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下記のような内容が規制されているのでしょうか?妻子が学んでいるので実状を知りたいと思います。これらの質問は私なりに得た知識ですが、これらが、実状であれば子供の将来もあるので心配しています。教えて下さい。

1、ハルマゲドンがくるから、長時間の労働は必要なく、この世での生活ができる範囲の仕事で十分と考えていますか?また、学業も同様ですか?
2、国歌・校歌を歌う事はどうしていけないのですか?
3、奉仕時間の妨げになるから習い事・クラブ活動等を避けたいとお考えですか?子供がしたいと言った場合はどうしますか?
4、エホバに対して否定的な情報は全て迫害されていると思われるのですか?
5、血は避けなさいという言葉が輸血禁止に直結して解釈されているのですか?
6、仲が良かった信者の方が背教者になった場合にその方とのお付合いは辞めますか?
7、我が子が背教者になった場合はどうされますか?子供の考えを尊重しますか?
8、我が子が背教者になった時に精神的なダメージを受けた場合はどのように対処しますか?
9、相手(夫または妻)がエホバ問題で理解してもらえない場合は離婚してもしょうがないと思いますか?
10、エホバの教えでおかしいと思った事はありますか?ある場合にどのような事でしょうか?
11、エホバの教えがおかしいと思っているが、今までの人生をいまさら否定できないと考えていますか?
12、柔道・剣道はだめですか?
13、選挙等も行わないですか?

A 回答 (24件中11~20件)

>エホバの証人はどのような宗教ですか?。


エホバの証人(JW)はこの世の終わりの前に現れると聖書に預言されている全ての徴を成就している偽預言者で、神が14万4千人の残りの者を選び、聖霊の証印を捺す為の選びの器(旧約のイスラエル、ユダヤ人と同じ)です。
教義自体は聖書の理解度10%位で、神の理解、イエスの理解、YHWH(エホバ)の理解、などは聖書全体と一致した理解ではありません、また崇拝の方式もイエスの教えた霊と真理での崇拝ではなく、旧約の山やエルサレムと言った物質的な崇拝方式です。イエスの建てた神殿は霊の神殿(教会、会衆)です。
JWは、獣であるカトリックとプロテスタントの三位一体を否定し(これは正しい)その背に乗って「我々こそ真の神のものだ」と立ってはならない聖なる場所に立っていますので、真理を求め本物の神を求めている人々は欺かれ安くなります。
そうした集まりの中で集会や奉仕活動や友の為に不義の富を使い果たし、神の本当の愛やキリスト・イエスの本当の教えを求める者を選び出す為に真の神が利用している悪魔の組織と言う事が出来ます。
JWは滅びの子です。イスカリオテのユダも滅びの子でした、解りやすい共通点はユダは金庫番でしたが、常々くすねていました。JWも、会衆では明確な会計報告をしますが、協会の会計報告は一切ありません、報告出来ない用途に使用している(くすねている)からです。
これがものみの塔、エホバの証人の聖書からの実体です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。結局、ビジネスとして信者の方々は利用されているという事ですかね!!しかし、世界中でこれだけ多くの信者を集めているという事はとても頭が良い組織なのでしょうね!!私にとっては困りますが・・・・。

お礼日時:2012/04/30 20:17

これは、A No.10 yangmaskへのお礼に対する返答です。



>私が宗教に対して無頓着だからなのかも知れませんが、無責任な組織に見えてきます。なぜならば、その時代に生きていてその事を信じていた人は気の毒に思います。ハルマゲドンが1975年に来ると信じた人はその後の人生はどのようになってしまうのでしょう?自己責任では済まされないように思えます。

   <クリスチャンはふるいにかけられる> 確かに、1975年に終わりが来ると信じたものの実際には来なかったためにエホバの証人の組織から離れたり、熱意を失ったりした人がいたと聞いています。その点に関する私の見解を述べます。例えば、ある液体に試験液を入れると色が変わり、その色によって酸性かアルカリ性かが分かるという実験をした覚えがあると思います。つまり、ある衝撃的な事件(試験液)が起きる時、その反応によって各人の心の中に何があるか(酸性かアルカリ性か)が明らかになるということです。その点を聖書はこう言っています。「据えられているもの,それはイエス・キリストですが,それ以外の土台を据えることはだれもできないからです。さて,この土台の上に,金,銀,宝石,木材,干し草,刈りわらで建てるなら,各人の業は明らかになります。その日がそれを示すのです。それは火によって表わし示されるからです。まさにその火が,各人の業がどんなものかを証明するのです。」-コリント第一3:11-13

   この聖句で「火」と言われているのはクリスチャンにとって試練となる状況のことです。聖書はクリスチャンには必ず試練がふりかかると明確に示しています。その試練には外部からの迫害だけでなく、組織内で起きる問題などもあります。ですから、例の1975年説によって「やめた」と言った人たちはそもそもどんな動機でそれを始めたのかということが明らかになったと私は考えます。(私もこの問題に関心があったので公正な観点から自分なりに熟考したことがありました。)1世紀にも最初はイエスに従ったもののイエスの言葉に「つまずいた」と言ってイエスから離れていった人々が大勢いました。聖書にこう記録されています。「そのため,彼(イエス)の弟子のうち大勢の者は,これを聞いた際に,『この話はひどい。だれがこれを聴いていられようか』と言った。・・・このために,弟子のうち多くの者が後ろのものに戻って行き,もはや彼(イエス)と共に歩もうとはしなかった。」-ヨハネ6:22-71

   聖書のこの部分を全部読むと分かりますが、彼らは単に物質的な安定を求めてイエスに近づいたに過ぎず、本当に神の正義を求めてイエスに近づいたのではありませんでした。実際のところ、イエスは彼らがあえてつまずくようにさせたのであり、このようにして本当に神が求める正義を愛する人だけが残るようにされました。つまり、彼らは「ふるいにかけられた」のです。例えば、人がつまずく時、その原因は何ですか。小石か何かが足に引っかかったのかもしれません。では、小石が原因ですか。いいえ、小石はそのきっかけに過ぎません。実際、全く同じ状況でつまずかなかった人もいるのです。ですから、その根本原因は実のところその人の安定性にあったということができます。信仰のうちにしっかり立っていた人はつまずきませんでしたが、そうでない人たちは倒れました。ですから、1975説により彼らはふるいにかけられたのです。

   <その本当の根本原因は何か> 要点を明確にするために、もう一つ例えを示します。例えば、誰かに悪口を言われた人がいたとしましょう。その人は怒って、もしかしたら暴力さえふるうかもしれません。そして、「悪口を言った人が悪い、自分は間違っていない」と考えるかもしれません。それでも、その人は最悪、暴行罪で逮捕されるでしょう。しかし、もう一方で、別のある人は全く同じ状況で悪口を言われたにもかかわらず、それをスルーして何事もなかったかのように通り過ぎて行きました。では、前者の人が怒った根本原因はどこにありますか。また別の例えを聞いてください。ピストルの引き金を引いらどうなるでしょうか。一つ目のピストルからは弾丸が発射されて人を傷付けてしまいました。当たり前だと思いますか。しかし、別のピストルは引き金を引いたにもかかわらず、カチッという音がしただけで、何も起きませんでした。なぜですか。弾丸が抜いてあったからです。ですから、引き金を引きさえすれば、弾丸が発射されるとは限らないということです。むしろ、引き金を引くことは単なるきっかけにすぎず、その根本原因は弾丸が入っているかどうかということにあります。人が怒ることも同じです。悪口を聞いたのは単なるきっかけに過ぎません。それによって、自分の心の中に抱えていた「爆弾」が爆発したというのが本当の根本原因です。ですから、1975年説の場合、「預言が外れた」のは引き金を引いたことに対応しており、きっかけに過ぎませんでした。しかし、それによって各人の心の中に何があるのかが明らかになったのです。

