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太平洋戦争を考える度、日本は随分無謀なことをしたものだと思います。 確かに、アメリカにハルノートを突きつけられ、止む無く戦争を開始したそうですが、 日本の勝算、また最悪のシナリオ(東郷7だけでなく天皇も処刑され、日本が分割統治される)を考えれば、無謀としか言いようがありません。
もし、東郷が信長や秀吉でも開戦していたかもしれませんが、家康だったら思いとどまったと思います。

A 回答 (15件中1~10件)

戦国時代の武将だったら、よほどのぼんくらで無い限り誰も開戦などしなかったでしょう。

「信長や秀吉でも開戦していたかも・・」と言うのはあまりに失礼では・・。彼らは戦のプロですよ。負ける闘いは絶対にしませんし、あらん限りの方策を使って勝つことを考えます。秀吉はもちろんのこと信長でも、どんな辛酸をなめつくしてでも、まずはアメリカを懐柔することに努めたと思います。自分達のプライドのことなど構ってられません。

太平洋戦争を回避できなかった最大の原因は、明治の頃のように「戦争で負けたら国が滅びるんだ」と言うことを実感として理解している政治家・軍人が決定的に欠けていたことだと思います。日露戦争の頃までは、たとえ全国民から憎まれても、政府はロシアと講和して実利を得ると言う方策を取ることができました。それがノモンハンのあたりから、国としての骨格が固まって余裕が生まれたからか、安易な戦いをするようになっていったと思います。

太平洋戦争開戦の時でも、山本五十六のように「戦争をしたら負けるだろう」と言う予想ができていた軍人や政治家はまだ結構居たと思いますが、「戦争に負けるとはどういうことなのか」についてまでは実感が伴っていなかったのではないでしょうか。そこの実感があれば、万難を排してでも開戦をやめさせようとしたでしょう。そういう動きにならなかったのは、開戦反対派も含めて全員が「負けることの怖さ」を忘れてしまっていたからだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

伊達政宗のような野心家でさえ、秀吉や家康の無茶な要求を呑まざるを得ませんでしたからね・

お礼日時:2011/12/10 11:22

 日本の側の責任は、日清・日露に勝利して、敵国を甘く見下していたのが敗戦の理由です。

ただ戦争回避の選択肢はなかったように思います。もし選択肢があと一つあるとすれば、米ソいずれかの侵略を受けて、属国になることです。しかし、これを選択肢に入れてはいけません。

 米英などアングロサクソン人は戦争を経済活動だと考えています。竜馬の時代、対立する双方に武器を売って銭儲けをする英国人の発想に気が付かなければいけません。日本が大陸で得た利権を手放すように迫ったのは、平和主義の正義感からではありません。米国は武器が売れると思えば、朝鮮半島、ベトナムなど、必ず一枚噛んできます。湾岸・イラクの両戦争でも石油利権を露骨に獲得しています。世界最大の貪欲国家です。黒船で日本に来たのは、日本を植民地にするつもりであったと考えるのが自然です。

 一方日本は、ソ連の脅威から我が身を守るために、満州で必死に食い止めようとしていました。条約を一方的に破棄して侵攻し、さらに終戦後にも北方領土に攻撃をしかけ、今だに不法占拠を続けている現状から考えると、大戦中に満州を突破されていたら、日本の本土はその時壊滅していたと思われます。ソ連・ロシアもその後プラハ、アフガン、チェチェンなど、次々と侵略行為を働く野蛮国家です。

 こんな二国に挟み撃ちにされたら、日本はもう真珠湾を攻撃するより手がなかったと思います。ルーズベルトとスターリンの策略にはめられたのです。

 ハルノートに従えば、上に述べたようにソ連の侵略を受けて、日本は「ヤポニツ共和国」、首都は「トキオノフスク」とでもなっていたでしょう。それを食い止めたのは(1)米国が自国の平和主義を装うために敷いた戦後政策を、日本が受け入れたことと、(2)大東亜共栄圏で各国の独立を目指していた、日本の精神が後の世界に認められるようになり、植民地を開放する動きが起こったこと、があります。
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失礼致します。

