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人間はそれぞれ異なる資質を持って生まれてきますが、それを自分で決めることはできません。
生まれ持ったものだけでなく環境によって性格が形成されていくと思いますが、その環境を決めることもできません。
人生に無数にある選択肢を自分の意思で選ぶことで自分を取り巻く環境を変えることは可能でしょう。
しかし、その『自分の意思』自体が生まれ持った資質と今までにおかれてきた環境によって形成されているのではないでしょうか。

「自分の性格は変えられる」というような話を聞くことがありますが、『性格を変えようとする自分』『こんな性格になりたいと思う自分』が既に『自分では決められない要因』によって形成されているのではないか、と思えるのです。

『どのような人間として』『どのような環境に』生まれてくるかを選べない、というより選びようがない以上、『自分がどんな人間になるか』を自分で決めることは絶対にできないということになるのでしょうか?

私の考えが正しいのなら悪人も善人も頭がいい人も力が強い人も頑張り屋も怠け者も『自分では決められない要因』によって結果的にそうなっただけということになります。

それとも、『自分では決められない要因』以外に自分の性格を形成する要素、言わば『本当の自分』のようなものは存在し得るのでしょうか?

A 回答 (9件)

『自分の性格を自分で形成することは可能か 』と云う事を不可能と答えた場合『運命論者』になると感じます。

全てを受け入れて自分の自由意志は働かないと云う事になります。

それでは、この人生が自分の思うようになると答えた場合、『自分の髪の毛一本でさえ、白くも黒くも出来ない』無能な人間の行く先が無くなってしまいます。

人間の性格は、環境か或は生まれ持った素質かという研究テーマに『一卵性双生児』の追跡調査の結果があります。ヨーロッパでの研究成果でしたが、方や並外れた優秀な法律家として、方や並外れた(優れた?)犯罪者として活躍していた人の研究が在ります。

この研究はの結果は『人並み以上の探究心』を素質として持たされていた事に有ると感じます。

と云う事は、無数にある選択肢の中から『何を選ぶのか?』という選択を各自が自由?に持っている事を顕していないでしょうか?

この限られた『命の世界』=『人生という枠の中で』始まりも終わりも自分では決められない世界の中で、人間には自由が在るのか、或は自由を勝ち取る事が出来るのかという、途方もない選択肢も存在する事を意味します。

全ては『その人の持ってうまれた生命力や、探究心や、洞察力』によって選択されていると感じます。

言葉を替えて言うなら『その人が望むように』選択をしている事になります。従って「自分の性格は変えられる」か?という問題に関して言うならば、その人が強く望むなら『望む方向の選択肢を選ぶ事』を意味します。

人間は望むと望まざるとを問わず、或は意識下であれ、無意識下であれ、その人が望む事を選択している事を意味します。

その選択の方向性から片や金持ちになったり、片や貧乏になったり、或は、片や幸福に包まれた人生を送れたり、方や不幸を背負う人生になる場合も存在しています。

この違いを見極める洞察力を持つ事が出来るのか?或は出来ないか?もその人本人が選択していると感じます。

つまるところ『自分の人生を切り開く事が出来る』という思考方法を持った場合には、自分の性格を変える事が出来て、全てを否定的に考えた場合、何も出来ないと思って生きた場合『性格は変える事が出来なくなってしまう』と云う事になると思います。

全ての選択肢はその人以外は変える事が出来ないと思います。

つまり各人の自由と責任は、各人が負う事を意味します。言葉を替えて言うなら『因果律』を全ての人が『体現している事』を意味します。

簡単な言い方をするなら、毎日の積み重ねの『枠の中でしか』人生は前に進んでいかないという意味になります。つまらない仕事の中にこそ『飛躍するチャンスが待っている事』を意味します。

竜が飛び立つ前は、川の水面下で地道な努力をしているという意味になるのでしょうか?

具体的な話をするなら、小心者で人にものを頼む事が出来ない人の性格が、仕事を重視した生き方の中で仕事に使命感を持てた場合、『言い難い事も』其の仕事における責任感において、『自分の心とは裏腹に』『誰でもが嫌がる嫌な事も平気で』いう場合等では、

その人の性格は同じでも、やっている事はかなり違って見えると思います。自分の感情に流されなくなった時点で、その人の性格が変わったように見えるかも知れません。毎日の繰り返しでその人の性格は同じでも、その成果には違いが出て来るかも知れません。

結論から言うなら、その人の価値観でその人の人生が左右される事もあるという意味です。『自分の感情に流されない行動が取れた場合』性格が変わったという印象を持たれる事になると云う事を意味します。

今何をするべきか?という場合『私情』を交えないでやる事が見えた場合、その事に周りの人が共感できる事に気が付いた場合、政治家なら、後世に名を残せる事を出来るかも知れません。

その動機が『保身』と云う事なら『首相下ろし』の対象になると思います。つまるところ『人は何の為に生きるのか』と云う事を把握出来ているのか、或は出来ていないのかが分かれ道になると思います。
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可能です。

しかし、急激に性格を変える(自分が決めた性格をすぐに性格に適用させる)ことはできません。それが原因で、貴方のように、性格の可変性を聞いてくる人も沢山います。

また、『自分で決められない要素』と、自分で決めつけてしまうというその行為は、性格という粘土を、こねて形を変える事ができるのに、自分で『自分ではこねる事ができない粘土』と言っているのと同じです。ただ、粘土をこねて自分の思い通りの形を作るのには、たゆまぬ精神力と努力が必要不可欠です。それと同じで性格も自分で思い通りに形成するには、その自分の形成したい性格を目指す努力と、強い精神力が必要です。




