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昭和10年から20年にかけての電気料金は1キロワットあたり何円くらいだったのでしょうか?
20年通してのデータならベストですが、なければ単年度のデータを教えてください。

A 回答 (5件)

こんにちは。


この質問ではおそらく回答が付かないと思いますので、知っているところで
書きます。

totanさんは、キロワットいくらかと言う現在の感覚で質問をしていますが
その当時は、そんなシステムではありませんでした。

昭和26年に、現在の9電力(後に沖縄を入れて10)体制になるまでは
発電会社は振興のベンチャー企業みたいなもので、地域それぞれで日本中に
何千とある小さな発電会社で村ごとに違い、送電も連系していませんでした。

それが福沢桃介が中心となって、紆余曲折を経て統合されて現在の体制に
なったわけですが、もう当時の料金などの資料はほとんど残っていません。

そして、電気料金はそれぞれの会社でバラバラの契約でした。ただ、常識的
な相場はありましたが、それはキロワットいくらでなく、電灯1ついくらと
いう契約でした。

また、電気器具も電灯しか無かったこと、今みたいに電力量を量るなんて事は
簡単に出来なかったので、電球の数による定額契約でした。
この電球も、電力会社が貸し出し(それが契約)切れたら電力会社に持って
行って代えてもらうと言うシステムも多かったです。

例えば単位も燭で、10燭と言うと現在の13ワットにあたる電球で、
ざっとその当時の平均的な値段は、10燭1つで50銭位だと思います。
村によっては、村電気使用条例を決めて35銭位と村民の負担を減らして
いた所もあったようです。

昭和15年頃の一番安い料金で、10燭20銭、動力1馬力2円と言う
記録もありますが、通常のは10燭50銭、1馬力5円位でしょう。

また、今みたいに各部屋に電灯はついていないため、各家庭とも
(まだ電気の無い家庭も多い)電球に長いコードが付いていて部屋を
移るときは持って移動していました。

50銭の価値は当時の物価を調べてもらえば良いですが決して安いお金
ではないので、各部屋に電気を付けるなんて事は出来ませんでした。

一応、昭和10年代と言うと従量の契約もありましたが非常に少なく
料金表は手元にありません。昭和30年頃まではキロワットいくらと言う
従量契約ではなく、300ワットでいくらと言う定額の契約がほとんどで
した。

ご質問の昭和のはじめでは、一般家庭ではほとんどの家庭が、10燭か
16燭の1灯か2灯くらいで、大口は旅館や料理屋、商店だったから
今なら10軒位で使用する電気で、村1つとか2つを送る事が出来ました。

図書館に行くと、当時の地元の電力会社の記録が残っているかもしれま
せんので、そのあたりを手がかりに調べる事をお勧めします。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。
大変参考になりました。
今度図書館で調べてみます。

昭和26年以前は、日本発送電によって国策として電気事業が経営され、これが分割によって現在の9電力体制になったと理解していたのですが、いかがでしょうか?

お礼日時:2004/01/27 17:40

国家電力管理として、


日本発送電
関東配電など地域
に、再編成されました。

ただし、離島などは、別ですが。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

お礼日時:2004/01/30 13:33

こんばんは。



電力編成の歴史は、色々と複雑で私も分かっていないことが多いのですが
理解しているところで。。。

> 昭和26年以前は、日本発送電によって国策として電気事業が経営され、
> これが分割によって現在の9電力体制になったと理解していたのですが、
> いかがでしょうか?

その通りで間違いありません。
既にご存知かも知れませんが、もう少し歴史的な話をすると

昭和初期は多くの電力会社が乱立して、それが5大電力を中心とする形に
収斂していきます。

書かれている、日本発送電はS14年に国が強制的に設備などを出資させ
解体して国営企業にしたものです。当時33社の民間会社をまとめたとの
記録はあります。

この日本発送電は、発送電部門と配電部門を分離した形態で、配電部門は
電気を購入してそれを小売すると言う感じでした。

ですから、配電部門で設備のお金のかからない所は安く、僻地は高くとい
う料金設定だったと私は理解しています。

この形態は、昭和26年の電気事業再編成令まで続き、電力不足や故障の
責任体制の曖昧さで問題があり、現在の縦割りの形になりました。

この日本発送電が発足したときの、新聞記録を発見しましたので参考URL
に張っておきます。

これのよると、政府が電源毎に値段を設定していて、1kWあたり
47,8円であり、それを供給する側の値段は、50サイクルで
1kWhあたり1銭9厘、60サイクルで1銭8厘余と書かれていますね。

14年以降ですが昭和16年までは配電会社が412社で行っていまし
たが(国策ですが会計上国益としていたが子会社みたいな感じ)、
S16年に配電統制令が施行されて412社から9社に統合されました。

