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太平洋戦争のとき
兵隊になろうと思った場合、
尋常小学校から陸軍士官学校にいけばよかったのですか?
陸軍士官学校にいくのは強制ですか?庶民がいったのですか?
それともお金持ちしかいけなかったですか?
あるいはお金持ちはもっとべつのエリートコースがあったのでしょうか?
海軍にいきたい場合はどうしたらよかったのですか?
空軍がないのはなぜですか?

A 回答 (5件)

当時は現在と違い「徴兵制」が敷かれていましたので、個人の意思とは無関係に、


全員「強制的」に兵隊にされました。ですから、希望する必要はありません。
(もちろん、兵隊になりたいと希望しても良いですが。)

陸軍士官学校とは、文字通り「士官」(指揮官、軍幹部)を養成する幹部軍人養成学校であり、普通の兵隊を養成する学校ではありません。
幹部軍人養成学校ですから強制なんかしません、そもそも入学希望者が大勢殺到しましたから振るい落とすのが大変でした。
士官学校の入学資格は、中卒以上(途中から中学4年修了時)の学歴が必要。
当時の中学校(旧制中学)は5年制で、現在の中学+高校のような学校でした。
当時の義務教育は小学校までで、中学へ進学したのは地域差もあるが全体の2割程度。
進学率がこんに低いのは経済的理由がほとんど。
中学へはそこそこ金持ちの家の子しか進学できなかったので、その中学を卒業しなければ入学資格が無い士官学校には、結果的にそれなりに裕福な家の出身者が多くなった。
ようするに、士官学校へ行ける事自体が金持ちのコースなのです。

海軍に行くには、ほとんどが「志願」で、まれに徴兵されて行く人間も少数いたようです。
一応、徴兵検査時に陸軍か海軍の希望を聞かれるようですが、徴兵の場合のほとんどは陸軍。
それというのも、海軍は機械(軍艦)を操作して戦う軍隊なので、それなりに教育を受けた学識を持った人間で無いと勤まらないのです。

空軍が無かったのは、飛行機自体の歴史が浅かったため、飛行機を使用して戦争するという思想自体が十分に育っていなかったため。
陸軍、海軍とも、それぞれ陸軍航空隊、海軍航空隊と独自に航空戦力を持っていましたが。あくまでも陸軍の補助戦力、海軍の補助戦力という位置付けでしか無かったためです。

この回答への補足

>個人の意思とは無関係に、
全員「強制的」に兵隊にされました。ですから、希望する必要はありません。
>陸軍士官学校とは、文字通り「士官」(指揮官、軍幹部)を養成する幹部軍人養成学校であり、普通の兵隊を養成する学校ではありません
>徴兵の場合のほとんどは陸軍。

そうだったのですか!ありがとうございます!

補足日時:2011/07/06 14:44
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 太平洋戦争時ということで回答します。



 まず、1871年(明治6年)徴兵令の公布による国民皆兵の仕組みのもと、男子は一定年齢になると兵隊になるための検査を受けることになっていました。

 陸軍士官学校は、一般の兵隊を指揮する将校(士官)つまり軍人のエリートを養成する学校のことで、ここに入るためには、

 陸軍予科士官学校に入学する必要がありました。入学するには陸軍幼年学校卒業者であるか、旧制中学四年の学力を有して召募試験に合格した者であることが条件でした。(旧制中学は五年制)

 陸軍幼年学校とは、陸軍士官学校へ進むための教育を行なう学校で、志願者は旧制中学一年二学期修業程度の学力試験、体格検査により選抜されるもので、高等小学校卒業時または中学一年の13~4歳の少年が受験しました。(つまり2回受験できる) 太平洋戦争期に参謀として活躍した辻政信(終戦時 大佐)は、石川県の貧しい炭焼業の家庭に育ち中学へいけないため、高等小学校卒業時に受験した者の一人でした。(ちなみに陸幼、陸士予科、陸士とも首席。陸大は2番で卒業) 

 陸士予科の召募試験は、旧制中学四年程度の学力試験、体格検査からなり、中学生であれば四年の途中か五年卒業時に受験することができました。

 受験資格の年齢は一定の制限があり、体格検査には合格基準がありましたが、受験のための学歴は必要ありませんでした。それは陸軍幼年学校の受験も同じです。(学歴の規定に関する条文はない)

 そうして陸士予科を受験しようとするなら4回チャンスがありました。じっさいのところ当時は陸士のための予備校なんてなかったし、恐ろしく競争率が高かったため独学で合格することは非常に難しかったということはいえます。
 
 もうひとつ。当時、陸軍幼年学校は、こまかくいうと軍人を養成するための学校へ進むための学校ということで、学費が必要(ただし免除規定あり)でしたが、陸軍士官学校は軍人養成機関である為、官費で賄われました。

 平和時には、裕福であれば旧制中学から旧制高校を出て帝大へ進み官僚か実業家になろうというのがエリートの考えであって、軍人になってもポストは限られているし、軍備縮小政策でリストラされるなど社会的には低い評価が一般でした。戦争になれば脚光を浴びる反面、戦死する率も高いわけで、士官学校へいって将官へなろうというその動機はの裏には、軍人の家系など特別の理由か家が貧しいということが挙げられます。


