プロが教えるわが家の防犯対策術!

技術革新のスピードと、市民の関心度の過去と現在。

非常にわかりにくい文章になるかもしれません。
今さっき感じた疑問が頭から抜けなくて…

私達のいる現代はパソコンや、最近はスマートホンや便利なもので溢れかえってます。
ここ10年を振り返っても、10年前の当時の映像を見ると文明的に古臭く感じるほどです。

僕は今の文明が最先端(こんな時代に生まれて幸せだ!)と思ってます。
多分100年前の人も思ってたと思います。
いや、多分ほぼ猿から人間に進化して家族を持ち、グループを持ち、村を作り・・・(ずーっと続く)
これってその一瞬一瞬の人たちは「今が最先端だぜ!」と思ってる、と僕は考えたんです。

それじゃ1000年後はどうでしょう?
今現在きらびやかに輝く東京や新宿や秋葉原、ニューヨークや香港や、こんな世界も1000年後には古代都市に見えるのでしょうか?

そしてもう一つ
文明が育つスピードは年々、いや秒単位で倍々で加速してるんじゃないかと思いました。

猿が骨でナイフを作った、火を使い始めた、石器を作った
これらは何百年?何千年?と長い年月でゆっくりじわじわ技術を蓄え、ゆっくり「今って最先端」な時間が流れて行ってますよね?
まさか骨ナイフから農作まで10年で行けるわけないし、実際何千年かかってるかは調べてないのでわかりませんが…長い年月がかかってると思います。

ここ最近はどうでしょう。
10年前。科学的にも医学的にもどんどん急成長(と言っても医学は十数世紀の医学の爆発的発見の世紀でほぼ出尽くしたらしいと聞きましたが、今もロボット技術などの面で凄く進歩してると思います)を続け、10年後はもっと驚くべき技術の進歩が見れると思います。

こういう文明?というのでしょうか。発展のスピードは年々スピードアップしてると思いますか?

いや、そう思ってるだけで骨ナイフを初めて使った人間も、僕らがパソコンだスマートフォンだと驚いて樂しむ喜びの指数は同じで
技術の進むスピードも変化せず、このまま驚きや喜びも増えない、一定の喜び指数なのでしょうか?そんな指数はありませんが目に見えない定規として。

もしこのまま技術が進むスピードが
それこそ地球が生まれ、生命が生まれ、生き物が爆発的に生まれ、人間ができ、その先の未来へ
どんどん進化するスピードが早くなったら数千年後は、数万年後はブレイクアウトしてしまわないか心配です。
進化するスピードは人間がどうこうする事ができるとは思えませんし。

逆に技術や文明が伸びるスピードがずっと一定であれば、きっと結局この世界はもともと退屈で、我々の感じる新しい刺激は幻想だと思いました。
だって昔から驚きや喜びの指数は一定なんですもん。

そしてもう一つの説、遅くなってたらどうしましょう。
もちろん骨ナイフの時代から石器作るまでに何百や何千年(調べてません汗)かかった中に魚は食えるぞ!とか動物は回りこめば取りやすいとか、そういう発見がたくさんあったと思います。
例えばその古代人の知識が0だったとします。
そうするともうすることなす事全てが文明の最先端。毎日発見があり、まさに技術や文明の大爆発なんじゃないかと思ったわけです。

もちろん、どんな技術をポイントにしてひとつの技術の進歩の基準にしてるの?
と聞かれれば困りますが、今回出した骨ナイフとかパソコンとかは一例です。

わかりにくい話かもしれませんが、物凄く悶々とします。
また、こういう学問はあるのでしょうか?

悩んでる自分としては大真面目です。
よろしくおねがいします。

A 回答 (9件)

この質問は2つの考え方ができ、哲学的思考と科学的思考があると考えます。


そもそも、科学的に考えるのであれば、最近の傾向では次のように考えられています。

>こういう文明?というのでしょうか。発展のスピードは年々スピードアップしてると思いますか?
進化スピードは指数関数的な速度であると言われている。
対数グラフで書けば、ほぼ直線で近似できる。(収穫加速の法則)

>また、こういう学問はあるのでしょうか?
あります。最近で言えば、専門の大学とかもあります。
シンギュラリティー・ユニバーシティーとかは、ある程度有名。
というか、この質問はざっくりまとめれば、

