昭和40年代前半の東京に興味があり、おうかがいします。
当時のおしゃれな若者はどのような場所で 何をして遊んでいたのでしょうか?
「ゴーゴークラブ」「絨毯バー」など そういう遊び場があったと聞いたことはありますが、実際を知りません。そのような場所で遊んでいたという方、いらっしゃいますか?
夜の遊び場だけでなく、当時最先端だったレストランやブティックなどの具体的な店名も
おうかがいできればうれしいです。
いわゆる「○○族」のようなブーム(社会的現象)については、当時のニュースフィルム動画などで多少垣間見ることができますが、それ以外の(いわば、時代の最先端にいた)若者たちが何をしていたかの映像は見たことがありません。
昭和40年代はいわゆるカタカナ職業が定着し始めた時代でもあると思うのですが、例えば、デザイナーやファッションモデルをされていた方、そういう方々とお付き合いの
あった人々はどんなライフスタイルをお持ちだったのでしょうか?
特に当時、青山や六本木で遊んでいたという方がいらっしゃいましたら、当時の若者のライフスタイルについて、おうかがいできましたら幸甚です。
(同じテーマを扱っているHPやブログ、小説、エッセイなども
ご紹介頂けましたらうれしいです)
よろしくお願いいたします。
A 回答 (6件)
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No.6
- 回答日時:
遅くなりまして申し訳ありません。
出前、やっぱりけっこうインパクト強いですかねぇ(笑
しかも、うどんですからね、うどん(笑
尤も、出前とは言っても、お店のメニューにあるんですよ。
ただ、店では作らないで、他の店(ラーメンならラーメン屋さん)に注文して、出前してもらうだけだったと思います。
割と普通でしたよ、そういう「出前サービス」って。
今は、ディスコで「出前のうどん取ってよ」と言ったら、追い出されるでしょうけど(笑
>『ビートポップス』については、
>大橋巨泉さんが司会者だったということと
>番組名だけは知っていましたが、
>実際に映像を見たことはありません。
>(夜の番組だと思っていたら、フジTVで夕方の放送だったとか)
そうですね。
毎週土曜日の…確か、午後3時か3時半ぐらいからだったと記憶しています。
学校から、急いで帰ったような…
>今回ご回答を頂いて、youtubeで探してみたのですが、
>見当たりませんでした
ありゃ、ありませんでしたかー。残念。
なんか、ありそうなんですけどね。
星加ルミ子さん(音楽評論家・音楽雑誌編集者)などが、巨泉さんと一緒にレギュラーで出てました。
藤村俊二さんとか。
↑いつも変なダジャレを飛ばしてばかりでした(笑
>これで見る限り、服装や髪型などには(一部の方を除いて)
>あまり特徴がないように思われます。
そうですね。ヒッピーのように、「一目みて判る」という感じではなかったと思います。
ただ、スーツなどは着ず、夏でも冬でも貧しげな服装だったと。
>「路上で寝ている(宿泊も?)」
>「シンナー吸引(& 薬物?)」
>「だらだらする」
そんな感じです。
要するに、定職に就かず、趣味の音楽などをやりつつ、かなり投げやりに生きている人たち。
圧倒的に男性が多かったと思います。
>「ヒッピー」については、当時のアメリカ(西海岸)に生まれた
若者風俗というのは知っていましたが、日本におけるヒッピーというのが、どのような存在だったのかが、良く判りませんでした。
日本における「ヒッピー」は、単にアメリカのモノマネでした。
ただ「アメリカで流行っているから取り入れた」というだけの。
そもそも、日本では、ヒッピームーブメントが起こるような社会情勢ではなかったし…
何しろ、戦争してませんからね。
反戦も何もあったものじゃありません。
ただ、アメリカの反戦ブームに乗っただけのことだったのです。
当時は、若者たちはそうは思わなかったでしょうね。私も思いませんでした。
日本人でも、反戦(この場合は、ベトナム戦争を指します)の意思を示すべきであると、固く信じてましたし。
ですが、それはやはり「流行だからやったみた」なんですよね。今思うと。
>本家(アメリカ)の方は、ベトナム戦争への反対や徴兵拒否、
>ドロップアウトetc.を背景に生まれた社会現象だと思いますが、
>直接戦争や徴兵には関わりのない日本の若者が何故ヒッピーに?
>と思っていました。
でしょう?
当然の疑問だと思います。
口先でだけ「ベトナムに平和を!」「徴兵反対!」とやっていただけなんです。
自分たちには降りかからない火の粉を、さも熱そうにしていただけなんですよ。
当時は、新宿東口のアルプス広場で座り込んで、ギターを鳴らしながら反戦歌を大声で歌う若者たちが、たくさん居ました。
『風月堂』というのは、残念ながら知りません。すみません。
今でもある、お菓子の風月堂なら知ってます(笑
とにかく、今考えると、ゴーゴークラブやヒッピーや、反戦運動やフーテンなどは、本当に一過性の「熱病」のようなものだったと…。
まだ文化が多様化する以前のことですので、情報源が限られます。
私たち高校生などは、深夜ラジオ、テレビ、一部の雑誌などからしか情報を得られませんでした。
みんなそうなのですから、必然的に集まるところは同じになってしまいます(笑
それでも楽しかったのですから、やはり若さですねぇ。
若いということは、何をしても楽しいものなのかもしれません。
毎度、長くなりまして申し訳ありません。
石器時代より昔(と、息子や嫁からしたら思うであろう)の、私の青春を思い出させて頂けて、とても楽しいです^^
この回答への補足
いつもご丁寧なご回答を頂きまして、ありがとうございます。
前回のご回答から、すっかり間が空いてしまいまして、
本当に申し訳ありません。
うどんの衝撃から立ち直って(笑)、
張り切って質問(結構長文)を書いたのですが、送信しようと
クリックした途端、そのテキストが、
えっ? ええっ?!? ないーーー?!
