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人間の死後、悪人は地獄に落ちるとすれば、
神がその悪人を創っておいてあまりにも酷くないですか?

悪行というのは人の弱い心がまねくものだと思う。
その弱い心をもつ人間を創ったのも神であり、神がその気に
なれば善人ばかりの世の中を創る事も当然可能であろう。

小説「沈黙」でキチジローが役人に脅されて、宣教師のロドリゴを
裏切る場面があるが、キチジローも同じようなことを言っていた。
弱い人間、悪人をつくったのも神だ。

神は自らそれらを創っておいて、後で地獄に落とすようなまねを
するほど残酷なものなのか?

と、いう事で僕の結論としては、「やはり神はいない。」


ちなみに、小説「沈黙」は史実に基づている、といわれてはいるが、
一番肝心なところは、史実とは違い、キリスト教を美化した作品です。

A 回答 (21件中11~20件)

今晩はです。



☆☆☆
神の存在論的証明ですね。でも、論理にはかなり穴があるのではないでしょうか。

【反論1】
 人間を作った《神がいい神である》とは限らない。じつは、とんでもなく邪(よこしま)で極悪非道な神であり、ただ、地上で苦しむ人間の様子を楽しそうに眺めているだけかもしれない。
そのような神であったなら、あなたの証明からは「神はいない」と結論できない。

【反論2】
また、人間を作った神が、愚かで、その力も限定的なものであったのなら、必ずしも矛盾しない。
したがって、これでは「神が存在しない」ことの証明にならない。

なので、
まず、神が何であるのか、その定義を明確にしなければいけない!!
のではないでしょうか。

なのですが、あなたが存在を否定した神とは、おそらく《人間にどもまでも好都合な神さま》という意味なのでしょうね。
ならば、いないのではないでしょうか。
わたしは、あなたの考えを否定しません。
わたし、神の存在論的証明ができるなんて、端(はな)から思っていませんし....


☆☆☆
○人間の死後、悪人は地獄に落ちるとすれば、神がその悪人を創っておいてあまりにも酷くないですか?

 ひどいって言えば、まぁ、ひどいですね。わたしが神さまなら、地獄は作らないかな。今のこの世と同じくらいの死後の世界をもう一つ作って、地獄に落ちる人はそこに送ります。で、いい人は天国に。
 でも、死後の世界があるかどうかわからないし、もし神さまがいたとしても、はたして地獄や天国を用意してくれているとは限らない。生命はこの世限りかもしれないし、あるかどうか存在が疑わしい死後の話をしてもしょうがないのではないでしょうか。

 キリスト教の人とかは、あなたのこの意見に対して、
「神は人間を悪人には作っていない。本来、人間をよきものとして創造した。善の欠如としての悪を作ったのは、人間である」と真っ向から反対するんでしょうけれども....


☆☆☆
○小説「沈黙」でキチジローが役人に脅されて、宣教師のロドリゴを裏切る場面があるが、キチジローも同じようなことを言っていた。弱い人間、悪人をつくったのも神だ。

 キチジローを(生物学的に)作ったのは、キチジローの両親でしょう。そのキチジローのパーソナリティー形成は、キチジロー自身とキチジローをとりまく環境が行ったもの。何もかにも、すべて神さまのせいにするのは、どうなんでしょう。ちょっと安易にすぎませんか。
「今の自分が悪いのは、不幸になったのは、みんな世の中のせいだ」と、自分の責任をすべて世の中のせいにしているのと同じなのではないでしょうか。(誤解しないでくださいよ、「あなたが悪い人だ、不幸だ」と言っているんじゃないですから)
それでは人間の主体性や自由意志がが出てこないと思うんですけれど。
わたし、自分が神や世の中のただの操り人形だなんて信じたくないですから。



☆☆☆
○神は自らそれらを創っておいて、後で地獄に落とすようなまねをするほど残酷なものなのか?

 残酷なのではないでしょうか、神さまって。
 少なくとも、こちらの世界の論理に従えば、残酷に見えるんでしょうね。
 でも、神さまにあまり多くのことを期待するというのも、どうなんでしょう。神さまに甘え過ぎでは、ないのでしょうか。
 神さま、地獄に落ちないように、《教え》や《戒め》を与えていますから。
 「それを守らなかった人間には、まったく非がない」とは言えないのではないでしょうか。情状酌量の余地はあるけれど、自業自得ですよ、これはやっぱり。



☆☆☆
○と、いう事で僕の結論としては、「やはり神はいない。」

 わたしは、《超越的な存在》をまったく信じていませんけれど、いるんじゃないですか、神さま。
 かつてヨーロッパなどのキリスト教社会を統(す)べていた原理としての神の存在は、今やいませんけれど、お金や欲望などが、新しい神さまになっているのではないでしょうか。ただ、それを神と呼ぶか、名称の違いだけだと思いますよ。
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あなたの言われる通りですね。


