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書いておきながら、俺も暇人だなぁ、、、と思いつつ、ご理解がいただければ本でも書けるか?という安易な気持ちですが、ここに書いた内容に皆様からどのようなご意見が得られるかと思い、書いております。

回答につきましては、ゆっくりお礼メッセージを書いていこうと思いますので、皆様のご意見をたくさん頂ければ幸いです。また皆様のご意見を基に、ここで書いていることももっと深くまとめ直すことができるかもという期待もしております。
今回は自分なりにまとめあげている内の第一章として書いております。
この他に第六章までありますが、ひとまず、ご意見お聞かせください。
カテゴリーや投稿としてふさわしくないなどと間違っておりましたら、申し訳ございません^^;

以下

第一章(恋愛とは何なのか)

そもそも何を定義に恋愛というのかをはっきりさせておこう。国語辞書では、「特定の異性に特別の愛情を感じて恋い慕うこと。
また、男女が互いにそのような感情をもつこと。」となっている。
つまり、書いて字のごとく、「恋」と「愛」がそこにあり、これを二人で感じ合うことを言う。
では、その恋愛を構成する「恋」と「愛」とはいったいどんなものなのか、、、、。

恋と愛、それぞれが無形のものであるため、辞書で検索しても曖昧な表現となるのはしかたがないことである。
しかもそれら二つのものは類似した意味で書かれてあるため、あえてここでははっきりとその違いを定義するとしよう。


「恋とはつまり、、、」
ではまず、恋とは一体どんなことを言うのか、、、、
恋は特に「異性に対して想いを寄せること」といった意味が強く含まれるが、これをもっと具体的に説明するならば、好きな相手の中に自分の存在がもっと意識されることを望むことなのである。
もっと別の言い方をするならば、自分の価値を相手に認めさせようとすること、自分の価値観で相手との関係を築こうと望むことなのである。

恋をするとまず、相手とお付き合いすることを考えるのはごく自然な流れであるが、付き合う上でどうであるとか、相手がどう思っているかなど色んなことを考える。
そしてそれに対して自分の気持ちを整理し、様々な視点で相手との関係を模索するのであるが、それらはすべて自分の価値観で判断し、どう関わろうとしていくかを選んでいるのである。
さらに、もっと強く相手の中に自分の価値観を刷り込ませようとすると、相手の意思はどうであれこの想いを伝えたい、、わかってほしい、、、という想いになり、よく言う「恋は盲目」という現象に陥るのである。盲目となってしまった恋心にはもはや愛する余裕がなく、ただの片想いとして暴走してしまうのである。


「愛とはつまり、、、」
それでは、愛とは一体どんなことを言うのか、、、、
愛にはとても広い対象があるが、ここでは異性に対しての愛として話していく。、、、しかし、本質は広い対象でも同じ意味を持つのであるということを先に述べておこう。
大切にする、かわいがる、、、といった意味で書いてある場合があるが、それらはすべて、何かにおいて認めて許せるからできる行為である。
つまり愛とは、「相手の価値観を認め、許せる心」なのである。
たとえ好きな相手が自分の望まぬ行動をしてしまったとしても、それを許してあげられることや、相手が素晴らしいと思っていることを自分も共に素晴らしいことだと受け入れられることであり、つまりは相手の価値観に自分の価値観を比較して対応することではなく、相手の価値観に自分も合わせられるということである。
ただし、その結果が、すべてお互いの幸福になるかというとそういうものではなく、結果も全て良いも悪いも許してあげられることなのである。

これらの「恋」と「愛」が混じりあった二人の関係性を「恋愛」というのである。


「恋愛にも様々な絆が、、、」
一言で恋愛と言っても、恋愛には様々な絆がある。
男女間で生まれる恋愛の中で、特に大きな3つを挙げるとしよう。
肉体的な絆,精神的な絆,社会的な絆,この三つの絆の強さによって男女の付き合い方も様々である。