 資料 = 別冊一億人の昭和史『陸士・陸幼』毎日新聞社

 空軍がない理由。日本の空軍独立論は1920年(大正9年)にさかのぼりますが、一部先見者は、積極的に部内を説得して推進しましたが、陸海軍特に海軍は消極的で、第一次欧州大戦と違いわが国の空軍による実戦戦果が少なく関心に乏しかったことが実現しなかった原因のひとつでした。やがて航空機性能の向上は列国と競争できるようになったものの、陸軍は大陸での運用、海軍は航空母艦での運用とまったく異なるもので、双方を統合する新たな軍組織を作るよりはそれぞれ発達させる方に着いてしまったからでした。

 資料 = 戦史叢書『陸軍軍戦備』『陸軍航空の軍備と運用1・2・3』『海軍軍戦備1・2』『海軍軍航空概史』 朝雲新聞社 
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東京陸軍航空学校は基準がゆるかったのですね。


なぜにゆるかったのでしょう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E8%BB%8D% …

1937年4月、東京陸軍航空学校の創設に伴い、受験資格は操縦・技術生徒とも年齢が満15歳以上17歳未満、学力が小学校卒業程度となった。

その前は高等小学校が条件だった。

うちの父親は昭和5年組つまり昭和20年段階で満15歳なので、入ってすぐ終戦だったようだ。
当時の写真を見ても あかとんぼの隣にいる写真と体操をしている写真しかないもの。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E4%BA%94% …
通称 あかとんぼ

===
父の同級生で旧制中学に進んだ人は、四修で海軍士官学校。
で、すぐに終戦なので、旧制中学に戻り東大に進んだ。

http://rihe.hiroshima-u.ac.jp/viewer.php?i=128
四修というのは本来五年で修了の旧制中学を四年で旧制高校あるいは士官学校に進んだ連中のこと。
上記の資料にあるように「この四修については中学校側から何度となく反対の意思表明があったものの、廃止されることはなかった(吉野2001b・2004)。それどころか四修入学者の学業成績は中卒入学者よりも高いという統計まで出る結果となった(吉野2004)。」

今の80歳以上の世代で 四修 というとバリバリのキレ者です。
中曽根康弘
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9B%BD% …
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うちの父親は


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC% …

ここ。

No1の方が書かれているように、士官学校には旧制中学とかをでないとなりません。
当時(私の父親は昭和5年組)ですと、旧制中学に入るのもそれなりの資産がないと入れませんので貧乏人の小倅だった私の父は、軍国少年として基準が緩くなった上記の学校に進んでいます。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます!
なんとお父様が・・・。

というとお父様は少年飛行兵だったのですか?
実践経験はおありなのでしょうか。
どちらへいかれたのでしょうか?
東京陸軍航空学校は基準がゆるかったのですね。
なぜにゆるかったのでしょう。

補足日時:2011/06/11 15:21
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違います。



まず基本的に「兵隊」と言い方は兵卒を意味してういて、士官を意味しません。士官になるなら「軍人」というほうがいいです。軍人は職業軍人の意味です。

陸軍士官学校に入るには、陸軍幼年学校または旧制中学校を卒業する必要があります。

これは士官学校が現在の大学相当なわけですから当然です。旧制中学と幼年学校は現在の中高校に相当しますから。

士官学校に入るのは、もちろん自由選択です。士官学校は士官教育を受けるための学校です。強制というよりも、義務であるのは、徴兵検査であり、幼年学校や士官学校に入学する人は、徴兵免除されます。

陸軍士官学校は、体躯がよく成績優秀ならば、普通の学生が入学できます。学費は普通よりも安いですが、無料というわけではないので、全くの貧乏人はいけません。というか、昭和・大正・明治という時代には、貧乏人の教育は微々たる物で、貧乏のレベルが現在とは異なります。

お金持ちは官僚などを目指すので、旧制大学や私学のほうにいくことが多いと思いますが、士官学校もいくでしょう。人によります。

海軍の場合は、海軍兵学校が陸軍士官学校と同じものです。また通常の兵役や募兵の場合には、海軍を志願することはできます。

空軍がないのは、まだ飛行機の歴史が浅いからです。飛行機が軍につかわれるようになって日が浅いので、組織ができていないというだけです。陸海軍はそれぞれ航空兵力をもっていました。

この回答への補足

うわぁ博識な方だなぁ。
ご回答ありがとうございます!

士官(軍人)が兵卒(庶民?)を指揮していたのでしょうか?
赤紙がきて徴兵されて、
庶民たちが戦いにかりだされる場合、
軍人になる教育を受けてなければ、
なれるのは兵卒のみですよね?

あと、こういったこまかいことを調べられる
施設?資料館のようなものを
ご存知でしたら、教えていただけると
ありがたいです!

補足日時:2011/06/11 15:18
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