理由不明ですが、クリックの瞬間にどうやらテキスト丸ごと
宇宙の彼方?へ行ってしまったらしく、
「ああ~、セーブしておけば...」と、ガックリ...。
内容を思い出しながら、少しずつ書き直していたのですが、
思いがけず、こんなに時間が経ってしまいました。
せっかくのご回答に、返信が遅くなりまして本当に失礼致しました。
すっかり間が空いてしまいましたが、改めまして、お便りさせて
頂きます。
前回のご回答で「そうなのか~」と思ったのは、
「『風月堂』は知りません」の部分でした。
60~70年代初頭の新宿の社会風俗について書かれた記録では、
『風月堂』という名前が必ずと言って良いほど挙がるのですが、
三島由紀夫をはじめ、当時の文化人、著名人たちも通う店として、
当時のメディア(雑誌、テレビなど)にも
数多く紹介されていたお店のようですので 当時新宿に
遊びに行っていた方なら当然ご存じだろうと思っていました。
ヒッピー、アーティスト(自称含む)、文壇、演劇関係者など
多彩な人々が集まる店だったようですが、
特に「最先端文化人のメッカ」的な紹介をされるようになってからは、
流行に敏感な若者たちも集まってきていたようです。
場所は『新宿三越』(といっても、この三越自体もうありませんが)の
裏手で 現在はたぶんカフェか何かではないかと思います。
たぶん夜にはお酒も出していたのではないかと想像しますが、
基本的には喫茶店ですので 高校生でも入れたのではないかと考えて
ご回答者様も行かれたことがあるのではないかと思っていました。
風月堂
> http://ja.wikipedia.org/wiki/風月堂_(東京都新宿区)
風月堂の画像
> http://www.officej1.com/70avna_gard/Place.htm
画像(↑)をご覧頂いた方が話が早いと思いますが、
お店は2階建てだったようで フロアには現代絵画や彫刻などが飾られ、
BGMにはクラシックやジャズが使われていたようですが、
音楽主体というのでもなく、その場に集まって議論するための空間、
といった雰囲気だったようです。
閉店したのが73年とのことですので お店としての全盛期は、おそらく
60年代末~70年代はじめだったのではないかと思いますが、
以前、「ジャズ喫茶」についてのご回答の中で
> 私が経験したのは40年代半ばの数年ですし、その時中学生だった人たち、
> その時大学生だった人たち、大人だった人たち、自分の立ち位置によって、
> まるっきり見方が変わったと思います。
> ある意味激動の時代だったので
> ほんの2,3年でガラッと世の中が変わるのでしょうね。
というようなお話があったように、
この店があった時代に同じく青春期を過ごしていたとしても、
当時、20才だった方と15才の方とでは、遊び場や面白いと思うことも
異なっていたと思いますので
すぐ近くを通っていても、そのような「方向性」が違えば、
それぞれの持つ感覚のアンテナに反応するしないがあり、
ご回答者様の場合は「圏外」だったのかも知れません。
(閉店の時期と、ご回答者様のコメント「40年代半ばの数年」とを
併せて考えてみますと、ちょうど入れ違いになる時期かも知れないとも
思いました)
と、思わず『風月堂』の話が長くなってしまいましたが、
(実際に行ったこともないのに。笑)
実は先日頂いたご回答の中で改めて、なるほどと思ったのが、
> 日本における「ヒッピー」は、単にアメリカのモノマネ...
> ただ、アメリカの反戦ブームに乗っただけのことだったのです。
> 当時は、若者たちはそうは思わなかったでしょうね。私も思いませんでした。
> 日本人でも、反戦(この場合は、ベトナム戦争を指します)の意思を
> 示すべきであると、固く信じてましたし。
> ですが、それはやはり「流行だからやってみた」なんですよね。今思うと。
の部分でした。
70年(S45)前後、「高校全共闘」というのもあったようですが、
(坂本龍一さんは、当時 新宿高校全共闘だったとか)
当時の高校生は、ごく普通の、特に政治に関心のある人以外でも、
「ベトナム反戦デモ」などに参加していたのでしょうか?
それと、(この件、非常におうかがいしてみたかったのですが)
「新宿で過ごす休日」について、もし良かったら、
おうかがいできますでしょうか?
例えば...(すみません...勝手に想像して書いてみました)
10:00am 新宿駅東口で友人2人と待ち合わせ
10:30am 新宿ピカデリーで映画『○○○』鑑賞
12:40pm 喫茶「○○○」で食事&お茶
14:00pm 伊勢丹でウィンドウショッピング
17:00pm 紀伊國屋書店で雑誌「○○○」チェック
~
??:??pm ゴーゴー喫茶「○○○」に移動
??:??pm 帰宅
・・・のような感じで もし当時のお店の名前やその他の固有名詞を
ご記憶でしたら、物価(コーヒー代など)なども含め、
その辺もご教示頂けましたら幸いです。
(ちなみに、下記によれば、S46年頃のコーヒー1杯は、
約120円だったようですが、これはお店や地域によっても
結構差があったのではないかと思います)
> http://www2.plala.or.jp/yoshidaya/nikei-shouwash …
そして、さらに(贅沢ですみません。もしご迷惑でなければ...)