1、肉体的な絆、、、
つまりはSEXである。
男女間で恋愛を高めていけば必然として肉体的な関係も発生する。
ただしこの絆だけが強くなると、俗に言う「セックスフレンド」と言われる関係になっていくのである。

2、精神的な絆、、、
男女間でも特に友情にも似た絆であるが、お互いに心で支え合い、様々な環境で理解し合うことができる心の絆のことである。
この絆ばかりが強くなると、仲のいい異性の友達で終わってしまうことが多い。

3、社会的な絆、、、夫婦になればそこには社会的な関係が生まれる、夫婦ではなくとも、生活を共有する同棲恋人や、今では少ないかもしれないが許嫁などに必要な絆である。
つまり、社会的に一つの契約でつながっている男女関係に該当する。
社会環境の中でお互いが豊かに生活するために必要な絆であるが、これだけが強くなっても、得られるのは生活に必要な環境だけである。
一緒に住んでるけどマンネリ、仮面夫婦、セックスレス、不倫などの問題が生じる。

つまり、、、
1だけならセックスフレンド止まりでしょう。
2もあるならカレシ・カノジョにはなれるかもしれません。
3がないのなら、結婚まで考えた時にどうかな?ってところでしょうね。


この三つの絆をバランスよく育てられた時が、素敵な恋愛関係の頂点ではないだろうか。
男女の恋愛関係には肉体的喜びと精神的な喜びが必要で、さらには結婚を意識した時に豊かな生活を想像できれば、最高に恋愛を楽しむことができるのではないだろうか。

A 回答 (8件)

私も3行で、考えてみました。



恋は、相手を自分の方に引き寄せようとすること。
恋愛は、お互いを自分の方に引き寄せ合うこと。
愛は、自他が渾然一体となった状態。

シンプルでしょう?(自画自賛)
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この回答へのお礼

ふむふむ、、、
恋に関しては言い方は違えど似たような見解かと。ただ、俺としては、特別な感情というのを「好き」とは限定していないので、「憎しみ」も一種の恋だとして考えています。
恋愛に関しては、俺の方では、一方は好きとか嫌いはどうあれ、その相手の気持ちに気付いて、それに対応してしまった瞬間、もうそれはある意味恋愛かな、、、と思っています。
愛に関しては、一体となってしまったというよりも、相手を受け入れて一つであろうとする心かな、、、と思っていますが、いかがでしょうか?

まぁ、ここで俺の定義を男女の「好き」ということ以外もあてはめようとすると、すんげぇめんどくさいことになるので、ここまでにしときます^^;

でもいいですね、正解はないにしても、それぞれの恋愛の三か条みたいなものを導き出そうとする事は、幸福な事なんだと思います。
ありがとうございます^^

お礼日時:2012/08/28 11:53

恋は、利己的、愛は利他的です。



恋とは、自分のDNAを継続させるために、適当な相手を確保しようとする、本能的な営みです。
そのため、相手に色々なことを要求します。

愛とは、まず自己愛がその根本にあります。
そして、相手との一体感を感じた際に、自己愛の範囲をその相手までに拡大する事で、相手を愛する事ができるようになります。
母親の愛が深いのは、子供と容易に一体感を得ることができるからです。
と言うか、元々一体でしたから。
セックスをすると、肉体的に一体となったため、精神的な一体感を得るための助けとなります。
夫婦が互いに愛し続けることができるかどうかは、一体感を継続することができるかどうかにかかっています。
恋愛とは、相手との一体感を得ようとする行動で、相手に対しても、自分との一体感を要求します。

最後に、
自分を愛することのできない人は、他人を愛することもできません。
自己愛が不足すれば、相手との一体感を感じたところで、相手に及ぼすべき愛も不足するからです。

理屈っぽくて、身も蓋もないですかね?
でも、私は物事の本質を整理するのが好きですので、あしからず。
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この回答へのお礼