「人は技術的特異点を迎えた時は、どうなるのか?」

という疑問に集約できると思います。

この質問を哲学的に考えることは重要ではあるが、
現実に、私たちが生きている内に技術的特異点を迎える可能性があるので、
哲学よりは科学カテゴリーに近いように思います。
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たぶん何かを直感してるんですね。



私は、現代は技術をもてあましている時代だと思います。
スマフォという玩具または、芸術作品に人間がうっとりしている時代です。
多くの情報を手に入れてそれで、自分の体や行動に変革がおきたとすれば、
すごい発展だと思います。しかし、実際には選択肢がどんどん煩雑に増え
ていくだけです。
ビルゲイツのすごさは、なんといっても戦略の狡猾さです。オープン化に
よりハードのコストは劇的にさがりシェアを広げることには成功した。
しかし、それにより煩雑な設計になってきたため、魅力をうしなった。
それを補うように、アップルがあるというだけで。
スマフォの何がすごいのか、どんな画期的なことができるのかと聞いても
「GPSが使えてすごい」とか、それはGPSがすごいわけなのです。
独立した技術なんてこの世には存在しません。産業革命のようなインパクト
を情報革命にもしあたえることができているとしたら、情報革命によって、
農業や林業が本当に効率的に近代化されたのかというような評価が求められ
なくてはなりません。

通信速度の革命が起きているということは、どういうことか、それは、端末
がより、インテリジェンスを失うことをまたは失いたいと市場が要求するで
あろうことを意味しています。ブラウザもいらないということです。
ソフトはよりハードを目指し安定をもとめ、クラシックなハードはソフトに
なりということを「骨のナイフ」から繰り返しているだけですが、

どちらかというと、現代は失速ぎみじゃないでしょうか。
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情熱的なお礼、ありがとうございました。

以下は質問に答えるというより、私のお礼欄のコメントに応えるという形です。

私のお礼欄には、技術の進歩と一口に言っても、記述の仕方の進歩に焦点が絞られているようです。確かに、技術によって、記録の仕方が変化していくのですよね。私の注目する大きな変化は、 活字による出版です。これによって、自分のために記録しておくというのみならず、自分の意見を、見知らぬ不特定多数の方に知らしめることができるようになりました。手で写していた時代に比べると、ものすごく大きな変化です。

それが今では、本を出すだけではありません。ブログ、スレッドに加え、ツイッターまで加わっています。百年前では想像もつかないほどの速度で、自らの意見を撒くことができるようになったのです。この分だと、思った瞬間に意見が共有できるテレパシーのようなシステムが開発されるまでになるかもしれません。デリダは「パピエマシン」という装置を夢想しました。

しかし、私はここには落とし穴もあると感じています。言論空間の中では、独自の意見を持てない人は、存在しないも同じになってしまうのです。スレッドでも、わざと特殊な意見を展開して、人の目を引こうとする方もいらっしゃいますね。自分自身であるというだけではその存在が認められないのです。それは人と人とのコミュニケーションのあり方として、貧弱なことになってしまうのではないか、とも私は危惧しています。

もちろん、言論空間というヴァーチャルな世界を離れた現実でも、人はファッションや能力など、独自性を競い合っています。しかし、言論空間での競い合いでは、情報だけが重要視され、情動はしばしば無視されます。だからこそ、非常に無機質であり、また冷酷であるようにも思うのでした。
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 これは答えではありません。

雑感です。

>私達のいる現代はパソコンや、最近はスマートホンや便利なもので溢れかえってます。
ここ10年を振り返っても、10年前の当時の映像を見ると文明的に古臭く感じるほどです。

 Windos3.1が出たのは、たった15年前くらいです(15年をたったと言える歳に、なってしまいました)。当時の状況を振り返ると、20MBのHDが200万もし、ビルの1フロアを占拠するような大型汎用コンピュータの実装メモリは64MBに過ぎず、速度もその程度・・・。今この文章は、Windows7で書いてます。8GBの実装メモリと、3GHzのクワッドコアの64Bitマシンです。それが家庭にあります・・・。

>いや、多分ほぼ猿から人間に進化して家族を持ち、グループを持ち、村を作り・・・(ずーっと続く)
これってその一瞬一瞬の人たちは「今が最先端だぜ!」と思ってる、と僕は考えたんです。

 昔「大草原の少女ローラ」というテレビを見ました。アメリカ西部開拓時代の話で、そこで描かれた生活は当時の最先端だったと思うのですが、実際のところ、日々の生活の苦しさに追われ、「最先端」という感覚はなかったように思えます。その意味で、20世紀の技術進歩は、やはり爆発的だったと思います。

>今現在きらびやかに輝く東京や新宿や秋葉原、ニューヨークや香港や、こんな世界も1000年後には古代都市に見えるのでしょうか?

