介護に苦しむ人は多いですが、いろいろ考えることがあります。
私の親戚なのですが、嫁姑がうまくいっていない人たちがとても多いです。
あるお嫁さんは、「舅の面倒は見るけれど、姑の面倒は見ない」と言ったそうです(でも、それが事実かどうかは知りませんが)。介護が必要になった今、そのお姑さんは、通うには遠すぎるリハビリ施設に飛ばされています。しかも、痴呆で何も分からなくなっているので、お嫁さんは施設の人に任せっぱなしだろうね、と周囲は思っています。
私自身、祖父の在宅介護の経験がありますが、無償で介護をしなければならない人にとって、終わりのない介護は精神的に苦痛だと思います。身内ならまだしも、他人のお嫁さんは特に。だから、介護施設はありがたいものだと思います。
でも、その一方で、ふと『姨捨山(おばすて山)』という民話を思い出すことがあります。姨捨山は、その名のとおり、お婆さんを捨てる山です。『お年寄りは山に捨てるようにお触れを出していたお殿様が、最終的にお年寄りを大切にするように心を入れ替えた』というような心温まる内容です。
そこで、現代の介護施設は、介護をするのが嫌な家族にとっては、或いは、家族の迷惑になりたくないといって自分から施設を望むお年寄りにとっては、醜い『姨捨山』なのかな、と思うときがあります。
そう思うのは私だけでしょうか・・・?
A 回答 (13件中1~10件)
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No.2
- 回答日時:
はじめまして 二児の母です。
家族にも様々経緯があると思うのです。
親でありながらも親としての役割を果たさない人も居ますし、毒親って事もある。
そして現代においては 共働き家庭が増え、育児さえままならない、そんな状態で介護なんて出来る訳もなく、施設も商売ですからね、、、評判は大事ですし、手厚いと思います。
私自身 実親を引き取り暮らしてますが ボケたら面倒看れません。
共働きではない(扶養パートですので)ので 看ようと思えば看れるでしょうけど そこまでしたら 私の役目は出来ません。
私の役目は まずは 子供を育て上げる事です。
学生を脱出させて、社会人になり働ける様になる迄は 私の役目ですからね。
実親には昔から言ってます、、、悪いけどボケたら施設に入れるから、だからボケない様にしてね
って伝えてあります。
親も ボケちゃったら施設でいいよ、どうせボケていて分からないから。
って。。。
徘徊したら、、、暴力振るうとか あるじゃない?
水もオムツを気にして飲めないのも可哀想だし。。。
No.3
- 回答日時:
今は「嫁の世話にはなりたくない」「子供に頼りたくない」と、自ら介護付き住宅や、施設を望むご老人も増えてきました。
家で生涯を全うしたいひとには、言いくるめられて容れられるのは、不本意でしょう。
気持ち的には「捨てられた」と思うかも知れません。
容れる側も、世話をしたくないと思っているなら、ありがたい話でしょう。
でも、施設に容れるにはお金がかかりますよね。
介護保険で賄えればいいですけど、そうでないならかなり高額です。
手と愛情はかけられない分、それなりのお金を出さないといけないあたりは、姥捨山と似て非なるもの、と思います。
それに施設には、介護のプロがいますし、事実上の放置にはなりえません。
黙っていても三食用意され、入浴排泄気軽の世話をしてもらえます。
そういう意味では姥捨山に全くあたらないと思います。
もしかしたら、そういう風に批判されることが怖いのかもしれませんね。
でも、今は時代が違います。
利用できるなら、しっかり利用し、無理に自宅介護して虐待や無理心中にいたることを防ぐ大事なツールだと私は思います。
ただ、看護学生時代にいった施設では、ほとんど家族の面会のない痴呆の方はいらっしゃいました。
学生相手ににこにことたくさんお話くださる方です。
そういう方を見るのは、大変寂しい思いを抱きました。
ただ、それは私個人の感情で、目に見えた愛情表現はないけど、放置をしないことがその方の家族に出来る最大限のことなんだと、今は考えています。
No.4
- 回答日時:
私の知ってる施設はオシメをかえる時間が決まっていて(1日4回)
それ以外はかえません
ですからタイミングが悪いと排泄物が出てから数時間放置されます