少し私見を述べさせていただきます。
残念ながら1941年当時の情勢では、誰が首相を務めていても戦争回避は不可能だったと考えます。
大部分の国民は戦争に反対せず(すでに中国と戦争状態)、外交は国益をもたらす成果を出せず(対米・対中外交の失敗)、政治は混沌迷走状態(統帥権問題で軍部の統制ができない等)、軍部はその面子からも組織防衛の意味からも中国・満州から足抜けできない。経済も満蒙地帯を明け渡すには投資をしすぎている。
さらに同盟国ドイツが破竹の勢いで欧州を飲み込んでいました。
これだけお膳立てをそろえられては、一個人の決断で開戦を阻止できないのも仕方ないと思われます。

あと、重要と思われることは、当時の多くの人たちは、対米開戦と外交的敗北の損得で開戦を選んだということです。大陸を血に染めてまで手に入れた利益を、米国の圧力で失うのなら、いっそ戦争に訴えたほうが失うものが少ないと考えた人が上は軍や政府、下は国民階層まで多くいたのです(その背景には軍部に対する絶大な信頼があったのでしょうが)。
それに質問者様の仰る「最悪のシナリオ(東郷7だけでなく天皇も処刑され、日本が分割統治される)」を予言できる人はいなかったと思われます。原爆はまだ一般にその脅威が知られる存在では(実物がないのです)ありませんでしたし、海の戦いは大鑑巨砲主義全盛です。日本は島国ですから空爆の心配もない。そして当時の大多数の国民は無敵皇軍を信じきっています。これでは負けたあとを考えて開戦をふみと止まる要素がほとんど見当たりません。

つまり、当時の日本には私たちが歴史として知る事実に思い至る情報も土壌も空気もなく、対米開戦に踏み切る道しか見えていなかったと、私は考えます。

以上、愚考ですが何らかの参考になれば幸いと存じます。
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追伸です…。



まず、天皇陛下の処刑ですが、これが最悪…という根拠はなんでしょう?
国体の維持!と言いますが、現時点でも皇位継承権についてはかなりの問題がありますよね。
そういう禍根を断つ!っていう意味では、最悪!とまでは言えないですよね。
(私は個人的には天皇制の維持は賛成です。訳のわからないどこの馬の骨かわからないような首相が日本の国民代表で他国に行って恥をかくより、象徴としての天皇の方がカッコイイと思いますから。)

>日本が分割統治される
これについては、ヤルタ会談があるので、ソ連(当時)が北海道や東北まで手を出してきたら、アメリカ(西側諸国)は問題視して相当揉めたでしょうね…おそらくは、それが遠因となって第3時世界大戦は発ししていたかもしれないです。
(日本の分割統治が原因ではなく、その後の東西の対立に多大な影響を及ぼしたはずでしょうね…ソ連が日本の切り取りをしたことで、西側諸国のソ連不信は極端に高まったはずですから…。)

もちろん、今の日本の有り様は、太平洋戦争の敗戦後、様々な「幸運」によるところではあるとおもいます。
その視点からかんがえると、無謀ではありました。
ただ、逆に言えば、太平洋戦争がなく、いまも大日本帝国の環境であったとしたら、今の日本の繁栄があったのか?は私は疑問に思います。

また、西ドイツの状況をかんがみると、たとえ分割統治されたとしても、それが日本の最悪の不幸!とまで断言できたかどうか…は判断しかねます。
事実、第二次世界大戦の事後処理として分割された東西のドイツは合併していますし…。
最悪の分割統治について、南北朝鮮のことをイメージされているのであれば、あれは第二次世界大戦が原因ではなく、朝鮮戦争での中国の干渉がその元凶であると思っていますし、太平洋戦争直後は現中国は日本の分割統治に口をだせる状況ではなかったわけですから、最悪のシナリオの想定(天皇制廃止と分割統治)は元からなかったのではないかと思われます。
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>家康だったら思いとどまったと思います。


…むりでしょうね。

日本は、アメリカと戦争したかったのでは無いと…。
当時、大日本帝国は中国に進出(侵略?)していまして、それが面白くなかったアメリカが、日中関係に割り込んできた!って見方だってできませんか?
つまり、日本がアメリカと戦争したかったのではなく、アメリカの方が日本と戦争に対して積極的だったと。
アメリカと戦争をしないためには、日本が得たアジア圏での利益を捨て去らないとならない!とかじゃなかったでしたっけ?

