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初めて質問します。

質問内容はタイトル通り、国際共通語が必要かどうかということです。

人工言語エスペラントをつくったザメンホフさんは自身の「LA IDEO DE LINGVO INTERNACIA(国際共通語の思想)」という本の最初の方で、簡単に言えば、「国際共通語は必要」→「国際共通語は自然言語ではありえない、つまり人工言語だ」→「人工言語の中ではエスペラント以外はありえない」→「よって国際共通語はエスペラント以外ありえない」という議論をしています。
私は、「国際共通語は必要」ということ以外の流れには賛成ですが、一番重要な「国際共通語は必要」という確信が持てないでいます。むしろ、今の時代には必要ではないのではないかという気さえしてきます。

説明不足かもしれませんが、国際共通語が必要か、不必要か理由と共に教えてください。
完全な正解というものはないかも知れませんが、意見を聞かせてください。
よろしくお願いします。

A 回答 (19件中11~19件)

日本人は世界中で一番外国語を上達するのが苦手な民族と良く言われますが


これは長い間覚える必然性が無かった事に由来してる説が有ります。

それは日本が島国で長い間多民族と交流する事が無かったので苦手は一理有りますがそれは近代に
近付いて来てからのたかだか1.2000内の事でそれ以前は8千年から1.2万年位続いてた縄文時代は実質世界を当時の日本が統治してたので日本語が世界共通語説が日本人が英語等を習得するのは長く覚える必要が無かったから、その頃の神話の一つが今現在の天皇系とは全く別の前代の天皇制時に定期的に世界を巡行してた乗り物が今で言うUFOの天の磐船に乗って世界を見回ってた説が有ります、天の....はドナタでも知ってると思います。

京都の神社には羽*飛行機用のプロペラに酷似*を御神体にした神社が有ります、近代建立の神社で無く古えの神社です、実際に使用してた羽だったら天の...から大分下ってからとは思いますが
世界中に歴史を遡れば上る程、地球が輝いてたユートピア思想が現実に有ります。
アダムとイブもその一例です。その頃は言語は日本語だけの時代です、でその後天変地異等でかく民族が分断されて時代が長く続いてが゛現代に続く民族史です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

何の話をされているのですか?

お礼日時:2012/12/21 20:38

質問者は、なければならない必要性を思いつかないのでしょ。

エスペラント屋以外の人類はみんなそう考えるからでしょ。
原理1「質問者はエスペラント屋になる能力を得た→必要性(の議論)が生じた」
循環論法の必要性です。
原理1を逆転させようとする議論です。


必要性を箇条書きに列挙されて着実な議論をされるべきでは。


日本語文法と国文法は違うというコメントは勉強になりましたが、これは地域で文法、家族で文法が異なるという事?その集合を日本語文法。


多様性に関しては重大な影響を与えません(英語と違って)。それが人工言語です。
英語バカになる愚民族が自己責任を果たさずに母語保全を求める、矛盾した、虫のいい要求としてのヒツヨウ性は想定できる。
真相は、言うまでもなく、必要性はなく動機しかなく、それは世界政府。夢の世界政府が現実に産んだ人工言語の保護者探しでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

間違っていたらすみません。
最初の方の議論は「国際共通語の必要性をエスペラントを全く無視して考えよ」ということですか?
そういった意味で、「共通語の必要性の議論が生じた」というところ仮定して議論を展開せよ
ということでしょうか?
質問の書き方が悪かったかと思いますが、私は特にエスペラントを意識しているわけではありません。純粋に国際共通語が必要かどうかの質問です。他の回答の返事にも書きましたが、エスペラントと国際共通語は全くのべつものととらえています。

>日本語文法と国文法は違うというコメントは勉強になりましたが、これは地域で文法、家族で文法が異なるという事?
これは、日本語文法というのは、日本語教育の現場で使われる文法で、日本語の文法が(歴史など一切気にせず)合理的に説明された文法です。主に日本語を学ぶ外国人のための文法です。一方、国文法というのは、私たちが学校でならった文法で、古典など、日本語の歴史に即して説明された文法です。個人的には、国文法は愛国心と結びつけられる側面があると思います。

