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侍は負けると分かっていても逃げることをせず、戦いに敗れ、潔く死ぬことが尊いことだと言われていました。

実際にそのような文化が日本にはあったのですが、なぜ、侍は死ぬことを潔しとしたのでしょうか。

それは武士道とか言われるものかもしれません。しかし、いったいなぜそのようなものが日本にはあるのでしょうか。

黒船が来航したとき、武力で圧倒するアメリカ人も死ぬまで戦い続ける侍との陸戦だけは避けたかったそうですね。

いったい何が、そのようなスピリットを育てたのでしょうか。

私は日本人です。でも、最近、どうしてもこのことがわからなくなります。皆様のご意見をいただき、少しでもこのサムライ精神を後世に伝えていければと思っております。

A 回答 (8件)

侍スピリッツとは、大義の為には死を厭わないという部分があります。



すなわち、自分自身が信じている主義主張なり、自分の家族や身内を守るといった場合侍スピリッツは発揮されます。

第2次世界大戦の時、日本は特攻と言う手段を取りましたが、この侍スピリット無しには成立しなかったでしょう。自己犠牲で他人を救う。または日本人を救うでもいいです。

また、ある意味日本は単民族国家ですので、この効果がより強く出るような気もします。
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河合隼雄先生の受け売りになりますが、日本人の心の中心は自我の外にあるそうです。


西欧人は「自我」というものをふつう確立していて、自分の主人は自分です。
しかし、日本人は心の中心を自分の外に求める傾向があるそうです。それが、時代によって藩主だったり、天皇だったりしたわけです。
早い話が「忠臣蔵」ですね。

ですから、自分の中心を汚す、つまり藩や国の名誉を貶める行為(捕虜になるとか)を行って「生きて恥をさらす」より、死ぬことにより「自分の中心」を守ろうと考えるのは自然なことだったようです。
サムライスピリットなどといわれて美化され、自己犠牲のように思われていますが、自分にとって一番大事なものを守るために死ぬのは普通ですね。

西欧人の場合は自分の中心は自我つまり自分自身にあると思っているわけですから、自分の保存を第一に考えます。自分の外に自分の一番大事なものをもっている人のことなど理解できないでしょう。

余談になりますが、最近の日本人は西欧化しているのですが、西欧人のように「自我」を確立する力には欠けているので、中心を持たずふらふらしているようです。
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武士道とよくいいますが、実は江戸時代からの武士に対する教訓なのです。



それ以前から武士はいましたが、戦国時代の武士はどちらかというと土着的な豪族が多く、領地の主君と様々な利害関係で主従関係を結んでいました。ですので、主君の旗色が悪くなると相手方に寝返ることもよくありましたし、相手方も敵の裏切りを認め傘下に加えたりもしました。

戦国武将の上杉謙信の部下である北条(きたじょう)高広は上杉家と武田家を転々としましたし、松永久秀などは知ってのとおり、将軍を殺しておきながらも織田信長に許されましたよね。

江戸時代に入り、徳川家が天下を確実に掌握するために主君に一途に仕え、死ぬことを美とする武士道の教えが広められたのです。徳川家にとっては裏切り者などとんでもないですからね。

太平洋戦争時の「生きて虜囚の辱めを受けず」の教訓も当時の日本軍の思想統一によるものでした。
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武士の発祥からも、いわゆる侍スピリットの根源が窺えるかと思います。



 軍事システム自体は、律令国家の頃に体系化しており、中国のそれを模したものでした。中華に倣ってアジアの中央集権的な支配層を形成するため、朝鮮に朝貢などを求めましたが、上手くいかず、結局現実的な策として日本国内の、特に東北地方の開発及び蝦夷の討伐に力を注ぐようになり、律令軍事体制は崩壊します。
 
 「武士制度」は、ご存知の通り特に平安期に興り始め、国の警護や犯罪防止に当たる役割を果たしていました。この制度は、元々税金の問題に深く関わっています。受領(または国衙≒知事・県庁)としては、税金は定められた通りに集めたいわけですが、納める側としては、出来るだけ納税は少なくしたい。今も昔も変わらない心理です。ここで争いが生じます。検田や収穫の時期に税率や換算率をめぐってトラブルが発生します。
 簡単に言ってしまうと、こういったことから対立は深まり、10~11世紀はかなり大規模な反国衙闘争にまで発展します(理不尽な要求をする受領もいました)。さらに、いつの時代にも犯罪はあるもので、殺人なども大きな重犯でした。もちろん武士が犯罪や謀反に絡んでいる場合もあります。加えて国政を乱す者も重犯と見做されます。
 
