのビットが0か、1かを判定するプログラムを動かして、それがビット反転するのが確定されるか、確定されないかの問題だと考えればわかりやすいですね。



 ビットが0ならば、猫は死んでいて、ビットが1ならば、猫は生きているというわけです。猫が生きてもいないし、死んでもいない状態はビットが未定の状態になります。

 もし、シュレーディンガーの猫をコンピュータ上に作り出せれば、過去も未来も見通せるプログラムが動かせるのを証明出来ますが、これがあれば、過去の写真を大量にデジタル化してコンピュータに記憶させ、それをソフトで変換処理すれば、現実に起こるか、起こらないかが確率論的になるだけで、未来に起こり得る写真画像を出力出来るはずです。

 これが出来れば、確定的な判断は出来ないにしても、未来に起こり得る確率的な写真画像を多数出力して、そのどれかが現実になる可能性を確率で答える事ができるという話になります。

 たとえば、空港の写真を時間を置きながら大量に撮影し、それをデジタル化してソフトで変換処理すれば、未来に空港で起こる事件が写っている写真画像を多数出力出来るはずで、それが、いつ起こるかはわからないにしても、起こる確率がどの程度あるかは判断出来るでしょう。

 タイムマシンではありませんが、未来に起こる事件を写真の形で映し出して、その中のどれかが現実に起こると予測出来るのは多くの人が興味を持つでしょうね。

 こういうソフトは理論的には可能ですから、シュレーディンガーの猫の現実的な応用例として考える上では意味があるように思います。
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#29さんいろいろな情報ありがとう。



しかし、熱力学第二法則や波動関数の収縮で言う時間の向きの対称性の破れは、素粒子屋さんが言っている時間の対称性の破れとは全く違った物です。従ってこの問題をネーターの定理に関連付けることも出来ません。素粒子屋さんは非平衡熱力学や非平衡統計力学の近年の発展には疎いので、その発展以前の決定論的な基本法則(下記注)の枠組みの中での対称性の破れについて触れているだけです。殆どの素粒子屋さんは、この宇宙に複雑な構造が物理法則に矛盾することなく自発的に出現して来るかを説明している、散逸構造の理論や分岐の理論を勉強しておりません。そして、散逸構造の典型的な例が、我々生物です。

(注:量子力学は確率と言う言葉を使ってはいますが、量子力学の基本方程式は決定論的な偏微分方程式ですから、量子力学の基本法則も数学的には確率論的な法則ではなくて、決定論的な法則です。一方、熱力学第二法則は本質的に確率論的な法則です。)

小林・益川理論の小林さんの講演をテレビで見たことがありますが、彼の講演の最後の付け足しで、「熱力学に関連した時間の向きの対称性の破れは、素粒子で言っている基本的な対称性の破れとは全く違った、見掛け上の破れである」と言っておりました。その表現一つで、小林さんがご自分の専門分野以外の法則である熱力学第二法則に関連した時間の向きの対称性の破れに関して、今までに本気で考えたことがないか良く分かります。勿論、小林さんはご自分の専門分野に関しては超一流であることを否定しているのではありませんので、誤解なさらないで下さい。

小林さんが熱力学や統計力学を習った時代では、どんな教科書にも、熱力学第二法則はこの宇宙の基本法則ではなくて、我々人間の測定能力の不完全性故に物理現象を粗視化して見ざるを得ないために出てくる見掛け上の現象論的法則である、と書いてありました。宇宙その物に熱力学第二法則と言う法則が在るわけではなくて、我々の測定能力に限界があることが、エントロピーを増大させてしまい、あたかも時間には過去から未来へと一方方向だけに向かう時間の矢があるかの如く見えているのだと言う主張です。ランダウの教科書然り、ファインマンの教科書然りです。そして、これはボルツマンによって19世紀後半に提唱された主張です。

しかし、現代の熱力学も統計力学もボルツマンの時代から飛躍的に進歩しております。そして、近代の非平衡熱力学の金字塔である散逸構造の理論は、平衡状態から十分離れた物理系では、単純な構造から始まって、次々と分岐を繰り返しながら、この宇宙が我々をも含めた高度に複雑な構造が自発的に現れて来ることが可能だと言うことを明らかにしております。そして、その自発的進化を可能にしている最も基本的な根拠が、熱力学第二法則によって表されている熱力学的な時間の向きの対称性の破れであることを、明らかにしております。もし、この熱力学第二法則が小林さんの理解しているように我々の測定能力の限界に基づいた単なる見掛け上の法則であるとすると、我々の存在も単なる見掛け上の存在であると言うことになってしまいますね。

要するに、殆どの素粒子屋さんは、ランダウなどの昔の教科書で勉強した熱力学第二法則だけを覚えていて、素粒子の自分のテーマに直接関係ない非平衡熱力学や非平衡統計力学のその後の発展を理解していない。従って、この問題を本気で考えたことがないと言うのが本当のところです。ですから、小林さんも含めて、熱力学第二法則が見掛け上の法則であると言っている方達は、実はこの宇宙に在る複雑な構造や、あるいは自分自身の存在が見掛け上の物であり、物理学の基本法則からきちっと考えてみると存在していないのだ、と言っていることになってしまっていることに気が付いていないのです。

散逸構造の理論でノーベル賞を受賞したイリヤ・プリゴジンは、

「我々の無知が時間の向きを生み出しているのではない。我々は時間の向きの父親ではなくて、時間の向きの息子なのだ。」

と言っておりました。

従って、我々が存在出来ることの根拠になっている熱力学的な時間の向きの対称性の破れの問題や、エントロピー増大を伴う波動関数の収縮の問題は、素粒子屋さんの言っている対称性の破れとは次元の違う物であり、この問題を素粒子屋さんが解くのは大変だと思います。

実は物理学をやり始めると直ぐに気が付くことなのですが、熱力学に対して次のように考えている方が一杯居ります。それは、熱力学は役に立つ実務的な現象論ではあるが、古典力学や量子力学や素粒子論や宇宙論のような、物理学の根幹にかかわる基本的な法則ではない、と言う見方です。私はそう言う人達に、
「あなた方が現象論であると蔑んでいる熱力学が、黒体輻射の分析を通して量子力学を見付け出して来たことをお忘れなく。当時の最も基本的法則と考えられていた古典力学の基本原理を幾ら分析し演繹しても、それで決して量子力学を見付けることが出来ないことをお忘れなく」
と言っております。
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