食事の介助をしていて、痴呆の人がなかなか飲み込まなかったら
「嫌がらせをする気か」と怒鳴りつけながら
スプーンをカチャーンとお盆に叩きつけたりします
(怒鳴られた当人は理解できてないようですが同室の方が怯えてました)
他にもありますが…
コストの追求と3K仕事で
いやいや仕方なく働く人が多く質が悪い施設が多いです
中にはプロ意識が高く献身的な方も居ますが少ないです
質の悪さが姨捨山を連想させるのだと思います
同感しました。
うちの隣にも施設があるのですが、玄関口で施設の人の罵声が聞こえたときがあって、こわいっ!と思ったことがあります。
それから、本当にお世話したくて働いている人がいる反面、単にお金のためだけに嫌々働いている人も多いのは事実ですよね・・・。
そんな質の悪い場面を知ってしまっているから、姨捨山を連想してしまったのかもしれないですね!
御回答ありがとうございました。
No.5
- 回答日時:
介護は法律的には手厚く保護されてますし、介護の職員も大変ながら頑張っているのは事実です。
しかしながら、家族は姨捨山なんかよりもっとひどい、家によっては虐待や人間のクズ扱い、介護保険制度を使って厄介払いというのが現実でしょう。
介護保険の制度も、虐待や人間のクズ扱いにする家族に対しては保険を使えなくするような制度があればよいと思います。
もちろん、頑張っていらっしゃる職員には頭が上がりません。ひどい家族ですと、虐待や自殺や殺人まで起こりますものね。
御回答ありがとうございました。
No.6
- 回答日時:
介護施設はいろいろな種類のものがあります。
介護も金次第といったところで老人ホームも綺麗で過ごしやすそうな老人ホームから、汚くてほとんど老人を捨てるような場所の施設もあります。こればかりは実際に行ってみないとわかりません。
老いというのは誰しも平等にやってきますが、実際に介護施設をみなければ老いの恐ろしさはわかりません。
世話する家族がいればいいですが、面倒をみてくれる家族もおらず、お金もなければ、汚い老人施設に入れられてしまうのが結果です。
ホテルのような綺麗で過ごしやすい老人ホームへ入るにはそれなりのお金が必要です。
大半の人はそういった老人ホームへ入れないでしょう。世話する人がいて自宅でみてもらったほうがいいです。
確かに、施設といっても、すべてお金次第なのが現状ですよね。裕福でホテルのような豪華な施設に入ることができたら、姨捨山になんかなりませんね。
御回答ありがとうございました。
No.7
- 回答日時:
gdswxvk さんは、まだお若いのでしょうか?
私は、もうすぐ還暦の女性ですが、私の子供の頃には(田舎)各家庭に
屋敷牢がありました。
痴呆になった年寄や、徘徊をする年寄を、屋敷の庭の隅に作った牢屋に入れて
おくのです。
嫁さんも家族も、畑仕事で忙しいから、年寄がいくら おもらしをしたとしても
畑から帰ってからでないと、面倒や着替えはやってあげられませんでした。
食事も、朝 作ったものがそのまま置かれたままです。
衛生面の環境も悪かったので、蠅がたかるのも当たり前の時代でした。
そういう時代を、子供の頃に経験してますから介護施設は天国だと私は思っています。
介護施設では、ふかふかのお布団や食事も時間になれば食べられます。
おしめだって、一日中 つけっぱなし、、、ということはありません。
数時間すれば 替えてくれます。
姨捨山は、食事もありませんし、冬は暖房があるわけでもなし、本当に
「捨てられた」のです。
介護施設では、暖房やクーラーがあり、服も着た切りでなく、着替えもしてもらえます。
私からみれば、今の老人は、十分に恵まれてると思いますよ。
ちなみに子供時代は 福岡にいました。
私の両親は還暦よりちょっと上くらいの世代です。座敷牢は初耳でした。友達のおばあさんの場合、自宅の「離れ」に追いやられていましたが・・・。
姨捨山は、つい最近まで本当にあったのですね。
回答者様から見れば、施設に入ることの出来る高齢者は恵まれて映るのですね。視点を変えて考えることができました。
御回答ありがとうございました。
No.8
- 回答日時:
介護施設は姥捨山とは全く違うと思います。
身内の世話は受けられなくても、本当に捨てられるわけじゃないですから。
ご飯を食べさせてもらって、お風呂に入れてもらって、寝る所もあり、居る所がある。
何が辛いのですか?