…さらにさかのぼって、なぜ、日本はアジアに進出していったのか?
それは、秀吉が朝鮮に出兵したのとはぜんぜん違う理由であって、一部政治指導者の野心ではなく、その時代の国内経済&国際事情が大きかったのではないでしょうか?
たんに、先進諸国が植民地政策をしているので、大日本帝国も「真似しなきゃ!」って単純な発送ではないでしょう。
(もちろん、真似しなきゃ!って意識もあったんでしょうけれど、それだけでは済まない事情はあると思います。)

日米開戦を回避するためには、第一次世界大戦終了の後あたりから日本の歴史の舵取りをやり直さなければならないのではないかと思います。
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日本は明治以降



早期決戦で敵国に痛撃を与え、自国に有利な状況で講和に持ち込む

という戦略をとってきました。

なのでそこに勝機を見出していたのかもしれません。
そしてそれは無謀なことではないように思います。
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当時の日本は中央政府が軍隊を統制できない異常な国だったので、日米開戦の回避はまず無理。



交渉を限界まで粘って、日本側が中国の主要な地域以外のいくつかの土地から撤兵することと引き換えに米国側が禁輸措置などを解除した上に不可侵条約を結ぶところまで持っていけたと仮定する。
(米国側は中国の権益が守りたかった/欲しかったのだから、全く撤兵を含まない条件はありえない)
しかし日本には「統帥権の独立」というものがあって、中央政府に現地の軍隊に撤退を強制する能力が無いので、交渉条件を守れない。
日本側が条件を守らないのなら米国側が守る義理も無いので、状況は史実とさほど変わらない。
そうなると結局は日米開戦ということになっただろう。

個人的な意見だが、政権をとるための道具として「統帥権の独立」なんて言い出した連中が政権をとった段階から、日本はすでに詰んでいたんじゃないかと思う。
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聞いた話では、アメリカ軍が日本を挑発して、太平洋戦争に至ったそうです。

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#6です。



追記。

米国の戦争の歴史をみると面白いことが判ります。

例えば、メキシコとの戦争です。
まずアラモで味方を全滅させ、国民の士気を煽りました。

スペインとの戦争では、米国の艦船が原因不明の
沈没です。これで国民はやる気になりました。

第一次大戦では、ドイツのUボートが米国の船を
撃沈しました。
これが米国参戦の口実になりました。

ベトナム戦争ではトンキン湾事件が発生しました。
これは米国のやらせであることが判明しています。

そして、日本は真珠湾攻撃です。

湾岸戦争では、米国は介入しないとの密約を
イラクとの間に締結していましたが、いざイラクが
クエートを侵略したら、無視して参戦しました。
イラクが密約の存在を提示したのですが、米国は否定。
しかし、
密約したとされる、米国女性大使は、以後公式の場には一切出席
しなくなりました。

米国は大衆民主主義の国です。
戦争をやるためには、国民の士気を煽る必要が
あります。

日本が戦争を回避しようとして、いいなりになっても
トンキン湾事件のような事件を引き起こして、
戦争に引きずりこんだ可能性が高いと思います。
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不可能ではないかも知れませんが難しかった


でしょうね。

米国は、どうしても戦争をしたかったのです。

あの大不況の結果、株価は1/10に、GDP
は半分に、失業率は30%近くに達しました。
そして、背後には社会主義革命の足音が迫って
います。

米国はニューデール政策などをやりましたが、
効果はさっぱりです。
この経済危機を回避する為には、戦争はどうしても
必要だったのだと思います。

あの戦争のお陰で、米国経済は見事復活しました。

米国が戦争をしたかったけど、相手国にはその気は
なかった、というと、近年ではイラク戦争を
彷彿させます。

米国は大量破壊兵器を口実にイラクを侵略しました。
勿論本当の理由は石油利権です。
片方が、やる気満々の時に、戦争を回避する、という
のは非常に困難です。

日本が回避するとなると、米国の属国になる他道は無かった
と思います。
今だって属国みたいなものですが。
要するに、戦って敗れるか、戦わないで敗れるか、の
違いでしょう。

米国独立戦争の時。
「我々は戦わずして降伏するようなことはしない」
と宣言したのと同じじゃないですか。
民族の気概でしょう。

あのような要求を突きつけられたら、モナコのような
小国でも銃を持って立ち上がったであろう。
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