プロが教えるわが家の防犯対策術!

子供を持つ親なのですが、自分の子供の周りのことで
一概にはいえませんが、PTAに行くと懸命な先生ほど苦労している気がします。
教員は、生徒のことに教育熱心なほど土日もでて一生懸命だと思います。
その分ストレスをかかえたり、トラブルも増えると思います。

今の教育では、教員の評価はどちらがよいのでしょうか?

1.
(1) 休日も時間外も仕事をして懸命であるが熱心すぎて、職責と使命感を強く持ち、
   生徒と心からぶつかりあい、そのため時間や余暇もなく
   ストレスをかかえたり (親子・兄弟げんかのように)トラブルがおこることもある。
(2) 時間内だけ働いて、マニュアルどおりに仕事を遂行し心から生徒にはぶつかりあわず
   余暇もありストレスもためにくい、生徒と距離はありトラブルもおきにくい
  
2. 
(1)  事務処理がうまいが困っている人がいても巻き込まれないように素通り
(2)  事務処理が下手で不器用だが人間味があり人助けは自分が犠牲になってでもする。
    勤務におくれる。

評価ということに関しては、あることで手抜きをしたり懸命にする人を助けることにも
なりますが、その分評価を意識して働くと心からぶつかるということが少なくなる可能性
もあるように思いますがどんなものなのでしょうか?
人や教育のことなのでさまざまな事情があり一概にはどうこういえずどれが良い、悪いとも
いいがたいと思いますがみなさんはどのように考えますか?

A 回答 (8件)

学校教員はやや特殊ではあるけども総合職なのだと思います。


なので、(1)や(2)の片方に振れている人は、どちらも良いとは思いません、、、。
子どもたちへの影響も大きい大人なので、あらゆる意味でバランスの良い人がいいです。
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#1です。

補足読みました。

>評価を気にして他の教師にいじめやいじわるをしたり非協力的な道徳心にかける教師がいたら全体としてマイナスになってしまい子供達もかわいそうです。

うん? 評価をするのは、現場を管理する校長教頭ですよ。
「他の教師にいじめやいじわるをしたり非協力的な道徳心にかける」ならば評価は下がります。
苦情が必ず行きますからね。
また、彼らも「元教師」です。(最近は「教師視点」のない管理職も増えているので「ごまをする」者に高評価を与える可能性はあるのでしょうが)

>いじめを知らないふりするとか良くないと思います。みんなに知らせて自分の評価が下がってでも犠牲になってでも生徒を助けて欲しいです。

「いじめの報告をする」=「自分の評価が下がる」と考えるのは、若い・あまり経験のない教師か、校長(相手が教育委員会ですから)だけではないでしょうか?

現場の教員は「いじめ」など気が付いていれば、必ず同僚に相談しますよ。(気が付かないのは、事務処理で生徒の向き合える時間が少ないから)

反対に、相談しない人が、精神的な病気になったり、やめて行ったりします。
「熱血さん」もどちらかと言うと、周りに上手に相談できず、自分だけで空回りした結果…と言うことが多いですね。

>事務処理が下手な分は時間外に残ったりすればいいじゃないですか・

事務処理の中には、保護者への連絡や事務職員への手続きなどもありますから、相手のあることです。
それを「5時以降にすれば?」と言うのですか?
そしたら、実際の連絡は7時ぐらいになることもありますよ。本当にそれでいいのでしょうか?
学校事務の方って、役所と同じで「5時まで」が原則です。

私が親ならば、迅速に処理をして、速やかに連絡してくれる方がうれしいと思うのですが。

「事務処理能力が高い」=「冷たい」と言う図式があなたの中にはあるようですが、そうではないでしょう。
「事務処理能力が高い」=「頭が回る」と言うだけで、人として「冷たい」か「温かい」かは人によります。

>不器用な先生だけど芯から自分たちのために一生懸命してくれる先生のほうが長期的に生徒の心にひびくと思いますよ。

お子さんに聞いてみてください。
「教えるの下手で、不器用。でも、いつまでもひつこく自分のやり方を押し付けてくる先生と、
教えるのが上手で、器用貧乏なほどある程度の事が色々できる。また、話も自分たちに合わせて、わかりやすくしてくれる先生」のどちらが好きか。