もしかして、畳の部屋に親族勢揃いで看取られて、悲しまれながら、大往生できないことですか?
そんな人、今の日本にどんだけいるのか(?)疑問です。
『姨捨山(おばすて山)』という民話は知りませんが、本当のところは『楢山節考』のように、貧しさに食い扶持を減らす為、身内によって老人が捨てられていたのではないでしょうか。
もちろん、「捨てる」というのは、世話をしてくれる人のところに連れて行くわけじゃなく、何も無い所で餓死させて殺す為に。
身内が捨てたという罪悪感を消す為に、「殿様の命令で」という都合のいい民話が出来たんじゃないでしょうか?
もちろん、食事とお風呂と寝る所がある、という意味では、姨捨山とは違いますね。
何がつらいか・・・。人は老いると、家族から、厄介者扱いされてしまうところです。厄介者扱いしている人たちが、改心したお殿様のようになれればいいのにな・・と思います。
御回答ありがとうございました。
No.9
- 回答日時:
もし、介護施設を「姥捨て山」と見られるとするなら。
そこには重大な欠損があります。それは「山には人間がいない」ってことです。
良きにつけ悪しきにつけ、人は人との繋がりが無ければ生きて行くことは出来ません。
介護に関わる人が、また、その内容が、どのようなものであるにせよ、人が人と関わっての「介護」なのです。
十分な介護体制が出来ていない施設、人件費のやりくりに困って、そのツケが介護に回ってしまう施設…色々な施設があることは確かですが、そのような施設であってもそれは「姥捨て山」などではありません。
実情として、いろいろ不備な面が在る場合もあります…でも、よくよく考えていただきたい。
他者が面白半分に「遠い施設に送るから見放された」などというのは、施設関係者に対する冒涜ですよ。
施設関係者は「そんなことは」最初から考えてはいないし、そんな風に思いながらそもそも仕事なんて出来るわけが無い。
毎日の仕事を、ジレンマと戦いながらこなすのが精一杯であり、また、法の規制もあって(例えば身体拘束がどこまで許されるか)日々「アクシデント」を抱えながら、現場は戦っているのです。
>現代の介護施設は、介護をするのが嫌な家族にとっては、或いは、家族の迷惑になりたくないといって自分から施設を望むお年寄りにとっては、醜い『姨捨山』なのかな、と思うときがあります
介護をするのが嫌、というのは…「本音」を隠している人が圧倒的に多いからですよ。
だれだって、介護をするのは「大変」ですし、親兄弟であろうと下の世話をするのが快感という人はいないでしょう?。
実際は、自分に仕事があるから、子供の世話があるから、もしくは「遊びたい」から、介護をするのは嫌なんです。
しかも今は核家族の時代で、介護者の不満を聞き入れ、ともに苦しむ家族の存在が希薄です。
ゆえに「介護は嫌」というのは「当たり前」のはずなのに、みなさん本音を出さないんです。
それで「姥捨て」とは、可笑しな話です。
家族の世話になりたくない、なんてね、これもまた「嘘っぱち」ですよ。
本当は死ぬまで一緒に居たいのに「自分がいることで迷惑をかける」という思いが先立って、施設に行こうと思ってしまうんです。
「そこしかないんだ」とおもうから。
これもまた、施設側から言えば「悲しい話」に他ならないですよ。
施設を姥捨て山と同一視してるのは、実は「自分たちの後ろめたさ」からじゃないですか?。
そう思い込むことで、そういう風に伝聞されて行く…無責任極まりない話です。
日本の施設環境というのは、まだ欧米の「ものまね」にすぎません。
