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(元世界銀行副総裁の西水美恵子さんがfacebookで意見を募集しています)

コラム「時代の風」で、バージン諸島の長老たちの言葉を引用しました:
「死刑は正気の沙汰ではない。人を殺すことが罪だからこそ、その罪の償いとはいえ、同じく人の命を奪うことは許されない。」

人の命をうばうことは、罪。
死刑は、人の命をうばう罰則。

このふたつが同居することに、矛盾はありますか?ありませんか?

http://www.facebook.com/SimplyMieko.Official/pos …

A 回答 (18件中1~10件)

お前は死刑囚が更正すると思う?


第一、死刑囚に人権なんか必要ないね。
命の重さを同じにしていいの?
第一あんな奴ら社会に必要ない。

悲しいね。君は自分の大切な人が殺されても死刑反対でもしてろ

この回答への補足

>君は自分の大切な人が殺されても死刑反対でもしてろ

本当に、西水氏をはじめとして死刑廃止論者は、殺人事件の当事者になった場合、犯人を死刑にすることに反対できるのでしょうかね。

おそらく、その時になって自分の考えが間違っていたことに気付くのではないでしょうかね。

自分が遺族の立場になった場合に、命乞いする被害者を無残に殺害する加害者を許せるかどうか。死刑廃止論者によく考えてほしいものです。

そういう者に生きる権利があるはずはありません!!そういう者は死刑になって当然です!!

補足日時:2014/02/05 23:46
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僕は矛盾を感じますね。



法によって認められて入るけど、結果論として人の命を奪うことに変わりはないわけですから。殺人者を遺族の求めもあって死刑にしたとして、死刑を求めた遺族は人を殺していないのかと言われればそれも微妙だと思います。悪く言えば、殺人を国という公的機関に委託してやってもらったとも取れると思います。

被害者の人権は無論大切です。しかし、加害者側の人権というのも無視できるものではありません。たとえ心は悪いとしても、人間ということに変わりはありません。犯罪者は人間ではないから人権など無いという見方は、僕は明らかに間違いだと思います。だれしも、そうなり得る一面を持っているわけですから。単に自分のそういう面と向き合いたくないという気持ちの現われであるようにすら感じます。

かといって、死刑を今すぐ廃止するかという点ではNoですね。急にはダメです。今までの流れってものもあるわけですから。時間をかけて、ちょっとずつ変えていけばいいと思います。人を殺してない(放火とか)のに死刑になるという罪には大いに疑問を感じます。それはやめたほうがいいと思いますよ。殺されたから殺したお前を殺す、というのが死刑の根幹だと思いますので。誰も殺してないけど死んでくれ的な死刑のやり方は反対ですね。

この回答への補足

>犯罪者は人間ではないから人権など無いという見方は、僕は明らかに間違いだと思います。だれしも、そうなり得る一面を持っているわけですから

誰でも犯罪者になり得るのだから、犯罪者になった場合のことを考えるべきと受け取れます。

犯罪者の多くは自分勝手な思惑のために他者の都合など考えません。そういう犯罪者を擁護するような意見のようにも見受けられるのですが、どうでしょうか。

補足日時:2012/07/18 16:36
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補足、どうもです。



>「車社会を許容している」ことと、「人の命を奪う」ことを同列に(同じ土俵で)考えることに無理があるということです。

死刑と殺人を同列に捉える事には無理がないの?

>交通事故で人命が失われるのと、殺意を持った者によって人命が失われるのとでは、事情は大きく異なります。

そうだよ。そう回答してるじゃないの。↓

>車社会を許容しておきながら、人の命を奪うことは許されないなんて屁理屈が通るわけがない。

死刑と殺人を同列に捉える事は、交通事故と殺人を同列に扱うのと同じ(屁理屈)だって、書いたつもりなんだけどなあw
説明するまでもなく「人の命を奪うことは許されない」は極論なんだから、そいつを根拠に死刑が許されないなんて理屈が通るわけがない。
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この回答へのお礼

重ねての回答ありがとうございました。私の理解が足りませんでした。申し訳ありませんでした。

交通事故で人命が失われている現実に対して何も言わずにおいて、死刑で人命が失われることだけをを批判することに無理があるということですね。

死刑は、不法行為をした者に対する究極の刑罰です。法治国家においては合法的なものです。それを、通り魔事件のように身勝手極まりない、不法行為の殺人と同列に扱うことは屁理屈以外のなにものでもありません。その屁理屈は、正当防衛や人質救出のための狙撃も認めないことになります。