夏休みの過ごし方(例えば、ロックコンサートへ行った、など)
につきましても、おうかがいできましたら幸甚です。
いろいろ勝手なことばかり申し上げてすみません。
もしお時間がおありの時がございましたら、ご教示頂けましたら幸いです。
***
10代の頃に培われた感覚や経験は、おそらくその後の生き方にも
大いに影響があると思うのですが、当時ゴーゴー喫茶に行く高校生は、
いわゆる「不良」というのとはちょっと違うけれど
かといって平々凡々でもない
その時代の先鋭的なものや流行にも敏感な
ちょっととんがっているというか 感受性豊かな若者だったのでは、と
思います。
ヘンな例えかも知れませんが、
「ゴーゴー喫茶に遊びに行っていた高校生」
と、
「そういうものに全く興味がない高校生」
とでは、その後の人生の楽しみ方も随分違うのではないかと思います。
ご回答者様のコメント、文章がいつも本当にみずみずしく、
きっとお人柄そのままなのだろうなぁと想像しつつ、拝読していますが、
いつもコメント(ご回答)を通じて、当時にタイムスリップさせて頂いて、
とても楽しいです。
本当にありがとうございます。
No.5
- 回答日時:
コメントどうもありがとうございます^^
まとまりのない回答を読んで頂けるだけでも、嬉しいです^^
>「ジャズ喫茶」の件、頂いたコメントを拝読して、「ジャズ喫茶(非正調)」と呼ばれていた場所のイメージが、昭和40年代前半と後半で少しずつ変化して行ったのではないかと思いました。
まさにそうですね。
私たちの頃にはもう、「ジャズ喫茶」は、今でいう「眉間にシワ。暗い空間。とっつきにくい店主。抜群のオーディオ装置」のイメージでしたので(笑
質問者様のおっしゃる「非正調ジャズ喫茶」は、恐らく、戦後の進駐軍(古い!)相手の店などから発展してきたものではないでしょうか。
その頃は、勿論レコードではなくバンド演奏(日本人のバンド)で、米軍の兵士たち(と、日本人のガールフレンド)に飲んで踊る場所を供していた筈ですので。
>たぶん最初期の「ジャズ喫茶(非正調。以下「非」と表記)」は、アイドル系ポップス歌手(海外POPSのカバーを歌うような)がメインだったのではと思うのですが、
はい、そうですね。
あちらの流行音楽…特にアメリカのポップスを、「英語で」歌う場だったと思います。
なにしろ、相手は英語しかできない人たちなので。
で、それが段々と日本人のお客を相手にするようになってきて、向こうのヒット曲に日本語の歌詞をつけて歌うようになってきたのだと。
>その後 GSブームが到来し、ジャズ喫茶(非)にもGSが多数登場。元タイガースだった方が「当時はジャズ喫茶のステージが1日5回もあって、その合間にTVに出てた」みたいなことをおっしゃっていたと思うのですが、
そうですね。
ジュリーこと沢田研二さんなども、ナンバ1番から出た人と言ってもいいでしょうし、そういう場数を踏んでいたと思います。
東京でも、初期のGSの人たちは、そういう店にどんどん出ていたと思います。
ただ、彼らがそれを『ジャズ喫茶』と称していたかどうかは、判りません。すみません。
>(おそらくこの間の何才かの違いは非常に大きいのではないかと思います。初期のGSファンのの方であれば「ジャズ喫茶=もちろん非正調の方」という方もいらっしゃるかも)
はい、ありえますね。
私が経験したのは40年代半ばの数年ですし、その時中学生だった人たち、その時大学生だった人たち、大人だった人たち、自分の立ち位置によって、まるっきり見方が変わったと思います。
ある意味激動の時代だったので、ほんの2,3年でガラッと世の中が変わるのでしょうね。
その渦中に居た者(私)は、なにしろ子供だったこともあって、自分たちが行く店の歴史や、社会的位置に無関心だったように思います。
ひたすら、「流行ってるから」「みんな行くから」「かっこいいから」「楽しいから」「禁断の味だから(笑」で、遊んだような気がします。
>いわば現在のライブハウスの前身とも言える「ライブ演奏必須」で「聴く(観る)」が主目的というのが「ジャズ喫茶(非正調)」であり、これはおそらく昭和40年代前半まで。
>そして、その後のディスコ(さらにその後のクラブ)の前身とも言える、「レコードでも全然OK」で「踊るのがメイン」の方が「ゴーゴークラブ」で こちらは昭和40年代後半。
はい、その通りだと思います。
尤も「ゴーゴークラブ」の名称が末端(つまり私たちガキ)に浸透したのは、40年代半ばからだと思いますが。
>ところで 今回コメントを頂いて、一番驚いたのは、ゴーゴークラブで「出前を取れる」と言う部分でした。そんなシステムがあったとは...!
