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http://photo.sankei.jp.msn.com/essay/data/2011/0 …

津波は水門に激突して乗り越えたが勢いはそがれた。水門から普代川上流にさかのぼってほどなく止まり、近くの小学校や集落には浸水被害はなかった。

 立臼さんは「高い水門をつくってくれた和村さんのおかげ」と話した。

 ■ 名物村長の〝遺言〟

 和村さんとは、昭和22年から10期40年にわたり普代村の村長を務めた和村幸得さんのことだ。昭和8年の三陸大津波を経験し、防災対策に力を入れた村長だった。

 村では明治29年の大津波で302人、昭和8年の大津波でも137人の犠牲者を出した歴史があり、和村さんは「悲劇を繰り返してはならない」と防潮堤と水門の建設計画を進めた。昭和43年、漁港と集落の間に防潮堤を、59年には普代川に水門を完成させた。

想定外と言葉が流行っている中で、どのように感じますか。

A 回答 (6件)

> 想定外と言葉が流行っている中で、どのように感じますか。



想定外って言う言葉は、人間の思い上がりから生まれた、虚偽(ウソ)や詭弁でしょうね・・・。

だって人間の想像力は無限ですから。
その証拠に、あらゆる災害を想定した小説や映画などがあります。
それらで行われた想像を、現実に起こり得る可能性として「想定するか?/しないか?」だけのコトですね。

そもそも想定って言うのは、想像上の仮定であり、最小から最大まであって、そのドコで線引きするか?だけのコトだし。

更に、ある程度は現実的に行われた、ある想定に対して、行政が「防潮対策は万全」「大丈夫!」とか、電力会社が「原発は絶対に安全」などと言っちゃった途端に、想像力が停止しただけだと思いますよ。

一度「万全」「絶対」と言っちゃったモノは、今度は「万全」「絶対に安全」であらねばならないモノになってしまいます。
「更なる防潮対策をしよう!」と言う人が出てきても、更なる対策をすれば、過去に「万全」「絶対」と言ったコトがウソになりますからね。

過去に一度想定し、「万全」「絶対」としたモノは、未来に間違いが判っても、簡単には対策は出来ませんし、もし些細なトラブルでも発生したら、ソレを隠蔽しようとしてしまいます。

そうやってウソを重ねちゃったから、最後に「想定外」と言う詭弁を弄するしかないんでしょう。

「想定」と言うのは、権限ある立場の人間が行った、仮定の線引きです。
権限には責任が付随しますから、想定外の事象が起きた場合には、単に「想定外です」で済むハズは有りません。
まず「想定が誤っていた。」「甘かった。」と言う点を明らかにし、その上で、せめて「ごめんなさい。」でしょうね。
誤って済むコトではありませんが、今のところ、「想定の甘さ」に関しては、反省や謝罪はゼロですヨ。

何にせよ、「想定外」は責任を逃れるための詭弁であり、正しくは「想定が誤っていた」かと思います。
「想定外」と言う言葉は、本来は権限と共にあるハズの責任を、放棄すると言う意味ですから、その様な言葉を発した機関や企業は、信頼するに足りませんし、国民にとって必要では無い機関や企業と言って良いかも知れません。

逆に和村村長さんは、「安全に万全や絶対は無い」って言うお考えだったんだろうなぁ。
だから、日々、堤防を高く積み上げる努力を怠らなかったんでしょうね。
まるで童話の「アリとキリギリス」みたいな話です。

和村村長さんなら、「今回はこの防潮堤で防げたけど、次は防げないかも知れない。だからもっと高く!」って仰るかも知れませんね。

そういう方が、国政や行政機関、あるいは社会的責任の高い企業のトップに居ないことが、国民の不幸であり、選挙制度があるにも関わらず、そういう人物を選択してこなかった、国民の責任でもあるかと思います。

今回の震災を、悲惨な出来事で終わらせないために、優れたリーダーが選出される社会的な仕組みが出来れば良いですね。
イヤ、そうしなくちゃダメですね。
それが復旧では無く、復興です。

また、私自身は、原子力発電は、単に国内の電力問題だけではなく、日本の産業や経済を支える上でも、当面は重要だと思っています。
原子力発電設備の製造技術は、日本企業が世界を圧倒的にリードしており、あやゆる分野で中国などの台頭が著しい昨今、「メイド・イン・ジャパン」が通用し、世界に対抗・リード出来る数少ない分野です。

