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 母国語以外の言葉で思考することが出来るようになるという感覚について教えてほしいです。

 留学などをして母国語以外の言葉で思考することが出来る人からは、ある日突然出来るようになったという事をよく聞きます。

 これは、ある日突然出来るようになった日のことを覚えているのでしょうか?気が付いたら出来るようになっていたということでしょうか?

 母国語以外の言葉で思考することが出来るようになった時の感覚と、またどのようにしていたら出来るようになったという事を教えてほしいです。

 英語の映画・ドラマを見ていて、今日は英語がよく分かるなと思っていたら、次の日は、何を言っているのか全然分からないという日が続いています。
 
 よろしくお願いします。

A 回答 (7件)

夢が外国語になっているとき。



犬に話す言葉が自然に全て外国語。

3音節以上の言葉。。外国語ではでてくるけれど、日本語にならない。

外国語のテレビを見ながら、イーメイルを書いていて、ドラマの筋がわかっている。

会話をしている時に、ある程度、相手の言いそうなことが予測できると、楽になります。

映画やドラマでは、例えば、トム・ハンクスはわかりやすいけれど、ジョニー・ディップはわかりにくい、というのがありますから、わからないくてもしょうがないこともあります。

何年たっても、得意分野、苦手分野は、あります。私は、初対面の日本人(日本語が母国語の方)と英語を話すと、トチります。あがってしまうらしいです。

国際結婚後、アメリカ在住三十年になります。ずっとPTA活動をしてきて、最近、ようやく開放されました。

面白いご質問なので、他の方の回答も楽しみにしています。
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この回答へのお礼

 コメント有難うございます。

okwaveの仕組みがまだ良く分かっていなく、返事が遅くなり申し訳ございません。コメントを貰った時に返事を入力しても、質問は打ち切りにはならないことが分かりませんでした。

 どの回答内容も、非常に興味深く為になりました。ベストアンサーは、投稿して頂いた順ということしました。


>>夢が外国語になっているとき。

 母国語以外の言葉で思考出来るようになるにあったって、「夢」というのは非常に大きい要素なのかなと思いました。

>>犬に話す言葉が自然に全て外国語。

 これは、ものすごく面白いことだと思います。独り言ではなく、問いかけで、人間ではない動物に話しかけるのが外国語。もしかしたら、この状態になったとき、母国語以外の言葉で思考出来るようになったといえるのかなと思いました。
 脳科学者や心理学者でもないのに偉そうなことを言ってスミマセン。


>>何年たっても、得意分野、苦手分野は、あります。

 この意見は、助かります。気が楽になります。


 母国語以外の言葉で思考出来るようなるとは、意識・無意識の世界の無意識にものすごく他の言語が溜まり、意識にあふれてくる状態なのかなと思いました。

 ものすごく為になるご意見有難うございます。

お礼日時:2012/11/26 21:36

反対に、四六時中、母国以外の言葉で思考を始めたら


アイデンティティーの喪失みたいでヤバいように思います(゜o゜)

「母国語以外の言葉で思考」て一日の中で部分的な行為ですよね?
たとえば誰かに話そうとしたり、書こうとして、自分の知らない語彙は
調べるとしても、「モード」としてはその言語で思考はしてませんでしょうか?

僕は読書が案外有効だと思います。
年齢が小さいときならとにかく、ある程度の大人になったら、本能的ではなく
ある程度反省しながらの習得になるので、ある程度まで基礎を勉強した上で
本を「辞書を引かない」「(ひとつのところに止まってもいいけど)後戻りしない」の
原則で、何百ページも、場合によっては千ページ読んでみる。
あまり訳が分からないと苦痛なので、すでに知っているストーリーとか、
複雑な構造の文を避けるとか。

「モード」がいやおうなししにその言語になりそうです…。
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この回答へのお礼

 返事が遅くなり申し訳ございません。
 ご回答頂きまして、有難うございます。

>>母国以外の言葉で思考を始めたら
アイデンティティーの喪失みたいでヤバいように思います

 自分もそのように考えていました。物事を司るものや自分を形成する物、感情、感覚、全て母国語の上に成り立っているのではないのか。

 アイデンティティーというのも、西洋的な「我考える故に我在り」ということなのか、東洋的な関係の上に物事は成り立っているということから考えるのか、自分の頭では哲学の勉強もしてこなかったので分かりません。

