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人間の死後、悪人は地獄に落ちるとすれば、
神がその悪人を創っておいてあまりにも酷くないですか?

悪行というのは人の弱い心がまねくものだと思う。
その弱い心をもつ人間を創ったのも神であり、神がその気に
なれば善人ばかりの世の中を創る事も当然可能であろう。

小説「沈黙」でキチジローが役人に脅されて、宣教師のロドリゴを
裏切る場面があるが、キチジローも同じようなことを言っていた。
弱い人間、悪人をつくったのも神だ。

神は自らそれらを創っておいて、後で地獄に落とすようなまねを
するほど残酷なものなのか?

と、いう事で僕の結論としては、「やはり神はいない。」


ちなみに、小説「沈黙」は史実に基づている、といわれてはいるが、
一番肝心なところは、史実とは違い、キリスト教を美化した作品です。

A 回答 (21件中1~10件)

今、科学の世界で「意識」に関する研究が進んでいます。


が、いまだに「意識」の定義すら科学はすることができません。
高性能のコンピュータを何百台もつなぐと、そこに「意識」は発生するのでしょうか?
直感的には「No」でしょうね。

神が作ったのは、「魂」、「精神」などとよく言われますが、それはおそらく
科学でいう「意識」というものなのでしょうね。
そして、その「意識」の重要な特性の一つが
「外部からそれを変えることができない」という自己決定能力にあると思われます。

ナチス強制収容所を生き延びたV.E.フランクルの有名な発見の一つに、人間はどんな運命に対して
も「自由意志」を持つというものがあります。つまり、人間の体の自由は奪える、その痛みや
運命も従わせることができる。しかし、それに対して人間がどう感じ、どう考えるかの自由だけは
誰にも奪えないのです。つまり、強制収容所においてでさえ、そこで人格的にきわめて高潔に
ふるまう人間がいて、それを看守や劣悪な環境は変えることはできなかったのです。

神が作ったのは、「よい人間、悪い人間」ではないと思います。神が作ったのは「意識」なのだと
思います。神が、自由意志を持つ存在を創造したとき、神はその意識に「自己決定権」があり、神の
望むとおりにふるまわないことも覚悟していたのでしょう。

ですから、さらにこういえます。
「自ら進んで、神を認めない境遇に行きたがる人に対して、神はそれを変えることができない。」
神はすべての人間を救いたいのだと思います。しかし、神に従うことを拒否する人間に神が助けを
差し伸べても結局うまくはいかないでしょう。それは放蕩息子を持った親なら容易に想像できると思います。

地獄とは、神が刑罰を与える場所ではないと思います。そこは、その人たちが自ら望んで
入る場所だと思います。

これは、私が間違っているかもしれませんが、キチジローのような人間が地獄に行くかどうかは
わからないと思います。むしろ、その罪をはっきり認めて、悔い改めた人生を送れば必ず神は
許してくれると思います。

神が「善しか」行わない人間を作ったとき、果たしてその行動は善といえるのでしょうか?
人間は「善と悪を選択することができる」存在であるがゆえに、善をおこなったときそれに
意味があるのだと思います。

そして、それはわたしたちに任されています。
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"悪行と言うのは人間の弱い心が招くものだと思う"。


正にその通りですね。その弱い心を強めて悪行を犯さない支えとなるのが神の真理(神の目的、御意志)の言葉です。
現在(アダムとエバが創造された少し後から)は、神の創造の第7日目で聖なる日の創造が成されている時です。
悪行に手を染めたエバは、悪魔に唆されましたが、アダムは騙されなかった、つまりアダムは自らの意志で悪行を犯したのです。
アダムは、「神が妻として与えてくれた女が勧めたので食べた」と言い訳しました。
これは、「私は、神に仕えている者です」。「私は、神の預言者です」。「私は、神が地上で用いている正当なキリスト教組織です」。と言っても、神の御意志(聖書)と不一致の部分が有れば従ってはならないと思います。(列王記第1ー13:1.~34.)。
従って、人は悪行に走るか、とどまるかは、神の御意志をどれ程理解し信頼しているかに掛かっていると思います。
そして、神が今創造している新しい天地は、悪を憎み、肉的命を掛けても神の平和を愛する者たちを天の王国に集め入れる業が成されている最中と言えます。
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神がいないと断定できるものではありませんよ。

おそらく「神はいるかどうかわからないがおそらくいないだろう」が原理的表現では限界だと思いますよ。全ての宇宙からミクロの世界次元の違う世界をご自身が確認しましたか?してないでしょ?じゃあ「いるかどうかわからない」一番正確な解答であり「やはり神はいない。」というのはご自身の妄想に過ぎないんですよ。神の定義にもよると思うのですが私はおそらく宇宙人が神なんじゃないかなーと思うんですよ?どうかな?
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>なれば善人ばかりの世の中を創る事も当然可能であろう。



可能であるが何故かやらなかった。
堕罪後や、ノアの洪水のときに人類を全滅させ無原罪の人類を
新しく作ることも出来たと思いますが、神の考えることは
人間には理解出来ません。

>悪行というのは人の弱い心がまねくものだと思う。

弱い心だけでなく、悪魔の誘惑もある。
人間は天使と違い悔い改め、罪を許されることが
認められている。
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神とは、人間が人間を支配するために発明した概念にすぎないということを気付いた人がたくさんいます。




でも、それに気付かれる前に、神は人間が誕生する前から存在していたと洗脳する勢力(=人間勢力)が大勢いるのも事実です。

貴方はすでに、気付いてしまった側の人間でしょう?