無形の存在にこうやって理屈を唱えて本質を自分なりに求めようとすることは、わからない人にはほんと無駄な行動にとられがちですが、無駄なことができるのも人として生まれた特権かなと思って、俺も十分に楽しんでいますよ^^

これはまたこれで、特に肉体的なつながりの中に見出した恋愛の定義ですかね、じつに面白いです。

最後に、、からの事、実に共感できます。自己愛なくして他人への愛はたしかに難しいと思います。
たまにいう事なんですが、「自分がもってるものからしか他人に与えることはできない」と。
愛もその例外ではないということが言えるかとおもいます。

ありがとうございます^^

お礼日時:2012/08/22 22:57

通りすがりですが、リクエストにお答えして。



恋とは、対象を自分の所属にしたい、所有したいと願う気持ち。
愛とは、対象が永続的によい状態(人であれば幸せ)であるよう願い、行動すること。
恋愛とは、精神的に未熟で両者の弁別ができないのでいっしょくたにしてしまった言い方。

ほら、3行。
具体例や、条件や、「対象」の場合分けなどをしていけばいくらでも長くなるけど、原則はこれだけ。
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この回答へのお礼

おぉお!実にめ明解な三行にまとめていただいてる!
恋愛の三原則といった感じでしょうか。


このような回答をいただけると、自分の中にも新しい表現の枠が広がるので、大変ありがたく思います。

今回はあえて自分の定義で三行にいたしますと、このようになります。↓

恋とは、好きな相手の中に自分の存在がもっと意識されることを望むことなのである。
愛とは、「相手の価値観を認め、許せる心」なのである。
これらの「恋」と「愛」が混じりあった二人の関係性を「恋愛」というのである。

となりますが、
こんな感じでいろんな方の恋愛の定義が協議できるような質問にしたらよかったなぁ、、、と今思っています。

ありがとうございます^^

お礼日時:2012/08/22 22:46

私は産まれてから一度も恋愛経験が無く


もちろん男性とのお付き合いも無いまま結婚した女性です。
そんな私があつかましく恋愛を語らせて頂きます。

夫とは長い間親友で、ある日突然
(この人と一生一緒に暮らしたい!)
と思い結婚を前提にお付き合いを申し込んだら
プロポーズしてくれて結婚しましたので
お付き合い無く結婚しました。

結婚までも結婚してからも
夫に恋愛感情が全く感じられません。
夫にも何回も相談しました。
「私はあなたに全く恋愛感情無いけどこのままでいいのかな?」
「僕も君に全く恋愛感情が無いよ。
でも僕達は親友のまま夫婦になったんだから
これでいいんだよ。」
と夫は言いました。

恋愛感情は無いものの
友だちの愛、家族の愛はあるので
結婚生活は何の問題も無く
夫婦の夜の営みもちゃんとありましたし
(結婚前は性交渉はありませんでした。)
もともと親友のため気が合うので
夫が会社から帰ってくると夕食食べながら話し
その後も時間を忘れて話し続けてしまい
気がつくと午前2時だった!
ということがあよくありました。

結婚10ヶ月目のことです。
初めて夫にドキドキしてときめきました。
私にとっては初恋ですね。
私は初めて夫が私のことどう思っているのか気になり
夫に尋ねました。
夫は何故今頃尋ねるのか?と笑いながら
恥ずかしそうに「愛しているよ」と言ってくれました。

そして私の夫に対する態度が変わったことに気づいた夫は
「君は本当に僕に対して恋愛感情が無かったんだね。」
とがっかりしていました。
どうやら夫は、私は夫に恋愛感情があるのに気づいてないだけ
だと思っていたらしいです。

それから私に対する夫の態度も変わりました。
感情面で前よりもっと私を優しく扱ってくれるようになりました。
親友夫婦から本物夫婦になれたような気がします。

さて、私の体験から私が感じたことは
恋愛の「愛」には本物と偽物があると思います。
本物の「愛」は土台が友情で出来ていると思います。
偽物の「愛」は土台が肉体関係で出来ていたりするのかもしれません。
(もちろん他の土台もあるかもしれません。お金など・・・)