まぁ、実際のの教師は上記の両極端な教師像のごちゃまぜですがね。

この回答への補足

ご返答、ありがとうざいます。確かに事務処理は早くできるにこしたことはないと思います。そのうえで生徒と芯から接すればいいと思います。確かに極端な質問で失礼しましたが、人なので皆違いや良さがありどうであるとも決められないですよね。ただ、評価を気にした働き方になるのは良くないきがしてしまいます。
>>最近は「教師視点」のない管理職も増えているので「ごまをする」者に高評価を与える可能性はあるのでしょうが)
確かに、以前の同級生、同僚などまたそれに近い教師の評価を義理人情からよくする可能性もありえて
生徒のほうではなくて、管理職に機嫌取り、教師からの評判、評価のためにではなくて
生徒の方向を観て、目に見えない部分も大事だと思います。
6生徒のことを想って懸命な先生と10の先生では教師どうしにはわからなくても
生徒は自分たちのために一生懸命してくれると感じていると思います。
教え方も重要な点ですが、教え方が下手で改善中だとしても
教師の目に見えない生徒の感情にひびく長期的なプラス面も目に見えなくても
大事だと思います。
人でいろんなことがあり難しいとは思いますが、
どんな点を大事にされているのかと疑問に思いご失礼ながら質問させて頂きました。

補足日時:2013/01/12 02:21
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そういう究極の選択を要求する意味ってなんでしょうか?



ぼくはもちろん、責任感があって時間外も仕事に携わり、
体調管理がしっかりしていて、事務処理をきちんとしていて、
人間味のある人です。

大事なのは、「どうやったら」こんな先生になれるか、ですね。

この回答への補足

究極の質問で失礼しました。
ただ、最近の教員はどちらを重視しながら
働くべきなのかということ
疑問に思ったからです。
極端ではなくほどほどだと思いますが、
事務処理とかよりも
どちらかというと人間味のほうを
重視してほしいと思ってしまいます。
評価の関係でも事務処理がもしウェイトが
高ければ教師もそこばかりしっかりして
生徒そっちのけで間違いがないかばかり
気にするのではないでしょうか?
熱心にしすぎて生徒と少しでも衝突があったり
苦情やモンスターパーレントがいた場合
生徒を一生懸命怒れば問題になるということは
見て見ぬふりしたほうがいいということにも
なりかねないでしょうか?
教育は結果がすぐでず、人が育つのは木や植物と一緒で長期的なものですから
道徳をしっかりして大人が道徳的にしっかりしておけば、
悪いことも人の傷つくこともしないと思います。
(事務処理が少し下手とか不器用とかはその人が一生懸命子供のために
 していればいいのではないかと思ってしまいます。)
先生も生徒も人なのですから、目に見えない心の部分が
あると思います。
評価により教員どおし評価を気にして非協力的になったり
するよりも、本心から生徒のためにしなかったり
熱意がなくて怠けている教師だけを
警告するような感じのほうがいいのではないかと思ってしまいます。
自分が生徒のときの先生は、授業中に来なくて囲碁をしていたり
適当なところもありましたが、人間味あふれていました。
今がそうでないというわけではありませんが
(懸命に大変な仕事を熱意をもたれてされているところ
 失礼で申し訳ございせんが)
極端な2例ですが、どちらかというと
事務的に要領よくこなすのではなくて、人間性道徳心を持ち
使命感を持ち熱心に生徒のことを芯から思っている教師を
人を教育し育成ほうが良いのではないかと思ってしまいます。
最近は情報科などで心を病む場合も多く臨床的な面と規律・指導という観点が混ざり
大変だと思いますが、懸命ところをもっと大事にしてほしいと
親としては思ってしまいます。

補足日時:2012/12/21 19:46
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
教師も常に理想に近づくように
日々向上・学びなのですね。
いろいろ失礼しまして申し訳ありませんでした。
正しいか正しくないか
分かりませんが仮に1つのケースとして
回答させて頂き
どうなのだろうと思い質問させて頂きました。

お礼日時:2012/12/21 19:51

#1です。

お礼ありがとうございます。

>教員も全員が、使命感をもって教育してほしいと思ってしまいます。

教員ならば、誰しも「子どもが好き」「教えるのが好き」と使命感を持って取り組んでいるのが、前提だと思っています。私の同僚の教員は、皆そうですから。

ただ、質問からは「身体を壊してまで」「精神にひずみができるまで」取り組む事を教員に求めてられるのかな?と思えました。

実際、1.は「職責と使命感を強く持ち、生徒と心からぶつかりあい、ながらも、教師としての節度を持って、取り組む」のであって「その教員一人だけが生徒とかかわるのではなく、学校と言う組織として全員で生徒にかかわる」のがベストだと思います。その中で「休日も時間外も仕事をすることもある」のではないでしょうか?