>英語バカになる愚民族が自己責任を果たさずに母語保全を求める、矛盾した、虫のいい要求としてのヒツヨウ性は想定できる。
真相は、言うまでもなく、必要性はなく動機しかなく、それは世界政府。夢の世界政府が現実に産んだ人工言語の保護者探しでしょう。
この部分はおっしゃっていることが全くわかりません。

お礼日時:2012/12/21 20:52

No1.です



すごく沢山の回答が寄せられていますね。
私はなんとなく1番始めに回答していたのですが、再度の回答があれば
とのことでしたので・・・あくまで私個人の意見として。

>まず、いらない理由が英語がその役割を果たしているということですが、(英語がその役割を果たしているかどうかは別にして、)国際共通語が必要だからこそ、英語がその役割を果たすようになったとは考えられないでしょうか?その場合、国際共通語が必要だということになります。

質問の意味を、私は
エスペラントのように「新たに作る」国際共通語が必要だろうか、ととっていました。
また、その辺もしっかりととっていた訳ではなく、なんとなく。

新たに作る国際共通語は不要(反対、というのではなくただ不要)かと思われました。

>次に、英語ではいけないという理由が思いつかないということですが、例えば、私たち日本人は義務教育で英語を勉強しています。しかし、多くの場合それだけでは英語は習得できず、英会話の塾に通ったり、個人的に参考書などを買ったりして、英語を習得するためだけにかなりの負担をしています。それが、英語圏の人はそこで育っただけで、その負担が全くないのです。

英語圏の人にも同様の負担を!という目的で英語ではない世界共通語(というか
どこの人も使っていない言葉)が必要だ、と?

インドの共通語が英語である為に、インドでは優秀なエンジニアが生まれやすく
なった、という事から(他にも理由はあるけれど)、確かにあなたの意見も一理あるとは思います。
しかし貧しく識字率も低いような国は、国際言語が出来ても・・・。

>さらに、英語圏の人々にも悪影響が考えられます。英語が国際共通語だとすると、英語はある国のものではなくて、世界の人々のものです。たとえば、多くの国で元々英語にはなかった英語が次々と現れた場合、それも英語圏の人々は認めなくてはいけなくなります。他にも自然言語が国際共通語になる問題点は挙げられると思います。

現状、英国人はシングリッシュなど受け入れてはいないと思います。
シンガポールの人が話す英語を取り入れる、などは。
また、何かしら認める「言葉に取り入れられる」のは「その言葉そのものの変化」
であり、つまりそれは「その言葉」なのだと思われます。

えっと。
日本語で「しいたけ(椎茸)」があります。「つなみ(津波)」も。
英語でもしいたけはしいたけ、つなみはつなみです。

「内閣」という言葉について

英語の Cabinet は、小部屋で会合を開き、協議したところから、「小部屋」を意味する Cabinet に由来する。「内閣」という漢語は、 Cabinet に相当する言葉として、中国の明、清の時代、皇帝の諮問にあずかった内閣大学士制度から引用され、1877年(明治10年)頃に日本で定着した。(wikipediaより)

新しいしくみ(例えば内閣なら政治的なしくみ)が出来ると、あらたな
事柄、概念が生まれ、それはまだそれがない場所へと伝えられます。
そこで、その場所の言葉に変えられ、またそれが隣の場所へ流れて
行く。どなたかも書いていますが、文化=言語、です。

とにかく、私が言いたいのは、現状、イギリスは、シンガポール人が話す英語
(シンガポール独特に変化している)を、認めなくてはいけなくて、言葉が
乱れている、などという事はなさそうに思われます。若者の汚い言葉はあるし、
方言や訛りも、あるけれども・・・。
仮に、シンガポールで作られた言葉が、英国で、「国語辞典」に載るようになるなら、
それは何かしらの流れがあり、英国が取り入れたに過ぎません。
また、言葉とは、何語に関わらず、そういうものですし。

