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今回の高校生の自殺の件ですが、今の日本の世論は体罰を振るった教師一人をA級戦犯にしたて、事態の巻く引きをはかろうとしていますが、本当にそれでいいのでしょうか!?

そもそもあの教師はなぜ、体罰を振るったのでしょうか?
そして、自殺した生徒は体罰という暴力を振るわれながら、なぜ、部活を辞めなかったのでしょうか?

自殺した生徒が通っていた高校はスポーツ強豪校です。
体罰を振るった教師は学校、大阪市、地域社会からも全国大会で好成績を残す事を期待され、教師自身も期待に応えなければならないというプレッシャーを感じていた事だと思います。
自殺した生徒自身も期待に応えなければなければというプレッシャーを感じていたでしょうし、好成績を残さない限り大学進学も難しい、その上、就職の事までも不安に感じていたかもしれません。
学費免除のスポーツ特待生ならばなおさらそう思うでしょう。

これはある意味、社会、学校、家庭を含めた日本社会全体が体罰教師を生み出し、生徒を自殺に追い込んだのではないでしょうか?
今回は体罰で自殺とメディアが大きく報道しましたが、体罰がなくても、スポーツ特待生がケガなどで競技が出来なくなり、夢を失う事で自暴自棄となり自殺という事も普通にありえる事だと思います。
これはスポーツに限らず、受験に失敗し自殺する場合も同じようなものです。
このような場合は、メディアの扱いも小さく、社会的問題にもならないでしょう。

高校野球などもそうですが、日本の社会は素人である、たかが子供のスポーツをまるで国民的関心事のように大々的に扱い、全国大会で活躍した生徒をスター扱いしすぎだと思います。
高校生の子供の活躍に過度の期待をしなくならない限り、生徒の自殺は無くならないと思います。

事情通のみなさん、どう思いますか?

A 回答 (10件)

同感です。

参考までにメモ。

参考URL:http://shintarosato.hatenablog.com/entry/2013012 …
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事情通ではありませんが、私の憶測を書いてみたいです。



例の大阪市長の発言は、自己PRのパフォーマンスとしか考えられません。とても卑しい人物と考えられます。朝日新聞のキャンペーンも「正義ぶりっ子」で「コメント書いた奴が実は体罰していた」ってこともありえますね。

世論の良し悪しを嘆くよりは、疑問に感じるほうが、それが周りに広がって世論も変わると期待したいものです。

なぜあの教師が体罰を振るったのかと言えば、「相手に体罰することが好き」だからです。私の祖父も、近所から預かり物の犬を「言う事を聞かないから」という理由で、棒で殴っていました。そうゆう性格の人間って実際いるんですよ。

今回自殺した生徒なんですが、こう言ってはなんですが、社会に出てもいずれ自殺するんじゃないのでしょうか?社会はもっと厳しいです。

私が考えるに「日本人は、本当は草の根から皆体罰が好き」なんだと思います。小学生の野球やサッカーチームの練習でも「オラーもっとちゃんと動かんか!」的な「言葉の暴力」を発する大人やそれを平然と見学する母(父)親達を見れば「能力向上のためなら暴力やむなし」なんでしょうね。

ですから、こうゆう「暴力的なスポーツ指導」から各々の身内は逃げるスタンスが、長い目で見るに重要ではないかと考えられます。そうすれば、そうゆう風潮が廃れていくのでは?
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 体罰というより犯罪でしょ



 大人が悪い 大人の責任です 大人は反省しない ずるい大人が増えました

 命は地球より重いと言いますが、忘れてるんでしょうか????

 殺人事件のようにも見えますね。

 大人最悪ですね  反省させるためにバチを与えましょう。賞バチは責任者の権限です。
 
 バチを与えましょう
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1.3行>今回の高校生の自殺の件です・・・・それでいいのでしょうか!?