欧米のように、個々自立というものを生まれながらに考えねばいけない土地柄ではないのです。
中途半端さが現在のような「イメージからの施設感」を生み、それが伝聞されて行きます。
大事なのは、そういった「噂話」を話すという行為が恥ずべきことであり、無責任である、という自覚を個々持つことでしょう。
そして、どのような施設ならば遠方でも家族が安心できるか?ということを考え、提供して行くことです。
もちろん、政治の場には特に。
いずれにせよ、まだ途中なのですよ。
結論を今、不十分な知識のままで出してはいけません。
良いとか悪いとか、まだ、そんなレベルですらないのですから。
施設側の貴重な御意見ありがとうございました。
遠い施設に入れられてしまった私の身内ですが、市内にに何十件と施設があるのに、なんでわざわざそんな遠いところへ??と思っているのが本音です。
お嫁さんにとっては、憎い姑の顔を見る回数が減る理由になるので清々していると思いますが、私たち血の繋がっている身内にとっては、会いに行ってあげたくても、気軽に会いに行けないでいます。人も住んでいない細い曲がりくねった山道を延々と車で3時間の町です。
おばさん今頃どうしているだろうねって、親戚はみな心配しています。日本の施設は発展途上とのこと。できれば、目の届く範囲の、通えるような施設で考えていただきたいものです。よろしくお願い致します。
No.10
- 回答日時:
質問文を読ませて頂き感じる事は・・・
天涯孤独な方はどうなりますか?
自分の意思で、最後の幕引きをするのも自分では無いですか?
死後の扱いを書く事が、遺言であったり、エンディングノートで有ったり・・・
人が人をして、どう自分の最後をして欲しいかを、具体的に書き残します。
認知症が出て、譫妄レベルなら、グループホームへ入居する意思表示も不可能では無いですか?
意識クリアな段階に自分の末路を契約するシステムもあります、任意後見制度とか・・・
家族間で介護出来た昔は嫁がそれを担う立場でした、しかし少子高齢時代では、確実の家族がそれを引き受け出来ない事情など、自分の老後も自分で決める、それが介護保険で言う事業所との契約です。
昔の様な措置制度ではない分、介護も自分で取捨選択出来るなど、膨大な契約内容が理解出来ない分を、任意後見支援員と言う社会貢献で求める必要性も出て、司法書士・行政書士が代行したり(ビジネスになる部分も仕方がない)で、営利でする仕事にもなるのは、仕方が無いでは無いですか?
姨捨山は一定年齢の高齢者は世間の厄介者として、社会から葬る意味で捨てると言う藩の命令、仕方が無く親を捨てると言う事です。
今の介護は行き付く先は、ビジネスで解決する出来る分、自分の生き様を決められると言う権利も約束されます。
>現代の介護施設は、介護をするのが嫌な家族にとっては、或いは、家族の迷惑になりたくないといって自分から施設を望むお年寄りにとっては、醜い『姨捨山』なのかな、と思うときがあります。
それを決めるのは、高齢になった当事者です。
有料介護付き老人ホームに入る方も契約で入居します、家族ではない、当人がそれを希望するなら、捨てると言う意味は通じないでは無いですか?
家族のいない天涯孤独の人にとっては、姨捨山どころか天国ですね。当事者の高齢者が、施設で喜んでいると良いです。
御回答ありがとうございました。
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