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死刑廃止論でよく、家族を殺されても同じ事が言えるのかという反論がありますが、その論理は自分が殺人犯になることについても同じではと思います。
殺意を覚えたなんて表現はよく聞きますし。
実際、犯罪をやってしまって初めてそういうやつの気持ちがわかったってのは有り得ると思います。 (凶悪犯ではないですが、政治不正で逮捕された人が後日そんなことを言っていました。 不正を憎んで政治家になったのに、自分が不正の空気に飲まれてしまったという趣旨) やはりこの手の反駁を聞かないのは相手を殺人予備軍扱いしてしまうことになるからでしょうか?
わかりにくい文章ですみません。
以前他でも質問しましたがもっと多くの意見が聞きたいです。

質問者からの補足コメント

  • うーん・・・

    うーん、殺人行動っていうほど異常なのか、とは思いますね。重罰は嫌だからやらないってだけの人も結構いるのでは?
    アメリカのある州(忘れてしまいました)でスタンドユアグラウンド法という正当防衛要件大幅緩和法を制定された結果、殺人事件が三割増になったという話があるそうです。
    現在でも宗教を侮辱したり婚前交渉で死刑とかそれ以前にリンチで殺害という地域も結構あります。
    日本でも一度たがが外れればソマリアとまでいかなくてもヨハネスブルグ並みぐらいまで殺人大量発生というのは考えられる気がします

      補足日時:2024/01/22 23:22

A 回答 (10件)

根本的に、考え方が、間違っていると思いますが?



「死刑制度」は、凶悪犯を牽制するためでも、
恫喝するためでもない。

「公共の福祉」という言葉がありますが、日本国民は、
安心、安全に、日本で、平穏に暮らす権利があります。

殺人犯が、しかも、複数回にわたって殺人を犯す者が、
この社会の中に、潜んでいれば、日本国民の権利で
ある「安心、安全に社会生活を過ごす権利を侵している」
ことになる。
即ち、公共の福祉に反する者を野放しには、出来ない。

「ガン細胞」と同じで、日本社会を蝕むこういう連中を
「摘出手術」するのが、「死刑制度」だ。

「ガン細胞」が何を考えようが、何を感じようが、
そんな事「知ったこっちゃない。」
「摘出」するだけだ。

アメリカの州の話がありますが、キリスト教の
価値観に毒され、災害があれば、略奪が発生する国と
災害があれば、「皆で助け合う国」では、比較さへ出来ない。

リンチの話も、そういうのは「唯一神教」の世界の
話で、キリスト教系やイスラム教の価値観の中での
話だ。

何で、西欧かぶれよろしく、西欧基準に日本が
合わせる必要があるのか?

しかも「考えられる気がします」という「気分」で、
少なくとも、判断すべき問題ではない。

「死刑制度」と言うのは、「ガン細胞」から、
一般国民を守るために存在している。
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逆に質問だけれども、どんな場合であっても死刑という選択肢は残すべきではありませんか?



女子高生コンクリート詰め殺人事件というのがありました。 死刑が適用されませんでした。 日本は異常な国家だと思いました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E5%AD%90 …
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>この手の反駁を聞かないのは相手を殺人予備軍扱いしてしまうことになるからでしょうか?



 これが質問だとしたら、答えは「そうではないんじゃないの」です。感情論には正解がありませんので難しいですが。
 自分としては存置派ではありますが、廃止派のよく使う「先進国では」「外国では」という理由付けには同意できません。それぞれ民族性も宗教観も歴史も異なりますし、なんでもかんでも先進国に合わせろというのだったら憲法9条だって廃止だよね、となっちゃいます。あまりに軽薄すぎる。
 日本は確かに死刑制度を採用していますが、死刑に至るには裁判というハードルがきちんとあります。証拠を揃えて起訴された被告が、法律に照らし合わせて被告が死に値する罪を犯したかどうかを複数の人によって判定されるのです。もちろん冤罪はありますが、それは判断の問題であって制度の問題ではありません。対する死刑廃止国の多くは現場での射殺が多数あります。よく比較に出されるEUでも年間数十人が現場で射殺される国は少なくありません。たいていは日本の死刑による刑死者を上回ります。この場合、証拠が揃ったわけでもなく、複数による判定でもなく、個人の判断によってその場で命を奪われます。
 証拠を揃えて複数の人間が死刑という判断を下す国と、証拠があっても無くても現場の状況によって個人の判断で命を奪う国、どっちがいいかとなったらまだ日本の方がマシかなと思います。
 死刑制度ってそれだけで討論すると出口が見えなくなるんじゃないですかね。少なくとも死刑に代わる制度とかとセットじゃないと。
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私刑の有無はこの際置いとくとしてその理屈はおかしいです。