その後、第1次、2次の配電統合がありましたが、戦争が激化したS19年
に日本発送電は軍需会社になりましたが、このあたりの電気料金はちょっ
わかりません。

しかし、戦後S21年に配電統制令が廃止されて電気事業法が復活して
S23年に電気料金が一斉に値上げされたと言う記事はあるのですが、
値段は分かりません。

参考URL:http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentVi …
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。

実は、こんなことを調べてました。


1,昭和10年、ある電力会社はある村に対し、最大30キロワットで昼夜24時間送電するものとし、その料金を1キロワットに付き年額25円とする契約を結んだ。

2,契約は村が受電・配電設備を整えたのち実行されることになっていたが、受・配電設備は戦後になっても整わず、契約の見直しが必要になった。

3,この時、電力会社の業務を継承した日発は、料金が安すぎると反論し、村はダムの水没補償の趣旨であり、本来無償とすべきところを電力供給許可の関係で便宜上決めた額であるとし、問題がこじれた。

4,結局、民営化直後に日発から継承した電力会社が妥協することで、問題が解決した。

この事件で、「1キロワットに付き年額25円」がどれほど安かったかを、昭和10年(契約時)、14年(日発継承時)20年(問題再燃時)、26年(解決時)の相場と比較してみたかったのです。


ご教示のページでは「概括して一キロワット当り年四十七、八円見当になる」とありますが、これは14年の全国平均相場として理解し、比較してもいいものですよね?

ちなみに26年の解決は、30キロの現物供給に代えて、これを換算して10万円支払うことで合意に達しているので、これを26年の相場と考えています。

話が配電会社対一般契約者でなく、発電者対受電者のことなので事例に乏しいと思います。

当方は電気に関し全く疎いので、ご教示のほど、よろしくお願いいたします。

お礼日時:2004/01/30 14:23

こんばんは。



> この事件で、「1キロワットに付き年額25円」がどれほど安かったかを、
> 昭和10年(契約時)、14年(日発継承時)、20年(問題再燃時)、
> 26年(解決時)の相場と比較してみたかったのです。

10~14年当時の1kW25円はかなり安かったと思います。
また、日発の時代にどのくらい値上がりがあったのか分かりませんし、
26年に電力再編して発足した再の値段も分かりません。

しかし、現在の体制になってからの電気料金の改定の記録はあるので、
現在の電気料金から改定の料率で遡ると、昭和26年当時は、kWh当たり
6円30銭位になりましたが、物価レベルから考えると高すぎる気もします。

> 「概括して一キロワット当り年四十七、八円見当になる」とあります
が、これは14年の全国平均相場として理解し、比較してもいいものですよね?

この比較はいくつか難しい点があると思います。

○この新聞で言う、キロワット当たり47,8円と言うのは、国が発電した
 電気を買う料金が、設備の容量からするとキロワット当たり47,8円と
 いうことなので、おそらく利益無しの設備の価格と思われますので、受電
 の全国の平均相場とは差があると思われます。

 この昭和14年当時の電気料金は13Wの電灯1つが50銭と言う相場で
あったことを考えると、1kWは単純に計算すると、
(1000/13)×50銭=38.5円/月であり1年なら462円と
計算出来ます。

 当然、多く契約すれば電気料金は下がりますが、電力会社にとっては1kWの
電気(を発電出来る設備)は年間、250円程度の利益を生むものであること
を考えると、1kWにつき年額25円は当時の1/10以下であると思います。
(当時、工場で使う一番安い動力の契約では1馬力5円位が相場ですから、
 これだと1kW(1000/735)×5×12=81.6円となります)

> ちなみに26年の解決は、30キロの現物供給に代えて、これを換算して10万円
 支払うことで合意に達しているので、これを26年の相場と考えています。

これは、年間10万円との換算だったのでしょうか?

当時の給与レベルから考えると、そこそこの相場と考えられますが、先に
換算した6.3円位がもしいい線だと仮定すると、年間で10万円は安す
ぎる気がしますし。。。

回答になっていなくてすいません。
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この回答へのお礼

ていねいなご回答をいただき、ありがとうございます。
本当に情けないほど電気のことが分からなくて、またまた幼稚な質問をしてしまうことをお許しください。


>この新聞で言う、キロワット当たり47,8円と言うのは、国が発電した
 電気を買う料金が、設備の容量からするとキロワット当たり47,8円と
 いうことなので、おそらく利益無しの設備の価格と思われますので、受電
 の全国の平均相場とは差があると思われます。

ということは、全国の平均相場は、これに利益を上乗せするので、もう少し高くなるということでしょうか?

>この昭和14年当時の電気料金は・・・1kWは単純に計算すると・・・38.5円/月であり1年なら462円・・・

>昭和26年当時は、kWh当たり6円30銭位・・・

昭和26年の方が安くなったということでしょうか?

