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憲法改正問題が話題になるにつれ、「現憲法は押し付けられたもの」、という論を良く見かけるようになりました。
が、はたして本当に押し付けられたものなのでしょうか。
確かに、成立過程を追ってみるとGHQや極東委員会による押し付けと思えないこともありません。
が、憲法施行後2年間の間日本政府は自由に憲法改正を行っても良い、とGHQ、極東委員会に認められていたはずです。しかし当時の芦田内閣や吉田内閣は憲法改正問題委員会を設置したものの、案を閣議にかけることすらなく2年間を終わらせています。
自らの手で改正するチャンスが与えられていたにもかかわらず改正しなかったのに「押し付けられたもの」と言えるのでしょうか。

A 回答 (6件)

確かに押し付けられたと言えば、押し付けられたことになるんでしょうねえ。

しかし、実体は破壊され瓦礫となった元ファシズム国家に人類最高の理念をもった憲法を与えたということではないでしょうか。日本国憲法の理念の崇高さは日本人が逆立ちしても自分の手では、創り出せないものだと思っています。サイードがもし日本の平和憲法が改悪されれば、人類の悲劇だと言ったらしいですが、あのトインビー博士もこの憲法を人類が目指すべき規範と捕えていたことを最近知りました。諸外国にこの憲法を真似させ、この憲法を世界に広めるリーダーになってくれと生前繰り返し要望していたそうです。こんな人類最高の遺産を押し付けられてまことにありがたいと思います。それを嫌がる連中にとっては日本国憲法は、要するに"猫に小判"なんですねえ。

この回答への補足

皆様回答ありがとうございます。
私の質問が悪かったのでしょうか。イマイチ質問の趣旨が伝わっていないように思います。

「憲法は押し付けられたもの」と考えている方々は、日本政府に憲法改正の判断を委ねられた2年間のことをどう捉えているのかが知りたかったのですが、まぁよいです。

質問を替えて再挑戦いたします。

補足日時:2004/01/08 12:39
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2004/01/08 12:33

押し付けられたというよりも、当時の日本政府にポツダム宣言の内容に沿った民主的内容の憲法草案を作る気概も能力もなかったということだと思います。

(今の北朝鮮に民定の民主憲法を作ることが可能かどうかと似てるかな?)憲法改正論議は「押し付けられたかどうか」ではなく「今の国民が望んでいるものかどうか」でなされるべきだと思います。
 蛇足ですが私は「米軍基地」や「自衛隊」の方がよほど「アメリカから押し付けられたもの」というきがします。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2004/01/08 12:33

自衛隊も貿易関係の決まりも全てアメリカの利益になるように決められています。


憲法もアメリカの利益に適うように作られ、変えられていっています。
力を持った国が、自国の意見を押し通すのは当たり前のことですが・・・
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2004/01/08 12:32

改正しなかったから押し付けられていないという議論は、離婚しなかったから押し掛け女房ではないという話みたいなもので、筋違いでしょう。

押し付けかどうかは成立時の話で、その後改正があったかどうかとは関係ありません。
また、押し付けられたから改正すべきだというのもおかしな話です。見合いだろうが恋愛だろうが、相手に満足していれば現状維持、不満があれば離婚というのが基本です。今の憲法に不備があるかどうかが改正の必要があるのかどうかを決めるポイントであるべきで、押し付けがどうのこうのと騒ぐのはとてもアホらしい話だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2004/01/08 12:32

「押し付けられたもの」と言うのは言い過ぎだと思います。



質問文でご指摘の通り「現実的には」押し付けられたものですが、大日本帝国憲法上の改正要件を整えて、議会を通過しているわけですから、「形式的には」日本国民の民意によるものと評価できます。
従って、「押しつけられた」を誇張するのはおかしいです。

「押しつけられた」を誇張しているのは「改憲派」の人達(の一部)ですが、憲法と現実の乖離が激しくなっていく中で、拡大解釈を続けることはよくないから憲法改正しようという主張を行う根拠や説得材料の一つとして主張しているのではないかと思います。(あくまで推測です。)

蛇足ですが、憲法改正論議にならないことをお祈りします。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2004/01/08 12:31

それは受け止める側の意識の問題だと思います。


確かに形式上は「改正する機会もちゃんと設けていたのにしなかったじゃないか」と、日本がそれを追認した、という主張で以って、「(きっかけはそれに近くても最終的には)押し付けではない」と論陣を張ることは可能でしょう。私などはもともとそれを意図して、そういう形式を採用したのではないかと思うのですが。ハナから審議にかける気がさらさらになかったからこそ、そういう手立てを設けておくことが可能なのです。それは裏返すと、当時の人達にも「後世の批判をかわす」という意図が見え隠れしているわけで、それを以って「押し付け」であると内心では認識していたのかも知れません。あくまで邪推ですよ。

憲法改正問題の核心は今となってはむしろその内容的な問題ではないでしょうか。ちなみに私は現行憲法の精神には賛同し、支持する立場ですが、改正は必要かと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2004/01/08 12:31

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