また『本当の自分』ということについてですが、勿論有ります。無ければ色々話したり考えたりなんてことは不可能です。要は、『本当の自分』である欲望の自分(野生)と、『客観的に見ている自分』(理性)との、意志の戦い?が脳内では、日々繰り広げられているのです。
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どの両親から生まれ来た可能性もあったはず、なぜ ビアフラでなく日本に生まれてきたのか? といった意識存在生成の謎を追いかけ始めると、全く 理解不能となっていってしまうと思いますが、



これは まだまだ教育機会均等が表面的で 深まってはいないことが、 自立や自律自体の形成にもそのへんの責任をしっかり教育者やその立場の人間がとりきれていないことからくる問題が大きいと思います。

落ちこぼれると それだけでも意欲を無くしてしまう因となります。 その因に負けない何かの因果を持った人はすでにいるでしょうけど、少数派と推理されるところです。

そうするとそれは経済的にもゆとりも無くしてしまう因にもなりますし、 それを改善する力もゆとりもうしなわれていきます。

どんどん こころにゆとりを失っていってしまい 何もやる気がうせてしまったりします。

もとが良心的な性格でも こうした因果の流れに ふと巻き込まれてしまえば 今の日本のような恵まれた状況でも その影響は巨大だったりするとおもいます。

しかし一度(ひとたび)、自律と自立のゆとりが 心に生まれただけで、 人には可能性というものがさまざまに生まれてきます。

性格も含めた さまざまな未来への改革を 過去の事例 過去の経験、体験 学習、その時までに得た技術などを 総合して 反省したり あしたへの意欲を燃やしたりして、  

時にはほんの少しづつかもしれなくても、  悪い性格の人も それを変えることも可能になってゆくはずです。

性格といっても 話べた 引っ込み思案、 逆に傲慢 積極的 八方美人とかいろいろあるでしょうが、 

それらを欠点とすれば 少しの気づきで長所に変えることは、その時点から可能となりますし、 長所を生かしてゆけば 欠点は どんどん消えていったりもします。

といったふうに 大きな視野から この問題をながめるなら、

それは やはり 経済も含めた 教育改革の実践の課題として 人類的には捉えられる問題と思われます。

『本当の自分』というふうに、抽象的に考えると 質問の意味合い自体が解らなくなってきてしまうのですが、

おっと時間がなくなってしまいましたので、 ここは略します。

ともかく、 一人では人間何も出来ないと思います。

でも 協力して 社会全体を変えてゆけば 大きなことができるようになり 自立と自由のパワーをかなり獲得してゆけるようになるかとおもいます。

すみません しりきれとんぽですが、
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この問題


「自由意志の有無」
の問題なので、私たちシロウトには水掛け論しかできません。
なので、
「真偽はともかく、ある、ない、どちらを信じる方が社会に有益か」
というプラグマティズムの問題に変換することを提案します。

そんなこんなで
「本当は『ない』けれど、『ある』と信じていないとチャンスをものにできない」
が有益そうで、
かつ真理っぽいかと。
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性差すら「女に生まれるのではない。

女になるのだ。」と哲女が答を出しています。

「自分で決められない性格」とは、例えば「臆病」のようなことでしょうか?

それでも「そんな自分が嫌だ!」と感じた時点で、アドレナリン沸出型への転機になります。
恐怖症だって頑張れば克服できるのだから、生まれ出た環境や遺伝子の範囲を超えることは可能ですよ。
超えられないと感じたのなら、それは努力不足の言い訳です。
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>自分の性格を自分で形成することは可能か



 完璧に可能です。

 限界を作っているのが自分だということに気づく必要があります。

 

 これにはあらゆる反論が可能ですよ。あなた次第。あなたに依存するんですよ。そこが限界。
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とても興味深い質問ですね!



個人的には、不可能な気がします。

なぜなら、人間の性格は結局、DNAと環境に操られ、
そのDNAと環境は何から出来ているか?
と言えば素粒子から出来ているからです。
では素粒子は何故あるのか?
と言えば宇宙が始まってしまったのが原因です。

この世の全ての原因は、宇宙の始まりによって生まれた素粒子が全ての原因であり、人間は素粒子の操り人形だと思うのです。

個人的には、極論を言えば、素粒子の現象である犯罪者も、素粒子の操り人形だから、本当は犯罪者に責任は一切無いようにも思えます。

人間が『何かで出来ている以上』自由意思なんて全く存在しないように思います。

本当の自由意思を持つ者は、宇宙の創造者か、または、自己原因によって存在している者だけではないでしょうか!
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こんにちは。



殆どの人は、自分の性格を変えることは不可能でしょう。
だから、宗教に嵌るのです。

しかし、御釈迦様を最初に、何人かの人は出来たと思います。
まづ、空の境地になることです。慈悲の心を持てば、
psaytexさんの言われるように、できると思います。

人間の細胞には、全治全能性があります。
空により、全治全能性にするのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E7%A5%9E% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%B7%A5% …
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その、元になる性格が;



1.自己中心的でなく、自己を客観視できる。

2.自尊心が過大でなく、フレキシビリティがある。

ならば、結果からのフィードバックにより、座っている
座布団を持ち上げてでも、ある程度飛べます。
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