いい訳が無いと思います。少なくとも法律で禁じられている「体罰」を無くすことは、自浄努力では不可能と考える必要がありますね。
これは少し前に騒がれた「虐め」に対しても言える事ですが、外部機関によるチェック体制の確立をすれば、「体罰」を肯定する指導者や虐めを行う生徒から被害者を守れる確率は高くなるでしょう。

4~6行>そもそもあの教師はなぜ・・・部活を辞めなかったのでしょうか?
これに対する考えは、回答者様自らの推察である7~14行の内容とほぼ同じです。
ただ体罰教師が体罰を有効と考えていた事は間違いないと思います。
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理由(1)指導者の「暴力」を恐れ、必死になってプレイするようになる。
試合終了直前、得点され敗れた「ドーハの悲劇」でのイラクの火事場の馬鹿力は、日本戦に敗れたら、「罰」として鞭打ちの刑か、兵士として戦場の最前線へ送られると言う恐怖が原動力と思われてます。
兵役免除と言う罰とは逆のニンジンで釣られた韓国選手が実力以上の力を発揮する。

理由(2)指導者のかつて受けた「体罰」が有効だったと自己欺瞞に陥っいる。
親から虐待を受けている子供は、親は悪くない、自分が悪いと言います。
親から保護されないと生きて行けない為、親は自分を愛しており、自分が悪いから罰を受けたと考える事で自己を保っています。
ストックホルム症候群は恐怖と生存本能に基づく自己欺瞞的心理操作により犯人にシンパシーを持ちます。
これと同じで、教師から体罰を日常的に受けていた人たちは、体罰教師を尊敬する事で理不尽な体罰に対し抗議も反抗も出来ない自分を正当化し、時が経っても当時の自分の行動や人格を守る為、体罰教師と過ごした時間があたかも有益だった・意味が有った・役立ったなどと自己欺瞞に陥っているのです。
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15.16行>これはある意味、社会・・・・・・・・のではないでしょうか?
ご指摘は正しいでしょう。
ただ体罰教師は、前段の理由(2)により、その指導を受けた生徒が指導者になった時、体罰教師になる確率が高くなります。
手本となるべき指導者が法律で禁じられている「体罰」を行うなど、総論賛成・各論反対の身勝手さを示しているようなものです。
体罰ではなく言葉で指導すべきです。
そして本当に体罰が教育に必要なら、体罰は教育に必要と議論をして嘆願書でも署名運動でもするのが教育者の姿でしょう。
いかに日本の自虐教育をするかを研究する暇など無いはずです。

17行目以降>今回は体罰で自殺とメディアが大きく報道しましたが・・・
ご指摘は正しいと思います。

>体罰をなくしたところで生徒の自殺は無くならない
その通りですね。
欧米ではすでに確立しているスポーツ科学では「スポーツが強くなり進歩することと暴力、体罰は全く関連性がない。」「かりに即効的に効果が上がっても、その効果は持続しない」「体罰を加えるのは言葉で納得させられない指導者の未熟さを表す以外の何物でもない」。
そして体罰で強制された選手は自分で物事を考える能力が育ちません。
ですから、スポーツの指導者には「体罰」の禁止を徹底させる事は有益と考えます。

リスクを無くす努力は必要です。しかし無くなるまでは、リスクを回避したり最小限に止める事も必要です。

過度の期待をしなければいいのは、正論です。

しかし、それに対する有効な手段が取れないなら、有害な体罰教師を矯正もしくは排除する事は、質問者様の言う解決法が見つかり実行するまでの縮退としては有効だと思います。
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100%賛成です。



いじめや体罰が悪いのは当たり前です。
違法行為・犯罪ですから、小学生でも判る話しです。

ただ、その原因が悪いと言ったところで、では「犯罪を無くせるか?」と言う問題であって、不可能です。
むしろ「原因を悪い」とばかり言えば、いじめや体罰が陰湿化したり、事件が起きた場合の隠ぺい体質を助長するのみかと思います。

また、仰る通り、いじめや体罰は、自殺原因の一つに過ぎません。
つまらぬ自殺原因や、良くある自殺原因の場合、マスコミが取り上げないだけと言うのも、仰る通り。

原因を「どうしよう?」などと言う解決策を模索すれば、たとえば部活など無くしてしまえば良いだけですよ。
やりたいヤツは、塾の様に、私費で習い事をすれば良いワケで、ソチラで自殺があっても自己責任。
少なくとも学校は「知らぬ!存ぜぬ!」です。