神は悪の可能性を持たせたわけですね。
神ですから何でもできるとしますと悪の可能性を奪って作ることも可能だったわけですからそれをあえて盛り込んだ確信は揺るぎ様が無いですね。
神がいたならその理由が説明できるわけですから聞きたいです。
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siyuusukexxxさんのイメージされている「神」はおそらくキリスト教の「神」なのですね。



「神」の概念は宗教によって、または時代や地域にによって大きく異なることを思い出してください。日本的な「神」の概念は古代には「火や水などの自然の働き」であり、「尋常ではない力を持つもの」であったのが、いつしか人格化された「神」になってきたわけです。ここには天国も地獄もなかった。

天国と地獄、天使と悪魔という概念は紀元前500年頃、ペルシャのゾロアスター教で「発明」され、ユダヤ教に影響を及ぼし、キリスト教にもその概念が伝わってきたという歴史的経緯があります。

話を元に戻しますと、「人間の死後、悪人は地獄に落ちる」というのは社会に迷惑をかける人を戒めるための「方便」なのだと思います。


> と、いう事で僕の結論としては、「やはり神はいない。」

これは、その人が考える「神」の概念によるんじゃないでしょうか。siyuusukexxxさんのイメージされている「神」が一神教的な「全知全能の創造主」であれば、存在しないかもしれない。しかしながら、存在しないことを証明する手段がないかもしれない。(不可知論) 一方、「自然界の働き」を以って「神」とするなら、これは存在するでしょう。

さらに、

> 悪行というのは人の弱い心がまねくものだと思う。

善と悪とはなんでしょうか? 生き物を殺すのは悪でしょうか? ライオンが獲物を殺して食べるのは悪でしょうか? 人間と動物の違いがあると、善と悪ができるのでしょうか? 結局のところ、人間社会があるから、社会秩序を乱すものを悪、社会にとって好ましいものを善というだけではないのでしょうか。言い換えれば、善悪は社会的な基準なのだと思います。

ではこの社会的な善悪はどのようにして決まるのか。このあたりは、近年ベストセラーになった、マイケル・サンデル教授の、「これから『正義』の話をしよう」で詳しく述べられています。
http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/1 … 

世の中キリスト教が全てではないということで。
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神がその気になれば善人ばかりの世の中を創る事も当然可能であろう。



○それもあるでしょうね。
例えば、学校でクラス全員が同じテストを受けて、実際は各人の努力によって100点から0点までばらつきますが、それを先生が全員100点とすることと同じですね。
最近はマラソンでも早いものも遅いものも全員同タイムにする先生もいると聞いたことがありますが、そのようなものが神ということですね。
スポーツでも社会でも何もやっても皆同じだと努力など必要ないですね。共産国家ですね。それが神様というのなら、面白味はありませんね。
少なくとも私はそのようなところには住みたくはありませんね。
天国地獄思想は人生の評価として、落第もあるというのなら面白いと思いますね。
小説、沈黙にあるように「宣教師のロドリゴ」を裏切ったことが人生の評価として落第に当たるかどうかということですね。試験も何度でも再チャレンジできますから、それを考えると一度や二度の失敗で地獄にというのは教えとして正しく無いように思いますね。キリスト教的罪悪意識の刷り込みでしかないように思いますね。事実、イエスを売ったユダはいまだに地獄にいますが、それ以外の石を投げた当時の人々は誰も地獄にはいませんしね。
神は何度でもチャンスを与えるよき教師ですよ。ただ、努力もしない人に100点は与えないというだけでしょうね。
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これはキリスト教の神の話ですね。


その通りだと思います。
どこが全知全能なのだ、と抗議したい
気持ちです。

ただ、これにも抜け道は用意されて
います。
『神の御心は、人間などに理解出来よう
 はずは無い』
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この世は試練の場であり、神は人間が多くの試しを受け、成長することをお望みなのではないでしょうか。


それは悪人にとっても、善人にとってもです。
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神は思想のひとつです。


物理的存在はいえません。
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地獄を造ったのは,神ではなく、堕天使ルシファーじゃ無かったかな?


楽園から追放はしたが,地獄に落としたわけではない。
イブを誘惑した蛇も、手足を取り上げたが,地獄に落としてはいない。
そのころ地獄が無かったから,ハッキリは言えないけどね。
もし,神が自ら地獄を造ったのなら,「天国までの階段」も用意したんじゃないかな。
あれぇ、神様っていつ天国を造ったんだろう?
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遠藤周作はクリスチャンですから


美化はするでしょう
わたしはこの本では美化されているとは思いませんが。。。

ここでいう悪人とはクリスチャンではない人物のことですね
神を信じない人物を悪人とよび
生まれたままの悪人ではありません

地獄に落とされる運命の人物が
「やはり神はいない」と言った段階で
信者ではなくなります

地獄に落とされるとわかっていても
信じていなければ
本当の信者とはいえない

神はギリギリまで
本物かどうかを試されているということです

あ、わたしは信者でもなんでもありませんので。。。
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プログラマーがプログラムしたソフトが予定通り動作することは無い。


悪いバグはデバックで潰すものです。

神「悪人に作ったんじゃなく、悪人ができることもある種になっちゃってた、テヘペロ」
神がいるならこうかな
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