死刑反対論者の主張にはまったく現実を無視しているとしか言えないと思います。どんな残虐非道な殺人者でもその命は国家が保障するというのは、馬鹿げているとしか言えません。

お礼日時:2012/07/12 09:02

矛盾が有る無しに対する答えになっていないが



<人の命をうばうことは、罪

どんな理由が有っても確かに罪ではある
ただし内容、状況によってはやむおえない場合もある

その為に裁判があり弁護士もある
一人殺しても死刑になったり二人殺しても無罪になったりする
これで良いのではないか
ただし、冤罪だけはこまる
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

確かに罪状に応じて刑罰が異なるのはやむを得ないと思います。

そして、そういう認識において、冤罪の疑いのないケース(本人の自白と確固たる証拠)では、死刑はやむを得ないと思います。

「死刑は人を殺すことだからいけない」という死刑反対論者の主張には、考え方に大きな欠落がありはしないでしょうか。矛盾云々の問題設定がそもそもおかしいと思います。どうでしょうか。

お礼日時:2012/07/12 02:03

この「矛盾はありますか?ありませんか?」というのは、「矛盾しているでしょう」と詰め寄っているかのようですが、その論証の仕方には無理があると思います。

それは、同じ次元で(同じ土俵で)論争(勝負)することができないこと(もの)を、無理やりに論争(勝負)させようとしているからです。これはあたかも、往年の名横綱の双葉山と現役の横綱の白鵬とではどちらが強いかを論じるようなものです。

身勝手な動機で人が殺される(A)のと、死刑という刑罰で当該者が殺される(B)のとを同一の次元(土俵)で論じることはできません。

(A)は、人を殺してはならないという法規範に反する身勝手な行為です。
(B)は、人を殺してはならないという法規範に反したことに対する法律が定めた刑罰です。

人を殺してはならないという法規範がある限り、それに反する行為をした者には死刑という刑罰を受け入れる責務があります。それは、法治国家における約束事です。

人を殺した者がすべて死刑という刑罰を科されるわけではありません。様々な事情を斟酌して最も重い刑罰として死刑が科されます。

人の命が尊いものであることは誰も否定できないでしょう。しかし、その他の何物にも代えがたい人命を無残にも奪う行為に対しては、最も重い刑罰としての死刑は当然あってしかるべきではないでしょうか。

どんな冷酷非道な殺人者であってもその命は、他の善良な人の命と同様に保護されなければならないというのは、あまりにも現実を無視した空虚な理想論ではないでしょうか。

自分のことしか考えない凶悪な犯罪者が横行する社会においては、人道上という理想論は通用しません。冷酷非道な犯罪者のために血税が使われるよりも、病気や経済苦で困惑の極みにある善良な人の救済に血税は使われるべきではないでしょうか。
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この回答へのお礼

明確な回答だと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/07/12 02:04

このスレ、質問を装った事実上の「意見表明」じゃん



あと、皆さんの回答に「議論」吹っ掛けてきてるじゃん

規約違反だよ。

この回答への補足

>事実上の「意見表明」

なるほど、そういう見方もできますか。

私は、西水さんに代わってここに皆さんの意見を求めているつもりです。

寄せられた回答はすべて西水さんに提供したいと思っています。

西水さんは、様々な考えがあることは当然だと言っています。多数派が少数の意見を封じようとすることに反対しています。私はその考えには賛同しています。

また、死刑についても、自分の考えが絶対的に正しいとは思っていないとも言っています。間違いに気付いたら素直にそれを是正するでしょう。そういう姿勢は私たちすべてが身に着けるべきだと思います。

補足日時:2012/07/11 21:44
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この回答へのお礼

するどいご指摘ありがとうございました。

西水美恵子さんは、facebookで意見を求めているのですが、一日経っても誰も意見表明していません。しかし、このQ&Aのサイトでは、一日で14件の貴重な意見を貰うことができました。

同じネットであってもこんなにも違いがあるのかと思います。うまくネットを活用することは、これからのビジネスや日常生活において非常に意味あることだと思います。

お礼日時:2012/07/11 22:23

#10です。


回答が分かりづらかったようで、すいませんでした。

>人の命をうばうことは、罪。
というのは、あくまで世間一般における人を殺すこと(殺人や過失による事故死など)であって、その論理を死刑という特殊な例(場合によっては戦争や紛争も含んでもいいでしょう。)に当てはめてはいけないということです。

だから
>人の命をうばうことは、罪。
で死刑まで含めてしまうのは、“変な論理”になるわけです。
あくまで殺人と死刑は別物です。

この変な論理(犯罪と刑罰の混同)を適用すると、罰金とカツアゲが同じになっちゃうってことですね。
よく死刑を“国家による殺人”という人がいますが、“国家によるカツアゲ”に対して文句を言わないのは不思議です。