やたら教師の責任を重くしたり、権限を剥奪すれば、教師の減少や質的低下を招きますしね。

例を挙げたらキリは無いですが・・。

要は、オカマの教育評論家などを担ぎ出して、自殺問題と教育論を並列で語ろうとするから、クレイジーとか珍奇な解決策しか出てきません。

自殺問題は、「自殺そのもの」に焦点を当てねば、解決しない問題です。
自殺原因と自殺は、2つの事柄で、原因は事件で、自殺は事故です。
原因がヒドいことと自殺は、明確に区別せなばなりません。

自殺に追い込まれる様な被害に遭わぬことや、もし被害に遭っても、適切な対処を行うことなどに、議論の中心をシフトせねばなりません。
ただ、「それでは面白くない」「視聴率が稼げない」と言うメディアが、自作自演的に2つの問題を混同し、複雑化・巨大化して騒ぎ立て、遊んでるだけですよ。

一方では、マスメディアと言う巨大権力が、加害者側を徹底的に「いじめ」てるワケですが・・。
もし加害側に自殺したら、メディアは、どう取り上げる気なんですかね?
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仰ることはその通りだと思います。


たかだか高校生のスポーツ大会であるのに、それを地元の代表だ、などと盛大にもりあげ、学校は学校で、自分たちの学校の広告塔だ、としている。
それが教師にとってのプレッシャーとなり、同時に利権ともなり(指導者として優秀、となれば、定年後も私立校などに指導者として雇ってもらえるとか、そういうこと)、それが教師が暴力行為に走る動機になった部分はあると思います。また、生徒の側も、そういう面はあります。

その意味で、たかだか高校生のスポーツ大会に期待しすぎ、というのが背景にあるのは確かだと思います。
そして、今回の教師一人を悪者にして終わり、というのでは意味が無いのも同感です。


ただし、じゃあ、なくせ、と言われても無理です。
野球の甲子園大会をなくしても、高校サッカーの大会をなくしても、何らかの形で競い合う、という場面は必ず出てきます。そして、それがある限り、必ずそのプレッシャーに悩む人も出ます。
競争することそのものをなくす。これは不可能です。
無論、期待しすぎている、という状況を緩和することについては全く反対する気はありませんが。


で、その競い合うことをなくのが無理だからこそ、まず、体罰などをなくすべきであると考えます。
暴力行為による恐怖、というのが、より生徒を追い詰める道具となりえます。
また、暴力行為によって怪我などをし、将来を絶たれる、ということもあります。
体罰をなくすことで、自殺者ゼロは不可能でも、自殺者を減らすことは出来るでしょう。自殺者ゼロは、何をどうしたって不可能。しかし、体罰が引き金となった自殺者をなくすことができるのであれば、それは十分に意味があると思います。
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この回答へのお礼

テレビ、新聞などのメディアが、まるで鬼の首でも取ったかのように体罰教師を批判しているのを見て腹立たしさを感じます。
それと同時に学校や行政の態度にも苛立ちを感じますね。
これらの連中の打算が体罰教師や自殺を生み出したのでしょう。

普通なら部活指導で体罰という暴力など必要ない事ですし、ましてや生徒が自殺にまで追い込まれるような状況などありえない事です。
たかが部活ですよ!?
これらの連中が態度を改めない限り、子供の自殺は無くなる事などありえませんね。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/18 05:38

>たかが子供のスポーツをまるで国民的関心事のように大々的に扱い、全国大会で活躍した生徒をスター扱いしすぎだと思います


部分的には賛成です。
メディアは、売れるとなると徹底的に食いつきます。また、取材に非協力的な選手や団体は批判して潰していきます。
若くして持ち上げられ、その後墜落していったアスリートの卵がいかに多いことか。
売れなくなったら見向きもしません。
なぜメディアがそうするかというと、金になるからです。曰く、国民が情報を求めているから・・・
実は、つくられた情報ですね。流行ファッションと同じで、売るから流行るのですが、つぶれたものに見向きもしなくなります。