また、2.は「事務処理がへた」だと「時間的な余裕が全くなく、生徒と接する時間も短くなる」のが現状です。それに生徒自身が「先生の不器用さ」を許してはくれませんよ。生徒はシビアです。「実際に自分たちの事を見ていてくれるのか?自分たちを理解してくれるのか?」と常に迫ってきます。

その中で「困っている人がいても巻き込まれないように素通り」は、「子どもが好き」「教えるのが好き」で教師になった者にはできないと思います。

と言う意味で「どの教員もおおむね40~80点ですよ」と書きました。

言葉足らずでした。

しかし、昔は「聖職」と言われ「先生の言うことだから」と一目置かれた時代ならば、休日に「自宅に生徒を招く」などしても、何も言われませんでした。

今は、そんなことをしたら「あの先生はひいきする」「猥褻目的では?」とあらぬ疑いを招きかねません。

さびしい限りです。

この回答への補足

お返事ありがとうございます。suzukoさんや同僚の先生方のように子供や教えるのがすきという先生の学校でしたら安心です。金八先生ではないのですから、体を壊してまでではなくて、ベースはしっかりしたうえで組織で全員で教育するわけですね。ただ、組織でしていくにあたり、大きな児童生徒のためを第一に考えて欲しいと思います。例えばある先生どおしが1+1=3になるところを評価を気にして
いじめや非協力的な場合、1+1=1にもなりえます。この場合生徒も可愛そうだと思います。
自分の評価ではなくて評価が切磋琢磨してお互いを高め合い協力してプラスに働けばいいと思いますが
評価を気にして他の教師にいじめやいじわるをしたり非協力的な道徳心にかける教師がいたら全体としてマイナスになってしまい子供達もかわいそうです。デジタル社会で育った教師もいるわけですから
エリートで相手の痛みもわからなくなっているケースもあります。(失礼ですみません。デジタル社会とかは一概には決められませんがまた世代とかに限定できず失礼しますがこのようなケースもありうるということです)
教員どおしでこういうことのないように道徳心など人間性を第一に考えるべきだと思います。
聖職なのですから、誰でも、相手をいじめたり、傷つけたりいじわるする先生では
いくら事務処理が早くても良くない気がします。
体を壊すまでという意味ではなくて、評価も気にせず、子供たちのために一生懸命な先生でいてほしいと
いうことです。いじめを知らないふりするとか良くないと思います。みんなに知らせて自分の評価が下がってでも犠牲になってでも生徒を助けて欲しいです。
事務処理が下手な分は時間外に残ったりすればいいじゃないですか・
生徒はそんなところばかり見ていますか?器用で隙のない先生より、不器用な先生だけど芯から自分たちのために一生懸命してくれる先生のほうが長期的に生徒の心にひびくと思いますよ。そんな機械のように
パーフェクトでしたら、評価は高いですがどんなものでしょうか。
’「困っている人がいても巻き込まれないように素通り」は、「子どもが好き」「教えるのが好き」で教師になった者にはできないと思います。’この言葉は嬉しい言葉です。そんな方が先生だったら本当に嬉しいですし尊敬できます。事務処理は大事かもしれませんが、人と人です。人間臭さを持った感じで
道徳心人間味のある方が不器用で多少適当でも先生であってほしいです。
昔は「聖職」と言われ「先生の言うことだから」と一目置かれた時代
は人間味あふれていたのかもしれません。
今、周り、親など社会も窮屈な世の中になったかもしれませんが、
事務処理がうまくてスムーズで人をいじめたり助けられない先生よりは
人間味や道徳など大事なことをしっかり教える人間性のある先生を
私個人は尊敬できると思います。

補足日時:2012/12/21 00:28
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元教師です。


