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「自分を信じて生きる」のは正しいのでしょうか?

「自分をオカズにオナニーする」、に聞こえます。

恋人や友人、上司など、信頼していた何かや誰かに裏切られたとき、
「信じていいのは自分だけなんだ!!」と「慰め」てくる人をよく見聞きします。特に「戦うOL」や「戦う営業マン」的なタイプ。

本当でしょうか?

なんだか、「俺は強く生きてるぜ」みたいな自分自慢に見えます。
第一、それで立ち直ってる人があまりいません。ますます落ち込むことさえあります。立場か何かで同調できない人が、責任転嫁するためのセリフなのでは?

仮に本心からそう言ってるとしても、自分には、上記、
「毎日、自分を信じて生きる」=「毎日、自分をオカズにオナニーする」に聞こえます。
単なるナルシズムかただの変態に聞こえます。その日暮らしの連続みたいで、到底、普遍的なものと思えません。
生きることが一種の自家発電行為だとしても、やっぱり「アイドル(=自分以外の何かへの憧れ)」を持ち続ける方がどんな結果になろうが健全ではないのでしょうか?
ひょっとしたら、「今日の自分」でいつも手一杯なヒトがかけてる自己暗示なのかも、と考えてしまいます。

「自分を信じて生きる」のは、本当に「強さ」なのでしょうか?

みなさんのお考えを聞いてみたいです。どうかお願いします。

A 回答 (7件)

うーん。



自分を信じるって、自分を許すってことかなと思う。
あなた自身はどうやって自分を許して、人生の喜びを得ているのかな。
時にはオナニーでいいし、そうでないときもあるし、喜びは両方あっていい、ものだよね。

「自分を信じて生きる」っていう言葉が納得できないということだと思うのですが
あなたが自分自身を許したり、自分を好きでいるということは、苦手ですか?

究極的には「何か」に自分が許されている認められているということで
本人の幸福感としては「何か」が自分だろうが他人だろうがどっちでもいいんだと思います。
他人に許されない間は「自分だけでも自分を信じて許して」やれってことですよね。

(1)「自分を信じず許さずに努力するべきだろ」
 それができるのは、神様的超人じゃないかな。
(2)「自分を信じて許してるけど努力できる道があるはずだ」
 っていうのが、人間が目指したいところかな。
(3)「自分を信じて許して努力しません」
 が、ちょっとハタから見ててくやしいところだよね。
(4)「自分を信じて許して努力の対象を絞りました」
 はちょっとバクチだね。

「自分を信じて生きる」っていう言葉を励ましとして使っているなら(2)~(4)だね。
(4)の意味なら、一旦ターゲットを絞ったらもうやりぬいちゃえってことだ。
(3)の意味なら、相手がすごく弱っている状況に使うかもしれないね。
なんとか乗り切れっていう優しいアドバイスだと思う。
(2)は、相手が元気なときにお互いのエールとして使いたいね。

>「自分を信じて生きる」のは、本当に「強さ」なのでしょうか

信じるとか信じないとかってポジティブにやるかネガティブにやるかだけだよね。
自分を信じてないから死に物狂いで勉強して東大を受験しました。
自分を信じて勉強がんばって東大を受験しました。
両方とも力強いよね。気持ちじゃなくて結果として努力してるからかなと思って。
さっきの(4)の意味でいうと、志望校を絞るってことは弱いことかもしれない。
でも、努力をやりぬくってことは、強いよね。何にしろ。

質問のタイトルでは正しいでしょうか?とありますから
時には必要なときがあるんじゃないでしょうか。
でも受験勉強せずに就職する道があるように、正解はひとつでない。
道のひとつというだけだと思います。

と、わたしは思いました。
なんかヒントになりますか?長文ごめんね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
類型化していただき、自分の思考が非常にやりやすくなりました。
おそらく、自分は(1)を選んでいるんだと思います。
自分に対する嫌悪感や空白、飢餓感みたいなものを自身の原動力にしているところがありますから。
周りからは「職人的だね」と褒める声が半分、「社会的じゃない」「苦労するよ」が半分です。ただ、心のどこかでは最後に(2)に行き着きたいとは思っています(気を抜くとすぐ(3)に行ってしまうので、注意したいです)。
ただ、お話を伺っていく中で、自分を赦すことでパワーを出せる人もいるのだということは理解できました。自分には「自分への赦し」より「他者への赦し」の方が今は必要だったのかもしれません。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/04/29 01:23

> 自分を信じて



 本人が信じないなら、誰が信じてやるのですか? 可哀想でしょ? 
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言葉そのものとしての正しさというよりも、使い方だと思います。



そもそも「自分」というものは「他人」がいて初めて定義できるものだと思います。
「自分を信じて!」とわざわざ言うということは、他人を信じたことで何かしら嫌な思いをしただとかその他色々な経験を経て、やっとその結論に達したということ…かもしれません。
その場合は経験に裏打ちされた強さがあるはずなので、言葉自体にも重みがあるでしょう。

質問者さんがその言葉を聞いて「ただのナルシストだ」と思ったなら、その発言をした人は大した人生経験も積まずにどこかで聞いたセリフを丸パクリしているだけで、言葉だけ上滑りしていたのかもしれませんね。