高校生の自殺はどうでしょう。自殺はあってはいけないことですが、ほかの理由のものもあり、年間の自殺者数は、長年そう変わりません。体罰は、法的にはすべてだめです。事が大きくなったら報道されますが、報道されない体罰に関するトラブルも、年間たくさん存在するようです。日本の法律では、たたくのはもちろん、長時間の正座や、激しい口調での長時間の指導も体罰になります。体罰は指導にはならないと、物知りの識者は言います。極端にその部分をを言えば悪者間違いなしですが、その結果成功した人たちはどう思っているのでしょう。OBの言を聞きたいものです。結構同窓会などでは、「びしびし鍛えてもらって今の自分があります。あのときは辛かったけど、今になって思うとありがたいことです。」といっているのかもしれません。そんなことばを聞いているから、指導者もこのやり方で良いと持っているのではないでしょうか。

自殺に関しては、高校生に限りません。日本では、多くの大人も自殺しています。
個人的には、日本文化の持つ特性とともに、この風潮をメディアが半分つくっていると思っています。
何かあったら、「責任者」が引っ張り出され、「土下座」と「辞任」に持って行きます。以前、鳥インフルエンザの感染報告が遅れたという鶏農家のご夫婦が自殺しました。記者が、糾弾していましたが、ひどい物言いでした。普通の感覚なら自殺するしかないと追い詰めていくわけで、それで解決させるような「空気」を広めていると思いました。

過度の期待、はどうでしょう。どこからが「過度」かの判断が難しいでしょう。期待されることで伸びていく人もたくさんいることも事実でしょう。まして、特待?で迎えられた生徒は、期待されているし、本人もそれを承知で入るわけです。そうやって、自分の将来をつかんでいった生徒もいます。
生徒への過度の期待をしなくなれば、自殺者がなくなる、というものではないと思います。

ただ、スポーツに限らず、逃げ場がなく追い詰められていく期待というのは、鬱になり自殺にいたる原因にはなると思います。窮地に至っては不真面目になる心理、というのも必要なことかとは思いますし、それを認める世の中になると、自殺者が減るのではないかと思います。
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自殺の原因は、体罰じゃないですね。

 どうも、リストラの苦悩のようです。 体罰は原因の一部であってわかりやすい部分ですね。鍛えるのに体罰はいらないです。 しごけばいいんですから。 そこ重要です。
確かに、いくら憧れても、プロスポーツ選手になれるのは希でしょうね。それもわかっていてスポーツやってるんだからそれはそれでいいですよね。 で、本当の原因は体罰ではなく、リストラだと思いますよ。精神的に追い込まれてたのでしょう。
教育における、基本的な部分ですよね。
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この回答へのお礼

ワイドショーに戸塚ヨットスクールの戸塚博氏が出演し、コメントしてましたが、子供は体罰だけの要因で自殺する事などないそうです。
家庭や友達、教師、社会など複合的に要因が重なり、自殺という手段に走るそうです。
体罰を振るう教師は直接的に行為に及ぶわけですし、構図的に見て分かりやすいために、真っ先に批判の対象になりがちです。
しかし、それだけが問題の本質ではありません。

体罰だけならあの生徒は、とっくの昔に部活を辞めているでしょう。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/17 11:46

何れ程の素質を持っていて、練習試合では、凄い逸材が、本番では初戦敗退という実例、勉強をしても本試験は、不合格という実例、これは、メンタルの弱さが緊張度を上げてしまい、本来の実力を発揮できない方って多いのではないでしょうか。



質問者さんの仰る、本題は、この部活の部長(先生)の体罰による自殺とは、非公開である遺書があれば明確になるが、単純にA級戦犯として、この教師だけに罪を被せて、学校の他のお偉いさんは、遺憾です、で終わり、これは、大矛盾していた東京裁判とスケールを大きく例えるが、敗戦国ということで、東条以下の死刑を確定させ、唯一、異論を唱えた(全員無罪を主張)したパール判事が、正しいといえると感じます。
勿論、東条や他の奴らは、若い命を御国の為にと戦場に送り込んだ責任は重篤だが、何で、沖縄上陸から原爆を2つも投下され、尊い命を奪われたり、今もなお、白血病に侵され苦しんでいる人に米国なんて謝罪の言葉ひとつも無い!