 今から100年ほど前と思うのですが、産業革命の発祥の地イギリスのロンドンの街路の馬車道がガス灯に揺らめいていた頃、パリ万博が「光の世紀」を謳い、電気電飾きらびやかな不夜城を出現させます。その夢は、数10年後には少なくともヨーロッパでは実現します。パリ万博の映像は古代都市ではないですが、昭和レトロを通り越したレトロに見えました。

 NHK特集に「映像の20世紀」というのがあります。そこで知ったのですが、第1次世界大戦が勃発したとき、ドイツ(かオーストリア)の若者は、祖国を守るという使命に燃え、こぞって軍隊に志願し、戦争は1週間で終わると思っていました。そして機関銃(新兵器)の機銃掃射に向かって、銃剣を手に徒手空拳で突撃し面白いように撃ち倒され、戦車(新兵器)に押しつぶされ轢死しました。戦況は未曽有の塹壕戦という泥沼戦になり、水虫と神経症という現代病を生みます。そしてヨーロッパの国々は、総力戦という、史上初の体験をします。彼らの頭の中は、まだ中世だったんですよ。これらは、最新技術との衝撃的な出会いだったと思います。

 自分は物心ついた時には井戸水を飲み、井戸に落っこち、肥溜にはまりました。物心ついてだいぶ経ってから世紀をまたいだので、20世紀初頭なんて今にして思えば、昨日の事のように思えます。じっさい19世紀生まれの祖母が、当時は生きてたので。

>文明が育つスピードは年々、いや秒単位で倍々で加速してるんじゃないかと思いました。

 今やインターネットの時代です。情報共有のスピードと規模は、過去のどの時代も圧倒的に凌駕しました。グローバリゼーションの良しあしに関わらず、技術はより外へ拡散し細分化し、内に向かって深化する(かも知れない)と思います。これは当面続きそうです。加速してると思います。


  ・この視点は、文明の成長=技術の実利性の増加と速度、という視点になります。


 以前昭和世代は特異な世代だなぁ~、と仲間内で話しました。井戸水が水道に変わった。気づいたら白黒テレビでアトムと力道山を見てた。プロレスとプロ野球に熱中してたら、ブラックトリニトロンのカラーに変わった。人類は月に到達し、月の石ころを大阪万博で宝石のように眺め、ウルトラマンと仮面ライダーに熱狂し、ふと気づいたらガンダムを超えて(本当は超えてないけど)、オイルショックもバブルもその崩壊も経験し、ゲーセンゲームをほとんど制覇して、その後のファミコンやプレイステーションやインターネットゲームにも対応可能。今では15年前のスパコンなみの性能を持つ、デスクトップの前で、それを使いもせずスマホで通信してる・・・。そんな技術革新の連続を、思春期に浴び続けた世代だと・・・。


  ・でも思うんですよ。スマホを見た瞬間に、これは始まりではなかったのか?・・・と。


 技術畑の本ではないですが、自分は次の本が非常に面白かったです。

  ・虚構の近代,ブラーノ・ラトゥール,2008年,(株)新評論.

 個人的には、「ポストモダン」をばっさり切り落とす態度が、気に入りました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

少し読んでみましたが興味深いです。
今までこのような文章は読んだことがなく、難解ではありますが凄く面白いです!
こういう文章は小説のように流しよ読みではなく、理解して読み進めるものなのでしょうか?
面白すぎますが一行読み進めるたびに面白すぎて
「ほう、じゃああれはこういう事で、これもこういう事か、ふむふむ」
となって小説のように読み進めませんw

理解しながら読んで、読み終わった後に妄想に没頭する、新しい趣味ができそうです!
ありがとうございました!

