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子育ての本をよむと、否定語は使わない方がよいと書かれています。多くの本がそう書いてあります。

例えば、「走るな」と子どもに言うと、「走る」が脳に入り、良くない。
だから、「歩きなさい」と言うんだと。

しかし、「走るな」言えば、子どもは走りません。これ、効果があったのではないでしょうか。
脳は、否定形も捉えることができると思うのですが、
なぜ「歩きなさい」というほうが良いのか分かりません。

どなたか、教えてください。

A 回答 (6件)

「走るな」だけだと、「走る」事は止めるでしょう。



しかし、「走るな」だけだと、「走らずに、では、どうするの」という部分が分からない。

止まれば良いのか、歩けば良いのか、が分からない。

だから、「走るな」という「今現在の行動の停止を求める指示をする」のではなく、「歩きなさい」と「今取って欲しい行動を指示する」形で言いましょう…という話だと思います。これだと、「誰かに命じられたから、走るのを止めた」のではなく、「自分の意志で・自発的に、走るのを止めた」事になるという考え方もする様です。

脳が「否定形を理解出来る」のは当然です。しかし、そういう育児書の考え方は「子供を否定してはいけない」なのです。それが良い事か悪い事か、適切か不適切かは関係無く、「子供の自発的行動を否定してはいけない」という見地からの事なのです。

だから、恐らく「悪い事をした時」の対応としては、「…しちゃ駄目でしょ」ではなく、「○○(子供)…すると、お母さんは悲しいな」「…よりも~してくれた方がお母さんは嬉しいな」とか「○○が…すると、お友達が困っちゃうよね」「…するよりも~してあげた方がお友達も喜ぶよ」という感じに子供に伝えるのではなかろうかと。

但し、否定語・否定表現を全く使わない子育てが「本当に、子供の為になる」かどうかは分かりません。一長一短でしょう。

少なくとも、「打たれ弱い・弱過ぎる人」例えば、就職活動で不合格・不採用になった位で「自分を全否定された」とか、ただの忠告として「貴方は…という所が良くないよ」と言われた位で「傷付いた」とか言い出す人達を見掛けると、「子供の頃から、無闇やたらと褒められ、肯定だけされて来た、或る意味可哀想な人」の様に思えてしまいます。

そして、「…してね」といった「肯定的指示」ばかりで成長すると、「~しては駄目」と言われた時、「では、何をすれば良いのか」を考える癖がつかない可能性もあります。

或いは、「自分は、誰かに否定される言動は取った事が無い」という経験を積み重ねた結果、「自分の言動は全て正しい」という思考になってしまった人もいます。

又、世の中には「禁止」の概念(「…してはいけない」「…すべきではない」「…を固く禁ずる」等)が少なくありません。それを教える事を親が放棄している(親・子の関係の中で)・それを学ぶ機会を子供が失っている(理屈では無く、感覚で学ぶ機会)のであれば、「どうして…してはいけないの」「~なら(当人の勝手な理屈・理由)、…しても良い筈だ」とゴネる人達もあるでしょう。きちんと理由や理屈を説明して納得させる事が必要な場面はありますが、だからと言って「(世の中や自然の摂理、人間としての道義の上で)駄目なものは駄目」という躾を全くされていない人は、或る意味不幸です。


要は、「否定だけ」「肯定だけ」というのは駄目なのです。「否定語」を使う時には、「その場の行動を否定したのであって、子供自身を否定したのではない」事をしっかりと伝えれば良いし、「肯定語」を使う時には、「その場の行動を改めた事は褒め、先に取った行動は良くない」事をやはりしっかりと伝えれば良いのです。

子供の成長に合わせ、根気よく気長に、「どう言われても、適切・的確な判断が出来る人間に育てる」のが、親の務めでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
深い処で、答えていただいているような感じがします。
なるほどという思いになりました。
ありがとうございます。

お礼日時:2011/08/08 17:46

走るなはキツめに言うとき、歩きなさいは、普段の場面、など使い分けるといいと思います。


将来職場などで出会う人が、歩きなさいと言ってくれるタイプではないかもしれません。
どちらの言い方も大切です。
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この回答へのお礼

hakatakko2さん、ありがとうございました。
世の中は、否定形でいう人もいるし、様々ですね。
両方になれることも大切ですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/21 11:33

子供に“絵本”を読んであげたり、いろんな“お話”などをしてあげている時などは、子供は質問攻めをしてきますよね。



そうした場合に『肯定的でもなく・否定的でもなく』を親はすると思われます。感情移入し、自論的になることは避けると思われます。これがお年寄りの場合は“かわいそうね。”とか“これは悪い人・この人は良い人”などと決定付けてしまいがち・・・。(良し悪しはべつとして。)