   人は人生の壁にぶつかると、二種類の反応を示します。一方はいじけてしまう人、もう一方はその壁を乗り越えて成長する人です。前者はその問題を他者のせいにし、「あの人がこうしてくれていたら」とか「世の中が悪いからだ」などと愚痴をこぼします。後者はその問題で明らかになった自分自身の反省点を謙虚に認め、改善するゆえに、人間としてさらに成長していくのです。あのイエスに対してさえも「この話はひどい。だれがこれを聴いていられようか」と言った人たちがいたのですから、現代に同じような人がいたとしても別に驚くべきことではありません。私もつまずいた人たちのことは気の毒だとは思いますが、いつまでも「統治体のせいで・・・」と他者の責任ばかりに注意を集中して、自分自身の反省すべき点を直視しようしないならその人には何の進展もないでしょう。つまり、壁を乗り越えるには自己精錬が必須で、それはどんな理不尽な状況であったとしてもそうなのです。例えば、戦争や災害に遭いながらも愚痴を言うどころか人としてさらに器の大きくなった人たちについて考えてみてください。彼らはエホバの証人とは全く関係ありませんが、しかし、自分の内面、つまり見方、考え方、価値観などを調整した人たちです。内面を精錬せずに人は壁を乗り越えて成長することはできないのです。実際、1975年説の試練を乗り切った人たちはそのようにして見方を調整し、神の訓練にこたえ応じた人たちなのだと私は評価しています。

   他の人の責任ばかりを追及し自分は被害者だと愚痴を言う人は、自己責任を回避し、できれば他の人からの同情と賛同を得ようとしていると私は考えます。とても冷たい言い方だとお感じになるかもしれません(私自身もそう思います)が、とても厳しいのですが、そのような人たちはその点をはっきり認識して、自己改革を行わない限り、明るい将来はないでしょう。それとも、エホバの証人の責任者が謝罪して、慰謝料を払ったりすれば、その人は幸せになれるのでしょうか。私は彼らが問題の根本原因を直視することを願います。一生愚痴る人で人生を終わってほしくありませんよね。

   先回も述べましたが、エホバの証人の組織の是非に関しては聖書の歴史的な事実に基づいて評価しなければ正当な(聖書的な)評価とは言えません。クリスチャンの組織内でも問題は起きます。そして、そのような試練によってふるいにかけられることもあります。神とキリストがどのように組織を導き、指導しておられるのか、その方法を聖書から理解する必要があるでしょう。例えば、コリント人への第一および第二の手紙を読んでみてください。会衆内に様々な問題があったということ、それによってどんなことが起きたのかが洞察できると思います。また、物事の真の根本原因が何かを見極めることの重要性もお伝えしました。説明が難しかったなら、遠慮なくまた具体的にご指摘ください。後半の「先生は認めてくれるかも知れませんが生徒はどうでしょうか?・・・」の質問についてはまた後日回答させていただきます。
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この回答へのお礼

いつもありがとうございます。気になったのが1975年当時の事ですが、聖書(神)は公正もしくは平等を重んじてはいないのでしょうか?yangmaskさんの言いたい意味は解るのですが、神はふるいにかける事をするのですか?当時も信者になったばかりの方、長く勉強している方等個人差があると思います。そうだとしたら、神の都合に人々は操られてるだけに過ぎないと感じてしまいます。これは組織がした事でしょうけれど、無宗教の私から見たら怖い話ですね。ふるいにかける一例をネットでみたのですが、1969年8月8日号15ページ目覚めよのメッセージで「若い人々にはどんな将来があるか」という記事にはとても驚きました。この内容を見ると神とは・・・・?という原点に戻ってしまいます。しかしながら、yangmaskさんのおっしゃるようにエホバの証人の組織の是非に関しては聖書の歴史的な事実に基づいて評価しなければ正当な(聖書的な)評価はできないと思っています。今は聖書から論じるという冊子を中心に無い頭を絞って研究しています。

お礼日時:2012/05/03 10:24

これは、A No.12 yangmaskへのお礼に対する返答です。



>聖書(神)は公正もしくは平等を重んじてはいないのでしょうか?

   http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7392685.html で私yangmaskがA No.11として答えています。まず、そちらをご覧ください。

   結局、神は人間の自由意志を重んじるゆえに、強制されません。ふるいにかけられることにより、本当に神の正義を求めていた人たちは組織に残ることを選択し、そうでなかった(ただ楽園がすぐに来ることだけを願っていた)人たちは組織から離れることを選択したということです。(以前挙げたヨハネ6:22-71がその前例です) その選択にだれからの強制もありませんでした。しかし、神はそのように各人が選択せざるを得ない状況を生じさせた(ふるいにかけた)ということができます。その目的は、組織の精錬にありました。

   確かに、神はすべての人が救いに至ることを望んでおられます。しかし、現実には自分の欠点や利己的な傾向など神が否としておられる特質を改めない人がおり、神はご自分の正義をそれらの人に強制はされません。その人たちは警告を再三受けることになりますが、悔い改めなかった結果、処罰を被ることになるでしょう。しかし、処罰は飽くまで最終的な段階であり、神は悔い改める猶予を十分にお与えになります。いずれにしても、人はみな自分のまいたものを刈り取るということです。(ガラテア6:7) 悪いことをした者には処罰が臨み、良いことをした者には報いが与えられます。その点で神に不公平はありません。

これは、A No.10 yangmaskへのお礼の(後半の質問)に対する返答です。

>先生は認めてくれるかも知れませんが生徒はどうでしょうか?(3)(12)の質問に連動しますが、元2世信者の話を聞きますと孤立したり、不思議な子供だったり、それが原因で虐められたり、エホバの信者とわかったらそれが原因でその親から圧力が掛ったりで難しいとも感じています。

   エホバの証人の子供さんの場合、彼らがしっかりした確信を抱いていて一貫した言動を示すのであれば、かえって尊敬の念さえも得られます。「こいつは確かに変わってるけど、何かすごい奴だ」と思うわけです。しかし、逆に確信がいまいちでおどおどしており、絶えず人の目を気にして萎縮しているなら、周りの人は「単なる変な奴、っていうか、おどおどしていてキモイ奴」としか思われず、いじめの対象になるかもしれません。そういったところに違いが現れるのだと思います。それで、前者のような姿勢で学校生活に臨むなら、先生からも生徒からも理解を得ることは十分可能だと私は考えます。

   ですから、娘さんがもしエホバの証人スタイルで学校生活を送るという意向であれば、確信をもってブレのない首尾一貫した言動を心がけるべきでしょう。問題は、娘さんがどれほどその教えを確信しているかというところにあります。確信するとは、確かな根拠に基づいてある事柄がなぜ正しいと言えるのかをしっかりと理解している状態ということができます。娘さんはなぜ国旗敬礼をしないのか、部活動に入らないのかなどの起き得る諸問題について、どれくらいの確信を抱いているでしょうか。ただ、奥様や他のエホバの証人の方々からそう言われたからそうしているというだけでは、bonjin0909さんがお調べになったように、板ばさみ的で大変かわいそうな学校生活を送るはめになるかもしれません。

   娘さんのことがとても心配だと思います。それで、娘さんがどの程度確信をもってそれらの問題にあたっているのか、その点を具体的に確認してみるとよいと思います。奥様の時と同様、レポート形式か交換ノート方式をお勧めいたします。その際、事前にルールを設定しておくのもよいと思います。例えば、互いの見解を尊重する、怒らない、意見を(口頭で)述べる際には話をちゃんと最後まで聞くなど、宗教とは全く関係なく人間どうしの話し合いをスムーズに行なうための基本ルールです。こういう宗教的、信念的な問題は大変デリケートなので、一歩間違うと大議論となり、理解や調和どころか、対立してしまうかもしれません。事前にルールを設定してそういう事態を回避できるとよいと思います。

   娘さんの気持ちを私は正確に知りませんが、もしかしたらエホバの証人の教えを実践したいものの、お父さんと疎遠になるのも避けたいと思っているかもしれません。それで、頭ごなしに否定したり、命令したりすれば、たちまち心の壁を作ってしまいます。もし、bonjin0909さんがお父さんとして寛容さを示すなら、娘さんの方もお父さんを理解者とみなして心を開き、お父さんからのアドバイスを受け入れやすくなるでしょう。これは別にエホバの証人の子供だけに限ったことではないはずです。思春期の子供たちが親に反発し、非行に走ったりする第一原因はやはり親と子の間に溝、心の壁ができることから始まるのだと思います。といっても、卑屈になって何でも子供の言いなりになればよいというのとは違います。子供は「理解してくれる親」を必要としていますが、「いつでも頼りになる(力強い、賢い)親」も期待しています。特に家長である父親には力強く賢明なリーダーシップが求められています。しかし、母親である奥様と連携しなければこの「大技」はなかなか決まるものではありません。ですから、娘さんに当たる前に、やはり奥様との密接な意見交換を行なうことをお勧めします。そして、夫婦で一致した教育方針を固め、娘さんがお父さんとお母さんの間で板ばさみになって悲しむことがないようにしてあげてください。
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この回答へのお礼