だから原発事故で、「即、原発を止めろ!」と言う様な発想は出来ません。
それは復旧でも復興でも無く、単なる停止やストップになってしまいますし、それは極めて無責任な発想だとも思います。

平和時には何の疑いも無く、原発を含む電力によって、多大な恩恵を受けてきた日本人が、事故が起きたら「止~めた!」って言う形ですからね。

まず、日本人が全員で、真剣に反省をすべきでしょう。
世界中に迷惑をかけたんだから。

ただ、もう「原発は絶対に安全」で、何か起きたら「想定外」と言う様な発想では、絶対にダメです。
過去に誤った考え方で運転してきた点は、一番に猛省が必要です。

「原発は絶対に安全ではない」と言う視点に立ち返って、「だからどうする?」ではないかと思います。
その上で、原発を停止すると言う結論なら、私も受け入れますよ。

でも、今回の事故で沢山のコトが判ったし、これからも判るんです。
事故対策、廃炉技術、放射性廃棄物の処理など。
これらを含め「だからどうする」を、真剣に考え続ける仕組みを作り上げねばならないと思います。

猛省すれば、原子力発電に関し、あらゆる面で、日本は世界で一番詳しい国になれます。
その上で、どの国より真剣に考え、安全を追及し続ければ、原子力発電で世界に貢献することだって可能です。
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この回答へのお礼

丁寧に又緻密に捕らえられてのご回答に感銘を受けました。ベストアンサーが多い。

原発反対派の霞を食べる様な回答には疲れました。
私は原発賛成や反対から離れています。

ただ現実からは離れられないのです。だから世界中のクリーンエネルギーを知りました。そして使えるものが多いのがわかりました。

が地域の特性が左右して世界中では使えないことも知りました。
と言うよりも、使うエネルギーが多いからです。
もしも、1950年頃ならば、クリーンエネルギーだけで全て可能でした。

しかし、企業が九割使う電気を二割削減すると失業者であふれ、
セーフティネットは機能できなくなり、殺人や自殺であふれるでしょう。

経済の両立を軽んじている様に思えますし、ツナミのごみ処理が全然
です。これでは難民です。避難民には夢と希望があります。

和村村長が居られたらこんな難民は作られなかったと思います。
村で金策をして折られたでしょう。

コメット機が世界の空をわが世の春と 飛んでいましたが、何度も突然の空中分解で原因がわからずに航空業界から消えていきました。
金属疲労と原子顕微鏡がまだなくて。

そしてアメリカの飛行機が世界を飛び、五十年の歳月をかけて
エアーバスでイギリスグループが返り咲きました。

KY0001様が回答されたものは卓越していて気持ちよく読むことができました。

お礼日時:2011/05/07 22:57

「想定」という言葉は、ホリエモンによりよく聞き使われる言葉になったんだと思っています。


こんときは、想定内でしたっけ?

高さの根拠が過去の実録によるものなら推す側だって信念にブレは無いはずです。
目の当りにしたならともかく、そうでないとそりゃあ反対論は出てきますよね。
この普代村だけでなく、言い伝えを守ったところの人的被害は少なかったと聞きます。
海から遠い私は、大津波なんぞ映画「ディープインパクト」でのシーンでしか見たことがありません。
そんな人達がそこに立ち合っても大堤防は想定は圏外扱いとして賛成していなかったでしょうね。
みんな同じじゃないでしょうか。

記事にあった大槌町は、防災訓練どおりに役場職員自体が動かなかったとありました。
非常時は、丘の上の公民館に本部を置く決まりが、訓練時同様に役場に職員が居たことで、避難する住民は「あいつらこんな時になにやってんだ」と不思議に思ったそうです。
今回は、それまでに被った津波や浸水からは「想定外」だったに違いありません。

これから、地域で明暗を分けた理由がもっとでてくると思います。
そういった事をこれからの計画に盛り込むべきと考えます。学者・有識者だけの集まりじゃ絶対に纏まるわけがない。

今回を契機に港が見える町はなくなって、堤防の上から一望するようになるんでしょうね。
うちの方も荒川に2年くらい前からスーパー堤防工事をやっています。見上げちゃいます。
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この回答へのお礼