拝読させてもらいそうした類の延長ものの様に感じました・・・。

>子育ての本をよむと、否定語は使わない方がよいと書かれています。

子供の『脳内』での思考を妨げることなく自分で考える力を育て身につけさせる。子供に訊かれても『・・・どうしてなんだろうねぇ・・・○○ちゃんはどう思う・・・。』と思考力(脳)と感情(心)、“リンク”されているものを均整のとれた方向性への意図も考慮されての事と思われます。

>、「走るな」言えば、子どもは走りません。これ、効果があったのではないでしょうか。
脳は、否定形も捉えることができると思うのですが、
なぜ「歩きなさい」というほうが良いのか分かりません。

それは相手がまだ子供だからではないですか。?
『否定』系ばかりだと“スポンジ”の様な吸収力の凄い柔らかい子供の『脳』は否定とする言葉が定着し、マイナス思考を生み出す恐れを懸念してのことではないでしょうか。

交感神経を阻害しては台無しです。好奇心旺盛なのが子供ですからそうした幅広い枠での“オピニオン”としたものではないでしょうか。

ピント外れでしたらごめんなさい。
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この回答へのお礼

strbegger-poさん、ありがとうございました。

子どもの脳に、否定的な言葉を入れるよりは、
もっと、広がる、思考を広げる言葉を入れるために、
「否定形」の言葉を使わない。

なるほど。
今まで、あまり出会わなかった考え方に、なるほどと思っています。
否定形だと、心も固まってしまいますから。

良い視点を示唆くださり、ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/21 11:42

う~ん…


その本の意図がやや不明ですね。
まぁ現在やっていることを否定するより、これからすべきことを命令するほうが、分かりやすいといえば分かりやすいですが…

でもとりあえず、親の意図が子どもにとって不明瞭な場合は「走るな」だけではダメだと思います。
つまり「走るな」と言ったあと、なぜ走ってはいけないのか、親が教えるなり、子どもが考えるなりをセットにして、結論として「(だから)歩きなさい」というのはアリだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。
「走るな」と言ったあと、なぜかを説明し、
「歩く」ことを進めると言うこと。
なるほど。
よく分かります。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/08/08 17:54

No.2です。

補足として。

アスペルガーや学習障害を持つ人には、「して欲しい行動を分かりやすく伝えないと理解出来ない」「抽象的な表現は理解しにくい」という特性があります。

例えば、「お鍋を見ていてね」とお願いすると、本当に「見ているだけ」で鍋の中身が焦げても気にしません。そこで、「何故火を止めてくれなかったの」と尋ねても、「だって、『鍋を見てて』と言われたから・『火を消して』とは言われなかったから」と本気で答えます。だから、「お鍋を見てて、10分経ったら(吹きこぼれてきたら、香ばしい匂いがしてきたら、等)火を止めてね」と、「して欲しい行動を分かりやすく明確に伝える」必要があります。

アスペルガーや学習障害の可能性を持った子供は増えています。軽度のものだと親も中々気が付きません(気がつくのが嫌で、敢えて不調を無視する親も存在しますが)。そんな場合、「…でなく、~しなさい」という含意で「…しちゃ駄目」と指示しても、子供は「…という行動」を止める事は出来ても、「~という行動」を取るには至りません。「明確には指示されていない」からです。

だから、万が一そういった子供である場合でも対応出来る、「~しなさい」(「走ってはいけない・歩かなくてはいけない場面」で、「走っては駄目」ではなく「歩きなさい」と言う)型の指示を良しとする育児書が増えたのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

補足もしていただき、ありがとうございます。
アスペルガーなど、方向性を指示する会話が必要であること、よく分かります。
よく理解できました。
ありがとうございます。

お礼日時:2011/08/08 17:50

「走るな」は否定ではなく命令形じゃないでしょうか?


否定形なら「走ってはいけません」とかになると思います。
(そんな事はどっちでも良いですか?)

本を読んだことがないので、言っている意味が、「走らせない方法(歩かせる方法)」という意味なのか、子供の育成に対しての話なのかが若干不明ですね。

「走らせない方法(歩かせる方法)」という意味で、言っているのであれば「走るな」という事によって「走る」という選択肢もできてしまうからではないですか?
「歩きなさい」なら「歩く」という選択肢になりますが・・・。
もちろん「走るな・走ってはいけない」という事で、(ダメなんだ。)という認識で言う事を聞く子供もいますが、「歩く・走る」という選択肢が出来ることによって、禁止されていてもそれをしたがる子供の方が多いですから・・・。

育成に対しての話であれば、「走るな」という事によって押さえつけになってしまうからかなぁ?と思いました。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
「走るな」ということで、相手の心を押さえつけてしまうから、なるほど。 

また、禁止されると、なお、やりたいという心の動きがあるから。そうか、なるほど。

ありがとうございます。
参考になります。

お礼日時:2011/08/08 17:37

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