娘さんがもしエホバの証人スタイルで学校生活を送るという意向であれば、確信をもってブレのない首尾一貫した言動を心がけるべきでしょう。という事は考えていません。それはこの子の性格です。
「エホバの証人の子供さんの場合、彼らがしっかりした確信を抱いていて一貫した言動を示すのであれば~先生からも生徒からも理解を得ることは十分可能だと私は考えます。」ですが、子供のとってはハードルが高すぎます。幼い頃、私も母を亡くし、父ともいっしょの生活をせず、12歳まで祖父母に育てられました。中学生になり、新しい母が来たのでそれから同居するようになりましたが、他の子と環境が違うだけで最初は虐められましたが、最終的にはぐれた少年時代になりました。私の子供はぐれるというより我慢すると思われます。その理由は性格的・エホバの教育内容を考えるとそのように予想しています。我慢する事はストレスをためる原因になり、ネットでよく見る元2世の声及び実際にお会いして話も聞きました。私にとっては衝撃的な内容でとても我が子をそのような状況にはさせたくないというよりさせてはならないと思っています。13個の質問についてですが、3,4,6,7番だけ少しずつ教えて下さい。すみません、勝手なお願いばかりで!!

お礼日時:2012/05/04 08:53

これは、A No.13 yangmaskへのお礼に対する返答です。



>幼い頃、私も母を亡くし、父ともいっしょの生活をせず、12歳まで祖父母に育てられました。・・・

   実は私も幼い頃に父と母が離婚して小2まで母子家庭で育ちました。父の記憶はなく、写真でしか知りません。小2以降は母が借金から逃れるためにいわゆる夜逃げしたので、祖父母の家に引き取られました。その頃、児童相談所に連れて行かれ、必死で祖父母にお願いしたのを覚えています。その後、私が中1の時に一つ下の弟は里子に出されました。さらに、中2から私はナルコレプシーという病気になったようで、昼は居眠りをするし、夜は眠れないという生活が始まりました。成績は落ち、私はうつ病になりました。高校は途中から登校拒否するようになり、結局高2で中退しました。その後、大検を取って高校卒業程度の資格は確保したのですが。その頃、私はいろいろな疑問を持つようになり、図書館やいわゆる「拝み屋」のところなど様々な宗教のところに行ったりしていました。キリスト教に関心を持つようになって聖書を勉強し始めたのもこの頃でした。それからもう20年近く経ちます。ナルコレプシーはまだ完治していませんが、うつ病からは完全に奪還できたという感じです。私は聖書と神を信じることから生きるための力を得てきました。

   bonjin0909さんはご自分の子供の頃の体験から娘さんのことを本当に心配しておられるのですね。私の経験から得られた一つの結論は人間には適切な導きと支えが必要だということでした。私の場合、それがキリスト教ということになりますが、しかし、何か心の導き・支えとなるものがあるのとないのとでは大きな違いがあると思います。娘さんの現状は私には分かりませんが、もし娘さんがそれをエホバの証人の宗教に見出しているというのであれば、それはそれでプラスに働かせることが十分可能であると思います。ただ、先回述べたように、娘さんがどのくらいその宗教を本気で信じているか、確信しているのかということが問題だと思います。「ただお母さんから言われたからしている」程度のことであれば、真の導きや支えとはならないかもしれません。

>・・・子供にとってはハードルが高すぎます。

   私はbonjin0909さんが娘さんがエホバの証人スタイルで学校生活を送った場合に被り得る弊害について心配しているのだと思っていました。もしそうなら、やはりブレのない首尾一貫した言動が重要だと思います。中途半端な信仰・言動はかえって周りの生徒たちから変な目で見られる対象にしかならないでしょう。娘さんにはハードルが高いでしょうか。それは今の段階ではという意味ですよね。もし、娘さんがエホバの証人スタイルで行こうというつもりなら、そのハードルを乗り越えられるように助けてあげてほしいと思います。できないことではないと思いますよ。娘さんの潜在的な才能や能力を信じてあげてください。しかし、これは飽くまで仮の話で、娘さんがそういうスタイルで行くつもりがないのであれば、また話は別なのですが。

>・・・ネットでよく見る元2世の声及び実際にお会いして話も聞きました。私にとっては衝撃的な内容でとても我が子をそのような状況にはさせたくないというよりさせてはならないと思っています。

   私は引越しする前に親しくしていたエホバの証人の方々がいたので、いわゆる2世でも普通に学校生活を送っているのを見る機会がありました。私の知っている女の子は小4から高校3年で卒業し、その後大人になるまでの間を知っていますが、明るくて快活な子でした。特にいじめがあったとも聞きませんでした。確かに、2世ゆえに荒れた子ども時代を経験した方もいるかと思います。しかし、逆に同じような立場で普通に生活してきた人たちが大勢いることも事実です。それで、今後の娘さんの成功を願って将来像を思い描くのであれば、そのようなすでに普通に学校生活を送ってきた2世の方の経験を聞いてみるのも参考になるでしょう。奥様のお友達に恐らくそのような人がいるのではないでしょうか。

   あるいは、私の知っている別の2世の子は、中学の時にエホバの証人の立場を放棄しました。その子の家庭は全員がエホバの証人を信じていたのですが。その後、風のたよりでその子が看護士になったと聞きました。その他にも、私の同級生の何人かは、大人になって再会した時に実は子どもの頃は2世だったことが明らかになったなどということもありました。私は全くそんなこと気が付きもしませんでしたが。結論としては、やはり中学生ぐらいが2世としてとどまるか離れるかの分かれ道のようですね。いずれにしても若さゆえに(たとえ2世でなくても)葛藤するという過程は避けられないと思いますが。そこがサポートのしどころだと思います。たとえ娘さんが幸せになるのに障害があったとしても、克服は不可能ではないと思います。このように、2世の子の人生も十人十色というのが現実です。先程述べたように成功例を調べれば具体的な糸口が見えてくるかもしれませんね。
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この回答へのお礼

お答えありがとうございます。
娘さんがエホバの証人スタイルで学校生活を送った場合に被り得る弊害について心配しているのだと思っていました。ですが、その通りです。私の答えの中に願望が入っていました。誤解を招いてしまってすみません。
「2世ゆえに荒れた子ども時代を経験した方もいるかと思います。今後の娘さんの成功を願って将来像を思い描くのであれば、そのようなすでに普通に学校生活を送ってきた2世の方の経験を聞いてみるのも参考になるでしょう。奥様のお友達に恐らくそのような人がいるのではないでしょうか。」ですが意味がないと思います。信者のコメントには常に大前提があります。エホバを否定する事に関しては蓋をします。それからが会話の始点になります。だから、会話をしても論点が合いません。妻の友達とはすでに会話をしています。

お礼日時:2012/05/05 09:32

これは、A No.14 yangmaskへのお礼に対する返答です。



>ですが意味がないと思います。信者のコメントには常に大前提があります。エホバを否定する事に関しては蓋をします。それからが会話の始点になります。だから、会話をしても論点が合いません。妻の友達とはすでに会話をしています。

   なるほど。ところで、bonjin0909さんは普通に学校生活を送ってきた2世の方の経験はすでにお聞きになったということでしょうか。そのような人たちの経験を複数聞くことは、今後同じようなことが娘さんにも生じるはずですので、とても参考になると思いますよ。飽くまで経験談ですから、真実を述べる限り「論点が合わない」という心配はないとも思うのですが。論点と言えば、ところでbonjin0909さんの最終目標は何でしょうか。それは、娘さんが首尾よく学校生活を送れるようにすることなはずです。とはいえ、現状で娘さんはエホバの証人スタイルで行こうとしているようですが、それを何とか阻止するのが現状の目標になっているようにも受け取れます。(間違いでしたらすみません。) もしそうなら、以前も奥様に関して述べたのですが、たとえ最終的に奥様や娘さんの考えが変わることを願っているとしても、そのためには踏むべき手順がありますし、それにその考えを貫くかそれとも辞めるかは最終的には彼女らの意志にかかっていくると思います。私は彼らが大抵大変固い信念を持っていることを承知しています。それで、彼女らの考え・信仰を改めさせるというのがA案だとすれば、彼女らの信仰を容認しつつもとりあえず幸せな生活を送れればよしとするというのがB案で、私はこれまでB案の方を勧めてきました。多分、A案はうまくいかない可能性が高いと思いますが、どうお考えですか。

