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とある人曰く、

「システム屋の立場からいうと信頼できるシステムとは「正しい事実のデータベース」と「正しい演繹推論規則」の組み合わせで作られています。哲学も同じことがいえます。」

これは、理系の方で実験して得られた情報を解析するトキこれは援用できますが、哲学をコレでやるってのは、どんな具体例があるんでしょうか??

判る方、お願いします。

A 回答 (7件)

(*^▽^)/★*☆♪お気に入りからひとつ




【QNo.307287「科学的視点」からの「論理の展開」って?】
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/307287.html
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カール・ポパーをあたってみては?

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>信頼できるシステムとは「正しい事実のデータベース」と「正しい演繹推論規則」の組み合わせで作られています。

哲学も同じことがいえます。」

仰ることがよくわからないでいます。
哲学って創造活動ですから、信頼できるシステム(結論が常に正しい計算機構?)とは出発点から異なったものなのではないでしょうか。

上のことが言えるのなら、小説も同じことが言えるのではないでしょうか。もっとも、いまどき小説もコンピュータで書くということを聞きましたので、これは間違ってはいないのかもしれませんが。
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社会学の理論てのは、結論から逆に


遡るんですよね。
そういうものが多い。

つまり、結論が先にあって、それを
因果の関係で原因と結びつけて説明していくだけ、て
のが多い。

だから、哲学には同じ事は言えないので
はないですか。

「どうしてこうなるのかの説明は、非常に説得力がある。
 そして、それが当たらなかった場合の説明には
 もっと説得力がある」
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哲学をコレでやるってのは、どんな具体例があるんでしょうか??



○ここ100年ぐらいの歴史で説明しますと、村社会という小さな社会はお互いに助け合って生きている社会です。こういう社会はどこにでもありますので、データとしては豊富ですね。小さなコミュニティ・システムといってよいでしょう。さて、この村社会を国家規模にしたらどのようになるかなんですが、良い国家になると思いますか? 実際にそれを国家規模にしてやってみたのが共産主義国家ですね。旧ソ連になりますが国家規模では100年と持たなかったですね。まだいくつかそのような国家は残っていますが長く存続するとは思えないですね。
このように、思想・哲学は規模を大きくすると100年以上やってみないと結果が出ないのですね。そこが理系のシステムの違いなのです。また、アナログからデジタルへの変更は人の命の問題はありませんが、思想・哲学のシステム変更では数千万、数億の人が思想が故に弾圧され、粛清されることがあるのですね。
つまり、哲学における推論は未来にわたって幸福ももたらすが悲劇ももたらすのですね。
科学技術でも同じようなことが生じますが、大きな違いは責任の所在がない点なのです。自国民に粛清された人は恨みつらみを持っていく他国はありませんからね。原発の事故なら所有者に責任をとえますしね。規模が大きい国家的な推論を哲学というのですね。よき哲学者がたくさんいれば国家は繁栄しますが逆であれば悲惨な未来が待っているということですね。日本もそんな状態に落ちないようにしないとね。
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>「正しい演繹推論規則」



という言葉を聞いただけで、

その「ある方」はDQNである、

ということが判る(笑)。
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「正しい」という言葉は、2つの意味を持たされています。


あるプログラムが「正しい」という場合、ロジックに破綻がなく
演算が可能である」という意味と、その演算の結果がリアル
における目的の最適解であるという意味があります。
また、「正しい事実のデータベース」も、データベースにする
上で、実物を保存する訳にはいかず、何らかのパラメータを
作為的にとってスクリーニングする訳で、いくら『事実』でも、
演算の目的に必要十分な情報であるかどうかは不明です。

つまり「論理的推論」とは、(必要な結果を導くのに必要な)
作為的なパラメータをとり、(必要な結果を導くと思われる)
作為的なロジックを組んで、演算するだけの事であり、
それが「必要な結果」に沿ったものでなければ、『推論を導く
ための推論が間違っていた』という事で、それらしい結果が
得られるまでフィードバックして組み直す、という試行錯誤が
(作業であれ脳内であれ)行われます。
そこにあるのは「それらしい結果」を判断する感性であって、
「ロジックに破綻がない」正しさはロジカルに検証できても、
「結果がリアルに即している」という正しさは、感性の問題に
過ぎません。
その、後者に関わるのが、哲学です。
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