お礼日時:2012/03/11 05:47

生物学的な進化はともかく、文明の発展は人間のイマジネーションの産物です。


今この世にあるものは、すべて誰かが想像したものです。
そういう意味では、人間を超えるもの、というのは、いわゆる地球外の生命体によらない限りは生まれませんので、技術が人間を凌駕することは杞憂ではないかと思います。
ということは、人口が増えれば、想像する人間が増えますから、発展のスピードは落ちないでしょうね。逆に人口が減れば、発展のスピードは落ちるかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
生物学的な進化はある程度一定、加速する事はできないですよね。
もし加速したら時間軸が違う四次元なんじゃないでしょうか。

文明の速度って物理じゃなくて、頭の中にある物だと想うんですよ。
(物理って言葉をそこまで理解してないので違ってたらごめんなさい)
なんて言うか、文明の速度は人間にどうこう出来るものではなく、人間の上の次元で常に一定に流れてる

文明の速度=時間 均一だ。と思ってます。

だからその時代時代の人間も、常に最先端の満足を得ている。

だから現在「今って文明の進化の速度ってすごいよな!」と言ってる僕達は時間が加速してると感じるだけで
実は何も変わってない。そう感じました。

支離滅裂でごめんなさい。
面白い話、ありがとうございました。

お礼日時:2012/03/11 05:43

哲学と並行して応用倫理学がある。

みたいな感じかな。
その応用倫理学のなかに技術哲学があります。ですからたぶんそれにあてはまりますね。応用倫理学では,三木 清という人が本を書いたそうです。技術哲学だと,村田純一でしょうかね。西田幾多郎もそうですね。

あまり難しく考えないで,まづは 《 テクノロジーアセスメント 》 で,検索してみて理解できたら,先に進んでみてちょうだい。実務でも応用できますからね。ところで,この先も外に向かっていくのでしょうか? それとも内へ向かっていくのでしょうか? もちろん技術のはなしですよ。マイクロソフトWindowsはどうだったでしょうか。最初はディバイスドライバーコンポーネントとして売り出したんでしたね。それが今やWindows7に至って O,S としての地位を不動のものにしました。内平らかに外成るんでしょうかね。

じゃね。忙しいからこのへんで。あと夜露死苦!!!
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
日本人でいるんですね!読んでみようと思います。

僕はそういう分野があったことも知らなかったので、このような質問をしてよかった!と思ってます。

>ところで,この先も外に向かっていくのでしょうか? それとも内へ向かっていくのでしょうか?

僕もこれ、凄く考えます。
マイクロソフトがもし、コンピューター開発が100年遅れてたら?
それは世界の発展のスピードに大きく大きく本当に大きく影響します。

MS社ひとつの開発が遅れるだけで明日の結果が変わります。

逆に100年前にpcが開発されてたら。また文明の進化のスピードも大きく変わります。

もしかしてビルゲイツが世界を作ってるんですかね?

興味深いお話、ありがとうございました。

お礼日時:2012/03/11 05:37

興味深いですね。

しかし、私はあまり長く書いて教えて差し上げる時間がありませんので、一点だけお応えします。

>こういう学問はあるのでしょうか?

いくらでもありますよ。現代思想の分野です。デリダ、ボードリヤール、ポール=リクールなど。しかし、次の本を読んでみたらどうですか。ベルナール・スティグレール著『技術と時間』。彼は技術が人類にもたらした影響について考察する思想家で、非常に注目されている人です。『技術と時間』が難しかったら、『象徴の貧困』など、入門になるかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
なるほど、やっぱりあるんですね!
最近思うのは、どんな事も文字が生まれた時からテキスト化され、それを思想と呼び、またレポートとも呼ぶ。

この世の全てを知識としてどこかにデータとして保存、それを基準に人間は生きている。

例えば相対性理論、一般人は理解してなくても文章化され、世の中はそういう物だと論じる場になってる。

例えば他にも些細なこと、朝起きて、お昼ごはん食べて、夜ご飯を食べて。
日本人はこんな生活が基本的だよ!という行為も今は文章、日記、ブログ、何にでも残せるますし、1000年後「ほう、こんな生活してたのか」と知ることもできます。