>最後に、「通訳者がいらないという程度」、と回答をいただきましたが、確かに、国際会議など国と国の大きな接触の場面ではそうかもしれません。しかし、個人的な人と人の接触であったり、国際舞台に立たないような地域の言語を使う人々はどうでしょうか。
国際共通語があるとないとでは大きく違うような気がします。

必ず全世界の人が(少なくとも言葉の異なる人と接する機会を持つ人)勉強すること!
絶対話せるようになっておくこと!話せなかったら話せるまで牢獄行き!
という決まりがあるなら、違うと思います。
だってどこに言っても確かに通じる!

けど、日本人が英語を数年勉強しながら、まだ話せない人も多いというのに、
北京で、ニューヨークで、パリで、どこで道を聞いても通じる!
そういう状況になるでしょうか。
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この回答へのお礼

再びの回答ありがとうございます。

お互いにうまく理解していないところがあるみたいですね。

>英語圏の人にも同様の負担を!という目的で英語ではない世界共通語(というかどこの人も使っていない言葉)が必要だ、と?

私はそのようなことは全く言っていません。
英語ではいけない理由が見つけられないということでしたので、例として、自然言語が国際共通語になる問題点を提示したのです。負担を目的として国際共通語を作るという話は一切していません。

>しかし貧しく識字率も低いような国は、国際言語が出来ても・・・。
言語というのは、音が第一義的な意味を持ちます。文字は副次的です。国際共通語は文字だけを相手にしているわけでもありません。もちろんある程度の教育が必要なことは確かです。

>現状、英国人はシングリッシュなど受け入れてはいないと思います。
論点がずれています。国際共通語が英語になった場合に、問題が生じると申したのです。現在、英語は国際共通語ではありませんので、英国人がシングリッシュに対して例えば、「あれは英語じゃない」などということはもちろんあって然りだと思います。
A⇒B という構造をきちんと理解してください。

>その言葉そのものの変化
とありますが、これもまた自然言語の問題点です。
自然言語は名の通り自然にできた言語ですから、「この言葉、文法は間違っている」ということはできません。しかし、もし人工言語が国際共通語になった場合、文法や規則が最初にある言語ですから、言葉が変化したとしても、間違いだとして直していくことが可能なのです。

>日本人が英語を数年勉強しながら、まだ話せない人も多いというのに、北京で、ニューヨークで、パリで、どこで道を聞いても通じる!そういう状況になるでしょうか。
私は、例えば、エスペラントは一日で文法を理解して、1週間後にはもう話せるようになりました。自然言語(たとえば英語)などではできないようなことが人工言語には可能であるということを理解してください。

私は言語に関してかなり勉強してきたつもりです。「なんとなく」の回答は本当に理解に苦しみます。

お礼日時:2012/12/20 20:45

不要です。


なぜなら、共通語は不可能だから。
不可能である以上、必要か不要かなんていったところでナンセンス。

この回答への補足

「必要であっても不可能」という状態はどう解釈すればよろしいでしょうか?
私が他の回答へ返事した文章をお読みになった上で、ぜひお答えください。

補足日時:2012/12/21 20:54
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2012/12/20 20:07

要否と言うより不可能だと思いますが。



言語は文化の一つであって、文化は国家のアイデンティティの一つです。
文化の一つである言語を統一・共通化出来るとすれば、それはほぼ世界政府が作れると言うことに等しいのですよ。

違う言い方をしますと、母国語を捨てない限り、自分の言葉として、完璧に使いこなすことは、非常に困難です。
即ち、完璧に世界標準語として通用する言語の普及に努めたら、世界各国に存在する多数の文化を抹殺していくことにもなるでしょう。

