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やりたいことや必要と感じたことはどんどんやってみるタイプです
人と接するのが異様に怖くなった事があり「このままじゃダメだ」と思いオフ会に進んで参加しました
クリスマスを盛り上げる為に学生のころはサンタの格好をしてクラスメイトや先生たちにプレゼントを配りあるきました
去年のクリスマスも友人を連れ出しサンタ姿で町に出向き通りすがりにプレゼントとしてうまい棒を配り歩きました
子供のころからずっと憧れだったヒッチハイクもやってみました

当時も楽しかったし友達と当時の話をすると盛り上がっていつまでもいい思い出として残っています
するとその話を聞いていた他の人に「アクティブだね」とか「行動的で羨ましい」と関心されます
ですがそう言われるのが不思議で仕方ありません
私はやりたいことをやってるだけで「勝手しすぎかな」とすら思う節もあります
それなのにどうして関心されたり羨ましがられたりするのですか?
やりたい事をやるって中々できなのでしょうか
何千万もする家や車がほしいとか、芸能界に入って大スターになるなどと比べれば簡単だと思うのですが

A 回答 (7件)

そうですね、すでに指摘されているようにポイントは2つあります。


ひとつは本当に単純に思った事を行動に移すのが苦手な人が羨ましがっている。
これはあまり多くないとは思いますが。

もうひとつは「他人のリアクションを気にせずに行動する事」を羨ましがっている。
多くはこちらだと思われます。
あまりストレートに言い過ぎると「わがまま」「自分勝手」「KY」と揶揄している様にも捉えられかねませんので、
「アクティブ」とか「行動的」という言葉に置換して表現するわけです。
あなたもそれは分かっているのではないでしょうか。挙げている例から見てもそう感じます。
一歩間違えば、というか間違わなくとも他人に笑われそうな事をやる、というのは、
お金や地位、名声とは全く違うベクトルの話です。気持ちの問題ですからね。

あなた自身、例えばクリスマスになると街へサンタの格好で出て行ってお菓子を配るのが当たり前(3人に1人はやってる)という世界だったらやらなかったのではないでしょうか?
普通の人はこんな事はちょっとやらないよな、と思う事ほど面白いと思ってたりしません?

そう考えると仰るほど不思議な事ではない様に思うのですが。
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 はじめましてこんばんは。

 40代始めの独身女です。
 私も、やりたいことや必要と感じたことはどんどんやってみる方かな。
 高校時代までは全然と言っていいほど、自発的に何かをすると言うことはなかったの
ですが、都内の大学に行ってからは変わりましたね。
 
 そう書くと、田舎はダメなのか悪いのかとムキになって喧嘩腰に反論してくれる方も
時々いらっしゃいますが、要は 『自分を取り巻く環境』 ですよね。
 日本中から (北海道から九州まで) 地元にはいないようなキャラを持つ学生が集まって
来るので、地元では当たり前とされていた価値観がいかに狭隘で非建設的で無意味な
ことなのかを身をもって教えられました。

 ものすごくアクティブで、私を学生同士の交流に勧誘してくれる同年代の学生達。
 地方にはない文化や遊びやサービスや商品や世界観があふれている大都会。
 さまざまな価値観が自由に共存することが許される、懐の大きな大都会。

 そう言う環境にしばらく身をおいていると、自分の意識が変貌して行くのが判るんです。
 『やりたい事があるが、旧態依然で石頭的な “井の中の蛙” 的な価値観に取り囲まれて
いるが為に、むやみに批判を恐れたり勇気が出なかったりで、やりたい事ができない自分』
⇒ 『体力や気力や意欲にまかせて、世の中にある物はとにかく興味を持って手を出して
みよう』 と言う風に。

 あ、犯罪行為に手を出しちゃだめですけどー (笑)。

>何千万もする家や車がほしいとか、芸能界に入って大スターになるなどと比べれば簡単だと思うのですが
 確かに何千万円もする品物を手にすることや芸能界入りすることは、よっぽどの勇気
と肝っ玉と度胸がないと無理でしょう。  (私にも無理…なはははは)