そしてそれらが夫婦になると本物の愛の場合
年月が経過して恋愛が無くなっても
本物の「愛」は土台が友情で出来ているので修復可能です。
友情は長い間放置していても無くなることはありません。
(久しぶりに会った友人でも昔と同じ様に話せますよね?)
でも偽物の「愛」は土台が肉体関係で出来ている場合
土台の肉体関係が無くなった時点(セックスレス)で
崩壊してしまい離婚になってしまうわけです。

ただ私は結婚前にお付き合いや恋愛経験が無いので
結婚後の恋愛と結婚前の恋愛が同じかどうか不明です。

恋愛の「愛」が本物の「愛」か偽物の「愛」かによって
「愛」についての定義がその人その人によって
変わってくるのではないでしょうか?
そして本人も自分の恋愛の「愛」が本物か偽物か
わかりかねている人もいるでしょう。

なので「恋愛とは何なのか?」と問われたとき
皆答えが違ってくるのだと思います。

続きを楽しみにしていますね。
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この回答へのお礼

なるほど、貴重な実体験を教えていただき大変感謝致します。
俺の定義においては、愛について偽物も本物もないのですが、しいていうなら「愛してると言った言葉が嘘か本当か」という言い方はできますが、
言いたいことはわかるのでそこは置いときます。

そうですね、それに似た感じと言えるかわかりませんが、親友といっていいほど仲がよく大切な異性の友人がいるのですが、こんなに解り合える女と夫婦になれたらいいなと思うのですが、その相手とSEXという関係にはどうしても考えられず、死ぬまで友人でありたいと思っています。
もちろん愛しているかと聞かれたら、Yesと言える相手なのですが、一般的にいう恋人としての見方はできないでいます。

自分の定義では、ここでは恋愛を異性間のこととして話していますが、本当はその本質的な意味では友人関係の中にも親兄弟のなかにもビジネスにおいても言えることなのだと思っています。

それを踏まえたうえで、ここに書いていただいた事は、実に愛に満ちた関係だったのだなぁと思い、感心しているところであります。

続きをここで書こうとは思っていなかったのですが、興味を持っていただきありがとうございます。
ぜひ、これからも素敵な夫婦関係を続けていってください^^

お礼日時:2012/08/22 22:37

わかりやすく3つの絆ということで恋愛を表しているん


だと思いますが、もっと複雑だと思うけどね。
経済的なところもあるし、対外的な評価・価値観を気に
する人もいるでしょう。また、従属的な性格やら恋愛だ
かなんだかわからないけど、依存した状態が合っている
など・・・
必ずしもあなたの言われる3つの絆をバランスよく・・・
には、当てはまらないと思うけどね

広く一般的・理想的ということであれば、納得できるん
だけど恋愛において肉体的喜びと精神的な喜びって当た
り前だし、目を引く言葉は今のところないかな。
(申し訳ないが・・・)

6章まであるとのことなのでこの後、期待します!
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この回答へのお礼

いえいえ、申し訳ないことなんてないです^^ありがとうございます。

そうなんです、もっと複雑なんです!そう考えると、恋愛っていう無形のものを文章で表すとどんだけのものになっていくのかなって考えたら、とんでもなく難しいことなんだろうなとは思ってます。
三つのバランスでは当てはまらないか、、、わかりました、もっと他のことも考えてみますね、、、
まぁ、考えるだけ無駄だとたくさんの人に言われそうですが、そこも楽しみながら暇なときは考えていくつもりです。

ありがとうございます^^

お礼日時:2012/08/22 12:05

ひとまずご意見申し上げます。



昔から「恋は思案の外(ほか)」といいます。
要するに、恋や愛は質問者様のような疑問や思考や論理の枠外ものだということです。
「何なのか」を本当に知りたければ、恋愛に陥ってみるしかないんじゃないかな?
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この回答へのお礼