 ここで登場するのが正義の武士です。彼らは犯罪人や謀反人を、国の任を受けて退治(追捕)にかかります。こういった公式の任務の場合、動員される武士達には『廻文(めぐらしのふみ≒回覧板のようなもの)』が回され、そこに「承知しました、必ず何時に何処に集合し、力を合わせて敵を倒します」という意味の『奉』の字をサインします。勲功をあげれば、勲功賞として地位や土地などの褒美が貰え、武名を上げるという名誉を受けることにも繋がります。その評価を維持するために研鑽し、その武士の子は父祖の勲功を汚さないためにも日々鍛錬を重ね・・・といったような構造をなしており、武士の精神の源となっていることが分かります。
 
 廻文に『奉』のサインをしなかった場合、そして仰せに従わなかった場合、一体どうなるのでしょうか。恐ろしいことに、謀反人と同罪と見做されて自分まで追捕の対象になってしまうのです。
 報酬と応酬・・・このバランスが武士を研鑽と忠誠に向かわせる原動力となっていたのですね。
 
 大局的な見方を述べますと、
「従わないと殺される」+「勲功と名誉」
=武士の任務遂行
→勝敗に関わらず正々堂々と闘うことが生き残る道
 という図式を温床として、後世に行くにしたがって「勝敗に関わらず正々堂々と闘わないことは恥」という研ぎ澄まされた精神にまで変容したと考えることも出来ます。この変容がなされた原因としては、先に回答しておられる方々の考察に加え、鎌倉時代から盛んになった禅宗の思想なども起因しているかと思います。
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♯4です。

訂正します。

『廻文(めぐらしのふみ≒回覧板のようなもの)』ではなく、
『廻文(めぐらしぶみ≒回覧板のようなもの)』でした。読みが違いました。うっかりさん。
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私も落ちぶれた大名家の子孫なので、それが血の中に未だにあり、嫌です。

 
危なくなったら、方向転換してさっさと撤退すれば、良いのです。
どんな上手い事言ったって、子供が死んだら母親は悲しみます。
遺伝子に既に組み込まれている様で、そういう場面では私は特攻してしまいます(^_^;)。

で、これは最初は飴と鞭とによる洗脳でしょう。
家のためとか主人のためとか、家族・親族を守るために命をかけて・・・それなら、生き延びてしぶとく抵抗する方が・・・・べトコンの様に(詳しくは知らないが)・・・・効果的だと思います。で、上手く立ち回って生き残ったのが名前も金も土地も得たわけです。これが立派と言うなら、立派なのでしょう。

侍というと、精神的に立派な人と思われていますが、あれは嘘です(何が立派かによるが)。
立派な侍は、其の前に立派な人なんです。 侍で無くても立派な人が、たまたま侍の家に生まれただけです。

あまり特別視しない方が良いでしょう。そんなに特別に考えて、後世に伝えるなんて、考えないほうが・・・・・でも、こちらにいると愛国者になり、居間には国旗を掲げ、日本の宣伝をしていますが・・・・(^_^;)
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ひとつは「恥」という文化だと思います。


日露戦争の際、外国人従軍記者が「日本兵は上官が見ている前では勇敢だが、誰も見ていないと勇猛さを発揮しない」と書いています。「恥」とはそれだけ日本人が自我の価値観を外からの目に置いていたというところから生まれている、と私は思います。それは日本という国が基本的に農耕民族で、集団生活を旨とする文化的背景を持っていたからではないでしょうか。
「武士は喰わねど高楊枝」と揶揄されるのも、特有の「恥」に関するプライドの裏返しです。「武士たるものは・・」という倫理規定が伝統としてちゃんとあって、それは自分のコメントなんてしてもいけない不可侵なものであったのです。それは「大義」とも言い得るものなのではないでしょうか。

阪神大震災の時に私も被災しましたが、ある外人が「(援助物資の支給時に)日本人はこういう時でもちゃんと列になって、秩序を乱さないが、自分の国なら我先にと皆が押し寄せてたいへんになる。」と言って関心していました。
また「お一人ひとつずつ」と書いておくだけで、誰も見ていなくても誰もがひとつずつしか持っていかない、と当番の人も関心していました。そういうのは自然と見についた文化的な特長なのでしょうか。「恥」を超えたものは今でもちゃんと残っているようです・・平素は滅茶苦茶に見えたりする時節柄ですが。
私はちょっと誇らしかったです。

グローバル化(均一化)が進む今日、私ももっと日本的なアイデンティティをより大切にしなければならないと常日頃思う一人です。(もっとちゃんとした歴史の勉強も教育も必要ですね!)
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武士道とは、恥とか徳川とか、関係ないと、思います。

葉隠れ、死ぬことと見つけたり、など、読むと、なんとなく、判るような気がします。鍋島武士が葉隠れなのですが、私の母方の家系は、二本松少年隊父方の家系は、会津白虎隊の少年武士を出していますが、父親も陸軍少年飛行兵でした。いろいろ話を聞きましたが、そのときがくると、日本人のDNAが武士道というような、ものが出てくるような気がします。私は武士道とは、慈愛だと思います。自我を滅して愛する者のためだと、現代は自己愛ですよね。
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