政治家は予算をどこに使うかのバランスを考える人だと思います。

ちょっとした町でも公会堂やスポーツ施設体育館等が作られています。

命にウェイトを置いた政治が必要でした。

今民主党は住宅地を山に作り、とか言っていますが、
長い目で見れば、漁業に便利な港に下りてくるでしょう。
過去も未来も。

お礼日時:2011/05/06 18:56

そもそも「想定外」という言葉は世の中の概念ではなく


個人の観念であることに気付いていない奴が多すぎる。

A氏にとって想定内でもB氏にとって想定外であることは普通にあるだろう。


では日本にとっての想定外とは?
もちろん「日本政府が定めた基準を上回るもの」が想定外になる。

そして日本政府の想定を遙かに上回っていたのが今回の震災。


民主党の某仕分け議員のように「過剰な災害予防は無駄」と主張する奴らもいるしな。
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この回答へのお礼

白い服の女ですね。
彼女も仕分けされるでしょう。今しばらくお待ちくださいませ。

お礼日時:2011/05/06 18:46

首長や政治家は、50年後、100年後に、取り組んできた仕事の真価が問われるという言葉を思い出しました。



明治、大正時代に、何度も何度も、日本の電源周波数の統一化が検討されながらも、無視してきた国会議員連中。
とくに・・・
昭和29年3月、はじめて「原子力予算」を国会に提出し成立させ、昭和34年、第二次岸改造内閣で科学技術長官として入閣し、原子力委員会委員長として日本を原発大国に大発展させた、中曽根安弘元内閣総理大臣(大勲位菊花大綬章:最高位勲章受賞者)は、将来、どんな評価が下されるのでしょうね。
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この回答へのお礼

国家百年の計といいますが、最近は一年先が常です。
介護保険で五年見直し。

周波数統一も西日本を同時に行うとお金の問題が出てきます。
発電機一個 一市 一県づつ変更していけば出来るはず。

ただ 原発の件は評価以前の問題になると思います。

化石燃料では 温暖化と 先進国の奪い合いで発展途上国には死を意味します。
又 温暖化は江東区を海にします。
つなぎとして もんじゅの実験炉がストップして その為にウランの経済的
埋蔵量も今世紀いっぱい。

行き詰っている核融合の成功が無ければ、日本に未来派ありません。

節電と言って家庭での使用量は一割ですから家庭で二割節電しても
二パーセントです。

つまり 工場の電気をカットすることですから、---

お礼日時:2011/05/06 18:44

この村長さん、すごいですよね。



何がすごいかって「15メートルの防潮堤を」と提案した際、かなりの反対に合ったのに、それでもそれを貫き通したからです。
おかげで、ここの村の方々は今回の津波でも助かる事が出来ました。

防潮堤は、その高さが大きければ大きい程、予算もさる事ながら、漁港としての外観も損なう事になります。

当初は「田老町の万里の長城、10メートルの防潮堤」を例に、10メートルでも良いのではないか?との意見もあったようです。

しかし、この和村村長はどこまでも「15メートル以上の防潮堤」と頑として譲らなかったそうです。
それには、過去に津波被害に合った村人から聞いた事がある「15メートルの津波が来た」と言う言葉が、この村長さんの頭から離れなかったから、だそうです。

過去の津波が何メートルだったかは分かりません。
実際は5~6メートルだったとしても、人が感じたのは15メートルだったのかも知れませんし。。。
それを信じるか信じないかによって想定された『15メートル』です。
この防潮堤を造る際には、様々な対立や葛藤があったのだと思います。

結果はこうなりましたが、「役に立って初めて」『想定内』とするのは、なんだか第三者の立場からは都合が良過ぎるような気もして、簡単には言えませんね。

ただただ、村人の命を救うと言う結果を残してくれた村長さんには、敬意を表するだけです。
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指導者たる村長も立派ですが、それに従った地域住民の方も賞賛されるべきです。

即ち、

●指導側の過剰とも思える投資は、災害がなければ効果が確認できない
●住民側では即効的な設備を期待するが、これより優先させ堤防を完成させた

です。当然に、住民以上に資金及び計画を遂行する指導側には苦労があったと思いますが、双方の協力なくして完成はできません。今回の津波災害で回避できた地域は少ないと思いますが、50年先の投資を実行した市町村と地域住民は、今回の津波到達点に顕彰碑ができるといいなあ・・・と思います。
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この回答へのお礼

>指導者たる村長も立派ですが、それに従った地域住民の方も賞賛されるべきです

他所の町では公会堂なども箱物を作っただろうと思います。
この村では堤防を作った。ならば文句も多々あったと思います。
そう考えると地域住民も賞賛に賛成です。

>津波到達点に顕彰碑ができるといいなあ・

本当に出来ればよいですね。
ツナミの備えとして世界中から見学にこられて、ツナミの被害が
世界から天然痘の様に無くなればと思います。

お礼日時:2011/05/06 18:32

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