ただし、他人の重みを知るためには自身の経験値も必要になります。
自分が痛い目に遭うと他人の苦しさが手に取るようにわかるようになる、というのがありますけれども
それと同じで、相手の人生の重みを感じるには自分もある程度経験を積まないと、何を聞いても「へー」という感想しか出ないことがあります。
10歳年下の人の悩みはある程度理解できますが、10歳年上の悩みは難しく感じるのと似ていると思います。
相手を理解するということはすなわち、自分を理解するということかもしれません。


というわけで、「自分を信じて生きる」ことが本当に強さなのか、それともオナニーなのかは一概に言えないと思います。
まあ…使うのが誰かに裏切られた時限定であるなら、自分への慰めメインかもしれないですね。
「もう俺、自分しか信じないよ!わーん!」っていう意味ならば。
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本質的には、yuhkurinさんの考えが正解だと思いますよ。



>「俺は強く生きてるぜ」みたいな自分自慢

全くそうだと思います。

>特に「戦うOL」や「戦う営業マン」的なタイプ。

加えて、あまり物事を深く考えない楽天家やお調子さん。
yuhkurinさんのように、物事を深く考える人は、
そうそうこの言葉をつかえないと思います。

そもそも、「自分を信じる」とはどういう事かを深く考えます。
自分なら出来るはず! そんな感じですかね。
良く言えば、「自己暗示」だと思います。
「生きてさえいればいつかいい事あるよ!」とかの部類と同じだと思います。
一種の流行文句を自分も使ってるだけみたいな。
それによって、自分を奮い立たせる効果はあると思いますが。
強さと言うより、やはり「自己暗示」「言い聞かせ」だと思います。

>「アイドル(=自分以外の何かへの憧れ)」を持ち続ける方がどんな結果になろうが健全ではないのでしょうか?

これも健全だと思います。
ペット飼えば、ペットのために頑張る人もいるそうです。
仕事を辞めたら、このわんちゃんはご飯が食べられなくなる、とか。
好きなアイドル(TVの)のコンサートに行きたいから頑張るとか。
趣味の車が好きで、費用を稼ぐために頑張る。
電車の写真を撮りに行くのが楽しみで、それが生きがいだとか。
いたって健全です。

「自分を信じて生きる」と言ってる人は、
逆に追い込まれているから、そう考えるんじゃないでしょうか?
私も時には、「自分を信じるしかないのかな・・・」と頭に浮かぶことはありますが、
精神的に追い込まれているからです。
でも、人にこの言葉を発するのは抵抗があります。
こういうのは、自分の心にしまっておいて、「がんばれ!」って
自分に言い聞かせるものだと思います。

余談ですが、「やるしかない!」「やるしかないやろ!」
とか言う人がいますが、出来る範囲だから言えるんです。
本当にどうしようもないときに「やるしかない!」と言って出来ない場合でも、
なおも「やるしかない!」と言える人は本物でしょうが、
会社でも、出来る範囲のアップアップ状態で「やるしかない!!」とかっこつけてますが、
本当に無理になったら「明日でいいちゃうか?」と言ってました。
ほんとにおかしなものです。人間は。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
ひょっとしたら、毎日「自分を信じて生きている」人たちは、カツオやマグロと同じなのかもしれません。
生きている限り走りたい、走り続けないと死んでしまうタイプ。
立ち止まってでも内面を掘り下げたいタイプとは真逆にあります。
どちらがいいというわけではない筈ですが、お互いのポリシーや生き方の話なので、認め合うことが難しいようです。
自分たちは、どうやったってそんな生き方は出来ないのですから、気にせず行くしかないのでしょう。
そうすれば、いずれ少しは理解してもらえる日が来るのかもしれません。

お礼日時:2012/04/30 21:50

ん、意味が違うような!?



それは誰かのせいと言い訳しない、と言う意味じゃないでしょうか?

親の言うとうりに大学をえらばなければ、、、とか。
上司の言うとうりにやったら失敗した、、、とか。

自分を信じる=自己責任ってことかと。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
恐らく、「自己責任」という意味なのだと思います。
ただ、ケースや言う人間の立場(例:傷つけた側と親しい等)よっては「責任転嫁」も出来てしまうので、あまりこの言葉が好ましいものと思えないのです。
ある程度は「他人のせい」にさせてあげる方が鬱や自殺の防止など、良い結果をもたらすことを考えれば、「懲りないこと」も大切ではないのかなと。

補足日時:2012/04/28 00:32
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きれいごとですが、世のため人のため生きてくことができれば、自分も強くなっていくと思います。


人じゃなく、人間になりましょう。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
きれいごとだとは思いません。多分、最も現実的なアドバイスだと思います。
ただ、そもそも「強くなる」の定義がわからないんです。
どんな現実にも「適応できる」「人間」になることなのか、「ヒト」としての素朴な正義感を「貫ききる」ことなのか?
バランスの問題なのでしょうけど、軽重はついてしまうだろうし、究極の選択が迫られるときもある。
人間になることで失ってしまうこともあるだろうし、また逆も然り。
「正しいことをしたければ偉くなれ」と単純に片付けたくはないんです。

補足日時:2012/04/27 23:59
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物事を一元的に捉えようとするとそういう意見になるのかもしれませんが、


私はそれ「も」本当の強さだと思います。

例えば友人の助言を信じた自分を信じる、という使い方も出来るわけで、
責任転嫁しない意味にもなるでしょう?
誰かに憧れることと自分を信じることが共存する事もあるのです。

実際には多分ケースバイケースなのでしょう。
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