   実のところ、エホバの証人が原因で家庭が崩壊すると言われている原因の一つには、そのようなことが関係しているのではないかと私は分析しています。つまり、未信者の家族が何が何でもエホバの証人の家族の信仰を変えさせようとすると、彼らが(静かに)抵抗することは間違いありません。それが原因で心の壁をつくり、深い溝ができていくという対立構図ができてしまいます。しかし、共通の「論点」は何でしょうか。それは、家族が仲良く幸せに生活するということではないでしょうか。bonjin0909さんはそのために、彼女らがエホバの証人をやめてくれればいいのにと願っているかもしれませんが、先程述べたA案だけに固執すると、じり貧になる可能性が高いと思います。bonjin0909さんが奥様や娘さんに考えを変えるよう説得することは全くの自由なのですが(つまりエホバの証人も他の人たちに伝道して「説得」しているわけですので)、結局彼女らが信仰を曲げないということがいよいよ明らかになった場合はどうするのでしょうか。ある人の場合、A案が受け入れられないなら、「離婚だ!」とか「勘当だ!」という結論に達するようです。そして、その家庭崩壊の原因はエホバの証人の家族が信仰を曲げなかったせいだと考えるかもしれません。しかし、私はもっと寛容になってB案のような柔軟な対応はできなかったのだろうかと思うのです。たとえ未信者の家族と一緒に生活していてもそこそこ幸せに生活している人は身近にいませんか。エホバの証人から話を聞くのが難しければ、その未信者の家族の方に話を聞くことはできませんか。確かに、「共存」していくにはそれなりの妥協や協調が必要になってきますが、それは不可能ではないと思いますよ。

   私がB案を勧めるのは、彼らの信仰が極めて固いという事実を考慮した上でのことで、何もエホバの証人びいきということでもないと思います。最終的に家族が幸せに生活できればそれでよいのではないでしょうか。それがbonjin0909さんが思い描いていた将来像とは多少違っていたとしても。A案強行で対立するより、柔軟姿勢のB案の方が家族が幸せになるという目標を達成しやすいと思います。まあ、しばらくは様子を見てA、B両案併用というのがオチでしょうか。ところで、かくいう私もキリスト教徒と仏教徒という宗教的な混合した家庭でしばらく生活しましたが、それでもお互いに幸せに生活できたと思っています。そのためには色々と配慮や工夫が必要なのですが。私の経験をよかったらもう一度お読みになってみてください。http://oshiete.goo.ne.jp/qa/5151495.html の A No.8 yangmask の回答。


続いて、13個の質問の4つ目についてお答えします。

>4、エホバに対して否定的な情報は全て迫害されていると思われるのですか?

   その可能性はあります。ただ「全て」100%とは言えないと思いますが。エホバの証人の世界観は創造者エホバ神の下で行なわれているキリスト(と天使たち)の組織とサタン(と悪霊たち)の組織の対立関係が基本となっています。エホバの証人の見解では彼らはキリストの側に属しており、その他の世間一般の政治的、宗教的、商業的な諸組織はサタンの息がかかったものとしてとらえています。それで、エホバの証人に敵対的な団体、個人が彼らを批判する時、そのような人々はサタンに操られているとみなすかもしれません。とはいえ、エホバの証人の伝道活動はそのようなサタンの支配下から逃れ、エホバ神とイエス・キリストの側に来るよう人々に勧めているという側面もあります。つまり、無条件の絶対的敵対を彼らが望んでいるというわけではないということです。彼らは彼らと信仰を異にする人たちともできれば平和な関係を維持することを望んでいます。しかし、当然サタンは自分の支配下から人々を逃れさせないためにエホバの証人を様々な仕方で攻撃するというのが彼らの見解です。その攻撃方法は宗教的な弾圧やマスコミによる非難・中傷、暴力や嫌がらせなど様々だと言われています。エホバの証人の方々が大体そのような観点で物事をとらえているということを理解しておくなら、不必要な問題を回避できる可能性があります。

   私の意見では、エホバの証人に対する否定的な情報は攻撃的で一方的なものが多いような気がします。もちろん、そうでないものもあると思いますが。いつも言うことですが、エホバの証人に限らず、人に対して強制・命令的な方法で対処してもよい結果を生じさせません。また、怒りや腹立ちまぎれにものを言う場合などもそうです。そういう形で批判すれば少なくとも「言葉の暴力」は完全に成立するわけで、彼らはそれを彼らの用語で「迫害」と言うのでしょう。ただ、もし迷惑な点などがあり彼らに苦情を述べる場合(「伝道をやめろ」とかではなく、「最近伝道時間が増えたからか、食事の支度が間に合わない時が時々あるようだね」みたいな)には、紳士的に冷静にまた論理的に語りかければ話の通じない人たちではないと思います。素直に非を認めて謝罪し、改善してくれるかもしれません。この点は「ご近所トラブル」など一般の人たちの間で起きている摩擦問題に上手に対処する時と全く同じだと思います。

   ところで、私がbonjin0909さんを評価している点は、彼らに対して冷静にまた論理的に取り組もうとしているという点です。それは、人間としてとても基本的なしかし大変重要なことだと思います。そのような共感をしつつ、影ながら応援しております。
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この回答へのお礼

実は今度、長老さんとお会いして多くの質問をしようとしています。その為に私はyangmaskさんへ13個の質問をお願いしました。実際には現在、その内容も増えています。その目的は聖書の内容です。エホバが聖書を説明する上での資料(聖書は実際に何を教えていますか・聖書から論じる・聖書全体は神の霊感を受けたもので有益です・ものみの塔・目覚めよ)での解釈について疑問を尋ねようと思っています。私は宗教については無知ですが私なりに疑問点がたくさんあります。まずは、それを考えないとこの先も同じ事で苦しむような気がします。その目的は私が単純に世間の第三者的な発言を鵜呑みにできる立場ではない事を念頭においているからです。yangmaskさんのお答えについてですが「ところで、bonjin0909さんは普通に学校生活を送ってきた2世の方の経験はすでにお聞きになったということでしょうか。」⇒その通りです。その内容が悲しい事だからです。「飽くまで経験談ですから、真実を述べる限り「論点が合わない」という心配はないとは思うのですが。」⇒説明が難しいのですが、私が聞きたい主旨に対して角度を変えて答えてくるからです。例えば、国会を見ていると野党の質問に対しての与党の答えのように・・・。そこで、今回、長老さんと会って疑問点を投げかけようと思っています。了解も得ています。「論点と言えば、ところでbonjin0909さんの最終目標は何でしょうか。~それを何とか阻止するのが現状の目標になっているようにも受け取れます。」についてですが、A案・B案どちらが目標ですかという主旨かと思いますが、理想はA案です。しかし、B案も視野に入れなければいけないという考えです。現段階、どちらを選択するしないではなく、夫として父として何もしないで、文句だけでしたらこれほど簡単な事はありません。妻、娘の考えている事に対してまずは、ある程度のエホバの知識・考え方に対して私自身が勉強する必要があります。そこで、妻子の精神状況も想像した上でA・B案どちらかを決める事になると思います。残念ながら、今の私には決めるだけの知識・スキームが欠落しています。 「実のところ、エホバの証人が原因で家庭が崩壊すると言われている原因の一つには~確かに、「共存」していくにはそれなりの妥協や協調が必要になってきますが、それは不可能ではないと思いますよ。」についても私なりに聞いたり、調べたりしていますので認識しております。そもそも、夫婦というものは価値感に違うもの同志がいっしょになっていると思います。しかし、お互いを尊重できる関係を作る事ができる夫婦が時間と共に絆ができて、共有できる良い夫婦に発展していくと思っています。離婚の原因になっている要素は夫婦の片方が自論を通して相手を論破するからだと予想しています。それか精神的な疲労によるものだと思います。話が少しずれますが、私の現在の認識としてエホバの教えは社会常識とかけ離れている点があるから、世間からするとカルトと呼ばれてしまうと思います。特徴としてエホバが原因で招いた不幸な現実に対して目を向けない。もしくは、目を向けないように仕向けられている事に気がつかない事が問題だと思います。理想はA案だと言ったのはそれによるものです。妻子との良い関係も大事ですがこのような人格になってしまう事も恐れています。しかし、これに伴う弊害を考えなければいけないという事から現段階は選択できないという事です。最後に今、私が行っている事をお伝えします。先程、お話しした聖書は実際に何を教えていますか・聖書から論じる・聖書全体は神の霊感を受けたもので有益です・ものみの塔・目覚めよについて、目を通しています。勿論、長老さんとお話する上で私も学ぶ必要があるからですが、不明な点は妻に聞きながら読んでいます。目的は最初から否定するつもりではないよと言う姿勢を大切に考えています。しかし、娘は私が冊子を見ている時、また、何か言われたらどうしようと思っているような気がします。私は冗談で娘にパパが聖書を見ている姿は見合わないというような事を笑いながら話をするのですが・・・・。