私は、体罰は否定的ですが、昔は手加減しながら教師の威厳があった、今の世の中、少しの体罰で馬鹿親が大騒ぎ!
こんなんだったら学校に行かなくても良い!

子供達の世界もそう、大人の過度の期待が追い込む、目指せ東大!桜が散ったら、今までの努力は?
社会のPハラもそう、社員を職権濫用で廃人にして、解雇。

全て権力と高い立場いる輩どもの蛮行に過ぎないのです。
求めることが旺盛になると、着眼が、集中してしまう。
つまり、視野が狭くなるといこと。

逃げ場というものをつくってあげなきゃ。
部活も辞めれば、こういう結果にもならなかったでしょうし、親の期待に子供は素直に応えたかったのではないでしょうか。

親は子供の幸せを期待する、一流国立大学に入学し、卒業し、官僚でも大手でも入社すれば、又スポーツで名をはせて、成功する。
そんな、理想を求めているのは、何処の親もですが、果たして、それで、全てが、うまくいくでしょうか?

行くワケなんてありません。
スポーツなら怪我はつきもの、大手や官僚といった上級公務員でも自殺する奴だっている。

他人と比較したがる、卑しい大人達、こんな奴ら程、他人の不幸が嬉しくて仕方が無い非人格者で、攻撃の的をいずれも他人に向けて、私らは被害者ですって堂々と言える愚か者が増えたのです。

何を意味するかというと、偏差値教育から実力至上主義、これを否定は、しないが、親が本当に子供のことを想うのなら、メンタルコーチングとケアに徹すること。

集団意識が正しいと、枠の中に子供を閉じ込め、バカ親の価値観を押し付ける、これが正論だ!という、狭い視野でしか、物事を捉えられない心の狭い馬鹿者の典型なのです。
マイノリティー思考の者は、変わり者とか、はみ出しものといった、偏見。

こんなこと考えたり、他人の噂話に花を咲かせている暇があったら、もっと子供と真剣に向き合うべき!
親の価値観で子供を制する、これが絶滅しない限り、子供の真相や心理なんて理解出来ない、だから子供は一人で悩み苦しみ、問題を抱え込み、最悪は自殺といった悪の連鎖は続くのです。

私の子供は、イジメが原因で登校拒否から、ひきこもりでした、近所のおばさん方は、鬼の首取ったように、噂話のネタにされましたが、私は子供に最初は無理にでも登校をさせようと必死でしたが、体を硬直させ抵抗する子供に哀れみを感じ、周囲が何を言おうと、言わせて置けば良いと決めた時、学校へ行きたくなかったら、それで良いと無理維持はしませんでした。
お前の気持ち受け止めてやるよ、そして守ってやるよ!と、格好の良い言葉(本音です)を 発しながらも、本心は自殺されたらと毎日、ビクビクしていましたから。

長文、失礼しました。
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この回答へのお礼

実際に子供さんがいらっしゃれば、実体験からいろいろな事を考え、そして、お悩みになる事だと思います。
子供は一人一人違うわけですから、みんなと同じだという事を強制する必要はないと思います。
不登校の子供は四年、五年と時間をかけて学校を卒業してもいいのではないでしょうか?
自殺した生徒の周りの大人たちも、スポーツが全てではなく、他にも進むべき道はあると言えなかったのでしょうか?

自殺した生徒、親、教師、学校と、全員が視野が狭かった気がします。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/17 10:51

Aという過ちを正したところで自殺はなくならない、という命題はおそらく真ですが


Aという過ちを正さなければそれを理由にする自殺はなくならない、も正しいのです。

社会の構造自体が自殺を生む、というのも間違いではないかもしれませんが、そういう構造を良いものにしていくためには一つ一つの間違いを修正する作業が必要です。

原因療法は必要ですが対処療法も必要、ということです。

原因療法ばかり言い立てていては目の前の個人は救えません。
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この回答へのお礼

そもそも中学や高校などはスポーツ選手を養成する場ではなく、人間形成をするところだと思います。
今では、多くの学校で教育の理念がねじ曲げられ、学校の宣伝になるような部活や花形選手を養成しようとする風潮があると思います。
この風潮が根本的な間違いだと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/17 10:44

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