 ですが、そう言った大それたことではなく日常の生活範囲内で出来る事であろうとも、
勇気のない人、周りの目を気にする人、気取っている人には、(やりたい事を) やるって
中々できないものだと思いますよ。

 そのような 『がんじがらめの価値観に罠のごとく囚われ、呪縛されている人たち』や
『気が小さくて勇気がない人たち』 の目には、質問者様がすごく羨ましく見えるのだと
思いますよ。 

羨ましいと言うか一種のやっかみですかね、嫉妬と言うか。

 『囚われや呪縛がない』 『むやみに臆することのない』自分って幸せだー、と、幸福感を
かみしめましょうよ。

 人様に迷惑をかけているかも知れないと言う不安がないのであれば、“勝手しすぎかな”
だなんて思う必要なんてないですよー。
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 アクティブですね。

私もやれと言われたらやるタイプです。男性ですが家で料理などもしております。

 まず新しい事に挑戦する勇気というか自信が無い人は多い。これは失敗などで叱られたなどのマイナスのイメージを伴うからです。無難にすごしたいという気持ちの人は圧倒的に多いです。
 好奇心旺盛な人であれば、苦痛でも楽しみ方を心得ているのですが、多くの人は苦痛を感じた段階で終わりです。

 ちなみに私は以前は積極的でもなかったですが、父親となり色々と行事などに参加し、それなりに面白さも見えてきたので結構いろいろと関わっていますよ。

 
 普通は目先のリスクを考えてしまう。それによって自分が不利な状態になるのが嫌。だから行動しない。これが今あるネットでの状態も同様なんですね。自分に痛みが伴わない方法を探っているんですよ。
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やらない人には、選択肢に優先順位をすばやく付けられる明朗会計の単純さが、うらやましく写ります。



「〇〇すれば?」という提案に即座にいいわけが立つ人が多いものです。

時間がない、お金がない、やった事ない、知り合いがいない、できる人はいいけどね、子供がいるから、英語できないし、旦那に聞いてみないと、体が持たない、等。

そしてすべてやりたい事も後回しにして、何もせずに一生を終えるのです。

合掌。

一度死にかけたらわかる事。今やらなければ、いつできるかわからない。

お金使えばいーじゃん、時間使えばいーじゃん、子供を後回しにすればいーじゃん(時間限定)、仕事を辞めればいーじゃん、プロになれなくても趣味を極めればいーじゃん、配偶者(両親)を説き伏せればいーじゃん。

結果はどうであれ、経験を積む事は自宅と学校(職場)の往復の経験を越えます。失敗も経験のうち。自転車でコケルのがこわくてオートバイに乗れるか。訓練で克服出来るから、世の中にはシャイばかりではなくなる。

英語の上達法は日本人のいない環境に身を置く事。他の日本人が見ていると思うと緊張するのです。見栄と世間体が突然自分の防御壁を立てます。では、新しい事に挑戦する時は知り合いのいない場所を選ぶ事。

ボランティアで募金運動で街頭に立つのも、隣町なら知り合いは少ないので、声を張り上げてがんばれます。

ねえ、そうですよね。私も好きな事を好き勝手にして来た方なので、皆のいい訳(病気を除く)が腹立たしいです。できないのはしないからだ、と思います。

トップになれなければ失敗だ、という受験戦争のルールがエリート諸君の足を引っ張っているようでもあります。

ダンスだって音楽だって、まずは楽しむ。好きなら上達する。好きなら次々と積極的にレベルアップができる。

私は庶民ですがスキーに行くのが好きです。オーストラリアのように雪の降らない国でスキーに行くのは富裕層が多く、チェアリフトに乗って話をする人達に成功した事業主が多いので納得出来ます。この人達はハイリスク・ハイリターンが好きで絶壁でも滑りますから。

つまり、度胸?
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そもそも、自分がやりたい事がはっきりしていない人がほとんどでしょう。


弁護士になりたい、資格を取りたい、ボランティアをやりたい、あの人と結婚したい。明確な目的があれば、そこにたどり着くまでの道程もはっきりするので、行動を起こせます。
しかし、大衆は計画を立てず、行き当たりばったりで行動をしています。