いつも貴重な御意見ありがとうございます。

お礼日時:2012/05/06 09:46

これは、A No.15 yangmaskへのお礼に対する返答です。



>「ところで、bonjin0909さんは普通に学校生活を送ってきた2世の方の経験はすでにお聞きになったということでしょうか。」⇒その通りです。その内容が悲しい事だからです。

   私が先回、「普通に学校生活を送ってきた2世の方」というのは、エホバの証人スタイルで学校生活を送ってきた人たちで成功した事例のことでした。この前紹介したようにそのような女の子の事例をこの目で見てきましたし、2世の方が100%全員悲惨な学校生活を送るはめになるということはないと思います。(「その内容が悲しい事だから」と言われるところを見ると、何となくそういうふうに考えておられるのかなと思いまして。間違いでしたらすみません。) それで、まさしく公正な観点からも悲惨な結果になった例だけでなく成功例も知っておくならきっとプラスになると思いますよ。

>私が聞きたい主旨に対して角度を変えて答えてくるからです。例えば、国会を見ていると野党の質問に対しての与党の答えのように・・・。

   なるほど。もう何度も彼らと話し合っているので、次にどういう対応をするか分かってきたということですね。それならそれで、対応策はありませんか。同じパンチをまともに受け続ける必要はありません。それとも、あきらめてリングから降りますか。ところで、実は私が交換日記・交換ノート形式を勧めるのはその点で利点があります。記録しておけば、論点のずれがどこで起きたのかを容易に確認でき、それを具体的に指摘し、修正することが容易になるはずです。口頭の会話では言葉が消えてしまい、その後どこで論点がそれたのかを指摘し修正することが大変困難だと思います。実際、このような私とbonjin0909さんがしているようなやりとりをしてみるのはいかがでしょうか。

>特徴としてエホバが原因で招いた不幸な現実に対して目を向けない。もしくは、目を向けないように仕向けられている事に気がつかない事が問題だと思います。

   具体的な事例を挙げ、彼らがどう考えているかを聞いてみるとよいと思いますが、実際彼らに聞いてみても一つ上の話のように論点がずれていくということなのでしょうか。その例の長老さんが応じてくれるのなら、是非「交換ノート形式」でしばらく意見交換してみてはいかがでしょうか。そうすれば、話し合いをするために会う時間を合わせる必要もないですし、そのように言えば長老さんも応じてくれるかもしれませんね。実際のノートではなく、このようなインターネット越しの交換ノート(ホームページを共有するなどして)もありと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。私も2世の方が100%そうなるとは思っていません。多分、聞く相手の立場(現信者か元信者)で異なると思います。しかしながら、前向きな考えも大事ですが、実際におきている不幸な現実にも目を向ける必要があります。そして、準備も必要と考えています。ネットで苦しんでいた経験談や辛い話を聞いた方も投稿していますが話半分でもかなりの方がいます。私も会って話をした方も今、なお苦しみから脱却できていません。勿論、成功例も大事ですのでチャンスがあれば聞いてみたいと思っています。ただ、個人差がありますのでその辺りは冷静に対応しなければなりません。

「もう何度も彼らと話し合っているので、次にどういう対応をするか分かってきたということですね。それならそれで、対応策はありませんか。同じパンチをまともに受け続ける必要はありません。それとも、あきらめてリングから降りますか。」ですが、 yangmaskさんのアドバイスの通り交換日記・交換ノート形式はしたいと思っています。それに合わせて私自身も知識を身につける必要があると思います。長老さんとも以前、エホバについてお話をした事があります。しかし、その時は私が今と違って真剣に取組みしていませんでしたので、単純に世間の話を聞いただけで意見を述べたに過ぎませんでしたが、今はエホバについて奥が深いと認識していますので、知識は必須と思っています。リングを降りると言った経緯は何から発信されたのでしょうか?そんなに簡単にリングから降りるのであれば最初からこのようには取り組みません。

論点がずれる件ですが、ネット上でも信者の方も参加していますので、そちらを見ていただければわかると思います。これは理屈ではなく、エホバ神が絶対ですので、いかなる否定的な意見、対立的な意見は受け入れる事はしない大前提から発信しているので論点がずれると思っています。しかし、この見解はエホバ以外の宗教全体に言える事ですが、私自身それならそれで信教の自由がありますから良いと思います。しかし、社会との協調性を無視されると私のような立場の人間は困ってしまうと思います。

長老さんとは誤解がないように最初はお会いして話をしたいと思っています。ネットですと言葉のキャッチボールが難しいのと長老さんはパソコンが不得手らしいので方法は一度、お会いしてから決めたいと思います。

いつもありがとうございます!!

お礼日時:2012/05/06 13:41

これは、A No.16 yangmaskへのお礼に対する返答です。



>リングを降りると言った経緯は何から発信されたのでしょうか?そんなに簡単にリングから降りるのであれば最初からこのようには取り組みません。

   飽くまで例えですので深刻に受け止めないでください。でも、やはりbonjin0909さんはこの問題を真剣に考えておられるということですよね。もし、言葉が不適切だと感じたのでしたら、お許しください。ただ、「リングから降りる」の私の真意とは、「エホバの証人はどうせ話の論点をそらしてくるから話し合っても無駄だ」と考えておられるようだったので、「無駄だ」と考えて話し合うのをあきらめるのではなく(つまりリングを自ら降りるのではなく)、対応策を練ることはできないのかなということでした。でも、長老さんともお話しし合うとのこと、成果を期待します。

>これは理屈ではなく、エホバ神が絶対ですので、いかなる否定的な意見、対立的な意見は受け入れる事はしない大前提から発信しているので論点がずれると思っています。

   なるほど。それでは、なぜ彼らはエホバ神を絶対的な存在として受け入れているのか、そのあたりのメカニズムにはすでにメスが入っているのでしょうか。彼らの大前提となっている根幹たる部分ですから、その仕組みについて理解することは話し合いの際にプラスになると思います。例えば、見えない神の存在がどうして分かるのか、どのように証明できるのか、といったところからでしょうか。ちなみに、私もキリスト教徒ですから、その点は証明できると考えていますが。関心があれば、またお伝えします。

>しかし、社会との協調性を無視されると私のような立場の人間は困ってしまうと思います。

   きっと何かあったということですよね。多分、葬式だとか輸血の問題とか進学・部活動・格闘技などの問題などですか。bonjin0909さんのような未信者の家族の方ができるだけ困らないようにするよう奥様や娘さんも努力しておられるとは思うのですが。具体的にどのような点にご不満があるのかまたよければお話しください。しかし、その「困る」というのが「とにかく周りのみんなと同じようにしてくれないと困る(恥かしいとか)」という主旨であれば、「周りのみんな」がしている行動が正しいということを具体的に証明するのでない限り、どうしても「とにかく・・・しろ、やめろ」というような命令・強制調にならざるを得ないと思います。そもそも2世ではないエホバの証人の方々はこの世の中で普通に生活していた人々だったわけです。それにもかかわらず彼らが世の中の常識から脱した(「強調性を無視している」と言われている由縁)のは、その間違いに気が付いたというのが大抵の動機なのだと思います。ですから、彼らを説得するにあたり、世の中の「常識」が絶対的な真理ではないと彼らが考えているという点を考慮に入れておく必要があると思います。