具体的に言いますと、世界共通言語としての完成度を高めようとすれば、例えば「富士山」と言う単語に対し、世界中が同レベルの認識や印象・感想を共有するか、さもなきゃ日本人が、富士山に対して抱く独特な気持ち・思いなどを捨て去らねば、完璧な共通言語とはならないのです。

前者の方が圧倒的に困難ですから、日本人が富士山に対する概念などを捨てねばなりません。
もしそんなコトが出来るなら、国家とか愛国心と言う概念も捨て去れますので、世界政府も可能と考えられるワケですよ。

実際にエスペラント語は、国境を越え平和を維持したいと言う理念・理想で、そのためには共通言語が必要と考えたザメンホフが考案したものです。
その考え方は正しいと思いますし、その究極の姿・理想形が、世界政府の様なものであろうことは容易に類推され、実際に共通言語が有効に使用されたら、ソチラの方向性に向かうでしょう。

逆に、日本人が国家や富士山に対する思いとか、愛国心までを無くすなど、「そこまでは要求しない」と言うのであれば、それはエスペレント語の理念・理想からは少し外れることになりますし、ソコソコ高度な意思疎通が出来れば良いわけで・・・その程度なら、現状でも特に問題ありませんよね?

その程度のコミュニケーションを目指す言語で良いのであれば、国際共通語もモチロン「有用性・利便性はある」とは言えますが、それが国際共通語である「必要性や必然性は無い」のです。

優れた言語学者であるザメンホフであるからこそ、共通言語によって、究極の世界平和が実現し得と想到したのですが、それは同時に世界統一にも等しく、各国人が、「自分は〇〇人である」と言う前に、「地球人である」と言うことを、強烈に自覚せねば実現しないのです。
それは「国を捨て去る」くらいの覚悟を要求を強いるものであり、殆どの「国」にとって、受け入れ難いものでもあったと言うことかと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

確かに、国際共通語がどの程度までのコミュニケーションを要求するのかにもよりますね。

この質問は、国際共通語が必要かどうかということですので、エスペラントの思想などは、特に関係ありません。
その点は私の質問の書き方が悪かったと思います。
よって、
>逆に、日本人が国家や富士山に対する思いとか、愛国心までを無くすなど、「そこまでは要求しない」と言うのであれば、それはエスペレント語の理念・理想からは少し外れることになります
と書いてありますが、エスペラント語の理念・理想は意識していません。純粋に国際共通語の必要性の質問です。

この回答では、さきほど申し上げたように、国際共通語がどの程度までのコミュニケーションを要求するのかにかかっています。そして、回答者さんはある程度のレヴェルの低さならば、
>ソコソコ高度な意思疎通が出来れば良いわけで・・・
とおっしゃっています。
言ってしまえば、ある程度のレヴェルの低さならば、国際共通語は不可能ではないということになりますよね。
その上で、
>国際共通語もモチロン「有用性・利便性はある」とは言えますが、それが国際共通語である「必要性や必然性は無い」のです。
とおっしゃっていますので、結論として、
国際共通語は、不可能ではないが、必要ではないということでよろしいですか?もっと言えば、回答には、「必要な理由がない」→「必要ではない」という議論をとっていますが、これは不必要な理由ではないような気がします。つまり場合によっては必要性があるととらえられると思いますが、どうでしょうか?
間違っていたらご指摘お願いします。

お礼日時:2012/12/20 21:06

#1さんの考えも了見が狭いと思いますけどね。


ところで、LinguaFrancaさんはバベルの塔の話はご存知ですか?
国際共通語ができた場合、人類は再度バベルの塔を建設するでしょう。
すると神は もっと厳しい試練を人類に課すでしょうね。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%99% …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

はい、存じております。

国際共通語ができた場合に、人類は何かなすのでしょうか?とても興味深いところです。

バベルの塔の頃の人々が話していた言葉と、国際共通語とで最も違う点は、国際共通語はあくまでも補助言語だということです。
世界の人がその国際共通語だけを話すわけではありません。国際共通語ができたら、私たちはバベルの塔を作ろうとするのでしょうか。作ったとしても神はきっと、以前とは違って言語に責任があるとは思わないのではないでしょうか。