追加情報ですが、円満解決以前の昭和25年ころ、村は日発に対し、次の試算により1400万円以上の支払いを求めています。

一戸平均20ワット1灯を50年無料にする代金として、現行では20ワット48.7円/月であるから、
一年分584.4円×当時の戸数530戸×50年分の計算
(重要な情報が漏れてました。申し訳ありません)

年額では約31万円ですが、これに対し、妥協額は年10万円です。ただし、期限がないので140年以上続けば要求額を上回ることになります。

すでに50年以上経過しましたが、この間に電力料金の改定にともなって金額が変わり、現在は年額90万円になっています。

以上をふまえて、全般的な感想などもお聞かせいただければ幸いです。
よろしくお願いします。

お礼日時:2004/02/03 09:54

こんにちは。


色々と忙しく、遅くなりすいません。

ご質問の話は知らないのですが、実在の村で現在でも年に
90万円電力会社から払われているということでしょうか?

> ということは、全国の平均相場は、これに利益を上乗せするので、
> もう少し高くなるということでしょうか?

そう言う事だと私は理解しています。

>> この昭和14年当時の電気料金は・・・
>> 昭和26年当時は、kWh当たり6円30銭位・・・

> 昭和26年の方が安くなったということでしょうか?

書き方がわかりにくかったですね。。。
上の2つの数字は土俵が違うので比較は出来ないものです。

先の38.5円という数字は、電灯(13W)の契約料金から1kW
あたりを単純に計算した値なので実際はもう少し安いということと、
この数字は1kW発電する設備に対する料金であり、下の6円30銭
はkWhという単位で、100Wなら10時間使用した際の電気量で
す。
ですから、電力会社にとっては1kWの設備を用意しているのと、
100Wだけの設備を用意して長時間使って貰うのとでは、当然1kW
の設備を準備している方が(電気の使用に関わらず)高くなります。

同じ土俵にするならば、当時20Wの電灯が48.7円との事ですから
1kW/20W×48.7=2435円(S25年)と38.5円の
(S14年頃)比較になります。
(金額は63倍ですがお金の価値から見ると下がっているでしょう)

> 年額では約31万円ですが、これに対し、妥協額は年10万円です。

電力再編後の電力会社の資料を少し探してみたら、当時から結構多様
な料金メニューがあったようです。
そして、この話のように村を一つの小口需要とすると、基本料金が
1ヶ月約300円、電力量料金が1kWhあたり3円位だったよう
です。(20年代後半)

そうすると、20Wの電灯530戸では10.6kWとなり基本料金が
10.6×300=3180円。
これを電灯なので午後6時から12時まで6時間使用すると考えると
10.6kW×6時間×31日×3円=5915円
これを1年にすると、(3180+5915)×12=109140円
となり、おおよそ11万円なので、電力ではこう試算した数字なのかと
思いました。

村の試算では、50年で1400万円ということですが、電力の試算だ
と50年で500万円と考える事が出来ます。

その後も電力料金の変更に伴って支払われているとの事ならば、金利や
物価変動分も帳消しということで、50年間払えば相応の補償なのかな
と思います。

> ただし、期限がないので140年以上続けば要求額を上回ることになります。

当時の補償を1400万円と仮定するならその通りですし、500万円
とするならばもう50年となり相応ですね。

また、お金の価値ではなく、村の20W電灯を50年間無料とすると
いう単純な考えなら、現在の料金から計算すると、20Wの電灯
530戸で年額90万は多いですね。。。

まあ、こうした話は利害から感情になるので難しいですが、補償だけ
を考えると、当時妥結した年額10万円は相場だと思いますし、その
後も電力料金の推移に合わせて50年間で相応の補償だと思います。


ただ一番の問題に感じるのは、昭和10年の年額25円が安すぎたた
め履行されなかったのでしょう。これが、おそらく通常相場と倍位の
開きなら補償ということもあり契約通り履行されたと思います。

物価に対して電気料金は下がり続けていますが、10年当時電灯1燭
(13W)が50銭で、25年に電灯1つ(20W)が48.7円だっ
たとすると先にもありますが63倍になっています。
しかし、25年の妥結額の10万円が妥当だとすると10年当時は、
63分の1の1590円位ですし、村の主張する30万円ならばその
3倍の4770円くらいの年額となり、物価に対して電気料金が下がっ
ている事を考えても25円は安すぎたのでしょう。

昭和25年頃と今では大学の初任給で33倍位になっていますし、
25年と戦前の昭和10年とでは更に大きな開きがあるので、今
の感覚ならば当時の25円は6万円位なんじゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

何回も回答いただき、ありがとうございました。
大変参考になりました。
お礼が遅くなって申し訳ありません。

お礼日時:2004/04/15 10:05

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