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島崎藤村『夜明け前』には、
「御一新がこんなことでいいのか」という表現があります。
そこで疑問に思ったのですが、明治政府が自分たちのやってきたことを
正当化するために、「明治維新」だと言い始めたのではないか、と思いました。

「王政復古」「尊皇」「攘夷」を叫んだ人びとはよく聞きますが、幕末期「維新」をスローガンにした人はいますか。
「明治維新」とは、いつ頃、誰が言い始めたのですか。
よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

改元前後から「朝政一新」「天下一新」「百事一新」など「(御)一新」が主流のようで、


改元直後には「明治維新」の用例は見当たらず、明治政府等が積極的に
「明治維新」「維新」の用語を使用したかも定かではありませんので、
「いつ頃」のみカキコミさせていただきます。

◆国立公文書館アジア歴史資料センター
http://www.jacar.go.jp/
上記にて「明治維新」を検索すると186件ヒット。
そのうち、早い時期の使用例としては
内容から明治9年8月24日以降に作成された文書のようです。

◇No.130 件名「明治八年江華島事件善後處置
日米間難破舩救助費償還條約/1明治八年江華島事件」
外務省外交史料館>外務省記録>1門 政治>1類 帝国外交>2項 亜細亜>
対韓政策関係雑纂/明治八年朝鮮江華島事件
上記を<DjVu>又は<JPEG>で画像閲覧すると、
<1/2>右頁8行目に「明治維新」の記載があります。
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/listPhoto?IS_STY …
(※なお<Djvu>画像を閲覧する際には、Djvuビューアー<プラグイン>が必要となります)

186件の中、一覧リストだけで年代が明らかな使用例に限れば、
明治30年代から増加傾向にあるようです。
また、上記と同様に「御一新」を検索すると226件ヒット。
226件の中、一覧リストだけで年代が明らかな使用例に限れば、
慶應4年&明治元年が109件と突出していて、後は逓減傾向にあるようです。

これだけでは、限られた公文書内でのお話に過ぎませんので、
◆近代デジタルライブラリー
http://kindai.ndl.go.jp/index.html
上記で「明治維新」にて検索したところ
(※一部URL省略)
◇『大政三遷史/小中村義象著/吉川半七/明治21.11』
「第三篇○明治維新」(63頁)<44/62>
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/769905/44
◇『庄内史/藤山豊著/鈴木喜八/明治26.1』「第十七章 明治維新」(114頁)<65/156>
◇『札幌農學校/札幌農學校學藝會編/裳華房/明治31.9』(20頁)<33/88>
「第二章 札幌農学校の過去 第一節 明治維新と北海道の開拓」
◇『初等帝国史/横山達三編/大日本圖書株式會社/明治32.4』
「第五篇 江戸幕府創立より明治維新に至る」(222頁)<122/171>
◇『国史教科書 下/有賀長雄著/三省堂/明治35.1』「第七十一章 明治維新」(161頁)<109/122>
◇『國語綴方教法及享受案 尋常小學科第四學年後期/日本書籍株式會社/明治37.9』
「第三十二周 第一時 文案 明治維新」(49~50頁)<29~30/51>
「とくがはいへやすが、…これを明治維新といふのだ。」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812120/29

上記のとおり、明治21~32年頃には歴史関係の書籍、教科書などの目次題目に登場していて、
明治37年の国語教法では本文にも登場しています。

また、青空文庫内での早い時期の使用例としては下記のとおりです。
◇青空文庫『海島冐險奇譚 海底軍艦/小笠原長生/文武堂/1900(明治33)年11月15日』
「序 …明治維新以後三十餘星霜ヲ經ルノ今日ニ至ルモ未タ全ク除去スル能ハス…」
http://www.aozora.gr.jp/cards/001326/files/48215 …

