プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

僕は昔から他人に物をあげたくなるんです。自分でも何故なのか分かりません。
多分小学校4年ぐらいからだと思うのですが、よく友達とかによく物をあげてたのです。
向うが頂戴というわけではなく、自分が物をあげたくなって、あげてるんです。
なんていうか、多分自己満足なのですが、物をあげて喜んでもらうのがとても嬉しくかんじるんです。

自分でも何故だか本当にわかりません。
また、あげる人でも特定の人ではなくて、友達と呼べる人にはポンポンあげている感じです。
ですが、さすがに高価な物などは、本当に仲がよい友達のみですが。

これが、今でもずっと続いています。
お菓子とかアイスとかならいいのですが、ゲームソフトとかCDとかまでもあり、たまに、高価なゲーム機やデジタル機器なども友達とかにあげてしまってます。

自分もお金が苦しいときでも、友達にこれ、あげたいなと思ってしまうんです。
実は去年に友達一人にPS3本体、今年は友達二人に3ds本体をプレゼントしてるんです。
ゲームソフトやCDなどは多分10本以上はあげていると思います..

得にあげたことは全然後悔しておらず、貰ってくれて喜んでくれてとても嬉しいんです。
また、逆に僕は何かプレゼントをして欲しいとは全然思わないんです...

また、物をあげるだけではなく、人に奢ることもよくしてしまうんです。
得に要求されるとか全くないのですが、つい飲食店に行っても奢りたくなるんです..

ですが、最近、これなんか病気というか、マジでおかしいんじゃないかと思うようになってきたんです。
何故僕はここまで他人に奢ったり、物をあげたくなるのでしょうか?

今後この状態が続けば下手したら破産するのではないかと思ってしまうこともあるんです。
どうすれば治るでしょうか?

実は今でも、友達に物をあげたい衝動がでてしまっていて、先週の金曜日に発表されたばかりの3dsLLをプレゼントしたいとまで思ってしまってました...

A 回答 (3件)

気前のいい自分がかっこいいと思っている、または


何かあげないと喜んでもらえない、見捨てられるという
自己否定、無価値感から来る恐れ
モノでお返しではなく、喜んで欲しい、仲良くして欲しいという見返りを求めている

喜んでくれない、もらって当たり前というのが相手から感じられたら
あなたはどうするでしょうか
見捨てられる恐怖から、更にあげるでしょうか
単にサイフに成り下がり、気前のいい自分を演出できないからやめるでしょうか

私、30万円ほどのブラックパールのネックレスが欲しいんですけど
買ってくれるならあなたのご機嫌取りをするだろうな
根性最悪だが、本性がこんな人間があなたの周囲にいるかも知れない
という事をあなたはなんとなく知っていながら
それについて考えないようにしてはいませんか
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そうですね。


まだ癖といったところでしょうから、直さなければいけません。

傾向として「どんどん物品が高価になる」でしょう?。
どんどんエスカレートしていって、今は発売前のものでもあげたい、と思っている。
それはつまり「あげることが目的」での購入ですから、自分にとっての財産にはなりえないのです。
ここまではわかりますね?。

つまり「あげることで満足する欲求」を、あなたは以前から抱えていて、日常化しつつ、なおかつ「過激」になっている。
「いつまでも経っても自分の資産にはならない」ばかりでなく、むしろ「資産を削ることに喜びを見出している」わけです。

類似しているのが「買い物依存症」です。
買い物依存症の場合は、物を買うことで精神的な充足が得られ、それによって溜まっている「ストレス」を忘れることができる(実際にはストレスは発散できていません)という願望からのものです。
ギャンブル依存症という形で出現することもあります。
いわば「現状から脱出したい」という願いが、顕在化しているということですね。

ただし、買い物依存症などは「求める」ということをキーワードにしての行動です。
あなたの場合は逆で「削る」ということを原動力にしています。
自分が削られていくことで、自分という存在を認めようとしている…それはつまり「自分という存在への価値観」が「きわめて希薄だから」ということだと思います。

あなたが手にしたいろいろな物たちは、いわば「あなたという人間の時間を使った一部」です。
あなたの「生活の一部」と言っていいかもしれません。
それを友達とはいえ、誰かに「あげる」ということは、あなた自身が生きてきた時間を「他人任せにする」ということだと思います。

あなたは、これからも自分というものを大事にして、自分の喜びのために、そして、自分を愛してくれている人たちのためにも、自分という存在を輝かせながら生きていかねばいけないはずです。
そしてその方法は「自分自身で立証できることをする」ことで、証明していかねばいけません。
言葉で言うと難しいですが、自分がかなえたい夢とか、何かの大会で賞をとるとか…なんでもいいのですけど、要は「自分自身が嬉しくなる方法」は自分でかなえろ、って言うことですね。

誰かに物をあげた事での喜びなんて、はかないものです。
しかもそれは、あなたが新たに作り上げてのものじゃなく「手近にあるものをあげただけ」の、自己満足に過ぎないのです。
誰かに何かを渡すならば…必ず「対価」を要求しなさい。
そのために自分が働くならば…それこそが「労働」ですし、それこそが「生産」なのですよ。

…長くなりましたが、最後に。

私自身がここで回答しているのは「質問される方の苦悩に少しでも応えるため」です。
そしてそれが、健全な社会に貢献できる手助けになるかも?という一助としてです。
理由はあるのです。
ですから、私の回答を選択するしないは自由ですが、これは「タダであげる」ということではありません。
見返りはちゃんと求めているのです。
社会とは、そういったものです。
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“相手にモノをあげた”もしくは“他人に施しをした”ら『相手から自分が認められた』と勘違いしてしまっているのでは?



プレゼントした相手からお返しは戴きましたか?
プレゼントされた相手は、高価な品であればあるほど、気を使って何らかのお返しをすると思います。

もしかしたら、気を使っている相手の態度を【友情】と勘違いしてしまっているとか。

特別な目的(誕生日等)で相手にプレゼントされるのなら理解できますが、自分で理解できないで、大して理由もなくポンポンあげるのは《破産》に繋がるのでは?
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