あっ、そうですか。
びっくりなさった、ということにビックリしました(笑
当時は普通のサービスだったと思います。
うどんなんか取って食べてましたよ(笑
全然「かっこいい流行の最先端の遊び場」じゃないですねぇ、うどんじゃ(笑
体じゅうでリズムをとりながら、うどんをすする……(笑
もう、ギャグですねぇ、今思うと。
テーブルは、どの店にもありました。
テーブル、ステージ、踊るフロア(たいてい狭い)、お立ち台(?)、じかに座れるスペース。
そんな感じだったと思います。
店によって、それらがあったりなかったり。
でも、テーブルはどこでもありました。
それでも、私たちは床(絨毯)にじかに座り込んで、コーラを飲んだり出前のやきそばなんかを食べたりするほうが好きだったように記憶してます。
そのほうが…なんというか…ヒッピー的に思えたのでしょうね(笑
全く、ガキの発想ですよねぇ。
出前はどこから取ってたんでしょう……考えたことなかったような…(笑
近所の食べ物屋さんから取ったんでしょうね。
又、店によっては、厨房のあるところもあったと思います。
>今回 実は「フーテン」と「ヒッピー」の違いについて、
ヒッピーというのは、アメリカから来た文化(?)でして、日本の若者たちはそれを形だけ真似ていたんですね。
まだまだ「アメリカのものはみんなかっこいい」時代でした。
今では考えられませんけれど…
フーテンというのは、主に新宿などを根城にしていた、不良のような自由民のような、今なら何でしょう、フリーターでもなし…うーーーん……
きちんとした大人からは、勿論、白い目で見られるような存在でした(笑
だから「瘋癲」と言われたんですね。
ヒッピーほどのポリシーはないんです。
説明が難しい…
その意味でも、永島慎二さんの『フーテン』はおススメです。
尚、ゴーゴークラブの雰囲気は、『ビートポップス』という番組で、ある程度味わえると思います。
古いテレビ番組ですが、ひょっとしてyou tubeか何かに出てるかもしれません。
ただし、「踊る」部分だけで、出前とかは出てきません(笑
またまた長くなって申し訳ありません、とても懐かしい話をさせて頂いて感謝感謝です。
この回答への補足
ご回答ありがとうございます。
数日不在で(PCを持って行かなかったので)間が空いてしまい
申し訳ありません。
改めて「出前」の詳細をご教示頂きまして、ありがとうございます。
ゴーゴークラブで「うどん」......。
「出前」とうかがって、前回思わず「おそば」「ラーメン」などと
書いたのですが、実際はピザとかサンドイッチとか
手で持って簡単に食べられるものだろうと思っていました。
本当に麺類だったとは!
しかも、「うどん」って......(衝撃です。笑)。
音の方はもちろん(レコードやライブで)ロックなんかが鳴っている
わけですよね?
でもって「床(絨毯)の上」で(直置きして)うどんを食べる、と。
う~、どうやってもそのシーンが想像できません。
ハードな曲だったりすると、こぼれたりしないのでしょうか?(笑)
で さらに考えると、「出前」というからには、
誰かがそのうどんをデリバリーして下さるのですよね?
出前というと、
白衣(『渡る世間は鬼ばかり』の劇中で着用されるような)を
想像するのですが、そういう服装の方がゴーゴークラブに
うどんを持っていく、というのもスゴイ(笑)。
注文者 :若者(ヒッピーファッション)
配達場所:ゴーゴークラブ(流行最先端の遊び場)
出前内容:うどん
この3つ、どう考えても繋がりません(笑)。
ちょっと『ブレードランナー』の世界のような?
かなりシュールな感じです。
でも、それが当時の若者の日常の1コマだったのですね。
当時の社会風俗について書かれた本などでは、
ゴーゴークラブについての記述はあっても、その空間で若者たちが
踊る以外に何をして過ごしていたかなどは書かれていませんので
初めて知る、本当に貴重な(リアルな)お話で
そのようなお話をおうかがいできて、本当にうれしいです。
『ビートポップス』については、
大橋巨泉さんが司会者だったということと
番組名だけは知っていましたが、
実際に映像を見たことはありません。
(夜の番組だと思っていたら、フジTVで夕方の放送だったとか)
今回ご回答を頂いて、youtubeで探してみたのですが、
見当たりませんでした(それより古い時代の番組でもupされているものはあるのに、そんな有名な番組がないのは不思議な気がします。番組の研究会はあるようですので どなたかupして下さることを願っています)。
「フーテン」については、youtubeに当時のNHKのドキュメンタリー番組と思われる映像の一部があり、
>
これで見る限り、服装や髪型などには(一部の方を除いて)
あまり特徴がないように思われます。
とりあえず、見た目の印象では、
「路上で寝ている(宿泊も?)」
「シンナー吸引(& 薬物?)」
「だらだらする」
といったところでしょうか。
この映像では男性のほうが多そうに見えますが、
女性の場合は、着替えや入浴など 諸々ハードルが高そうですね。
(ご教示頂いた漫画「フーテン」も購入してみようと思っています)
「ヒッピー」については、当時のアメリカ(西海岸)に生まれた
若者風俗というのは知っていましたが、日本におけるヒッピーというのが、どのような存在だったのかが、良く判りませんでした。
本家(アメリカ)の方は、ベトナム戦争への反対や徴兵拒否、
ドロップアウトetc.を背景に生まれた社会現象だと思いますが、
直接戦争や徴兵には関わりのない日本の若者が何故ヒッピーに?