>ネットで苦しんでいた経験談や辛い話を聞いた方も投稿していますが話半分でもかなりの方がいます。私も会って話をした方も今、なお苦しみから脱却できていません。

   これは1975年説に関する回答の中でも述べたのですが、「だれだれのせいで」と言って過去を引きずっているうちは彼らに明るい将来はないと思います。その点に関する内なる自分を改革する必要があることは前に述べたとおりですが、それ以外に彼らが立ち直る道はないと思います。私はそのような人たちを見てとても残念に思えてなりません。だれか自分以外の他者の責任に注意が集中しているうちは自らの反省・改善点に目を向けることができず(というより逃避しているのでは?)、それゆえに自らの卵の殻を打ち破って新しい自分に生まれ変わることができないでいます。誤解がないように言うのですが、このような見解はとても冷たい、厳しいと思われるかもしれません。私もうつ病から奪還できたと以前述べたとおりですが、何かを「克服」するのにはものすごくエネルギーが要ります。そして、すごくつらいし、大変です。でも、それをあえて正面から取り組む以外、逃げていては「克服」は成りません。私もとてもそのような元2世の方々を気の毒に思っています。私は彼らが自らの過去から教訓を得て新しい自分に生まれ変われるように願っています。

   ところで、bonjin0909さんは元2世の方々がどのようなことが原因で傷付いておられるのかその具体的なメカニズムについて、どのように理解しておられますか。というのも、もしただ漠然と「2世だったから傷付いた」という論理であれば、「2世だったけど傷付かなかった」という他の現役2世の人たちの経験から論破されてしまうからです。その明暗を分けたものとは何でしょうか。私が先回、2世の「成功例」をも参考にするよう勧めたのにはそういうことが関係しています。それらを比較してみることは娘さんの問題に対処するのに大変参考になると思います。

   最後に、本当に誤解がないように願うのですが、本当に短刀直入に言うので憤慨しないでください。bonjin0909さんは「エホバの証人は自分たちが絶対正しいと信じていて否定的な見解を無視する」との見解でした。私の第三者的な観点から見て、bonjin0909さんは「エホバの証人は絶対に間違っているに違いない」と考えておられるように思えます。これでは融和はありえませんよね。各人が様々な主張をするのは自由ですが、ある事柄が正しいか間違っているかを判定するには「証明」とか「立証」が必要です。これは裁判に例えると分かりやすいと思います。ですから、bonjin0909さんにお勧めするのは、彼らが間違っていると考えておられるのであれば、その間違いを具体的に証明すべきだということです。エホバの証人が関わっている問題が何か不都合な結果になった場合に、ただ漠然と「きっとエホバの証人が悪いに違いない」という結論の出し方には少し無理があると思います。その「真犯人」はまた別のものかもしれません。要するに、犯罪を「立証」せずに有罪判決を出す裁判は不当だということではないでしょうか。また、彼らにも彼らが潔白であることを証明するように求めることもお忘れなく。多くの人たちの話し合いが平行線をたどる原因は今述べたような要素を無視しているところにあると思います。是非、その長老さんとの話し合いが有意義なものとなることを願っています。
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この回答へのお礼

「なぜ彼らはエホバ神を絶対的な存在として受け入れているのか、そのあたりのメカニズムにはすでにメスが入っているのでしょうか。」⇒私が接していた中での感想です。
「私もキリスト教徒ですから、その点は証明できると考えていますが。関心があれば、またお伝えします。」⇒是非、お願いします。
「きっと何かあったということですよね。多分、葬式だとか輸血の問題とか進学・部活動・格闘技などの問題などですか。bonjin0909さんのような未信者の家族の方ができるだけ困らないようにするよう奥様や娘さんも努力しておられるとは思うのですが。」⇒娘の学校での人間関係・私の父との関係、将来、子供が感じるであろう学校での諸問題。
「元2世の方々がどのようなことが原因で傷付いておられるのかその具体的なメカニズムについて、どのように理解しておられますか。」⇒一番に感じたのは自己主張できる環境がない事だと思います。
「最後に、本当に誤解がないように願うのですが~多くの人たちの話し合いが平行線をたどる原因は今述べたような要素を無視しているところにあると思います。」⇒私はエホバが全て悪いとは思っていません。今はそれよりも、大事な事は私もエホバについて勉強することだと思います。昨日は会衆に参加してきました。今日は長老さんにお会いして色々と質問させていただきました。そして、毎週1回長老さんとマンツーマンで聖書の学びを行ないたいと思っています。私の判断基準はその中で良悪を決めていきたいと思います。ちなみに、今日は「神から人類に対する見方」「武道禁止についての聖書解釈の考え方」「キリストを名乗っている宗派が何故、同じ聖書を扱っているの敵対関係にあるのか?」等質問を投げかけました。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/07 20:46

これは、A No.17 yangmaskへのお礼に対する返答です。



>「私もキリスト教徒ですから、その点は証明できると考えていますが。関心があれば、またお伝えします。」⇒是非、お願いします。

   目に見えない神が実在することの証明でしたね。以下、私の見解をお伝えします。

   <人間は目に見えないものを識別する能力を持っている> 人間は目に見えないものを「見る」つまりその存在を識別・認識することができますか。例えば、「1、2、○、4、5・・・」という数字の並びがあるとします。○の部分には何が入ると思いますか。当然、「3」だと分かったのではないでしょうか。このように、見えないはずの「3」を私たちは「見る」つまり識別することができました。どうして分かったのでしょうか。見えている数字の並びとの相互関係から推理した結果それが分かったというわけです。同じように、例えば推理小説の名探偵などが実際に事件を目撃したわけではないのに、現場の状況や遺留品、関係者からの証言などに基づいて推理した結果、あたかもその事件を目撃していたかのようにそれがどのように起きたかを言い当てることができるのではないでしょうか。

   また、人間が持つ知識の多くは実際には見ていないものが多いというのが事実です。例えば、原子とかDNAの構造だとか、細菌やウイルスの存在など研究者以外は実際に目で見たことはないでしょう。あるいは、ニューヨークに自由の女神像があることやパリにエッフェル塔があることも、そこに行った人以外見たことはないでしょう。しかし、それらは実際に存在するということを多くの人は認めているのです。このように人間は見えないもの、見たことがないものでもその存在を識別する能力を持っているということが確認できました。ですから、「神は目に見えないから信じることができない」という論理は人間の能力からすれば当てはまらないということができるでしょう。

   <被造物から神の存在を推理する> では、見えない神の存在をどのように識別できるでしょうか。私がここで言う「神」とは、キリスト教の唯一紳で、万物の創造者のことです。聖書によると、存在するすべてのものはこの創造者によって造られました。つまり、宇宙も地球もその中にある動植物、そして人間も神が造ったということです。もしそれが事実なら、そのような神が造ったもの(被造物)を観察する時、見えない神が存在することを識別する手がかりを得ることができるはずです。

   <人間以上の知性が存在する> では、それらの被造物を人間と比較してみましょう。まず、人間以上に大きいものは存在しますか。はい、当然存在します。例えば大型動物がそうですし、もっとスケールを大きくすれば地球も太陽もさらには大宇宙もあり、それらと比較するとき人間の存在の小ささを実感せずにはいられません。また、人間以上に強い力が存在しますか。それも存在します。台風や地震や火山、さらには太陽の核エネルギーなど挙げればきりがありません。では、次の質問はどうでしょうか。人間以上に賢いものが存在しますか。さて、その点どう思われますか。人間は地球上で最も賢い生物だと考えていますし、実際そうなのですが、しかし多くの研究者たちが様々な分野の研究をしてきたにもかかわらず、現実には人間の知性では到底及びもしない高い領域(人間ではまだ理解できていないこと)が存在することがいよいよ明白になってきました。

   例えば、鳥は人間が飛行機を発明するよりもはるか大昔から空を飛んでいました。ライト兄弟が飛行機を実用化するまでにどれだけ多くの人が苦労して「空を飛ぶ」ための研究をし、また失敗を繰り返してきたかを考えてみてください。重力のある地球上で空を自由に飛行するということは実際には並大抵のことではないということです。それには綿密に計算された飛行設計が必須であり、それなくしてどのように空を飛ぶことができるでしょうか。にもかかわらず、鳥は当たり前のように空を飛んでいます。人間の研究者たちは鳥の体の構造などについても研究を深めてきました。内臓の軽量化、骨の構造、羽毛のしくみなど飛行のための工夫が施されていることに彼らは驚きました。では、そのような鳥の飛行設計や工夫を鳥自身が考えて設計し、施工したのでしょうか。そんなことはあり得ません。では、どうしてそのような人間でも驚くべき綿密な飛行設計や工夫が施されているのですか。それは、人間よりも高い知性を持つもの(そのような設計・施工ができる者)が実在するということを意味しているのではないでしょうか。

