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昔はよくテレビばかり見てるとバカになるから見るなと言われました。

確かに,テレビ漬けのおばちゃんをみていれば納得できます。
一方で,インターネットには多くの情報が溢れ,ツイッターなどにはアッパー志向の人間がたくさんいる印象を受けます。
とすると,タイトルの質問の答えは,くだらない番組を垂れ流すテレビを見ているよりもインターネットで情報を常に吸収していたほうがよいという事になります。

僕自身インターネットが好きで,暇さえあればインターネットで情報を探しています。インターネットは情報の宝庫で,新しい情報をどんどん自分のものにして賢くなっていると思っていました。


しかしながら,インターネットには表層的な情報ばかりがあり,かつ中毒性があって人をいつでもオンラインにいないと気が済まないようにしてしまう側面があります。僕は,その有害性が,テレビの有害性より悪い物なのではないかと最近思うようになりました。

情報を沢山持っていたからと言って仕事が格段にできるようになる訳でもなく,ただインターネットで調べて人よりうまくやってやろう,と常に考えているような,下らない男になっているのではないか,とすら思うようになりました。

そうであれば,テレビを見て単純に有名人に憧れ,芸能人の話題でも他人と共有して楽しんでいたほうがマシで,インターネットが普及する前の時代の人間のほうがより物事に集中できていたのではないかと思いました。すなわち,インターネットが逆に現代人を総じて下品でアホにしているという考えです。

もちろん,今の時代テレビだけ見て,インターネットを排除して生きることは大変不便であると思います。しかし,インターネットにどれくらいコミットしていくかという問題を考えるのはとても大事だと思い,質問をしました。皆様はどうお考えになるでしょうか。

お聞かせください。よろしくお願いします。

A 回答 (9件)

 テレビは人気番組を観る以外に無いなど、選択の自由が無い娯楽だと思います。



 たとえば、子供が見るアニメなどが、そうですが、好きなジャンルの番組を見ようとすると1つか、2つしかないでしょう。嫌いなアニメしか無くても、見るしかないように番組編成が出来ている例が多かったように思います。視聴率が全然無いアニメでも、プラモデルが良く売れれば人気アニメというレッテルが張られて、そのアニメばかりの再放送が続いた時代もあります。

 これは大人が見る娯楽番組でも同じで、テレビ局が番組内容の決定権を握っていて、視聴者は我慢して見るしかないという状況がずっと続いています。嫌で仕方が無い番組ばかりだったら、テレビを見ないで本や雑誌を読むしかなく、テレビは自由が無い娯楽という印象が今でも強いです。

 情報革命が始まった後は、テレビを見なくても、ビデオを見たり、ゲームで遊んだり、パソコンでインターネットが出来るようになり、テレビの制約が無くなって、映像としての娯楽の選択肢が大幅に増えています。

 映像としての娯楽の自由度が大幅に広がったという点では、コンピュータ社会の到来は時間の制約や内容の制約が厳しいテレビというメディアから視聴者が独立出来る下地を作ったように思います。

 同時に、マスメディアから一方的に情報が送られて、それを受け取るしかない立場に置かれていた人達が、インターネットの普及によって立場が逆転し、自己主張が自由になり、今までは企業によってしか提供されなかった情報を個人が自由に発信出来る時代になりました。

 テレビの時代は独裁者が放送権を握っていて、視聴者は発言を禁じられて一方的な情報を信じ込むだけという社会だったように思います。インターネットの実現によって、誰もが情報の発信と受信が出来るようになり、相互情報交換が可能になって、今まではマスコミが隠したり、ごまかしていた情報も知る事が出来るようになっています。

 テレビが有名人や芸能人に好意的な印象を受けるように、音楽や演出で印象操作をおこなっているのを見て、胡散臭いと感じる必要があるように思います。どこかの独裁国家の独裁者がテレビを使って印象操作をおこなっているのを見て、馬鹿馬鹿しいと思う人が多いように、有名人や芸能人が印象操作をおこなっているのも馬鹿馬鹿しい話なのです。