死刑の是非はあるでしょう。
しかし刑罰自体が犯罪になるかの議論はおかしいです。
犯した罪の償いとして、命まで取る必要があるのか、そこが論点であるべきですね。

この回答への補足

再度の回答、本当にありがとうございます。ようやく理解できました。

「変な論理」を持ち出し「矛盾していますか、いませんか」ということ自体がおかしいことだと言わざるを得ません。

世界銀行の副総裁を務めた人がそういう論理展開をしているのです。参ってしまいます。

補足日時:2012/07/11 18:30
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死刑論争はわりあいと話題になりますが、


欧米が死刑廃止・終身刑推進の方向で動いているのに比べて
日本では裁判員制度導入に伴い死刑賛成の方向に向かっていますね。

日本のお隣の中国ではバンバン死刑にしてるので
欧米の衰退、中国の台頭に伴い、これからさらに死刑が増えると思います。
もともと東アジアの歴史的風土、倫理観では死刑は当たり前で
キリスト教的価値観の欧米とは違います。
死刑廃止は欧米の価値観押しつけ、人権外交の一環とも言えます。

コラムのほうは、いきなりバージン諸島の長老なんていう、日本とは歴史も文化も
まったく違う話を持ってきても、あんまり説得力はないと思います。

この回答への補足

>コラムのほうは、いきなりバージン諸島の長老なんていう、日本とは歴史も文化も
>まったく違う話を持ってきても、あんまり説得力はないと思います。

コラムは、毎日新聞の朝刊(6月10日)『時代の風』に掲載されました。

コラムの主の西水美恵子さんは海外生活が長いようで、日本の歴史とか文化に疎いようです。

そのために、そういう説得力のない話になっているのだと思います。

次回の西水さんのコラムは7月15日(日曜)になるようです。死刑問題に触れるかどうかはわかりません。

補足日時:2012/07/11 12:32
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“死刑”と“殺人”を同列に扱うから、そんな変な論理になっちゃうんですね。


世間一般で“人を殺すこと”と言えば、普通は“殺人”を示唆します。
そのまま死刑に論理を適用することはできません。

“逮捕”も“罰金”も“懲役”も身体や財産の自由を侵害してます。
が、それは法律に定められた手続きを経ています。
だから罰金はよくても、カツアゲはダメなんです。

命だって同じこと。
その国の法律の手続きに則って行われていれば、身体や財産同様、奪われる対象になりえます。
(もちろんその法律が倫理上正しい(人前で屁をこいたら死刑とか)かは別問題ですが…)

まぁ少なくとも、伝統・文化・風習の違う人が口を出すことじゃありませんし、引き合いに出すのも間違っていますね。

個人的には“仇討ち”の感情が色濃く残るところでは、国が死刑という形で代行するのは理に叶うと思います。
(日本の死刑自体が償いというより、そういう意図で行われているようですしね)

この回答への補足

>そのまま死刑に論理を適用することはできません

「死刑に論理を適用」がどうも理解できません。ここでいう「論理」とは「そんな変な論理」のことでしょうか。

改めて説明して頂ければと思います。理解力に乏しくて申し訳ありません…

補足日時:2012/07/11 10:58
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”人の命をうばうことは、罪。


死刑は、人の命をうばう罰則。”
    ↑
人の財産を奪うことは罪です。
罰金は、人の財産を奪う罰則です。
人の自由を奪うことは罪です。
懲役は、人の自由を奪う罰則です。

つまり、これは刑罰、刑法の否定です。
それで社会が治まるなら問題はありませんが
無理でしょ。

”このふたつが同居することに、矛盾はありますか?ありませんか?”
   ↑
罪だなんだ、というのは人間が社会の秩序を維持するために
編み出した概念です。
だから、人間の都合のよいように決めて差し支えないのです。
罪の概念は絶対的普遍的なものではない。
例外が認められる概念である。
人の命を奪うことも、より大きな利益の為には許される。
それは罪ではない、とすればよいだけの話です。

この回答への補足

>つまり、これは刑罰、刑法の否定です。
>それで社会が治まるなら問題はありませんが
>無理でしょ。

この「刑罰、刑法の否定」が少し理解できません。

そもそも「これは」の「これ」とは何のことかがよくわかりません。

その記述が欠落していると思うのですが、どうでしょうか。

「矛盾はありますか?ありませんか?」という問いかけには、私は「矛盾ありません」と答えますが・・・

補足日時:2012/07/11 10:45
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