   <偶然? それとも意図された設計・施工?> 例えば、古代の遺跡が発掘され、調査された結果、高度な文明が存在していたと言ったりするのではないでしょうか。ピラミッドが正確に真北を向いているとか、星の運行に合わせて設計されているなどはそのような証拠とみなされます。私たちはその時代の文明を実際に見たわけではありませんが、それらの遺跡(証拠)に基づいてそのような結論に達することができるのです。では、鳥とかその他の被造物の中に人間の知性をはるかに超えた設計や工夫(証拠)が見られる時、それを設計・施工した者が実在することを確認できるのではないでしょうか。古代遺跡を見て、「それは偶然に発生した」などと言わないのと同じく、被造物に見られる人間以上の知性を見て、「それは偶然に発生した」と言うことができるでしょうか。進化論によると、自然に(偶然に)生命が発生したと言っているのですが・・・。

   <目的をもって造られた> 被造物(例えば地球上の動植物など)には人間以上の知性が見られるという事実から、(1)被造物は綿密に設計され、施工された、(2)被造物を設計・施工した者、つまり創造者が実在する、ということが推理できる、または証明できるのです。それは、「創造者なる神によってすべてのものは造られた」という聖書の考えと一致しています。しかも、それには人間にとってもっと重要な意味があります。例えば、人が何かを作る時それには何らかの目的があるはずです。同じように創造者が何かを造る時それには目的があったはずです。つまり、それは神が目的をもって私たち人間を造ったということを意味しています。「なぜ自分は存在しているのか」、「人生の目的は何なのか」などという古今東西の人々が考え続けてきた疑問の答えを創造者は知っているということです。それで、聖書はそのような神からの答えを伝える書物ということになります。このように、被造物(大宇宙や大自然や動植物など)と聖書を深く研究する時、創造者についてさらに理解を深めることができ、さらには自分自身の存在意義は何なのかという核心の部分までをも解明し得るものとなるのです。
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この回答へのお礼

目に見えない神が実在することの証明ですが、何度も読み返したのですが私の能力では yangmaskさんのお話しが理解できません。言いたい事はわかるのですが、神の実在に繋げる事が私には難しいようです。誠実にお答えしていただいたお気持に対して意見すら述べる事も出来ない事に恥ずかしい気持ちです。すみません。

お礼日時:2012/05/09 08:27

これは、A No.18 yangmaskへのお礼に対する返答です。



>何度も読み返したのですが私の能力では yangmaskさんのお話しが理解できません。言いたい事はわかるのですが、神の実在に繋げる事が私には難しいようです。

   そうですね、「神」という概念なしで生活している方には「?」な話だったでしょうか。何度も読み返してくださったとのこと、ありがとうございます。まず、チェックすべきことは(1)私の述べた説明の中で事実に反することが述べられていないかどうかという点です。また、私は事実に基づいて推理・推論して結論を導き出しているわけですが、(2)その推論の過程で間違いがないかという点です。もし間違いがあるなら、その推論の仕方を論破する反論が必要でしょう。しかし、それらのチェックを通過しても、導き出された結論が今までの自分が持つ基本概念とかなり異なっているとすれば、それは受け入れがたいものなのかもしれません。しかし、(1)(2)の点をチェックしながら重要な点だけもう一度説明させてください。

   <<チェック(1)それは事実か>> 私が基本的に言いたかったことは、まず、大宇宙や地球上の大自然、動植物などを観察する時に「人間以上」の知恵が見られると現に科学者たちも認めているということでした。これが事実であることは間違いないと思います。(例えば、DNAの構造や光合成のしくみなど、また鳥、魚や動物に見られる飛行・潜水・走行能力など人間の技術を上回っているもの) つまり、チェックの(1)ということです。これは他の科学的な資料などご自分でお調べになるとよいでしょう。

   <「人間以上」のものを認めることができるか> それで、実際には人間はまだ知らないことばかりなのではないでしょうか。ただ、現代科学が発達したこの社会は「人間至上主義」とでも言える考えに染まっているのかもしれません。つまり、それは「人間があらゆるものの中で最も高いレベルの生物・存在である(→だから地球の支配者)」という暗黙の考えです。しかし、私はそれは大変高慢な考えであると思います。そのような「主義」は結局、自然と協調することよりも破壊することを選び、結果として自らの滅亡をも招こうとしているのです。(例えば、商業主義→環境破壊→地球温暖化→異常気象→甚大な被害) 以前の世代、つまり科学が発達する以前の人々は今よりももっと自然と向き合い、そこからの恩恵に自分たちが依存していることを身に染みて実感していました。そして、自分たちよりもより偉大な、何か畏れるべきものがあるということを直感的に感じ、そのようなものを「神」として崇めていたのでしょう。その方式にはいろいろあって確かに変なものもあるのですが、しかし彼らは少なくとも「人間以上」の何かが存在しているということを漠然とながらも認めていたということです。

   <具体的な事例> それで、「人間以上」のものがあるのかないのかということですが、実際にはあるというのが事実ではないでしょうか。先回、鳥の話をしました。鳥が空を飛ぶには飛行設計が必要であり、それがすでに大昔から実用化されていたのです。鳥と無人の軍用小型偵察機を比較してみてください。鳥は自らの意思をもって行動でき、餌は自分で見つけて食べ、ある程度の負傷なら自己修復でき、繁殖して増えます。鳥は「完全自立型の小型飛行機」ということができるでしょう。一方偵察機は誰かがコントロールせねばならず、誰かが燃料や電気を補給・充電してやらねばならず、故障すれば誰かが修理せねばならず、もちろん自分の力で繁殖して数が増えるはずもなく誰かが生産しなければなりません。また、飛行燃費の良さも違います。飛行機はジェットエンジンかプロペラエンジンを動かすための燃料が必要で航続距離がかなり制限されますが、鳥は気流に乗って飛ぶことができるので、より効率よくエネルギーを用い、あるものは北極圏と南極圏間を行き来します。(例えばキョクアジサシという鳥です。) このように、「実用化された飛行機(空を飛ぶもの)」としては鳥の方が人工の飛行機よりもはるかに飛行に関する技術レベルが高いということが言えます。

   <<チェック(2)その推論は妥当か>> ですから、この鳥の事例からも分かるとおり、飛行理論・設計は大昔からすでに実用化されていたのです。一見当たり前のようですが、よく考えるとそれは驚くべき事ではないでしょうか。それにしても、だれがそのような設計を計算し、組み立てたのでしょうか。それは「人間以上」の知能と能力を持った者がそれをしたというのでなければ説明のつかないことです。(ところで、http://birdman.hiroshima-u.ac.jp/body/「広島大学 鳥人間コンテストへの挑戦」に面白い資料がありました。ざっと目を通すだけでも空を飛ぶことがいかに難しいこと、知恵が要ることかが分かりますね。) 

   <偶然に発生し得るか> 進化論では生命は偶然に発生し、その後進化して、現在あるような様々な生命に枝分かれしたと言っています。では、鳥が空を飛ぶ生き物として存在するのは偶然(に発生した生命の進化)の結果であると言い得るなら、それよりももっと簡単に設計・制作し得る人工の飛行機が偶然に発生するということもあり得るということになるでしょう。しかし、そのようなことが起きるはずがありません。たとえ何億年経過しても紙飛行機でさえも偶然に発生するということはあり得ないでしょう。

   <設計・製作者が必要> そのようなものは設計・制作するだれか「技術者・工作者」がいなければ完成することはありません。ですから、どう考えてもだれかが飛行理論を理解して、飛行設計をし、次いで実際に制作したのでないかぎり、鳥のような完全自立型の優秀な飛行機が完成することはまずあり得ないのです。そのような設計・製作者のことを私は「人間以上」の存在、創造者、神というふうに呼びました。それが具体的にどのような者なのかは別としても、しかし最低でも「人間以上」の知性を持った人格的な存在者(生きている者)が実在することはそれによって確証できると思います。