 唯、こういう事を考えてみました。脳梗塞とかで、脳機能の言語野に障害を持ってしまった場合、物事を思考するものは、言語なのだろうか・母国語なのだろうかと

 脳機能に障害を持った時点で以前のアイデンティティーとは違うと考えられるという考え方も在るとは思うのですが、やはりアイデンティティーの喪失ということにはならないのでは、ないかと。

 唯、自分の頭では、脳科学や哲学、心理学といったものを勉強してこなかったので実際のところは分かりません。スミマセン。

 >>僕は読書が案外有効だと思います。

 これは、嬉しい意見です。古川 昭夫さんの多読という勉強法を知り、自分もこれが物凄く重要ではないかと思っていました。

 貴重なご意見、有難うございました。

お礼日時:2012/11/26 22:43

   #3です。

捕足です。

    僕の場合、聞く方は4本に分かれていて、4人の大人それぞれに対応する、聞いて1種類の「意味」に纏める仕事が一つ。

     言う方は、言いたいことは1つだが、話す相手によって4つの違った言い方があることを、知らず知らずに身につけた、と言うのが一つ。

     幼稚園に行くようになって日本語の共通語に触れ、家の4人の大人が自分の母語の方言と、他人と話す共通語の両方を操るバイリンガルだったことに気づく。

     まあこういった前核家族に育ったことと、標準語の外と内を、出入りしたため、実物とそれに対応する「ことば」とを早く遊離することになったのではないかと思います。
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この回答へのお礼

 返事が遅くなり申し訳ございません。
 ご回答頂きまして、有難うございます。

 SPS700様のご回答は、自分の頭ではイメージし辛くきちんと理解できずに申し訳ございません。

 もしかしてSPS700様は、「ことば」・言語というものに人とは違った共感覚みたいなものがありますか?

>>実物とそれに対応する「ことば」とを早く遊離することになった
>>場所の空きがあったので、英語もその方言の一つに入れ

 これらのことは、もしかしたら、トンでもない貴重な感覚をおっしゃって下さっているような気がするのですが、スミマセン、自分の頭ではイメージが着いていけずにいます。

 「場所の空きがあった」という感覚は分かるような、何かの本でそれに近い感覚を読んだような気もします。

 貴重なご意見、有難うございます。

お礼日時:2012/11/26 22:25

私の場合は、夢を英語で見るようになって(夢の中ではかなり流暢に話していたので覚えています)、独り言を英語で言うようになり(道を歩いている時に日本語でいろいろその日の予定を考えていて、「それはさておき」・・と思いつつ言った言葉が「BY THE WAY」でした)今では意識しないと日本語で思考しなくなっています。



私も日本で英語の勉強をしている時、日によって英語の聞き取りがものすごく出来る日と全く頭に入らない日がありました。
それが徐々に、「なんとなく言っていることが分かる」から「言っていることが分かる」に変わり、最終的に頭の中で英語を英語として理解できるようになりました(英語から日本語に訳さずに理解できる)。
たぶん、その頃から英語で思考できるようになったと思います。
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この回答へのお礼

 返事が遅くなり申し訳ございません。
 ご回答頂きまして、有難うございます。


>>私の場合は、夢を英語で見るようになって(夢の中ではかなり流暢に話していたので覚えています)、独り言を英語で言うようになり(道を歩いている時に日本語でいろいろその日の予定を考えていて、「それはさておき」・・と思いつつ言った言葉が「BY THE WAY」でした)

 有難うございます。floob様の意見を聞けると、それまでの過程が分かり、母国語以外の言葉で思考出来るようになる為には、今、自分のしていることは、間違っては、いないんだと思い大変嬉しいです。

 「夢」というキーワードが、大変重要なことなのかと思いました。

 この過程で意識しないと日本語で思考しなくなるというところまで、出来る可能性(あくまでも自分の努力しだいですが)があると分かり嬉しいです。

 貴重な体験談、ご回答、大変有難うございます。

お礼日時:2012/11/26 22:12

こんにちは。



べつにネイティブのように話せる訳ではないのですが ^^; 第二言語としての日常会話レベルです。
英語圏には5、6年すんでいます。
英語で思考したり、独り言いったりもときどきあります。
始まったのは住み始めて1年未満で、日常会話にあまり困らなくなったころだと思います。
できるというより、ただのクセのような感じで、気がついたらしていた、という感じです。
たぶん、英語が出来るというより日本語を忘れた部分の方が大きいと思います。