今ニュートリノが注目されてますよね。
これもいずれ「めちゃ早い、光より早いと論争の結果ほにゃららで~」と文章化されているでしょう。

ニュートンだったか
「世の全てを測れ、え?あれはまだ測られててないって?では測って残せ」

と言っていたそうです。
だからどんな些細なことも学問になるのかなと。

アリの辿った道の法則。
料理において塩は平均何粒使用されるか。
近所の公園の葉っぱの数。
友達は今日どの程度幸せか。

どんな事も学問になって記録すれば何か他の結果につながるんじゃないか。
そしてもうこの何千年の中で既に誰かが突き詰めて考えてるのではないかと。

興味深い情報有難うございました。

お礼日時:2012/03/11 05:31

この質問は哲学のカテゴリでしょうか、何か違う様な気がします。



人間の歴史や文明と言う進歩は伝達や記録、計算力の進歩に
伴って加速していると感じます。

未来への希望や予測、想像は過去の地球レベル宇宙レベルの
歴史を知る事によって急がされていくと思います。

地球は温暖化だと言う反面氷河期のサイクルに入っていると
言う科学者もいます。

また、スーパーコンピューター京の登場で計算能力が上がり
過去の歴史的現象を入力すれば今とは違う未来予測が出て来る
可能性もあります。
東京にマグニチュード7~9が来るとの予測で不自然なストレスが
溜まっている現代人に悠長な進歩では物足りなくなっています。
不安が不安を生む負の連鎖でしょうか?

社会的閉塞感は経済問題や政治レベルではなく地球の地殻
大変動とは言いませんが日本沈没程度の不安感が影響している
かもしれません。

無知や未来予測が明日の天気程度だった時には感じなかった
ストレスを現代人は感じていると言う事です。
その意味では進化ではなく進歩は哲学をよりスピードアップして
精神的な進歩も望んでいるのだと思います。
文明が偏った進歩をしたときに過去の歴史的文明と同じ様に
遺跡だけになってしまう可能性はあると思います。

めざましい進歩は信じられないストレスを生み出しているのですから
質問者が感じる物凄い悶々とした心理状態は想像出来ます。
人間は死を忘却することでその死への恐怖を防いでいるのに
進歩し過ぎた予想能力で死を身近に感じてしまっているのです。

地球規模の人類がストレスからパニック障害でも起こしたら
アラブの春レベルではない暴動、武力の暴走を招くことでしょう。

東京大震災は、その引き金になります。怖いですね。
飽く迄も予想ですがね。 (^^;)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
カテゴリについては、内容が僕の妄想で明確ではなかったので哲学にしました。
またどのような学問なのかも知らないほど無知ですのでカテゴリ違いでしたら板汚し失礼いたしました。

>人間の歴史や文明と言う進歩は伝達や記録、計算力の進歩に
伴って加速していると感じます。

僕もそう感じます。
例としてパソコンの進化の速度を挙げました。
例えば毎日どこかでソフトウェアがたくさん開発されてます。

例として骨ナイフを挙げました。
毎日使って肉を削いだり釣り針にしたり皮膚の刺を抜いたり、日々色んな使い方が開発された。

「骨や石って便利だな、最先端」

これって満足度は似てると思いませんか?
もはや今となっては

「は?骨?つかわねーし!」

とバカにするレベルも、感動や最先端の感覚は現在の感動と同じなのではないでしょうか?

・計算能力の違いについて

もちろん現在はトランジスタの発明によって脳の外で計算をするようになり、100年前の人間よりも莫大な計算を瞬時に行えます。
でもこれは退化では無いかとも考えられるような気がします。

計算をコンピューターに頼ってるので。
頭が悪くなったんじゃなく、コンピュータに頼ることで答えを導き出す。
この先コンピューターでの計算能力の加速は上がり続けますが、これは人間の進化ではなく、脳の外部計算の速度が上がってるんですよね。
そして人間は計算をしなくなります。
でも!計算ができなくなるわけじゃなく、ある一定の学力は維持され、計算という概念は脳の記憶ではなく

「計算?うん、理解してるけどコンピューターに計算してもらってるよ」

といった形でこれからは脳も一つではなく、CPUに頼る時代になり始めたと感じています。

地震の予測もコンピューターがはじき出した結果ですよね。
この結果はコンピューターを発明した方の功績とも考えられます。
地震予測の結果を弾き出してるひとも、コンピューター開発者の脳を借りてることになると思ったわけです。

・暴動、戦争など

そうですね、これから先戦争は続きます。
紀元前五千年の文明でももちろん戦争はありましたし、猿の集団生活時代から争いは続いてるそうです。

変わらない、変われない、争いを阻止することはできない。
戦争と言う形式は、争いと呼ばれてますが、欲求とは違う、生き物が集まると生まれてしまう”仕方ないもの”だと思います。
飯を食ったらうんこが出る。人間がいれば争いが起こる。
人間は争ってるんじゃなくて、争ってるから人間。
二足歩行ができるから人間になった、戦争してるから文明が栄えた。と言う例えもできますでしょうか。
だからこれからも戦争が起こる。

そういう角度から見ても人間の進化は昔から何も変わってないと思ってしまいます。

参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/03/11 05:18

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