ただ、国際共通語が実現したとしたら、予想を超えるようなことが起こるかもしれませんね。

お礼日時:2012/12/20 19:17

例えば、中国では地方ごとに方言があり


他の人には殆ど通じません。
外国語のようなものです。
だから北京語を基に普通語というのを定め、マスコミは
原則これを使用するようにしています。

日本も、明治維新のとき、東京弁を基本にして標準語
というものを造りました。
その結果どうなったからというと、日本全部がミニ東京化
しつつあります。
ミニ東京化は言語だけが原因ではないでしょうが、その
役割の一端を担っているのは確かでしょう。

で、世界語ですが、同じことが懸念されます。
現代でも進行中ですが、世界の欧米化に拍車を
かけることになるのではないでしょうか。
母国語と世界語があれば、誰でも世界語を学ぶように
なります。
何せ、世界語なら日本国内はおろか、世界の人とも話せる
のですから、日本語を学ぶ必要性は著しく減少してしまいます。
その結果、日本文化が減退ないし消滅するおそれが出てきます。
つまり、人類から文化の多様性を奪う可能性があります。

現代、それをやったら世界は欧米文化一色になるでしょう。
すると、どうなるか。
欧米文化の衰退は、そのまま人類の衰退に繋がりかねません。
歴史をみれば解ると思いますが、欧米文化もいつかは
衰退します。
欧米文化が衰退したら、イスラム文化が台頭してくる、
そういう柔軟性が人類には必要だと思いますが、どうでしょう。

人類が多様なのは、ウイルスに対する抵抗だ、という
話しもあります。
人類、人種が一種類だけだったら、ウイルスによって全滅
させられていたかもしれません。

便利だ、というだけで世界の文化の多様性を奪うのは
問題だと思います。

以上から、私は世界語は不要であり、制定すべきではない
と考えます。

この回答への補足

間違えました。
世界共通語と書いてあるところは全て、国際共通語のことです。

すみません。

補足日時:2012/12/20 19:23
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

多様性を損なう可能性があるから、国際共通語の使用に反対ということですよね。

少し不透明な部分がありますのでいくつか質問させてください。

まず世界語というのは、世界共通語のことでよろしいですか?
中国語でエスペラントのことを世界語というので少し気になりました。
エスペラントの必要性の話ではなく世界共通語の必要性の話なので世界語=世界共通語と解釈して話を進めます。

最初に中国と日本のそれぞれの国内から世界へと話が展開していますが、少し気になる点があります。国にはそれぞれ統治権(主権)が存在します。その統治権が及ぶ範囲で「国内の標準語」を定めることと国際共通語を定めることは本質が違うことだと思います。というのは、世界の統治権を持った国も人もいないからです。たとえミニ東京化が標準語を定めたことが原因の一つとなって問題になっているとしても、それは統治権が及ぶ範囲の話です。

>世界の欧米化に拍車をかけることになるのではないでしょうか。
どうして国際共通語の制定が世界の欧米化に拍車をかけることになるのでしょうか? もちろん、国際共通語が例えば欧米諸国の国からのみ作られたり、あるいは選ばれたりしたら、その可能性はあると思いますが、国際共通語自体は欧米と関係がないと思います。あるいは、国際共通語という発想自体が欧米的ということなのでしょうか?

