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大阪桜宮高校の自殺事件で戸塚宏氏の発言が問題になっております
戸塚宏氏はじめスパルタ教育を推進される方の教育論は
1 喧嘩やいじめにより人間関係を学べ
2 喧嘩やいじめが嫌いな人種は軟弱者である だから常に争い上を目指せ
3 人間が暴走しない為に枠組(法律 憲法)は必要であるが
枠組に絶対者(天皇や首相の権限を強くする)を置き、絶対者にはどんな事でも従い、許容範囲のいじめ等は許され、又近隣諸国等へ攻撃する等の縦社会 忠君そして強い精神を作ることが出来るので、指導者からは一石二鳥である

私の同級生に幼少時から父親に「喧嘩で勝て強くなれ」「兎に角いわして来い」と云われた人間がおりました
彼は暴力三昧の部活動に入り、怖い先輩や顧問の云う事は聞き、枠組みに入るだけなら良いが、顧問や先輩の理不尽な事も受け入れ、おとなしい同級生等に「鍛えてやっている」とクラスで暴力や暴言をしておりました
彼は私が以上でも以下でもない関係でいることが腹が立つと因縁をつけて来ました
1戸塚宏氏はじめスパルタを推進される方は彼の様な生き方が理想なんでしょうか?
桜宮高校の問題も正しくは無いが、彼の様にしていると、顧問は批判されず、表面上は纏まると思います
2 私は酷いいじめ等口で言っても聞かない場合の体罰はまだわかりますが
組織では挨拶代わりに暴力三昧の所があります
又暴力三昧で育つと暴力が無いと軽く見て云う事を聞かず、暴力三昧で云う事を聞く様に成る、だから暴力三昧に成る
唯組織側としては、普通の以上でも以下でもない関係なら越えられない、暴力三昧強い者に服従の精神が越えられる強い精神を作ると云う事なんですね?
ご回答宜しくお願い致します

A 回答 (2件)

まず暴力を振るう人間を育成してしまう様な体罰は、もはや教育や指導などとは言えず「論外」です。


論外ですから、「教育論」として議論し得る「体罰」ではありません。

一方、教育論上の体罰は、現在は概ねは否定的な傾向です。
ただ、あくまで指導者と生徒の信頼関係・相性などもあり、一概には言えませんが、体罰やスパルタ教育にも、全く有効性が無いとまでは言い切れません。

とは言え、これはあくまで理論上の話しであって、教育現場における体罰は、法律(学校教育法)で禁止されています。

他方、戸塚氏の私塾(学校法人ではない)における体罰は、法律的には微妙です。
体罰により致死・致傷に至った場合は、当然、法律が適用され、実際に戸塚氏もその前科者です。
しかしそれに至らない範囲では、体罰が行われることは、指導者と受講者の間で、事前にある程度のコンセンサスが形成されていると考えられます。
それもダメ!と言うのであれば、禅寺で警策で打たれるなども、許容されなくなってしまいます。

すなわち戸塚氏は、学校とは全く別の法律・ルールで、教育らしきことをやってる人物です。
学校法人における教育者では無い戸塚氏は、学校現場における体罰に関し、ツベコベ言う立場では無く、「全くの門外漢」です。

違う言い方をしますと、彼は「ビジネスマン」として、自分のビジネススタイルを肯定しているだけの人物と言うことですよ。
もし彼が「教育者」であれば、問題教師どころでは無く、実刑判決を受けた時点で教員免許を剥奪され、教員としての人生は終わってます。

戸塚氏を仮に教育者として見たら・・スキルやノウハウが乏し過ぎと言って良いと思います。
早い話しが「ワンパターン」で「無能」と言うことです。

教育は、時代と共に進化や変化しますので、教育者もそれに対応せねばなりません。
また、生徒の個性などに合わせて、個別に異なる対応も要求されます。
それにも関わらず、戸塚氏は「スパルタ教育」しか教育スキルを持っていない、「スパルタ馬鹿」なんです。