であれば、神の所業の残忍さよりも、それを造り出している人間どもの残忍さに注目するべきですな。
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全くもって私が「神」を信じない理由がそこです。


まぁ、私の理由は罪の無い人達が「大量殺戮」に遭ったり
「凶悪犯罪の犠牲者」になったりすることなんですが
同じことだと思います。

人間の願望が生み出した「幻想」としか思えません。
少なくとも「全知全能の神」は信じられません。
いてもいなくても同じです。

この世を創ったものをどうしても想定したいのなら
別に物理法則でもなんでもいいです。
どっちにしても現在誰も知りません。
人間が知っていることなんか、ほとんど「無」に等しいと思います。
その不安感に耐えられない人々が「全能感」を「神」に投影しているのだと思います。

私は不安感を抱えたまま「神」を信じずに死んでいきます。
それが私のささやかなプライドです。
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あなたは「神」を勘違いしていますし、「小説」を読めていません。


概念理解と、国語力が足りません。

「神が居ない」とも、「キリスト教の美化」とも、小説は述べていません。

まず、あなたは神の意味が良く判っていません。
あなたの知っている「神」は、ゲームやおとぎ話の「神様」です。それはキリスト教の、現実世界の神では、ありません。だから「どこにも居ない」のです。

あなたは場面ごとをバラバラにしか読めていません。
「行間を読め」とは良く言われることですが、それは小説として優れた作品ですから、文章を通じ作品全体から主題を把握しなければなりません。そうでなければ、優れた小説だと呼ばれていないでしょう。だから「キリスト教の美化」が表現されているとは判っても、「その意味」が読み取れていないのです。それは国語力です。

どうして史実に基づいていると言われるのか、
なぜあなたの神が居ないのか、なぜ小説として高く評価されるのか、
自分が、どれだけの意味を、そこから読み取る事ができるか。

そうした事を自分で考える「題材」が、小説です。

自分が考え、感じとった意味に価値があり、それは「宝探し」と同じです。良作であれば、文章や題材にとても巧みに、人間としての意味で非常に高い価値を隠しています。それが「神」という難しい題材であれば、ほとんど最高難度なのです。簡単には見つかりませんが、私はヒントしか教えません。教えてしまったら面白くありませんし、せっかくの宝物が手に入りません。

あなたが自分で見つける事、
努力をゲームの様に楽しみながら、学ぶこと。
そうして手に入るかけがえの無い宝物があること。
それが小説の魅力なのだと、私は思います。

この回答への補足

あなたのおっしゃる現実社会の神とやらは、
いったいどのようなものなのか?

まるで神を知っているかのごとく、ヒントしか
与えないなどとはいうのは、卑怯ではないのか?

それと、あの小説はキリスト教の信者は感動するで
しょうが、そうでないものには、それほどでも
ありませんでした。

補足日時:2012/06/10 09:59
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創造主とか、唯一神とかってーのは、高度な知性を持つ生物に善悪という基準を与える事で、力の拮抗や、せめぎ合い、葛藤や、苦悩の中から、バランスや更なる発展を導き出す方法を思いついたんじゃないですかね。



で、我々は、その実験の為に生み出されたと。だからまあ、善人ばかり、悪人ばかりの変に安定したアンバランスな世界を創る気なんぞは、さらさら無かったという事で。

「イイ事するのは大変だけど、死んだら天国に行かせたるから頑張れや。悪い事するのは色々な面で有利かもだが、それなりにペナルティつけたらなアカンわな。おお、こりゃ我ながらナイスアイディーア!」

・・・みたいな感じで、この地球という名のシャーレ上で蠢く、人類という名の微生物の行く末を、創造主とか、唯一神とかってー存在は、今も興味津々で眺めているのかも知れません。

我々からしてみれば「ふざけんな!!」って話ですけど、そんな我々も自らの体内に居る微生物の気持ちだとか、養殖してる生き物の気持ちなんぞは、全く考えていない訳ですし、この宇宙の創造主もまた、被造物である可能性も否定できない訳で・・・。
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 こんばんは。



 こう書いてあります。
 ▲ (ヨハネ福音 3:8) 風は思いのままに吹く。

 あるいは ちょっと長いですが こうも解説してあります。

 ▲ (パウロ:ローマ書9:11-18) ~~~~~
 (α) その子供たち(双子)がまだ生まれもせず、善いことも悪いこともしていないのに、

   「兄は弟に仕えるであろう」(創世記25:23)

 と〔母〕リベカに告げられました。それは、自由な選びによる神の計画が人の行ないにはよらず、お召しになる方によって進められるためでした。

   「わたし〔=神〕は〔弟の〕ヤコブを愛し、〔兄の〕エサウを憎んだ」
    (マラキ書1:2-3)

 と書いてあるとおりです。



 (β) では、どういうことになるのか。神に不義があるのか。決してそうではない。 神はモーセに、

   「わたしは自分が憐れもうと思う者を憐れみ、
    慈しもうと思う者を慈しむ」(出エジプト記33:19)

 と言っておられます。 従って、これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです。




 (γ)  聖書には〔モーセに敵対したエジプト王〕ファラオについて、

   「わたしがあなたを立てたのは、あなたによってわたしの力を現わし、
   わたしの名を全世界に告げ知らせるためである」
       (出エジプト記9:16)

 と書いてあります。 このように、神はご自分が憐れみたいと思う者を憐れみ、かたくなにしたいと思う者をかたくなにされるのです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~

 ○ 神は えこひいきする。

 ということではないでしょうか?
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>神は自ら悪人を創っておいて地獄に落とすのか?


>神は自らそれらを創っておいて、後で地獄に落とすようなまねをするほど残酷なものなのか?

 それでいいんじゃありませんか。

 神は残酷であるでいいと思います。

 2週間ほど前に地獄へ行ってきて、2丁目のスナックで飲んで来たのですが、
 そこのマスターも神からの締め付けがきついと悲鳴をあげてました。
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