その理論をいくのであれば、殺人者や遺族の心を理解するには皆同じ目に会わなくてはなりません。

自分と同じ経験をした人に対してシンパシーを感じるのは人として仕方のない事ですが、それは共感ではなく自己投影にすぎません。

自分のしたことのない経験をした人の気持ちに立って考えるのが共感です。
医者は患者の痛みが分からなくてはいけませんが、患者と同じ病気になる必要はありません。

同じ状況に陥らなければ他者の気持ちがわからないのであれば人から共感力がうしなわれているということです。
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先進国で死刑制度が残っているのは


日本とアメリカ(一部の州)ぐらいです

家族を殺されたから、殺してやる
これは私刑で有史以前の考え方で野蛮な考え方です

死刑制度がある国はEUには参加できません
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その例えはおかしい。

仮に望んだ終身刑が出きたら、自分が監禁犯と同じになると思うのですか。
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死刑廃止論でよく、家族を殺されても同じ事が言えるのか


 ↑
同じ事を言える人もおります。

岡村勲さん、という人権派弁護士(=死刑反対派)は、
自分の妻を殺されてから死刑賛成派となり、
被害者の会を立ち上げました。

銀座弁護士妻子殺人事件(1956年)で妻子を失った
弁護士の磯部常治氏は、殺されても死刑
廃止の立場を変えませんでした。




という反論がありますが、その論理は自分が殺人犯になることについても同じではと思います。
殺意を覚えたなんて表現はよく聞きますし。
実際、犯罪をやってしまって初めてそういうやつの気持ちがわかったってのは有り得ると思います。 (凶悪犯ではないですが、政治不正で逮捕された人が後日そんなことを言っていました。 不正を憎んで政治家になったのに、自分が不正の空気に飲まれてしまったという趣旨) やはりこの手の反駁を聞かないのは相手を殺人予備軍扱いしてしまうことになるからでしょうか?
 ↑
反論になっていないからでしょう。
そもそも殺人を犯す人間など、普通の
人間ではありません。

殺したい、なんて感情になるひとは
沢山いますが
行動に移す人は特殊な人間です。

まして死刑になるような人間は異常者
です。
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確かに死刑反対論者に対して「家族が殺されても同じことが言えるのか」という反論はよく聞きますね。


それ(死刑賛成派)に対しては、「家族が冤罪で死刑になっても同じことが言えるのか」と反論できます。家族を殺されたら誰だって許せないし、相手を殺したいと思う。しかし個人的復讐心と死刑を一緒くたにすべきではない。
検察も裁判も万能ではないし、間違うことはある。どころか、事実を捏造することすらある。そして、法律は正義ではない。少なくとも、殺してしまった人間は元に戻すことはできない。
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人を殺すって狂ってなきゃできないと思いますね。

狂ってるなら、更生は無理ですよ。実際更生率って低いんですから。
私が家族を殺されたら、死刑には頼りません。法は無視して罪がわかるように仕返しに生きると思います。離婚して、家族とも疎遠にして、情報をもとめ、ハムラビ法のように同じことをそいつ以外のものも犠牲にして成し遂げます。それは、自分が仇討ちに狂うことの前提でしかできないものだと思います。で、堂々と自殺なんてことはせずに裁きは受けます。「私は(殺すべきやつは殺したので)もう人は殺しません。その上でどう裁かれようが受け入れます」と。たぶん、狂ってると言われるでしょうね。それでいいと思いますわ。
この手のものには、論理は通用しないと思いますよ。
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何を言いたいのか、質問したいのか、「さっぱり解らない。



殺害されれば、その人は、帰って来ない。

その事が、「殺人犯になること」と、どこをどう歪めて
考えれば、「同じ」になるのか、理解できない。

もう少し、頭を整理してから、質問したら?

死刑は、単純に、誰かを殺したら、なるものではないよ。
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