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 思想実験の事を調べているとよくこのを耳にするのですが、wikiを見てもさっぱりどういうことなのかわかりません。(何でわざわざわかり辛く、難しく書くんだろう……)

 よろしければ、それぞれがどういう論理なのか、また、そうであるとどんな事ができて、どういう意味があるのかを教えてください。

 ちなみに僕は文系の高卒ですので、例えなどを使っていただいて出来るだけわかりやすく説明していただけると幸いです。

 よろしくお願いします!

A 回答 (2件)

1)ラプラスの悪魔



 これは、「全宇宙において起こる全ての事は、物理学的に、あらかじめ決まっている」という「決定論」を表すものです。
 19世紀末、量子力学がまだ無かったころ、物理学は完成したと思われていました。些細な未解決事項はあるものの、大した問題ではないと思われていました。それを仮に「古典物理学」と呼ぶことにしましょう。

 古典物理学では、小さな原子の構造から、巨大な銀河まで、全て単純な物理学理論で説明できました。そこに「偶然」が入り込む余地はありません。全ての事は「必然」でした。これが、原子の中から全宇宙まで、全く同じに通用しました。

 全ては必然、つまり宇宙の始まりがあるとすれば、そのときに既に、その後どうなるかは完全に決まっています。たとえ人間が自由意思をもっているように見えても、それは幻想というわけです。いや、幻想と思うことすら、既に完璧に決まっていたわけです。

 これを簡潔に言い表したのが、

「いつでもいいので、ある時刻の宇宙全ての粒子(原子レベルということですね)の位置と速度が分かれば、無限の過去から無限の未来まで、宇宙の歴史を完璧に知ることができる。もし、無限の計算能力があれば、だが。」

というもです。この文章において、「ある時刻の宇宙全ての粒子の位置と速度を知っていて、無限大の計算能力がある者」を「ラプラスの悪魔」と呼びました。ラプラスの悪魔は、全宇宙のすべての歴史を知ることができるわけです。

 それが物理学だということですね。もちろん、人間では全宇宙の全ての粒子を知ることはできないし、無限の計算能力もありません。
 それでも、偶然も自由意思も無いということは、物理学理論的には分かる。物理学のどこを探しても偶然はない。

 精神が脳の働きによるのならば、脳の中で起こることも物理学理論に反することはない以上、何を考えたとしても、それはあらかじめ決まっていることだ。自由意思による選択というものは無い。

 全ての事はあらかじめ決まっている。これを決定論といいます。それを、表現を変えて言い表したのが「ラプラスの悪魔」です。ちなみにラプラスは、ある物理学者の名前です。

 相対性理論が現れ、ニュートン的な世界観を覆しても、この決定論は覆りません。アインシュタインも決定論を支持していました。

 これを完全に覆したのが量子力学です。量子力学は、端的に言えば、「この宇宙で起こる全ての事は、原理的に、根本的に確率的である」としました。
 ラプラスの悪魔的に言い換えれば、「たとえ全宇宙の全ての粒子の位置と速度を知り、無限の計算能力があっても、未来も過去も計算で知ることはできない。そもそも、全ての粒子の位置と速度を知ることすらできない」ということです。

 決定論に対する言葉を探せば、確率論と言えるでしょうか。人間の自由意思も復活します。

 アインシュタインはこれに対し、「神はサイコロを振らない」という有名な言葉を発しました。彼以外の少なくない物理学者も、量子力学の基礎を作ったシュレディンガーですら、量子力学は不完全、未完成であって、決定論が正しいことを証明しようとしました。しかし、ことごとく失敗し、かえって量子力学の正しさを証明することになりました。

 シュレディンガーはそれでも、「シュレディンガーの猫」という有名な思考実験を発表し、量子力学の確率論に抵抗しました。これは量子力学を少しも否定できませんでしたが、「量子力学の解釈問題」という形に変わって、今も議論が続いています。

2)マクスウェルの悪魔。

 マクスウェルも物理学者の名前です。
 量子力学以外にも、ラプラスの悪魔には致命傷になりかねない欠点がありました。それは熱力学です。

 熱力学以外の物理学は、時間を逆転させても、理論的には全く問題がありません。だからこそ、ある時点でのことが分かれば、それから未来がどうなるかが分かるだけでなく、それまでの過去も計算できます。

 熱力学だけは、これができません。熱は温度の高い方から低い方へしか移動しません。水に塩を入れてかき混ぜれば、塩は融けて水の中に均一に広がりますが、元に戻すことはできません。火薬が爆発したら、元に戻すことはできません。

 熱力学だけが、時間が逆転できない理論なのです。たとえば「エントロピーの増大」いうのが、それを表す一つです。時間反転できない理論では、たとえある時刻の全ての事が分かっても、過去のことを計算で知ることはできません。