   いかがでしたか。要点は、「人間以上」の知恵・技術が現にある、(ということは→)「人間以上」の設計・製作者がいるはずだ、ということでした。その「人間以上」の存在者が神と呼ばれているわけです。しかし、鍵は「人間以上」の知恵は認めることができたとしても、「人間以上」の存在者を認めることができるかという点にあるかもしれませんね。疑問に思った点、分からない点などがありましたら、ぜひ具体的に教えてください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。理論的な事はわかりました。人間以上の能力を備えたものが何なのか?という点が神の存在を提起する上での判断材料になると言う事でしょうか?そして、その理論が発展して神の存在を現実にいるという感覚を養う為の材料がこの世にあるキリスト教での学びに繋がっているという見解で良いでしょうか?しかし、残念な事に神が人間に託した聖書が色々な宗派によって解釈され、それぞれの自論をぶつけ合っているこの世の多くのクリスチャンを神が見たらどのように思うでしょうか?形だけの崇拝であり、真理はすでに失われてしまっているように見えてしまいます。

神の存在を否定する見解もお話いたします。、「人間以上」の知恵・技術が現にある、(ということは→)「人間以上」の設計・製作者がいるはずだ、ということでした。その「人間以上」の存在者が神と呼ばれているわけです。しかし、鍵は「人間以上」の知恵は認めることができたとしても、「人間以上」の存在者を認めることができるかという点にあるかもしれませんね。⇒実はこの見解は将来、人間の力で解明出来てしまうかも知れませんと言う話も考えられませんか?現在は解明されていないから人間以上の知恵を神の存在として考える事も理解できるのですが、反面、今は気がついていないというだけかも知れませんという解釈もあると思います。いかがでしょうか?

最後にキリスト教であるyangmaskさんに対して私のコメントに失礼がありましたらお許し下さい。

お礼日時:2012/05/09 18:15

これは、A No.19 yangmaskへのお礼に対する返答です。



>⇒実はこの見解は将来、人間の力で解明出来てしまうかも知れませんと言う話も考えられませんか?現在は解明されていないから人間以上の知恵を神の存在として考える事も理解できるのですが、反面、今は気がついていないというだけかも知れませんという解釈もあると思います。いかがでしょうか?

   ご意見ありがとうございます。いやいや、こういう骨のあるご意見を待っておりました。今後もどんどんご意見ください。「最後にキリスト教であるyangmaskさんに対して私のコメントに失礼がありましたらお許し下さい」とのメッセージもしかと受け止めました。大抵のことは大丈夫です。むしろ、疑問点は全部出し切っていただいてOKです。

   それはともかく、上の質問についてですが。そうですね、将来人間の科学はもっともっと進歩することは間違いないだろうと思います。例えば、江戸時代の人に「巨大な鉄の塊が大勢の人を乗っけて空を飛ぶんだよ」とジャンボジェットのことを言っても多分信じてもらえないでしょう。同じように、将来科学は現代の私たちの予想をはるかに超える進展を遂げ得ると言えるでしょう。

   しかし、重要な点は、過去すでにそのような「人間以上」の技術が開発され実用化されていたということです。つまり、それは私が先回述べたように例えば鳥に見られるような「人間以上」の技術のことです。たとえ、そのメカニズムが将来科学の進歩によってすべて解明されたとしても、過去に実際、誰がそのようなものを造ったのかという事実は変わらないでしょう。例えば、法隆寺の五重の塔は千年という歳月をも耐え得るとても高い木造技術が使われているそうです。確かに、そのしくみを現代科学は解明したのですが、それでもその五重の塔を造った建築者(すみません誰かは知りません)が変更されるということはないでしょう。

   ですから、「人間以上」と繰り返し言っている意義は、例えば先回挙げた飛行機のようなものでさえも人間が頭を使って一生懸命考えて、計算して、設計して、製作しなければできないというのであれば、ましてやそれ以上の技術力を要する鳥にはなおのことそうであろうということでした。つまり、鳥のような高度に実用化された飛行機には高度な技術が必要だということを示すために、「人間以上」と述べることにより現段階での人間の科学力と比較したに過ぎません。たとえ、将来人間の科学が鳥のような飛行技術に追いついたと過程したとしても(仮に神と同等のレベルに達したとしても)、というよりもそうなればますます、その鳥のようなものを造るには高いレベルの設計・制作者が必要であることに変わりはないでしょう。

   いずれにしても、そのような過去の「設計・製作者」に変更はないということです。将来(科学の進歩)から過去(だれが鳥を設計・製作したか)は影響を受けないからです。この説明分かりにくければまた教えてください。

>しかし、残念な事に神が人間に託した聖書が色々な宗派によって解釈され、それぞれの自論をぶつけ合っているこの世の多くのクリスチャンを神が見たらどのように思うでしょうか?形だけの崇拝であり、真理はすでに失われてしまっているように見えてしまいます。

   まさに、現状はそのような嘆かわしい状況にあると私も同意します。しかし、神はあらかじめそのような状態が生じることを予見しておられ、それは聖書に預言されています。「聖書から論じる」を読んでおられるなら、そのような項目があるだろうと思います。以前、No.13でも示しましたが、http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7392685.htmlで私yangmaskがA No.11として答えているように、神は人間の自由意志を重んじるゆえにたとえ正義であってもそれを悪い人間に強制することはされません。

   それでも、神は道を誤った罪人たちを無制限に放置しているのではありません。サタンも含め悪の勢力全体は神の許しなくしては何も行なうことはできず、それを神が許しておられるのには目的があるからです。神は一度限りサタンの主張が間違いであることを決定的に確証した後で彼らを処罰しようとしておられるということです。(ちなみに水戸黄門も最初は悪代官を放置しておいて、悪の証拠が十分そろったところで印籠を出しますよね。) その後、心の正直な人たちは神の元に帰り、楽園で永遠の命を楽しみます。しかし、一度エデンから追放された罪人(つまりアダムの子孫)が神の元に帰るには手続きが必要であり、そのためにイエス・キリストがこの地上に遣わされてきたということになります。とても長い数千年単位での神のご計画ですが、死んだ人たちは将来復活させるということを前提にしています。人間の計画とはとても比較になりませんが。

   それで、結局、現段階で悪が許されているのも、またキリスト教が乱れているというのも、神のご計画の中での想定内の出来事であり、それには目的がきちんとあるということです。神の正義を真に求める人たちは最終的に正しい道に導かれますが、そうでない不純な動機がある人たちは「偽のキリスト教」やその他のまがいものによって足止めされることになり、神の元にたどり着く事ができません。「真理はすでに失われた」のではありません。むしろ、それは(偽のキリスト教などにより)隠されているのであり、本当に正義を求める人たちだけにしか見出されないようになっているのです。それらの点の聖書による裏付けは「論じる」から探してみてください。必要ならまたお伝えします。
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この回答へのお礼

現在の人間が解明出来ない技術をすでに、神は設計・製作している。仮に人間の技術が解明したとしても、すでに存在しているものは事実であり、これは神が製作したとの見解のようですね。これはよく話になる進化論の議論に繋がっている見解でしょうか?yangmaskさんの話はよくわかります。しかし、この話が神の定義に結び付けることはいかがでしょうか?そもそも神とは何でしょう!!私は神の存在を最初から否定はしませんが、この世のクリスチャンの話を聞いているとクリスチャンの多くの方が神の存在意義よりも自身が信じている宗派の信仰を推し進めており、その信仰を神の言葉として発信しているように見受けられます。反対であれば、神の存在を考える上での材料としてyangmaskさんのお話が自然に入ってくるかと思いますが、私のように無縁だった人間にとっては神の存在を確信する事は難しいと思います。
どうして、「現段階で悪が許されているのも、またキリスト教が乱れているというのも~本当に正義を求める人たちだけにしか見出されないようになっているのです。」と言えるのでしょうか?聖書は神の代弁をしてこの世に伝えていると言う見解もあるようですが、聖書を作ったのは人間であり、神ではないと思います。だから、不完全の人間が作った書物に対してキリスト信者の中でも解釈が異なっているかと思います。仮に神の存在があったとしましょう!!しかし、神の言葉を正確に解釈する事は人間の能力では不可能です。仮に楽園があっても神の言葉を人間が解釈する能力がないので楽園の世界は夢物語に感じてしまいます。yangmaskさんのお話しに対する感想として視点を替えてのお答えになってしまいました。なぜならば、直接のお答えだと文章でまとめる事が私の能力ではハードルが高すぎました。後日、直接的なお答えはいたします。しかし、yangmaskさんのお話は深いですね!!宗教感に対してこれほど、私自身が考えた事はありません。これからは、妻子の立場もありますので、私にとってはとても良いきっかけになり、とても感謝しております。

お礼日時:2012/05/12 12:00

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