日本語をあまり話していないと、あることを言おうとすると英語の方が先に出てくることがあります。
だから、しばらく住んでる人の日本語は、ちょっとルー大柴みたいな英語入りの日本語です。
それでお互い違和感なく通じます。


英語の話せない日本人と暮らしてた時は、毎日日本語を話してたので、
最初だけ奇妙に思われましたが、
なれてすぐふつうに日本語で話すようになりました。

いまは日本語を話す機会がネットしかないので、また元通りです。


>今日は英語がよく分かるなと思っていたら、
>次の日は、何を言っているのか全然分からないという日が続いています

わたしもあります
とくに頭痛や風邪の日は、英語が急にわかりにくくなります。
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この回答へのお礼

 返事が遅くなり申し訳ございません。
 ご回答頂きまして、有難うございます。

>>始まったのは住み始めて1年未満で、日常会話にあまり困らなくなったころだと思います。

 こういう意見は、それまでの過程が分かるので嬉しいです。

>>日本語を忘れた部分の方が大きい

 これは盲点というか、ものすごい考えというか、是があったかと思いました。 
 英語の勉強というか、頭に英語を詰め込んでいるときに、一番やっかいと言いますか、暴走してしまうが、頭の中の日本語なので、おぉと言った感じです。

 >>とくに頭痛や風邪の日は、英語が急にわかりにくくなります。
 
 これは、嬉しい意見です。普段と違う状況では、元に戻ってしまう可能性があると言う事は、状況状況によっては、出来なくても良いんだと思うと気が楽になります。


 大変為になる貴重なご意見、有難うございました。

お礼日時:2012/11/26 22:01

    僕の場合、ある日突然にでも、徐々にでもありません。



     僕は大人四人の家庭に産まれました。その四人が本州、四国、九州と、北海道以外の方言を話しました。近所には日本語以外のロシア語などを話す遊び友達が居ました。

    そのため話す「内容」と、それを表す「言葉」との隔たりが、毎食事の場で、頭に叩き込まれて行った、と言うことではないかと思います。

    で場所の空きがあったので、英語もその方言の一つに入れ、他の言葉の余地もあった、と言うことだろうと思います。別に学校の英語の点が良かった訳ではなく、ただ苦労しなかっただけです。

    今は英語のネイティブに囲まれて生活していますが別に不自由を感じません。今日も久しぶりに会った連中と楽しく飯を食ったところです。
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私の場合は「ある日突然」ではありません。

ちょっとずつ考えられることが増えていったという感じ。今は英語で考えた方が早い事柄もあれば、日本語で考えた方が早いこともまだまだたくさんあります。ただ多くの物事はどちらでも考えられます。

例えば仕事のこと。これはかつて米国に数年間住んでいて仕事を英語でやっていたので、英語で考えた方が早い。そのためのボキャブラリも論理展開もたくさん頭の中に入っています。

ところが自分の趣味の音楽観賞(昔は自分も演奏してました)。こちらの分野では英語で考える訓練を全然していないので、日本語の方が早く考えられます。メタルギターでキュイーンなんて英語にするときは「これって英語でなんて言うのかな、ああscreaming guitarなら行けるかも」なんていちいち考えないとダメですから。
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この回答へのお礼

 返事が遅くなり申し訳ございません。
 ご回答頂きまして、有難うございます。

>>ちょっとずつ考えられることが増えていったという感じ

 これは、うれしい意見です。ちょっとずつで、いいんだと思いました。唯、まだそのちょっとが、訪れていませんが。

>>英語で考えた方が早い
 
 面白い感覚だなと思いました。確かに母国語で考えるより早く考えられれば、その言語で考えるなと思いました。

 分野分野で違う、その分野でその言語で考える訓練というのも、興味深いなと思いました。

 貴重なご意見、有難うございました。

お礼日時:2012/11/26 21:47

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