「いずれは富士山に登りたい」
「できれば大金持ちになりたい」
「芸能界に入れるものなら入ってみたい」
「楽しい気分に浸りたい」
「幸せになりたい」

時々、頭にぼんやりと浮かべる事はありますが、それっきりで計画を立てようともしません。優しい言い方をすれば「欲が少ない」ので、「ぼんやりとした望み」から「明確な目的」へ昇華することがないのです。考えるのが面倒なだけとも言えます。




震災直後は多くの人が献血に行ったそうです。
震災というきっかけがあり、「人助けをしたい」という明確な目的ができて、ようやく動き出した人達です。
震災がなくても、「献血をした方が良い」ぐらいの事は普段から考えていたかもしれません。しかし、具体性(いつ行くのか、献血ルームは何処か)がなく、受け身なので、きっかけができるまでは「目的」とならず、昨日と同じ日と漫然と過ごしていたのでしょう。
震災の報道が収まった今、きっかけがなくなり、献血に通う人も激減しました。
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例えば私なんかは 知らない人にでも 握手を求める時あるし、ハグしたくなる時もあります‥。



私も親友と質問者様と同じ様な会話をしました‥。その中で 親友は知らない人とは握手はできない、ハグできない‥と答えました。理由を聞くと こちらから相手に求めたとして‥拒絶されるのが怖いからだそうです。だから自分からアクションをする事に抵抗があって 後々の事を想像して こっちからは握手を求めた事ないしハグもできないそうです。

私は海外に住んでた事があるから 見慣れた光景で違和感もなくできますけど やはりそうでない方や 相手に心を開けないというか 防御策で一線を引いておきたくなるのでしょう。

‥関心されたり羨ましがられたりするのですか?
*表現力なんだと思うんです。海外での経験で 物凄くそれを感じました。日本人は心に思う事が一杯あっても その思いを表に表さない部分があるし、言葉も少ないですよね?海外では 表現しないと読み取ってもらえず それはマイナスなんです。恋人同士でも 貴方を好きという表現はそのつど求められる‥というか。それが当たり前の人にとっては 表現がないという事自体が 意味不明ですから、結局どれもこれも心の中にある思いを表に出せるか出せないかの違いだと思います。

羨ましいのは 自分でも本当はそうしてみたいって 心の中では思っているからでしょうね。だけど それを表現できない。
日本人にはよくある事ですね。

私は気が合いそうな人とか その人の素晴らしい部分を発見した時なんかは すかさず 握手したいし ハグしたくなって 心の中の思いを表現できますが 無理な人もいますよ。
私自身は それを表現できる自分が大好きです。回りから何を言われようが これぞ私‥親友はやはり羨ましいって言いますね。なら、やってみ~?ってお薦めしています。
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こんばんは。


>やりたい事をやるって中々できないのでしょうか

 結論から書けば、
『他人の目を気にしてしまう』からではないでしょうか?

 「やってみたいんだけど、こんなことしていたら、変な目で見られるかなぁ」とか。

 
岡本太郎画伯のお言葉に、
 「子供の頃は、みんな天才だ。ところが、大人になるにつれて、他人の目を気にするようになり、つまらない絵を描くようになる」
 というのが、あります。

 家や車。芸能人。どれも、ストレスの源となるものばかり。

質問者様が、やりたいことをやれるのは、
>人と接するのが異様に怖くなった事があり「このままじゃダメだ」と思い

 これかと思います。

私と同じく、人と接するのが怖くなったら、「今、考えていることは、おかしい」と、気付くからではないでしょうか?

  自分に正直に生きている、というか。

「このままじゃダメだ」という“危機感”は、非常に大事かと思います。


 家や車は、あくまで「道具」
しかも、他人(今では、ロボット)が造ったものに過ぎません。
 自分が創ったものではないです。


ところが、どうしたわけか、自分よりも道具とかを大事にしてしまう“あべこべの人”が多いようです。

 わざわざ、自分を「型にはめてしまう」というか・・・。


  いつの時代でも、やる人はやるし、やらない人は「どーせ」と、やらないのでしょう。(多分・・


  問題も答えも、実は、自分の内側にある・・・。
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