あえて言うなら「その中間」でしょうか。

PTAの飲み会で、「なるべく家では仕事をしないようにしています」というと
「最近の先生はサラリーマンだな」と保護者に言われたことがあります。
私自身、家にまで「学校モード」を引きずるとキリがなかったですし
一杯いっぱいでいることが決して子どもにもいい影響を与えるとは思えなかったので
切り替えるように心がけていました。

1に関して言えば、教師の仕事には終わりというものがなく
授業でも学級経営でも時間をかけようと思えばいくらでもかけられるものなのです。
なので、休日返上で働くことが美徳のような考え方ではなく、
やるべきことはやった上で、自分の時間(心の休息)をもつのが
一番いいと思います。

2についても何でも手伝っていれば相手のためにはならないですし
かといって全く無視することもないと思います。
助言できるところや一部手伝うなどということは日常的だと思います。

極端に偏るのではなくバランスの取れた教師が
続けられるし、認められるのかなと思います。

この回答への補足

ありがとうございます。確かに偏ったりせず、バランス感覚大事だと思います。
熱心も大事ですが、人間ですので適度にやすんだり心のゆとりを持ち接したほうが
続けていけるのだと思います。最近では、非正規雇用も多くなり、
非正規雇用の場合は短期で結果を求められるため、
自分のことも余裕がなくかつ、熱心にしないと認められない
仕事も失うというきつい状況での教育ということになります。
逆に正規になるとなまけてしまったり、自分の生活設計が安定しているため
自分を犠牲にしてまで、評価を落としてまで衝突してまで
教育する必要はないというケースもありえます。
教員の数がもっと多ければ、もっと心にゆとりのある教育もでき
子供達のためにもいいと思います。
年輩の方の再雇用もして若者の雇用も多くして伸ばしていけば
戦争時代の年輩の方のすばらしい点を未熟な若者がみならって
いけるとおもいます。
再雇用でも、やり遂げたという感じではなくて
指導をして、先生たちにも怒りながら指導するぐらいで
若者を育ててくださるといいのではないかと思ってしまいます。
若者を評価するのではなくて、やる気のある人間性のある若者には
指導をしてほしいと思ってしまいます。社会では上が下を怒るのに
若者はあまり怒られないので、自分はえらいと思ってしまうのでは
ないでしょうか。(若者も学びながらどと思いますし、一くくりにできず
こういうケースもあるということですし、上記のことは
すでにされていらっしゃると思いmこのようなケースもあり
こんな考えや意見、提案もあるということです。失礼な言い方ですみません)
(懸命にされている先生にいろいろと失礼な言い方をしまして
 すみません。このようなケースもあるのではいかと思い
 書かせて頂きました。いろいろ勝手なことを書いてすみません)
若くて熱血な場合はやはり問題も多く起こると思います。

補足日時:2012/12/20 21:55
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この回答へのお礼

ありがとうございます。前の回答してくださった方の補足・お礼にもいろいろ
書かせて頂きましたのでご意見やお考えなどよろしくおねがいします。

お礼日時:2012/12/20 21:56

どちらが、ではなくどちらも比較できないことだと思います。


一人で一人前にならないなら、二人三人で補う、それが大事かと。

全てを教師に要求するのは無理でしょう。
教師だって経験を重ねながら成長するのだと思いますから、生徒にとって問題になるような行動があるなら、教員同士でそれをどうにか解決したら良いと思います。
できないなら補う精神を教師が持たずして、生徒に教える事なんてできません。

教師だって人間です。
それにゆとり世代と金八世代の教師に同じものを求めることは無理ですしね。

少なくとも子供を育てるのは親の役目であり、子供に教育を与えるのが教師の役目だと思えば、教師に全て委ねることこそ間違いかとは思います。
教師を責める前に、親が親として役目を果たしているのか改めて見直すこと、それも大事だと思います。
自分の子供に何が起きているのかも、察することができない親が増えているような気がしてなりません。
犠牲に、という言葉が出ることに疑問を感じてしまいます。