あと、明治期の新聞記事情報が欲しいところですが、登録不要で無料のところは、
◆神戸大学附属図書館新聞記事文庫
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/sinbun/
上記以外知りません…残念ながらここでは明治末(明治45・大正元年)~昭和18年頃の間の
経済記事に特化した切抜の集積に過ぎませんので今回は参考程度にしかなりませんが、
「明治維新」で検索したところ580件ヒット。
明治45年~大正一桁年の間の記事も多数あり、
大正前半期には既にふつうに使われていたようです。

以上は限られたネット検索での一例に過ぎませんので断定は出来ませんが、
遅くとも公文書等では明治9年8月頃には登場し、
書籍・教科書等から明治30年代には広まり始めた兆しが伺え、
新聞では明治後半期には一般化していたのではないかと推測出来ます。

以上 直接の回答でなくて誠に申し訳ありませんm(_"_)m
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この回答へのお礼

ここまで詳しく調べて下さって真にありがとうございます。
調べ方そのものが大変参考になりました。
このような方法で調べるとよいのですね。

「国立公文書館アジア歴史資料センター」で「明治維新」を検索しますと、確かに186件ヒットしました。
順に読んでいきますと、面白くて止められません。

>遅くとも公文書等では明治9年8月頃には登場し、
書籍・教科書等から明治30年代には広まり始めた兆しが伺え、
新聞では明治後半期には一般化していたのではないかと推測出来ます。

ご推測のとおりだと思います。

お手数をおかけしました。
Dayoneさんのご親切に重ねて御礼申し上げます。

お礼日時:2011/05/31 20:59

明治時代の当時、一般の人々は一連の新時代の幕開けを差して「御一新(ごいっしん)」と言っていました。



これの“元ネタ”は、1867年12月(明治維新の前年)の時に出された「王政復古の大号令」の中で、旧来のものを改め新たに始めることを意味する「維れ新たなり(これあらたなり)」という言葉が事ある毎に謳われています。また「百事御一新」という言葉も登場しており。ここから来たものと思われます。

その後、時代が少し下って明治27年(1894年)の日清戦争の時にも。当時の市井の人々の日記や新聞記事などでも「先の御一新の時は~」などと称されていますので。少なくとも明治時代の間は、いわゆる“明治維新”という言葉は存在して無かったと思われます。

それからさらに40年以上、時代が下って昭和になり。1936年(昭和11年)に世に言う「二・二六事件」が起きます。この時の実行犯の青年将校たちの合い言葉が「昭和維新断行・尊皇討奸」でした。この時にオフィシャルな形で初めて“維新”という言葉が登場します。この時の“維新”という言葉の意味は、明治の“御一新”とはあまり関係が無く。意味合いとしては、中国の詩経にある「周雖二旧邦一、其命維新」の一節から取られています(全ての物を新しく作り直すという意味)。

やがてこの事件の後、「昭和維新(二・二六事件)」と区別する意味で「明治維新」という言葉が新聞など使われ始めます。

以上の様な経緯から、「明治維新」という言葉は比較的新しい言葉であって。少なくとも昭和11年(1936年)よりも後になって発明された言葉であると言えます。
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この回答へのお礼

「昭和維新(二・二六事件)」と区別して「明治維新」と呼ばれるようになった、ということですか。
なるほど、納得しました。
ご教示ありがとうございます。

お礼日時:2011/05/30 20:15

江戸時代に書かれたものを読んでいると、


当時の人々は、今、歴史で「天保の改革」「享保の改革」などと呼ばれているものを、「ご維新」と呼んでいます。
つまり、当時「維新」ということばには、政治体制の抜本的な変革、というほどの大きい意味はなく、
単に「新しい政策による改革」程度の意味で使われていたのです。

明治という年号のときにあった政治的な改革、なので「明治の維新」です。
逆に江戸末期に「維新」とただ言っても、過去にもあった小手先の政治改革と同じような意味に取られてしまって、あまり効果はなかったでしょう。
「維新」ということばについては、あまり深く考えなくていいと思います。
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この回答へのお礼

「維新」とは、そういう意味だったのですか。
今の感覚で捉えては、誤解しますね。
貴重なご指摘、ありがとうございます。

お礼日時:2011/05/30 20:14

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