 毎晩、深夜に美しい音楽を流しているラジオ番組を聞いて感動するしかなかった時代よりも、インターネットで美しい音楽がいくらでも選んで聞ける環境になって良かったように思います。

 同じく、見たい映画が見られないテレビよりも、見たい映画が見られるインターネットの方が選ぶ自由があるのではないでしょうか。

 出版社や新聞社に投書しても掲載してもらえない苦情、発表の場が無い自作の漫画、小説、音楽などでも、インターネットでは自由に公開し、多くの人に視聴して貰えるようになり、感想も受け取れるようになりました。放送されるまでの査定が厳しいテレビに比べ、査定が無いインターネットは自由に発表出来る場だと思います。

 インターネットが生活の一部になってから、テレビを振り返って見ると、時間帯の制約が多く、番組の選択肢が狭く、視聴者の意見が反映されないなど、制約ばかりの番組しか作れないのがわかります。

 上辺だけ上品で知的な印象操作しかないテレビよりも、下品でも、アホでも、本音が言える、誰もが自由に情報を公開出来るインターネットが素晴らしいと思います。
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 カーナビに頼りすぎて、地理感覚を失いパニック状態のドライバーをよく見かけます。


他の動物にはあり得ない行動であり、動物が観たら、人間は何と愚かな動物と写るでしょう。
 デジタル社会は便利ですが、頼りすぎると五感の後退を招きます。・・もう手遅れかも。
パソコンもテレビも使い方次第だと思います。
そういえば、NHKもだいぶ民放っぽくなったように感じますが。

因みに当方はアナログのままで、地デジ化の予定はありません。
来月から始まるテレビ抜きの生活を前向きに捉えたく、
それで、”テレビの有害性”で検索したらここに来ました。
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所詮はテレビもネットも道具ですからね。


ただ、100%受け身であるテレビよりも、双方向性の進んだネットの方が実になる部分があるし、それが逆に中毒性にも繋がるんでしょう。
ものにはメリットもあれば、デメリットもあります。テレビもネットも同様です。
どちらも100%過信すべきではないと思いますが、ごく少数の人間(TV局)が世論を作るよりは、双方向性で多くの人間の意見がとおるネットの方が民主主義とは相性が良いと思います。
評判の悪い2ちゃんねるですら、ソース(根拠)のない主張は妄言とされて無視されますから、世論誘導をする気満々のテレビよりは健全であると思います。
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>昔はよくテレビばかり見てるとバカになるから見るなと言われました。


「テレビを見るとバカになる」ではなく、「テレビばかり見るとバカになる」と言われていた点が重要だと思います。

インターネットも同じで、「インターネットを見るとバカになる」のではなく、「インターネットばかり見ると(=ネットしか見ないと)バカになる」のではないかと考えます。インターネットの世界には良くいえば多種多様な、悪くいえば玉石混交でいい加減なものも多い情報が溢れていますので、参考にするのは有益ですが、ネットしか見ずに本も読まない(図書館などで自力で調べない)、人の話も聞かない(他者とのコミニュケーションができない)ようになるのであれば、かえって有害でしょう。世の中の大切なことすべてがインターネットの世界の中で網羅されているわけではありませんから…。

「一犬虚に吠ゆれば万犬実を伝う」という言葉があります。一匹の犬が実際には何でもないのに吠えると他の多くの犬が何か起きたかのように吠え立てる、つまり「ひとりが嘘を言うと、多くの人々がそれを真実として伝える」という意味です。インターネットの世界では、コピーアンドペーストやリンクが容易にできますので、とりわけこの危険性が大きいと痛感します。意図的ではなくても、誰かが誤ったことを書き、それがコピーや引用されて広く流布している例は多いです。

大事なことはテレビにせよインターネットにせよ、そればかりを見るのではなく、いくつもあるメディアの中の有力なひとつとしてつきあい、鵜呑みにしないことではないでしょうか。2000年以上も昔の思想家がすでに「ことごとく書を信ずれば則ち書無きに如かず」(どんなに立派な書物(原義は『書経』の意)でも書かれていることがすべて正しいとは限らないから、書かれた内容をすべて信用するならば書物などないほうがよい」と述べています。
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基本、質問者様のお考えに賛成です。


