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キリストと仏陀がどうして自分の思想を他人に説くのかと聞かれた時の答えについての質問です。

キリストが聖書の中で確か悪魔(違うかもしれません)に、お前はどうして自分の教えを自分の中だけで正しいと思っていればいいのにわざわざ他人に広めようとするのか、と問われる場面があり、 

一方、似たように仏陀も村人だったかにどうしてあなたは悟りというものを他人に教えて説くんですか、自分だけで悟っていればいいんじゃないですか、みたいな事を言われていたように思います。  

この後の返答が微妙だったようなのですが、どのように答えたのか原文を読みたいと思っています。キリストの場合、聖書のどこに書いてあるのでしょう。 仏陀の場合はどの文献に書いてあるのでしょう。 

よろしくお願いします。

A 回答 (10件)

>どのように答えたのか原文を読みたいと思っています。

キリストの場合、聖書のどこに書いてあるのでしょう。

   確かにイエス・キリストが悪魔に直接誘惑された場面が聖書のマタイ4章、ルカ4章などに記されています。以下にマタイ4:1-11を引用します。

   1それからイエスは,悪魔の誘惑を受けるため,霊によって荒野へ導かれた。 2 四十日四十夜断食したのちに,[イエス]は飢えを感じられた。 3 さらに,誘惑者が来て,彼にこう言った。「あなたが神の子であるなら,これらの石に,パンになるように命じなさい」。 4 しかし[イエス]は答えて言われた,「『人は,パンだけによらず,エホバの口から出るすべてのことばによって生きなければならない』と書いてあります」。

   5 ついで悪魔は彼を聖都の中に連れて行き,神殿の胸壁の上に立たせて, 6 こう言った。「あなたが神の子であるなら,身を下に投じなさい。『[神]はあなたに関してご自分の使いたちに指図を与え,彼らはその手に載せてあなたを運び,あなたが石に足を打ちつけることのないようにする』と書いてありますから」。 7 イエスは彼に言われた,「『あなたの神エホバを試みてはならない』とも書いてあります」。

   8 また,悪魔は彼をとりわけ高い山に連れて行き,世のすべての王国とその栄光とを見せて, 9 こう言った。「もしあなたがひれ伏してわたしに崇拝の行為をするならば,わたしはこれらのすべてをあなたに上げましょう」。 10 その時,イエスは彼に言われた,「サタンよ,離れ去れ!『あなたの神エホバをあなたは崇拝しなければならず,この方だけに神聖な奉仕をささげなければならない』と書いてあるのです」。 11 その時,悪魔は彼を離れた。すると,見よ,み使いたちが来て彼に仕えはじめた。(聖句終わり)

   上の部分には、pochi_0055さんがおっしゃる、「お前はどうして自分の教えを自分の中だけで正しいと思っていればいいのにわざわざ他人に広めようとするのか」に相当する部分はないかもしれません。しかし、イエスがなぜ他の人(イエスが伝道したのは主にイスラエル人)に伝道したのかは主に二つの理由があります。

   まずは一つ目です。イエスの時代のイスラエルの民はみなヘブライ語聖書で予告されていた救世主、メシアを待望してました。彼はその支配が近づいたという希望のたよりを民に知らせたのです。

   二つ目は、警告のためです。イエスの時代のイスラエルは国民として神に不忠実になっていました。それで、彼らがまもなく神により退けられ、処罰されることをイエスは警告されました。実際、イエスの死後、西暦70年にローマ軍によってエルサレムは神殿ごと徹底的に破壊されました。

   今回の主な目的は原文をお探しのようでしたので簡単に説明しましたが、もしそれらの点にもご関心があればまた別途回答いたします。
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ANo.7


ANo.8さんにある通り、イエスに神と悪魔があらわれるように、釈尊たるBuddhaにもastralのbeingが゛顕れた、つまり生き方を決めていったということですね。ANo.8さんありがとう。
生きる、一つの道、愛という信仰の内容としてそう生きたのですね。
老子も素晴らしいが後世の方の造話か、孔子を批判してその遍歴の導きの旅をあまりに世俗的だと批判しています。
これは生き方の相違でもあるので仕方のないことです。
ブッダの顕現な数千のブッダの前提というか存在があるとされていますね。
そんなもので、陰と顕との関係ですね。
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ブッダの場合ですが、「梵天勧請」といって、


梵天が現れてブッダに教えを広めるように促しました。
このくだりは「サンユッタ・ニカーヤ」(ブッダ神々との対話)に出ています
http://www.amazon.co.jp/dp/4003332911

ブッダ
「苦労してわたくしがさとりを得たことを、いま説く必要があろうか。
貪りと憎しみにとりつかれた人々が、この真理をさとることは容易ではない。
これは世の流れに逆らい、微妙であり、深遠で見がたく、繊細であるから、
欲を貪り闇黒に覆われた人々は見ることができないのだ」
梵天
「尊い方!尊師は教えをお説きください。幸ある人は教えをお説きください。
この世には生まれつき汚れの少ない人々がおります。かれらは教えを聞かなければ
退歩しますが、[聞けば]真理をさとる者となりましょう」
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自分の生きるという事の中に、そういう活動が入っていたから。

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キリストや仏陀は知らないが、「数学的な証明」は、普遍的なものである。

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仏教の修行の段階は、須陀亘→斯陀含→阿那含→阿羅漢となり、阿羅漢になれば、六道の輪廻から解脱し、死後天界に生まれることが出来ます。



しかし、阿羅漢でも仏になって仏国土(神の国)に生まれたいと願う者がいます。それを菩薩といいます。
人々に教えを説き人々を苦しみから救うことが菩薩の修行なのです。
だから、お釈迦様も人々を苦しみから助ける修行をしたのです。

イエスキリストもおそらく菩薩だと思います。

なぜ人を苦しみから救うことが菩薩の修行かというと、仏国土(神の国)の住人はすべて慈悲(愛)の性質を持っているからです。慈悲を持たない者は神の国には入れないのです。
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他人に教えを解いたり、自説を記録に残した人だけを、われわれ現代人が認知しているのでしょう。



寡黙に修行し、解脱/成仏した幾千人の先達の事を我々が知ることができないだけです。
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自らが生きる事は他者を生かすことでつながるのだよ。


要するに孤独では生きていけないのだ。
観念上の世界認識である娑婆世界観では、他者を生かすことなく、足を引っ張り合うのが人間面をした亡者どものなりわいとされていたが、そんな悲観的な人間観を持っていたのが過去の聖者だ。
いまにして思えば所詮猿並みの旧人類だよ。
そして君たちもおそらく旧人類だろう。
君たちは滅びる。
新人類は君たちより優れているので、君たちには理解できない好意により、安らかで幸福な安楽死を準備しておる。
君たち旧人類は私にとってすでに過ぎ去った過去の残影なのだよ。
あがらう事なく安らかであれ。
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歴史に名前を残したかったから

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社会が乱れていると悲しいから。

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