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著者インタビューで、「のぼうの城」は史実をもとにプロットを作ったが、キャラクターの性格などは創作と答えていましたが、「のぼう様」と呼ばれていた、ということも創作ですか? それとも成田長親にそれに近い言い伝えなどがあったのでしょうか?

A 回答 (1件)

誰も答えないので一言。


忍城の攻防には資料が少なく「成田記」が主要な
もののようです。

これには城主成田氏長の娘、甲斐姫の働きばかりで
小田原に行き留守の氏長にかわり城代になった
成田長親のはたらきは殆ど載ってないようです。

長親はもともと図体が大きいのに、武勇には縁のない
性格であったので、私の想像では忍城の武将や近親
から「でくのぼう」の陰口をいわれていたとしても可笑しく
ないので、作者が「のぼうの城」という適切な題名を
付けたとのだと思います。

ただ「のぼう様」と領民がいうことは、常識では考え
られません。    創作でしょう。
「馬鹿殿様」と同じですから。
「長親様」のような言い方が普通です。

ところで長親の城代としての働きは立派なものだった
と思います。
城には城兵の他、多くの領民が逃げ込んでいました。
彼らが動揺したら城は持ちません。
落城に内部崩壊は多いのです。
彼らの信頼を得ていた長親も、武勇の甲斐姫と共に
城を守り切った柱の一本でした。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
確かに、いかに寛容なお殿様だったとしても、バカ殿と呼ばれてたと考えにくいですね。
大変参考になりました!

お礼日時:2012/07/17 11:04

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