パソコン依存症の方が、やや深刻かと思います。

中毒は「依存症」です。
便利な道具を、「利用」する間は問題有りませんが、便利過ぎる道具に「依存」してしまうのが中毒です。

しかし受動的で、知らず知らずの間に中毒になるテレビと違い、パソコン依存症の場合、更に自分の自立性・自主性などがより問われるかと思います。

テレビが「アルコール中毒」とすれば、パソコンは「飲酒運転の慢性化状態」の様な違いがあるかと思いますよ。
家に帰って、取敢えず「無意識」に、テレビの電源を入れる様な人は多いと思います。
でも、パソコンの場合は、やろうと「意識的」に電源を入れるワケですから。

いずれも自制心や節度などが必要な点は同じですが、アル中と飲酒運転の違いで、飲酒運転の方は犯罪的な要素が生じる様に、パソコン依存症の方が、「悪いと判ってやっている」「判ってるけどやめられない」的な要素が有ろうかと思います。

クセや慣習などでは無く、モラルハザードが慢性化してしまっている様な傾向がある点は、より深刻と言って良いかと思います。

ただ、動機が知的探究心などであった場合、モラルハザードとは言えませんので、区別・識別が難しいです。
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確かにテレビや新聞などはある程度情報操作がされていると考えるべきでしょうね



でも、ネットも偏った情報も多いです。

情報量が多い分、選択次第で方向性が変わってきてしまいます。

また、人は情報を得るときに、自分の持っている考え方に近いモノを集めようとする傾向があります。
結果として、自分の考えに否定的な意見は避けるようになってしまい、偏った情報を強くとるようになります。

何が正しいのか分からないですよね。あることを調べるときに、個人の意見もあればメーカーの公式見解もあります。どちらを信じますか?
結局判断をするのは自分自身です。
それと、同じ事をネットで検索しても、検索の仕方でかなり引っかかる内容が変わります。

同じ事を調べるときに、何度か検索をするのと、否定的な意見も目を通すようにしています。
それでも、あってるかどうかは分かりませんが、そこから自分の考え方を決めるようにしています。
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テレビもインターネットもどちらもバーチャル。



与えられた情報の中から必要なモノと必要ないモノを取捨選択するには自分自身にある程度の知識が必要。
その知識には「経験しないと得られないモノ」も多いはず。

この質問サイトを見ていて思うのは、現物が目の前にあるのにこういうところで質問する人って何考えてるの?ってこと。
質問して回答が得られるあいだにチョット触ってみればすぐに答えが出るというのに・・・で、「すぐに回答が欲しい」なんて何考えてるんだろうね(笑)


情報の氾濫はそういうマヌケな人間を多く生み出すんだと思います。

テレビやインターネットというのはあくまでも補助的なモノ。
攻殻機動隊やフラクタル(アニメ)のような世界が現実にならない限りそれは変わらないはずです。
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確かにインターネットにはたくさんの情報が溢れています。


大事なのは情報の取捨選択です。今の自分に最低限必要な情報を仕入れて活用するくらいならとても便利なツールです。排除するなんてもったいない^^
のめり込みすぎず一歩引いた姿勢が賢い付き合い方だと思います。
中毒性はあるようですが、アホになるかどうかは利用する側の問題です。
膨大な情報量を前にして、活用法しだいでプラスになったりマイナスになったりするものだと思います。
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TV放送は、作り手の意図により作成されるものです。

なので、TVでの情報は、必ずしも正しいとは限りません。内容は、TV局の制作者の意図道理になっているのです。これは、かなり偏ったものです。
一方、インターネットは、参加型のコンテンツが多く、情報や主張もたくさんあります。
何を正しいと判断するのかは、利用する側の知識に左右されると思います。
両者を比較すること、インターネットの方が物事を多面的に捉えることが出来る点が、優れた媒体であると思われます。

なお、ネット中毒と、メディアとしての価値を別個に考えたほうがいいと思います。
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