と思っていました。
ご回答によれば、日本のヒッピーとは、
つまり、アメリカに憧れた「ファッション」ということなのですね。
今も昔も、日本人、欧米好きってことですね。(^0^)
印象だけで記せば、
「ヒッピー」=一見汚い。でも実はオシャレ(流行にのっている)。
「フーテン」=だらしない感じ。オシャレにこだわりはなさそう。
という感じでしょうか。
以前、新宿の『風月堂』に、ヒッピーを含む多くの若者が集まっていたという話を読んだことがありますが、ご回答者様は新宿へ良くお出かけだったとのこと、もし『風月堂』をご存じでしたら、当時の雰囲気などご教示頂けましたら幸いです。
(『風月堂』以外にも、新宿では、ゴーゴークラブの他に喫茶店やレストランなどへも行っていらしたのでしょうか? いきなりゴーゴークラブだと、お腹空かないかなと思いまして。笑)
毎回ご回答の中から、昭和40年代の雰囲気が伝わってきて、とても楽しいです。
もし良かったら、お時間がおありの時にでもご教示頂けましたら幸いです。
いつも貴重な、そして非常に参考になるお話を本当にありがとうございます。
No.4
- 回答日時:
No.2,3です。
大変ていねいなコメントを、どうもありがとうございます。
自分でも忘れていた頃のことを、鮮やかに思い出させて頂けて、とても楽しいです^^
前回、「ゴーゴークラブに出入りすると退学」というお話が出ましたが、確かに、退学まではいかなくても学校に知れればまずいことになったと思います(笑
ただ、公立高校でしたので、私立ほどはうるさくなかったかも。
勿論、制服で行ったりはしませんでしたし(デパートのトイレ等で着替えた(笑
又、現在ほど「未成年の飲酒・喫煙」がタブーではなかった時代です。
むろん、「いけないこと」「違法」なんですよ、当時でも。
ですが、お正月など、高校生の息子に父親が酒を勧めたりした時代なんです(笑
「まー、ビールぐらい飲んでみろ」なんてね(笑
今だったら大変ですねぇ。
>(1)ジャズを聴くジャズ喫茶(正調ジャズ喫茶)
>(2)ジャズとは無関係なのにジャズ喫茶(非正調)
あ、この場合の「非正調」の『ジャズ』とは、前回お話した「戦後しばらくは洋楽はみんなジャズだった」の意味での『ジャズ』だと思います。
つまり、ポピュラーミュージックですね。
今で言うロックもポップスも軽いジャズも、ぜーんぶ『ジャズ』だったんです(笑
そういうのを流している店を「ジャズ喫茶」と称したのかもしれません。
この辺は、記憶になく、申し訳ありません。
>で 質問に関係がある「ジャズ喫茶」は、大阪心斎橋にあった『ナンバ1番』やご回答にもあった新宿の『ACB』、池袋『ドラム』のような「ジャズが演奏されている訳でもないのに何故かジャズ喫茶と呼ぶライブハウス的な空間」のほうです。
これですね。
つまり、それは「ジャズ」ではないのです。
いわゆる「クラシックや歌謡曲ではない、洋楽」の総称です。
ですから、名前は「ジャズ喫茶」でも、中身はジャズとは無関係だったと思います。
今『ジャズ喫茶』といえば、横浜の『ちぐさ』(閉店)などに代表される、モダンジャズを聴かせる店ですね。
そして、私の高校時代も、それは同じでした。
もう、洋楽全体を「ジャズ」と称する時代ではありませんでした。
ロックもあり、ポップスもあり、カントリーミュージックもあり、フォークも台頭してきてました。
そういう時代ですので、「ジャズ」はやはり(今で言う)ジャズを指していました。
>「新宿泥棒日記」(1968年)という映画の中で一瞬、ゴーゴークラブ(?)のような場面があったと思うのですが、
そうですね。昔の映画には、時々出てくると思います。
(邦画に詳しくないので、あいまいですみません)
当時の漫画などでも、永島慎二の『フーテン』、真崎守の『はみだし野郎の子守唄』など、多数にその描写が出てきます。
実は、当時のゴーゴークラブは、生バンドでなくレコード演奏で踊る店も多かったです。
今考えると、安直ですよねぇ(笑
でも、自宅に立派なオーディオ設備を持っている人の少なかった時代ですので、音源はレコードでも、素晴らしいスピーカーで鳴らせば、それなりの雰囲気だったのではないでしょうか。
少なくとも、当時の若者たち(私を含め)は、レコードで踊ることに違和感は持たなかったように思います。
生バンドよりも、リクエストがしやすかったし。
(あ、今でいうディスコティーク(クラブ?)に近いのかも)
踊るだけでなく、座り込んで店屋物を食べたり(出前をとるシステムの店が多かった)、煙草を吸ったり、他愛のない話をしたりしました。
絨毯敷きのスペースがあり、そこにじかに座り込んで。
今考えると、あんまり衛生的とはいえませんね(笑
>広い空間があってバンドはあくまで演奏担当(特定のバンドでなくても踊れればOK)のところがゴーゴークラブ、GSとかを見たさに行って、ついでに踊る(場合もある)のがジャズ喫茶(非正調)という分類なのでしょうか?