優れた教師が、局面や生徒の個性に合わせ、法律違反を承知で、後の処罰なども覚悟の上で、「この生徒には体罰が最適である/体罰しか無い」などと判断するのであれば、許されるべき体罰もあるのではないか?と思います。
例えば、それこそご質問の、頻繁に暴力を振るう様な人格に、「叩かれる痛さを教えたい/教えねばならない」と言う体罰であれば、それは適正・適切な判断と言える可能性は充分に有り得ます。

しかしそれは、あくまで「奥の手」「禁じ手」であって、ハナから禁じ手を利用するのは、単なる反則です。
指導者の無能や怠慢の証明以外の何でもないですよ。

特にスポーツの指導者が、ハナから「反則」を使って指導するのは、有り得ないのではないでしょうか?
恐怖感などで必至になり、競技そのものは上手く出来る様になるかも知れませんが、スポーツマンシップなどは全く教育出来ないです。

武道の世界は「礼に始まり礼に終わる」であって、これはあらゆるスポーツに共通する概念だとも思いますが、「恐いから頭を下げる」などと言うのは、「礼」では無く、犬やサルに仕込む「芸」に過ぎません。

「礼」と「芸」の区別もついていない様な指導者こそが、犬やサル以下ですよ。
戸塚氏などは、ビジネスや金への執着で、自分のスタイルが買えられない、最も卑怯で弱い部類の人格だと思いますが、体罰顧問なども同様で、名門校の優秀な指導者としての地位や名声に固執した部分があるのでは?と思います。

そんな指導者には、心身の教育は無理でしょう。
それが行き届いていなかった点も、自殺の核心部分の一つかも知れませんね。
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この回答へのお礼

一つの方法を頑なに守り他は拒絶する
戸塚宏氏の考えはこれに尽きるのですね

お礼日時:2013/02/08 07:23

 ヒトは元々狩りをする生き物ですからね。

強いものにメスがなびき、強い種を残す。弱いものは自殺遺伝子が働くのはある意味自然です。
 社会に出れば、自由です。つまり、他は護らなくていい世界。自分の仕事に、その者の動きが悪くて不経済なときは正当に排除できます。引きこもり・ニートが問題視されていますが、そろそろ「学校行かなくていいよ」と言われていた者が40代になり、誰も予想していないようで当たり前である40代の孤独死が始まりました。橋下氏は嫌いですが、教育委員会に「死ねば高校が存続するのか」という脅迫さえ出てきました。
 私は暴力はもちろんいけないと思いますが、暴力と取られるのがいけないのであって、頭をはたくのも暴力と言い始めればそれは逆脅迫になります。自殺した彼の行為は、彼が予想しない方向に動き出しました。高校生に聞いても、死んだ側にすべて荷担しません。死んだことも間違っているとはっきり言います。彼は間違ったことをしたのです。
 子育てでもそうですが、一切叩かれていない子の指導は大変です。ヨソの人にあきらめられたら、退学していきます。暴力と指導は違います。桜宮を愛する子ども達は、暴力ではない指導を知っているのです。何もかも一緒にするのは間違っています。要は、プロとしてその者を納得した指導で終えるかどうかです。それは、口が切れているものは省かれて当然。学校を愛している者は、「それを見ていないのに、すべていっしょにするな」といちばん言いたいのです。
 他者から見て暴力でも、本人は欠片も思っていなければ、それは通用します。「強く育てる」ってのは、「負けても」次に強くなる意味においてです。
 次に先輩が暴力をふるうのは、伝統ではなく本人の資質的問題です。おそらく家庭事情がほとんどです。ちゃんと育てられている先輩は、しません。
 死ぬのも親の育て方。暴力ふるうのも親の育て方です。あるいは遺伝子です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます
確かに暴力は悪いですが
もっと彼の生い立ちや悩みを考えてみるべきですね

お礼日時:2013/02/08 07:26

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