 熱力学は、ラプラスの悪魔が手出しできない、神剣と聖なる矛を持つ天敵です。

 これについて、理論的には時間を逆転できるのではないかという思考実験が提唱されました。
 空気分子の一つ一つを扱える小さな悪魔がいるとします。暑い夏、部屋の窓に細かい穴の開いたフィルターを取り付け、フィルターの穴の全てに、その小さな悪魔を番人として置いておきます。

 小さな悪魔の役割は、部屋の中の速度の速い空気分子(高温ということです)を室外に出出し、室外の速度の遅い空気分子(低温ということです)を室内に取り入れます。

 すると、室内の温度はいくらでも下がって行きます。暑い寒いといっても、空気分子の速度というレベルで言えば、平均的にはということであり、空気分子一つ一つを見れば、いくら高温でも速度の遅い空気分子はあり、逆もまた然りです。

 つまり、小さな悪魔がいれば、電源の要らないエアコンが作れます。熱力学が絶対視する、「熱は高温から低温へ移動する」ということが、理論的には否定できます。

 この、熱力学を否定できる小さな悪魔が、マクスウェルの悪魔と名付けられました。熱力学に、理論的な時間反転を許す糸口です。もし熱力学をそのように書き換えれば、ラプラスの悪魔の欠陥をなくすことができます。

 しかし熱力学は、マクスウェルの悪魔も、しょせんは熱力学の中の存在でしかないことを立証しました。
 マクスウェルの悪魔が働き続ける為には、悪魔にエネルギーを与え続けなければいけないことを証明したのです。やっぱりエアコンには電源が必要だったわけです。
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この回答へのお礼

 ありがとうございます! よくわかりました。

 ですが、ラプラスの悪魔の事で一つ聞きたい事があります。文系脳の稚拙な屁理屈ですが、良ければ少しおつきあいください。

 ある瞬間の世界の全てを知っていたとしても、そもそも全ては確率で分枝するから、決定論は否定された――という訳なんですが。何故、世界は確率によって支配されていると証明できるのでしょうか?

 常に、起こる事象は一つですよね? という事は、たとえばこの世界が物語のように一本道であるという可能性もあるのではないですか? 何故、起こった事象が最初から決定していたものではないと説明できるのですか?

 仮に時間軸1においてAがBになるという結果があったとする。そして、確率で言えば、AがCになる可能性もあり得る――と、したとしても、過去に遡れない以上、時間軸1においてAがCになる確率がある事を証明できないような気がするのですが……。もしかしたら、同じ事を繰り返したら、永遠とAはBに鳴り続けるかもしれないじゃないですか。


 それとも、この世界が確率論と決定論――そのどちらがこの世の理である確率自体が50%―50%であるから、世界は確率論によって支配されている証明になるとかそんな事なのでしょうか?

 もし良ければ、ご回答いただけると幸いです。

お礼日時:2012/05/22 07:46

 世界が確率的であるということは、量子力学が述べていることです。

これは原子というミクロの世界の物理学で始まりました。

 原子核は、高校化学の教科書にあるように、原子核の周りを電子が円状に回っていると考えられました。あれは模式図ではありません。
 あれはあれで、19世紀末当時には、実験・観測から、太陽(=原子核)と惑星(=電子)のような原子の形だと思われていました。
 電気的に正の原子核の周りに電気的に負の電子があり電気的に引力があり、電子が原子核の周りを回る遠心力と釣り合っているというわけです。

 しかし、それは当時の電磁気学とは真っ向からぶつかり、矛盾することがあったのです。
 もし、電子が円運動をすると、たとえそれが電気的な引力と釣り合うものであっても、加速度運動です。そのようなものを含め、電子が加速度運動すると電磁波を放出することは知られていました。エネルギーを放出するわけです。

 もし原子核の周りを電子が円運動していると、電磁波を放出し、それで失ったエネルギーは円運動の運動エネルギーからでなければならず、電子は電磁波を放出しながら、すぐに原子核に落ち込んでしまいます。

 もちろん、現実と合いません。物質は原子核の周りの電子を持ったまま安定して存在しているし、特別なことをしない限り物質から電磁波も出てきません。

 そこで、電子は粒子でなく波であるとか、いろいろ提案され、紆余曲折の上、原子核の周りに電子が「確率的に存在してる」という結論にたどり着きました。

 これの基礎となる方程式が、シュレディンガーが導き出したシュレディンガー方程式で、確率を不可欠のものとして含んでいます。それで、説明がつくようになりました。

 しかし、当のシュレディンガーは確率を含む方程式が、物理学的に最終的な式のはずはないと考えていました。

 そこで、有名な「シュレディンガーの猫」という思考実験を提唱しました。ご存じとは思いますが、簡略に復習してみます。

 蓋を閉めたら、外から内部を絶対に観測できない箱を用意します。
 シュレディンガー方程式に即して、確率50%で分裂する放射性物質を中に置き、分裂を検出する装置も入れます。
 致死量の毒ガスの入った瓶を置き、装置が分裂を検出したら、それでスイッチONになって瓶を叩き割る機械も置きます。
 最後に元気な猫を入れ、蓋を閉めます。