この回答への補足

確かにそのとおりだと思います。親がきちんとしていれば道徳心も身につき子供もきちんとするはずです。そしてお互いの足りない点を協力して補うというのはすばらしいと思います。
ただ、教員どおしがお互いを補うために協力すればいいですが、いじわるに協力しなかったり
評価をあげるため、自分ができていて相手が不足する点を補うのではなくて相手をよくしない
ほうが評価があがるため、協力しなかったり、教員どおし優秀な教員にいじめをして相手のやる気をなくさせたりというケースもありえます。評価を第一に考え、自分さえよければよい、自己本位で自分勝手な
ことをするケースもありえます。
また、家庭も経済が苦しくて共働きで子供の面倒もみれないケースも増えています。この経済格差により家に誰もおらず子供も家庭教育や援助を十分に受けられないケースもあります。
この場合、やはり学校や部活動などに比重もかかってきます。家庭との連携も大事でしょうが
学校の役割が大きい以上、使命とやる気が大事だと思います。17時に帰り、生活のかかっていなくて
ビジネスライクな先生には教員の輪もみだしますし、子供達もかわいそうです。
(その先生さえも子育てなど家庭の事情があったりすることもありますが)
親が悪いとは一概にはいえない気がします。親の余裕がないのかもしれません。
教員もフィンランドのようにもっと増やしてほしいところです。

補足日時:2012/12/20 21:33
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この回答へのお礼

教員を増やすといってもやはり、人間性や道徳を重視してほしいところです。
自分さえよければという教員より、相手の気持ちがわかってほしいです。
きつい経験をして相手の気持ちが分かる熱心な先生が増えてほしいです。

お礼日時:2012/12/20 21:35

本来生活指導は家でするべきなんですが、それが学校に任されるため一番ネックになってますよね。


教育は自治体にかなりまる投げされており、その価値観や方針もさまざまです。
が、基本的に衝突をしない教員ほど評価されてる気がします。
熱意も理念も何もないですね。
今に至ってもいじめがあると即マイナス評価ばっかりらしいですよ。
反省も進歩もない実に腐れた世界です。
現場にしわ寄せばかりで、夏休みもほとんど学校にいるとか。

この回答への補足

家庭教育も大事だと思います。確かに親が丸投げでは子供も可愛そうです。
協力連携する必要があると思います。
自分が生徒時代はもっと個性的な先生が多かった気がします。
人と人ですから一生懸命するほど衝突も起きるのが自然だと思います。
衝突の中でまた人と人が学んで行くと思います。
それをはじめから評価を気にしてマニュアル通りに機械的に
していては人を相手にする以上人間味が失われていくのではないでしょうか?
熱意や理念があり使命感をもちしてほしいです。上の機嫌取りばかりではなくて
教育は生徒にするものだと思います。
いじめがマイナス評価なら知らないフリしたりしておけば
評価も下がらないと思います。
使命をもって、自分の評価を下げてでも
苦しんでいる子供を助けたりいじめをする生徒を怒ってほしいです。
生徒は子供なのでそれを大人が協力してすることとこそ教育だと思います。
知らぬ顔する先生が教育しても良くない効果が生まれます。いくら事務作業や評価が良くても
道徳的に良くないです。
昔は物がなくて苦しい思いもしてきたと思います。今は物が豊かでエリートで
そのまま先生で金銭的にも恵まれてますから社会の厳しさ、相手の痛みも分からない
ケースもあるのではないでしょうか。(このようなケースもありうると
いうことで大部分の方には失礼しまして申し訳ありません。)
やはりいろんなきつい体験も先生自身がするともっと生徒の心も分かり
いい熱心な教育ができるのでないでしょうか・・
いじめ問題も大人を見本にして少なくなるのではないでしょうか。
問題を起こさないを重視するのではなくて、人間性を重視したほうがいいのでは
ないかと思ってしまいます。

補足日時:2012/12/20 21:18
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教員です。



何故、ゼロか100点なのでしょう?

50点が一番いいと思うのですが…

どの教員もおおむね40~80点ですよ。

この回答への補足

極端は良くなくて、みんなほどほどに働いていらっしゃる方が多いということですか?
人間性が第一に大事だと思うのですが・・
みんな懸命に生きているのですから
教員も全員が、使命感をもって教育してほしいと
思ってしまいます。

補足日時:2012/12/20 21:00
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この回答へのお礼

頑張っていらっしゃる教員の方には失礼な言い方をしてすみません。
ただ親子心として、頑張っている先生のクラスと
17時に帰る適当な先生のクラスでは、単純に考えると
前者にみてもらいたいと思ってしまいます。
(実際はいろいろあるとは思いますが・・)

お礼日時:2012/12/20 21:02

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