>何せ、世界語なら日本国内はおろか、世界の人とも話せるのですから、日本語を学ぶ必要性は著しく減少してしまいます。
日本人が、日本語を学ぶ必要性が減少してしまうということでしょうか?私は日本語を学んだ記憶がありません。自然に身についていました。(読み書きは学びました。)小学校、中学校のときに学んだものは日本語文法というより国文法ですから、国際共通語の有無とは関係ないと思います。外国人が、日本語を学ぶ必要性が減少してしまうということでしょうか?それはあるかもしれません。しかし、もし国際共通語が制定されたら、それはどの国、どの地域にも当てはまることですし、それが多様性を失うことにつながるとも思いません。
もともと、国際共通語には、世界の言語を守ろうという思想があります。国内、あるいはある地域内ではその国、地域に言葉を話し、違う言葉を話す人と出会った場合に、国際共通語を使うというものです。そうすることで、マイナーな言語がメジャーな言語に侵略されることがなくなるというものです。
つまり、回答者さんは、国際共通語を制定することで、世界の多様性が失われると考えているようですが、本来は世界の多様性を守るために国際共通語の思想が挙がってきたのです。
むしろ、今のままで行けば、歴史の流れからして、メジャーな言語、英語や中国語などがある地域に侵略して、その地域の言語になりかねません。もちろん統治権が働くような地域であれば仕方のないことだと思いますが。

しかし、多様性を失うかもしれないという着眼は本当におもしろいと思いました。

再び回答いただけるとうれしいです。

お礼日時:2012/12/20 18:57

その中間の選択肢がないのでアレですけど


必要だと思います。
英語や北京語でいいではないか?と言われますが
共通ですから誰しも共通に新しく覚える必要があるので
誰にでも平等だと考えたからです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>その中間の選択肢がないのでアレですけど
必要か必要でないかということにこだわってるわけではありませんので、ぜひ意見を聞かせてください。

私は、エスペラントが国際共通語であるべきだと考えてるわけではありません。しかし、誰もが新しく覚える必要があるという点は同じ意見です。

お礼日時:2012/12/20 16:33

必要ない



理由

今では殆ど英語がその役割を果たしている。

英語ではいけない、という理由が思いつかない。

(ある特定の人々から生まれてきた言葉だが
 エスペラントのような共通の言葉にしても、
 ある特定の人々が作るのだから)

例えば国連では多数の言語が話され通訳者がぐるりと囲んで
進められている。共通語を使うからといって、何か利点があるか
というとせいぜい、通訳者が要らないという程度。
互いに通じやすくなるかというと、そうではないと思われる。
どっちにしろ母国語→共通語という作業がどこかで行われるのだから。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

いくつか私の意見を聞いてください。

まず、いらない理由が英語がその役割を果たしているということですが、(英語がその役割を果たしているかどうかは別にして、)国際共通語が必要だからこそ、英語がその役割を果たすようになったとは考えられないでしょうか?その場合、国際共通語が必要だということになります。

次に、英語ではいけないという理由が思いつかないということですが、例えば、私たち日本人は義務教育で英語を勉強しています。しかし、多くの場合それだけでは英語は習得できず、英会話の塾に通ったり、個人的に参考書などを買ったりして、英語を習得するためだけにかなりの負担をしています。それが、英語圏の人はそこで育っただけで、その負担が全くないのです。
さらに、英語圏の人々にも悪影響が考えられます。英語が国際共通語だとすると、英語はある国のものではなくて、世界の人々のものです。たとえば、多くの国で元々英語にはなかった英語が次々と現れた場合、それも英語圏の人々は認めなくてはいけなくなります。他にも自然言語が国際共通語になる問題点は挙げられると思います。

最後に、「通訳者がいらないという程度」、と回答をいただきましたが、確かに、国際会議など国と国の大きな接触の場面ではそうかもしれません。しかし、個人的な人と人の接触であったり、国際舞台に立たないような地域の言語を使う人々はどうでしょうか。
国際共通語があるとないとでは大きく違うような気がします。

>互いに通じやすくなるかというと、そうではないと思われる。
これは確かにその通りだと思いました。
確かに、言語が通じるかどうかという点では、例えば人工言語が国際共通語になった場合には、そうでない場合と比べると通じにくいと思います。

また回答していただくとうれしいです。

お礼日時:2012/12/20 16:29

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