 蓋を開ければ、猫の生死は分かります。問題は、蓋を開ける前の箱の内部状態です。

 シュレディンガー方程式に従って解釈するならば、猫は放射性物質に連動する確率的存在となり、元気な猫50%と死んだ猫50%の「重ね合わせ」状態とせざるを得ません。これは1匹の猫が半死半生ということではありません。元気と死が同時に半々で存在しているということです。

 ミクロな電子では確率的でいいような気がしても、目に見えて触ってみることも出来て、しかもいったん死んだら生き返らないという猫で、それが半々ということなどあり得ない。あり得ないことを言ったのはシュレディンガー方程式が確率を含む式だからだ。だから、シュレディンガー方程式は、物理的事象を言い表しきれていない。

 そう、シュレディンガーは考えました。しかし、これは観測できない状態のことなので、実験・観測はできない思考実験です。議論はできても決着の付けようはありません。実際、「それでよい。猫というマクロなものでも、そういう状態が起こるのだ」と言い出す人も少なからずいました(今もいて、未だに有力な解釈の一つです)。

 アインシュタインも量子力学の完成には貢献しているのですが、「神はサイコロを振らない」という有名な言葉を残しています。

 アインシュタインも賛成する物理学者と共同で、EPR実験という、シュレディンガー方程式が含む確率の矛盾を指摘する思考実験を提唱しました。

 これは実験・観測可能なものとして提案されたので、ベルという人がアインシュタインの解釈に従い量子力学の計算とは合わない「ベルの不等式」という形で数式化し、アスペという人がベルの不等式を実験しました。

 結果は、ベルの不等式は成立せず、量子力学の計算が正しいとなりました。

 そうなると、シュレディンガーの猫のように、まさに「蓋を開けてみるまで分からない」というのが現実だと認めざるを得ません。シュレディンガーの猫は思考実験であっても、物理学的な整合性は完璧です。ミクロがマクロを決定することもできるのです。

 事実が一つに決まるというのは、それを観測して知って、初めて言えます。過去は確定したから知っている知っていないに一本道だと言えますが、まだ未確定の未来はそうではありません。
 未来は、いろいろな数多のあり得る未来から、刻一刻と選び取られているということになります。

 なお、過去は確定していますが、知らないことについては計算で求めざるを得ず、そこにも確率が働いてしまうので、計算では確かなことは推定できません。

 さて、未来に戻りまして。未来が量子力学の確率的だという「解釈」について、深刻な議論は未だに続いています。量子力学そのものは完璧です。全ては量子力学の計算通りになります。確率を考慮して、ですが。

 問題は、その数式の計算途中の解釈です。約100年間論争しても、計算途中の部分は、実験・観測ができないので決着がついていません(このためか、「量子力学が分かったと思えたら、それは量子力学が分かっていない証拠だ」という名言があります)。

 それでも、主要な解釈は二つあります。

 一つは古くからあるコペンハーゲン解釈で、50%元気で50%死んでいる猫というものが実在するというものです。そういう非常識を常識として受け入れようとするわけです。猫を観測した途端、どちらかに決まります。

 もう一つは、エヴェレットの多世界解釈で、刻一刻と世界が確率にしたがって分岐して増えて行くというものです。世界が刻一刻と、生きている猫の世界と死んだ猫の世界に分かれて行きます。
 我々を含む宇宙全体が分かれて増えて行くのです。増えて行っても、生と死の世界の数は同数です。50%生きていて50%死んだ猫という奇妙なものはなく、しかも50%という確率も健在です。

 物理学的に説明が困難な奇妙な猫を否定する代り、宇宙が爆発的に数を増やしていくことを受け入れようというわけです。
 注意点は、分岐していく世界のどれかに属したら、そこが存在確率100%の世界で、他の分岐した世界の存在確率は全て0%になります。SFでよくあるように、他のあり得たはずの世界に行くことはできません。しかし、こちらが100%で他が0%というのは、お互い様で、他の分岐した世界から言えば、そこが100%で、こちらが0%となります。

 さらに、この「観測」ということは、さらにややこしい解釈問題も生み出していたりします。
 たとえば、誰が観測したら、確率的だった猫の生死が一つに定まるのか、とかですね。誰も観測していなくて、蓋が開いたらどうなのか。人間の代りに他の猫が覗き込んだら、一つに決まるのか。これが発展して、「月を見ていない時、月は存在していない」なんて主張まであります。

 こうした解釈問題は、広がり複雑化していっても、まだまだ決着する方向には向かっていないようです。なにせ「観測しない状態を観測する」という矛盾を抱えた問題ですので。
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この回答へのお礼

 僕の愚考にお付き合いくださいましてありがとうございました。

 何となく、ぼやけてはいますが、どうにか無い頭で理解出来ました。

 どうもありがとうございました!

お礼日時:2012/05/22 22:09

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