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先日ローマ法王が和解を目指しギリシア正教の最高指導者と会いました。
カトリックと正教は1054年に分裂が決定的になったということですが、
この年に何があったのですか?
資料をひっくり返しているのですが、分裂を決定付けたできごとについての
記述が見当たりません。

もう一つ。前から気になっていたのですが、ローマ法王のことを教皇とも言います。
正式には「教皇」のようですが、なぜ2種類の呼び名があるのですか?
辞書によると、「法王」は仏教から来た言葉のようですが。

A 回答 (3件)

 手もとのコンサイス世界年表にも1054年の条に「教皇レオ9世がコンスタンチノーブル教会を破門、総主教ミカエルと争う、東西両教会との決定的な分離」となっています。

「法王」と「教皇」はほとんど同じ意味ですが、
http://homepage2.nifty.com/Etna/church/hajimetek …
 には、教会では「教皇」と呼ぶとなっています。

参考URL:http://plaza15.mbn.or.jp/~fnagaya/Nenpyou.htm
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この回答へのお礼

レオ9世は聞いたことがあるかもしれません。
ミカエルのほうは記憶にないですね。
たぶん初耳です。情報ありがとうございました。

お礼日時:2001/05/08 19:54

今百科事典を見たのですが、双方の破門の前に色々と対立面(教義や教会慣行など)があったのですが、


「…かくして1054年、ささいな事件から破門状をお互い突きつけ…」
とあるので、あんまりそこは重要じゃないのかも。

あ、コンスタンティノープル総主教ミハエル・ケルラリオスの項に
「ローマ教皇レオ9世から派遣されたフンベルトゥスとハギア・ソフィア教会で論争の末、破門状を投げ合った」
とありました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
確かに1054年以前の摩擦については記述を見かけるのですが、
1054年の出来事のほうはあまりとりあげられないようですね。

お礼日時:2001/05/08 19:59

ローマカトリックと東方教会(ギリシャ正教・ロシア正教)の分裂については、参考URLに説明がありますのでご覧下さい。



教皇と法王については私見ですが、日本史の後白河法王などの仏教用語から来ているのだと思います。
ちなみにカトリック教会では、教皇「聖下」と呼ぶ事もあるらしいです。君主に対する「陛下」、王族に対する「殿下」、将軍や大臣に対する「閣下」のような物でしょうか。

参考URL:http://www5b.biglobe.ne.jp/~chfujimi/1054-breaku …

この回答への補足

都合によりこの質問を締め切ることになりました。
回答をお寄せいただいた皆様ありがとうございました。

補足日時:2001/09/30 17:47
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「法王」はやはり仏教用語ですか。
とするとどこからなぜ「教皇」という言葉が持ち込まれたのか
やはり謎ですね。

東西の教会の分裂の件については一応これにて解決としたいと思います。

お礼日時:2001/07/28 05:23

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