うーん…ちょっと違うような…
GSの音楽などを流すところは、決して「ジャズ喫茶」とは呼びませんでした。少なくとも私たちは。
その頃の若い世代は、「ジャズ喫茶」というものは、質問者様のおっしゃる「正調」としか認識していなかったと思います。
つまり、彼ら(当時の私たち)にとって、ジャズとは「おっさんの音楽」であり、「あたしたちとは無関係」なものだったんです(笑
そんなわけで、当時の私たちは「ジャズ」というものは頭にありませんでした。
ですから、もしも、あるゴーゴークラブ店が「ジャズ喫茶」と自称したとしたら、違和感を持ってしまい、そこへは行かなかったでしょう。
ただし、これはあくまでも私が高校生だった頃の話ですので、それよりも前は「洋楽=ジャズ」で良かったと思いますよ。
お話に出た大阪のお店などは、その戦後の言い方を継承していたのだと思います。
アシベも、私が行っていた頃は、客たちから「ゴーゴークラブ」と呼ばれていました。誰もジャズ喫茶とは呼びませんでしたね。
正式に、アシベ側がどう自称したのかは知りませんが…
説明が下手で、解りにくいと思います。ごめんなさい。
頭の中にはハッキリ浮かぶのですけどね、それを文字にするとなると難しくて。
>PS:「obasan-des」様は、ブログなど開設されていらっしゃいますか?
残念ながら、そういうセンスがなくて…(笑
質問者様が何かサイトをお持ちでしたら、是非訪問させて下さいね^^
この回答への補足
ご丁寧なご回答をありがとうございます。
コメントを頂くだけでも充分ありがたいのですが、それに加えて、ユーモアを交えつつご教示下さるお話の面白さ、つい当時を想像せずにいられないリアル感に、いつもつい何回も読み返してしまいます。本当にありがとうございます。
「ジャズ喫茶」の件、頂いたコメントを拝読して、「ジャズ喫茶(非正調)」と呼ばれていた場所のイメージが、昭和40年代前半と後半で少しずつ変化して行ったのではないかと思いました。
まず40年代前半。劇場ほど大きなキャパではなく、より観客に近い所で「洋楽」を聴く(聴かせる)場所として登場したのが、最初期の「ジャズ喫茶(非正調)」で ご回答のように、当時は「洋楽=ジャズ」という認識だったがゆえに、 「洋楽を聴く場所=ジャズ喫茶」と呼ばれ、それが次第にそのような場所を示す通称になったのではないかと思います。
たぶん最初期の「ジャズ喫茶(非正調。以下「非」と表記)」は、アイドル系ポップス歌手(海外POPSのカバーを歌うような)がメインだったのではと思うのですが、その後 GSブームが到来し、ジャズ喫茶(非)にもGSが多数登場。元タイガースだった方が「当時はジャズ喫茶のステージが1日5回もあって、その合間にTVに出てた」みたいなことをおっしゃっていたと思うのですが、つまりGS全盛期(昭和43~44年=1968~69年頃?)までは、そういう場所が(正調の方もあるので 「そういう場所 "も"」と書く方が正しいかも知れませんが)「ジャズ喫茶(非)」と呼ばれていたのではないか と思いました。
(タイガースが上京する前に出演していた大阪の『ナンバ1番』も「ジャズ喫茶」という呼び方をされていたようです)
が、昭和40年代も後半に入ってくると社会もいろいろと複雑化し、アメリカではベトナム反戦運動を背景にしたヒッピームーブメントが起こったり、過激な思想を表現するようなロックが登場したり、音楽も時代の影響を受けて、どんどん多様化していって、その時代には、さすがに日本でも、もはや(前回頂いたコメントのように)「洋楽=ジャズ」ではなく、つまり「ジャズ喫茶」=「正調ジャズ喫茶」を示す意味でしかないというように変化していったのではないかと想像します。
(おそらくこの間の何才かの違いは非常に大きいのではないかと思います。初期のGSファンのの方であれば「ジャズ喫茶=もちろん非正調の方」という方もいらっしゃるかも)
そして昭和40年代後半からは「ジャズ喫茶(非)」ではなく、「ゴーゴークラブ」の時代が始まり、踊れれば音楽も必ずしもライブ演奏でなくても良いということになり、つまりこのあたりで「ジャズ喫茶(非)」はフェイドアウトしていっているのではないかと思われます。
まとめますと、
いわば現在のライブハウスの前身とも言える「ライブ演奏必須」で「聴く(観る)」が主目的というのが「ジャズ喫茶(非正調)」であり、これはおそらく昭和40年代前半まで。
そして、その後のディスコ(さらにその後のクラブ)の前身とも言える、「レコードでも全然OK」で「踊るのがメイン」の方が「ゴーゴークラブ」で こちらは昭和40年代後半。
という感じでしょうか?
ところで 今回コメントを頂いて、一番驚いたのは、ゴーゴークラブで「出前を取れる」と言う部分でした。そんなシステムがあったとは...!
「出前」って、おそばとかラーメンとかを召し上がるのでしょうか?
踊る場所で食べるには、形状的にも、雰囲気的にも(もちろん衛生面でも。笑)あまりにも適していないような??
しかも、絨毯の上で???(テーブルはあったのでしょうか?)