確かに答えなんてないものですよね。今のところこれを自分の答えとしていろんな局面に当てはめて考えてみたりはしたのですが、なるほど、「恋は思案の外」なのですね。
でも無形のものをどんだけ自分なりに定義づけできるかをこれからも楽しんでみようと思っています、
そこにどうしても思案の外となる恋ができたら、その時は存分に恋に打ちのめされてみようと思っています^^

ありがとうございます^^

お礼日時:2012/08/22 12:12

平凡な既婚男性です。



>(恋愛とは何なのか)

男女間の恋愛はもちろん、セックスをめぐるエロティシズム、卑猥、淫蕩、罪悪感、羞恥心等々といった感情にしても、その淵源をたどれば、いずれも最終的には《人類だけがセックスと女性の妊娠との因果関係を知ってしまったこと》に帰着するのではないでしょうか。
私には、全てはここから発生・派生してきたとしか考えられないのですが。

なお、現代のわれわれが普通に使う「恋愛」という熟語については、中村正直が明治初期にスマイルズの“Self-Help”を『西国立志編』として訳出するに際し、loveの訳語として最初に《恋愛》という語を宛がったのが始まりである、と学生時代に教わったのを想い出します。

ちなみに、「恋」に対応する和語「こひ」は、対象(異性を含む)の魂・心を求めるという意味の動詞「こふ」の連用形の名詞化ですが、それにしても本来の漢語(中国語)「恋」の原義とは微妙に異なるようです。
また、「愛」については、もっぱら仏教用語として使用されることはあっても、明治になるまで、現在のような男女間の「恋愛」を示す語として使用されたことはなかったようです。

つまり、もともと日本には、「愛」に相当する和語(生活に密着した語)を持っていなかったということになります。
ただ、「愛」に比較的近い和語となると、「かなし」、「うるはし」、「うつくし」といったところが挙げられそうです。

ということで、質問者さんが(恋愛とは何なのか)について真面目に検討・考察なさろうとする気概は結構ですが、それに先立ち、質問者さんの前提的、基本的な立脚点をもう少しきちんと定められた方がより賢明かと思われます。
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この回答へのお礼

なるほど、、、語源としてはそういうところにあったのですね、参考になります。
LOVEという単語も日本語に訳すと「愛」でも「恋」でも該当しちゃいますし、無形のものの言葉の真意ってむずかしいなぁ、、、と改めて思いました。

立脚点か、、、、その部分でいうなら最近女友達との会話で「恋愛ってなんかわかんなくなってきた~!」ということが多々あったのでそこに定義がほしくなった、、、というところかなぁ、、、と。


ありがとうございます^^

お礼日時:2012/08/22 11:45

>この他に第六章までありますが



虎舞竜かよ。


>ひとまず、ご意見お聞かせください

中学生の文章みたいで面白くも何ともねえよ。
当たり前のことを誰がわざわざ読むのよ?
つーかこれ当たり前のこと未満じゃん。
三行で書ける内容だろ。

この内容で本書くの?
自費出版なら出版社は喜んでくれるだろうね。
ま、どんなお金の使い方するのも自由だよね。
バカがいるから成り立ってる産業というのはあるからね。
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この回答へのお礼

いえいえ、本を書くというのはあくまでジョークにも近いものですw
本にして売れると思うほど自信家ではありませんよ。文章構成も勉強してるわけじゃありませんし。

しかし、意見を聞きたいのはそこではなくて、これが納得できるものかどうなのかというところであり、以下から先に書いた事に対してのご意見を伺い、自分の考えに確証が欲しかったのですが、そのへんにつきましては「あたりまえだ」というご意見でよろしいんですね。
貴重なご意見ありがとうございます。
聡明にも三行で書いてわかりやすく書けるのであれば、ぜひそれを書いて欲しかったです。

自費出版なんていう冒険ができるような金銭的余裕とそれが売れるなんていう自信がある文書企画力が身に付いたら、ぜひともチャレンジしてみたいです。笑

お礼日時:2012/08/22 04:43

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