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孔子の言葉に朋有り遠方よりきたる、亦楽しからずや。
ってありますよね!?このことばから、どんなことを理解できればいいんですか!?
言葉の意味の解説もお願いします!!
作文でかかなきゃいけないんで!!

A 回答 (5件)

作文とは自分の意見を書くものでしょう。

他人の意見を書き写しても何もなりません。一方分からないことを聞くのは恥ではないとも思います。質問するなら何が分からないか、書きましょう。

さて,私ならどのように書くかを考えてみました。
1.著者、つまり孔子について
2.孔子のどのような著書の中に出て来るか。
3.原文『有朋自遠方来 不亦楽乎』を出します。
4.原文がどのようにして『朋有り遠方よりきたる、亦楽しからずや。』 と読めるか、漢文の文法/読み方を解説します。
5.出てきた漢字一つ一つの意味を調べます。私たちが通常使わない漢字もあるでしょう。
6.当時の社会背景を調べます。

こんなことを、年齢に応じた力で書けばよいと私は思います。
漢文の文法など習っていないと云わないことです。習っていないことは自分で勉強し、自分で考えればよいのです。

年齢に応じてと申しました。大学生なら、この原文を現代の中国語なら何と読むか、あるいは現代の中国人がどのように解釈するか、調べると面白いですよ。当時の発音、現代中国語の発音で、韻が踏んであるとか、色々あるでしょう。

何か発見出来ると愉快です。とにかく楽しく、勉強しましょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます(*^o^*)
参考にさせていただきました( ^ ^ )/□

お礼日時:2011/12/09 15:40

 


 再友記 ~ 学ぶだけか、訪ねるべきか、迎えられるか ~
 
── ウィトゲンシュタインを出迎えたケインズは、妻に宛てた手紙に
こう書いた。"Well, God has arrived. I met him on the 5.15 train."
(さて、神が到着した。5時15分の電車に乗ってきた神に私は会った)
 
 十六年ぶりに後輩を迎えた先輩に共感して、つぎのように模した。
 "Well, Tad has arrived. I met him on the 4.58 train."
(きみがカナダからカンヌを訪れ、田村君が三十七年ぶりに来てくれた)
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20080817 神々の友情 ~ God & Tad ~
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19290118 先知不読
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20071202 不亦君子乎 ~ 後輩を先輩が迎える ~
 
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この回答へのお礼

ありがとうございます(*^o^*)

お礼日時:2011/12/09 15:40

学問的には、後世の儒学者による注釈書を比較検討の上で、より説得力のある説に照らして解釈すべきです。

学而篇をキーワードにインターネット検索しても注釈(例、何晏)が見つかりますから試してみるといいでしょう。大学での課題なら、大学図書館蔵書から関連書を調べ上げるくらいは要求されているかもしれません。

中高生相手の漢文の授業での解釈ならば、学習参考書にあたるなり文庫本で論語を探すなり、ビジネス書の論語解説本を引くなりしても求める解釈レベルに適合するはずです。

就職や進学に必要な作文の場合は厄介ですが、学習参考書やビジネス書の解説と学問上支持されている注釈を対比して論じるだけの字数があればそれを書くと良いでしょう。
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この回答へのお礼

詳しく教えていただきありがとうございます(*^o^*)

お礼日時:2011/12/09 15:41

>朋有り遠方よりきたる、亦楽しからずや。



遠くからわざわざ自分を慕って訪ねてきてくれる友人がいる。なんと嬉しく、楽しいことではないかね。ということを言っているのでしょう。孔子が多くの人に慕われたことがうかがえます。ある高名な学者は
「朋有り」というところから、何人もの友人が並んでやってきた、と解釈しています。
昔の旅は今のように快適なものではなく、それこそ命をかけて行なった辛いものでした。そんな状況でも遠くからやってくる友人たちが存在したことは、孔子が当時よほどの人気があり、広く知られ、また慕われたことを物語っています。孔子は最近も中国で見直されていますが、やはり偉大な教師だったのでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます(*^o^*)

お礼日時:2011/12/09 15:41

 「友達が遠くから来て楽しいなあ」という言葉から孔子を理解しようとするのは。

「一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ」という言葉から宮澤賢治を理解しようとするようなものです。孔子は生存当時からのその知識の無さを疑われたり老子との対面の様子など、要するにたいした人物ではありませんでした(我々が孔子の言葉として目にするものも世俗的なものばかりです)が、この言葉に関してはURLにあるように「人が自分のことを知らなくても全く気にならない。そのような人こそ君子というものである」という結論を導く枕として、では自分は他人の評価ではなく何を求めているのかという一例を言っているわけです。宮澤賢治が「雨にも負けず」で一日の食料の量を報告したかったわけではない事と同じです。でも実際には孔子が求めていたのは立身出世で、それを自分が求めるほどは得られずに死にました。
http://homepage1.nifty.com/tosyo/rongo1.html

 ですからこの言葉で作文を書くためには、全体では何を言おうとした文章の中でこの文がどういう役割を果たしているかを説明する必要があります。
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この回答へのお礼

ありがとうございました( ^ ^ )/□

お礼日時:2011/12/09 15:41

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