正直、想像しようとしても、全く想像つきません。
当時の手がかりは、書物以外では、NHKアーカイブス(深夜の穴埋め的な時間帯に、たまに昔の映像を放映したりします)か映画位なのですが、GS映画や若大将シリーズなどでも、そういうシーンは見たことがなく、飲み物ぐらいはあるだろうと思っていましたが、出前で食事ができたとは...。
思わず「でまえ?」と言ってしまいました(笑)。
もしご迷惑でなければ、「どんな料理を「「どんなお店から」「どのような状況で(絨毯の上に直接、ではないと思いますが、と言ってテーブルがあるとも思えず)」
召し上がっていらしたのか ご教示頂けましたら幸いです。
今回 実は「フーテン」と「ヒッピー」の違いについて、おうかがいできればと思っていたのですが、ジャズ喫茶で長文になってしまったのと、
「出前」の衝撃があまりにも大きく...(笑)。
もしご迷惑でなければ、お時間がおありの時に改めておうかがいできましたら幸いです。
長文になりまして、申し訳ございません。
いつも本当にありがとうございます。
ライブハウスの前身が
No.3
- 回答日時:
No.2です。
コメントありがとうございます。
(ずっと見てなかったので、遅くなってすみません)
『スピード』も新宿でした。
アシベよりも、規模は小さかったと記憶しています。
詳しい場所がイマイチ思い出せなくて…なにしろ40年以上前なので。ごめんなさい。
記憶の中で、色々な店とごっちゃになってしまっていると思います。
そういう店で、大音量の音楽とともにマリファナなどがやり取りされていました。
当時は、今ほどは規制が厳しくなかった(というより、まだよく知られていなかったのでしょうね)
私は子供だったので(大人ぶりたい年頃ではありましたが)、そういうものには全く手を出しませんでしたが。なにしろ煙草さえ上手く吸えなかったので。
>それと「ジャズ喫茶」「ゴーゴークラブ」の違いが、いま1つ判らないのですが、
ジャズ喫茶というのは、本来、ジャズを聴く「だけ」のところなんです。
つまり、ドリンクを頼んで、レコードを聴く。
自分の好きなレコードをリクエストすることも出来ます。
眉間にシワを寄せて、ひたすら聴く(笑
ちょっと暗い雰囲気のところが多かったですね、モダンジャズを主にしているジャズ喫茶では特に。
それぞれの店主の趣味が、非常に強く出る店だと思います。
又、オーディオに凝った店が多かったと思います。
勿論、踊りません(笑
>順番としては、まず50年代末のロカビリーブームの中心軸としてジャズ喫茶が先に登場し、その後に登場したのが、ゴーゴークラブだと思っているのですが、
いえ、ジャズ喫茶というのは、ロカビリーに無関係なんです。
日本のジャズの系譜などをひもとくと、理解しやすいと思いますが、戦後「ジャズ」と称したのは殆ど今でいうポップスです。
いわゆるロカビリーもその一つで、今でいう「ロック」とは別物です。
そして、それに反発するように、モダンジャズのブームが来ました。
クールジャズともいいますが、これはポップスのようにメロディアスではなく、リズムを重視した音楽で、アドリブもたくさん入ります。
たいてい少人数のバンド(トリオやカルテット、クインテット)で演奏します。
当時、アメリカで抑圧されていた人々…黒人や貧民層の白人などですね、そういう人たちが中心となって発展していった音楽です。
ゴーゴークラブというのは、「踊る」わけです、要するに。
一番典型的なのは、「お立ち台」ふうの場所で、ミニスカートの女の子たちが踊る。その周り(床)で、客が踊る、というパターンです。
音楽は、ジャズではなくロックやポップス(当時はあまり厳格な区別はなかったように思う)です。
モダンジャズじゃ、踊れないんですよ、リズムが違って。
その後、色々な形態に発展したのでしょうが、私の知っている「ゴーゴークラブ」というものは、そういうものでした。
大体、こんな感じです。
あまりに昔のため忘れていることが多くて、大してお役に立てず、すみません。
また何か疑問点があれば、出来る限りお答えさせて頂きます。
この回答への補足
コメントありがとうございます。
当時高校生~20代だった方が、必ずしも今回うかがっているお話のようなご体験をお持ちだという訳ではありませんので このような(店名まで判るような)リアルなお話をうかがえる機会は、なかなかなくて、コメント頂けて本当にうれしいです。
>また何か疑問点があれば、出来る限りお答えさせて頂きます。
というお言葉を頂いていたのに、しばらく書き込み出来ず、申し訳ありませんでした。私がOKwaveの使い方を良く判っていなかったのですが、試行錯誤(?)して、ようやく書き込めるようになりました。すっかり遅くなってしまいまして本当に恐縮です。
まず、ジャズ喫茶について補足します。私の知る範囲では、「ジャズ喫茶」は、
(1)ジャズを聴くジャズ喫茶(正調ジャズ喫茶)
(2)ジャズとは無関係なのにジャズ喫茶(非正調)
の2つの種類があり、ご回答の中の、
>ドリンクを頼んで、レコードを聴く。
>眉間にシワを寄せて、ひたすら聴く(笑
の「ジャズ喫茶」は、もちろん「正調」のほうで 現在でも存在し、(1)に該当します(マイルス・デイビスとかかかってる、もちろん「踊らない」ヤツです。笑)。
で 質問に関係がある「ジャズ喫茶」は、大阪心斎橋にあった『ナンバ1番』やご回答にもあった新宿の『ACB』、池袋『ドラム』のような「ジャズが演奏されている訳でもないのに何故かジャズ喫茶と呼ぶライブハウス的な空間」のほうです。
(カントリー&ウェスタンのフェスでもないのに、『日劇ウェスタンカーニバル』のごとし?)
