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前田利家は加賀藩初代藩主と言われますがそうでしょうか?
利家の時代は まだ江戸幕府の開幕前で 当然 藩と言う物が制定される前であり 国主や領主という言い方が正しいと思うのですが何故藩も出来ていない時代に「藩主」と呼ぶのでしょうか?

A 回答 (5件)

藩祖とは呼ばれますが藩主じゃないはず。

初代藩主は息子の利長。
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この回答へのお礼

初代藩主は私も利長と思います
しかし前田利家は「加賀藩初代藩主」と記載されてたりします

お礼日時:2012/11/01 21:33

厳密に言うとそう。

というだけの話で、
後世の多くの人が勘違いしているか、
実質は利家が権力を握っていたであろうことから
大勢としては間違いでないと考えているかどちらかでしょう。
http://blog.livedoor.jp/ishikawa_otaku/archives/ …

もし利家の時代に利家を藩主としている文献があれば、
それはそれで興味深い話ではあります。
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この回答へのお礼

やっぱりそうですよね 加賀藩の初代は長男の利長ですからね

お礼日時:2012/11/02 06:22

藩主、藩士なる言葉は明治になって付けられたもので、


江戸時代には使われませんでした。
これは歴史学上の定説です。

「藩」の言葉は一般論としては江戸時代にもあります。
中国では国王より支配を認められた諸候の領土(領民含)
のことを言い同様の意味に使いました。
加賀藩というようには使われませんでした。

前田利家が天下人豊臣秀吉より、越前、能登の一部に
加賀の二郡を加えた大名とされた時を、加賀藩の始まり
とされています。
従い初代加賀藩主と呼ばれています。

薩摩では島津義久は広大な領土を持ちましたが、
秀吉に敗れ、領土縮小とともに隠居して、子の義弘が
あとを継いだので、初代藩主は島津義弘とされています。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2012/11/02 06:21

藩は江戸幕府が制定した訳ではない。

戦国時代から安土桃山時代にかけて大名の領地はあらかた定まっていて、それを関が原の合戦の賞罰として徳川家康が再配置したというまでの話です。当時に藩だの藩主だのといった言葉はないけれど、前田利家こそが加賀藩初代藩主と呼ばれるのは当然のこと。
松前慶広は松前藩の初代藩主といわれているけど、アイヌとの独占交易権を徳川家康から認められたというだけで当時は大名とも思われていなかったのです。なんせ当時の稲作技術では北海道は米が取れなかった。それだからあれほど広大な面積の北海道を外様にぽんと安堵した訳です。そんな訳で大名の権利を保証して、私戦を起こさせないというのが、幕藩体制の本質です。しかし江戸幕府の前から藩そのものが存在していたことは否定できない。
藩主という概念には、幕藩体制の下という含意はありません。

カトリック教会はペテロを初代ローマ教皇とみなしていますが、ペテロの時代にローマ教会も教皇もありません。これなどはご都合主義の極みでしょう。洋の東西を問わず、そんなもんです。
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この回答へのお礼

では何故「藩主」という呼び方なのでしょうか

お礼日時:2012/11/02 06:20

どなたかも答えられているように藩という



言葉が定着するのは明治時代以降です。けれ

ど藩という言葉でなくても明治以降の我々が

藩と呼ぶ概念が実在していたのだからそれを

藩と言って構わないでしょう。

 藩とは大名が家臣団を率いて一定の領地を

支配するしくみ及びその土地のこと。江戸幕

府により1万石以上の領地を有するものを、

大名と規定した。だから江戸時代において、

江戸幕府により認定された大名と彼の支配地

が藩と言えます。

 がさらに、江戸時代において彼ら大名の系図

は大切で江戸時代以前の安土桃山さらには戦国

(=室町時代)の祖先である大名と支配地域も藩

と認識されます。

 国主とは例えば武蔵国の国主とか表現されます。

室町時代に将軍に任命された分国の長であり、大名

すべてがなれるわけでなく由緒ある家柄の有力者

でした。領主とは例えば江戸時代の旗本や大名の

家臣の長である国家老なども領地をもっていて、

彼らは「ご領主様」でした。

 違いわかっていただけましたか?
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この回答へのお礼

わかっていただけました♪

お礼日時:2012/11/03 09:58

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