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左翼はなぜ共産革命だの学生運動だの幼稚な事をやらかしたんですか?

A 回答 (4件)

原理的には理想的なシステムだからでしょう。

しかし、人間というものは必ず欲というものがあり、実際に中国も北朝鮮も、かつてのソ連も共産党員や一部の特権階級が権力を握って、日本以上の大きな格差が生まれ、本来保護されるべき人々がどんどん餓死しています。つまり最低限の生活保護さえ受けられないのが実情です。こうしたことを知っていてあえて、ごく一部の特権階級になりたいということで学生運動をした人も中にはいるでしょうが、多くの人々は机上の空論のような理想に躍らされて参加したでしょうし、さらには末期の学生運動のように、一種のファッションとして、軽い気持ちで参加した学生が多かったと思います。

この回答への補足

それは理想的には見えませんねぇ

補足日時:2011/11/14 23:28
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度々の回答失礼します。



226事件や幕末等の時代と戦後を比較して、戦後のほうがまだマシだから当時の学生運動なんてのは特殊だ、甘ったれだ、とおっしゃるのも、まあ分ります。

515,226事件は主に農業従事者出身の将校が首謀者だったそうですね。
当時の農村の悲惨さというものはなかなか筆舌に尽くしがたいものがあります。
仮に彼らが戦後の左派学生運動を見たら…まあ、逆に我が国も平和になったものだと感心してくれるかもしれませんね。

しかし、人間は主観的にしかモノを見れませんので時代背景を比較してどうこう、という議論は難しいものがあります。
仮に、当時の昭和維新に立ちあがった青年将校を、戦国時代の百姓が見たらどう思うでしょうか?
その議論が何の意味もなさないのと同様に、過去の歴史的な趨勢、異なる背景を比較しても有意な見解は得られないのではないでしょうか?

また、戦後という我らにとって非常に近い時代でさえ、我々には想像すら付かない一面があります。
当時の学生運動で扱われた時代にあった、労働者、期間工、高度成長期の農村、そして冷戦等、抑圧や社会不安が無かったと断言するのはやや危険でありましょう。
1970年代というのはオイルショック等も含め、世界的に極めて不安定な時代でもあります。核戦争のリスク、というのも難しい議論ですが、ある意味で物理的に見れば世界崩壊に関するリスクが極大に達した時代でもあります。

もちろん全てが「共産主義者」の陰謀で、ありもしないデマだ、という可能性もあるでしょう。
また、仮にあったとしても、そんなものは抑圧などと言えるものではない、という意見を持たれるのも自由かと思います。

非常に難しい問題ではあります。

誰も完璧な見解など持つことは出来ませんし、統一された価値観があるわけではありません。
だからこそ、無垢な若者による運動というのは、正しいか、正しくないかは抜きとしていつの時代にも発生するのではないでしょうかね。

この回答への補足

七十年代の状況は昭和不況とはまったく違います。極東情勢はまったく安定しています。
軍事クーデターで殺された大臣は殺されるくらいの事をしてしまっていますよ。

補足日時:2011/11/15 15:20
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1,当時の欧州は貧富の差が甚だしく


 労働者は貧困に苦しんでいました。
 そこで平等を求める社会主義思想が
 支持される基盤があったのです。

2,マルクスの理論が説得力があり
 多くの知的エリートが騙され
 ました。
 日本では今でも騙され続けているようですが。

3,そんで、資本主義がこぞって不況に喘ぐ
 なか、社会主義を採った国は、毎年めざましい
 経済成長を遂げていました。
 そう発表されていました。

4,こんな訳で、頭でっかちの知識人の多くが
 社会主義思想に被れ、世間知らずの学生が
 それに踊らされたのです。

5,蛇足ですが。
 当時の学生は、数も少なく、一応エリートと
 いう自覚があったのです。
 権力に逆らう元気もあったのです。

 今の学生は、都市部では大学へ進学する若者は
 50%を超えます。高卒の方が珍しいのです。
 こんな学生にエリート意識を持ち、大衆を引っ張る
 なんて考えを植え付けるのは無理です。
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そうですな。


共産革命はともかくとして、学生運動というのは様々な地域、歴史で見られる現象です。
かのイスラーム原理主義者のテロ組織「ターリバーン」も確か「学生連合」のような意味だったと聞いています。

わが国でも、たとえば226事件の青年将校や、さらにさかのぼれば討幕運動下の松下村塾塾生の活動など、要するにまだ世間慣れしていない若者が理念、理想に突き動かされて反社会的行動に訴える、というのは歴史上よく発生しています。

戦後の社会主義者による学生運動というものも、それらの活動の一つといえるでしょう。
幼稚といえば幼稚だったんでしょうが、現状を打破し変革をもたらすためにはこのような行動が必要となる場合があります。
まあ、わが国で見るならば、公害対策や戦争不参加等の個別のテーマに関しては一定の成果を上げつつも、一部の過激派の活動によって台無しにされた、といった感じでしょうな。

まあ、もっとも状況さえ許すのであれば、政治変革というものは、できる限りゆっくり行った方がよいのは当然なのですがね。

ところでkotiyaさん。
現在のわが国は非常に社会的に閉塞感があると思えますが、このような状況下で学生や青年が政治活動をすることを果たして幼稚と言い切ることはできるでしょうか?
いつの時代でも割を食うのは若者です。我が国は比較的言われるまま、という傾向が強いですが、声を上げ、不満をアピールすることは、たとえ直接的に何らかの成果を上げないにしても、民主主義という形式には必要だと思いますがいかがでしょう。

かつての学生運動というのは、多くの若者にとって、どちらかといえばそういったものだと思いますよ。

この回答への補足

226事件や倒幕運動はそれが起きる社会背景を持っています。
学生運動で共産革命なんてのはそれが起きるような社会背景を持っていないから特殊なんです。
私の指摘する学生運動とは戦後のものですが、日本が順調に経済成長をしていく中で抑圧なんてありません。

補足日時:2011/11/13 21:32
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