「新宿泥棒日記」(1968年)という映画の中で一瞬、ゴーゴークラブ(?)のような場面があったと思うのですが、バンドのいる空間でミニスカートのお姉さんがちょっと高い台の上で踊っており、何となく「これがゴーゴークラブ?」とは思った記憶があるのですが、別の映画ではお店の中にあるステージでGSが演奏していて、ここでも同じくミニスカートの女性たちが踊っていて(しかもどうやらそこはゴーゴークラブではないらしく)となると、両方ともライブで踊るわけですから、ならば「ジャズ喫茶(非正調)とゴーゴークラブの違いって?」と思ったのです。
広い空間があってバンドはあくまで演奏担当(特定のバンドでなくても踊れればOK)のところがゴーゴークラブ、GSとかを見たさに行って、ついでに踊る(場合もある)のがジャズ喫茶(非正調)という分類なのでしょうか?
当時の方にとっては、きっと「説明するまでもない」ものだったのかも知れませんが、その違いというか線引きされるポイントがよく判らず...。
もしお時間のある時がございましたら、ご教示頂けましたらありがたいです。
よろしくお願い申し上げます。
PS:「obasan-des」様は、ブログなど開設されていらっしゃいますか?
No.2
- 回答日時:
はいはい、「当時の」若者です(笑
>「ゴーゴークラブ」「絨毯バー」など そういう遊び場があったと聞いたことはありますが、実際を知りません。そのような場所で遊んでいたという方、いらっしゃいますか?
40年代半ばですが、よろしいでしょうか。
新宿のゴーゴークラブで、時々遊んでいました。
ACB(アシベと詠みます)とか、スピードとか。
40年代前半~中盤は、グループサウンズ全盛でしたので、そういう音楽で踊ったり。
今の方々には、想像もつかないことと思います。
今で言えば、ディスコティークが一番近いかもしれませんが、やはり別物です。
私は、当時高校生で、全然ファッションデザイナーなどと付き合いがあったわけではありません。
ですが、ゴーゴークラブにはそういう人たちもよく出入りしていました。
モデルも多かったですね。
『アンアン』や『ノンノ』(当時のファッション雑誌)のモデルさんたちも、よく来ていました。
主流はヒッピーファッション(笑)ですよ。
ワケの解らないまま、私たちも追随していました。
残念ながら、六本木や青山には縁がありませんでした。
今のように若者がたくさん繰り出す街ではなかったように記憶しています。
又、吉祥寺や下北沢など、今でこそ若者で賑わっていますが、当時の感覚では「田舎」でした。
あの時代の雰囲気をお知りになりたければ、やはり新宿だと思います。
思い出はたくさんあるのですが、中々うまく言葉になりません。
お役に立てず、すみません。
この回答への補足
回答はないかも知れないと思っていましたので お話をうかがえて、とてもうれしいです。
間が空いてしまってすみません。少し補足します。
>あの時代の雰囲気をお知りになりたければ、やはり新宿だと思います。
なるほど。やはり60年代は新宿の時代だったのですね。
『新宿ACB』は、雑誌などにも記載があり、名前だけは知っていました。が、『スピード』という名前は初めてです。こちらも新宿にあったお店でしょうか?(どのあたりにあったのでしょうか?)
他のお店についてもご記憶があれば、店名や場所など ご教示頂けますと幸甚です。
それと「ジャズ喫茶」「ゴーゴークラブ」の違いが、いま1つ判らないのですが、順番としては、まず50年代末のロカビリーブームの中心軸としてジャズ喫茶が先に登場し、その後に登場したのが、ゴーゴークラブだと思っているのですが、
「ジャズ喫茶」=ライブ中心(昼間も営業。バンド演奏を聴くことが主な目的でバンドファンの女性が多い)
「ゴーゴークラブ」=営業は主に夜(演奏はあったりなかったり)。音楽中心というよりは、若い男女の集う遊び場(ジャズ喫茶より、もう少しナンパ寄り)」
といったイメージを持っているのですが、合っていますでしょうか?
>40年代前半~中盤は、グループサウンズ全盛でしたので、そういう音楽で踊ったり。
「グループサウンズで踊った」ということは、68~69年(昭和43年~44年)頃でしょうか?
当時製作された加山雄三さんやタイガースの映画などで多少の雰囲気は判りますが、
「グループサウンズのコンサートに行ったら退学」という記事を読んだことがあり、ゴーゴークラブなどは、高校生(未成年)は入場不可かと思っていました。
実際は、その辺、わりと自由だったのですね(もちろん、行くなと言われるほど行きたくなるのが若者ですので 皆さん「工夫」されていたのかも知れませんが。笑)。
・・・と、いろいろおうかがいしてすみません。
もし良かったら、お時間のおありの時にご教示頂けましたら幸いです。
よろしくお願いいたします。
No.1
- 回答日時:
今でもある六本木の「キャンティ」とかじゃないですか?
Historyのページを見ると、当時の風俗などがいろいろわかります。
女優の加賀まり子さん、故・大原麗子さん、作詞家の安井かずみさんなども常連で、「六本木野獣会」というのを結成して夜な夜な、遊び歩いていたようです。
http://www.chianti-1960.com/index.php
あと、「MUGEN(ムゲン)」というディスコも当時の小説などでよく見聞きします。
http://discotimemachine.web.infoseek.co.jp/disco …
この回答への補足
ご回答ありがとうございます。
『キャンティ』も確かにそうですが、そこに集っていた人々は、当然キャンティだけではなく、それ以外の(当時最先端の、おしゃれな)お店にも行っていたと思いますので そのようなお店について、知りたいと思っています。
『MUGEN』も有名ですが、こちらは80年代まで営業していたこともあり、比較的写真なども見ることができますので それ以外のお店について知りたいと思っています。
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