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空想と妄想は、共に現実からかけ離れて頭の中だけでいろいろ想像するだと思います。
我に戻った際、その想像が消えているのが、空想かな、と思います。
一方、何時までもその想像を固持しているのが、妄想かな、と思います。
すなわち、空想は一過性で、妄想は持続性のあるもの、と違いを考えています。
皆様のお考えを教えて下さい。

A 回答 (7件)

空想・・・「空」すなわち、からっぽ、うつろで空虚なこと


妄想・・・「妄」すなわち、筋道がなく、でたらめなこと
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この回答へのお礼

早急な回答ありがとうございました。

示唆して頂いたことについて、よく考えます。

お礼日時:2013/01/23 19:29

空想は健康的精神に、、、妄想は不健康な精神状態と考えられます。

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この回答へのお礼

早急な回答ありがとうございました。

明快に、健康と不健康とに分けて、説明して頂きました。
お手数ですが、なぜ、一方は健康であり、他方は不健康になるのか、追加して説明して頂くとうれしいのですが。

お礼日時:2013/01/23 19:33

空想:現時点では実現されていないことに対し、 頭の中で実現している場面を想像すること。

将来、実現するかも知れない。

文例)

「軌道エレベーターに乗って衛星軌道に上がる事を空想する」

「空想科学小説(「妄想科学小説」とは言わない)を執筆する」

妄想:精神医学用語。非合理的かつ訂正不能な思いこみのこと。妄想を持った本人にはその考えが妄想であるとは認識しない(むしろ病識がない)場合が多い。

文例)

「この患者は、周囲の皆が自分を監視してネットに私生活を書き込んでいる、と言う被害妄想にとらわれている」

「幼女に囲まれて過ごしたい、と言うのは、ロリコンが良く思い描く妄想だ」(病的なので「空想」ではなく「妄想」を使う)

>すなわち、空想は一過性で、妄想は持続性のあるもの、と違いを考えています。

それは誤りです。
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この回答へのお礼

早急な回答ありがとうございました。
  
空想は、
<頭の中で実現している場面を想像すること。>
であり、本人は空想だということを自覚している。
一方、妄想は
<本人にはその考えが妄想であるとは認識しない>
ということですね。
よく理解できました。

お礼日時:2013/01/23 19:42

「空想や妄想が現実からかけ離れた」ものである、という


場合の、『現実』が空想や妄想でないと言えるのでしょうか?
「現に見えている」といっても、たとえば赤い色などという
ものは物理的には存在せず、可視光線の波長の連続的な変化
の上に、自己の過去の経験(炎、肉、血、花)によって、
“妄想”しているだけです。
それは突き詰めると、全ての環境性は、感受器官の表面に
おける量子相互作用に還元され、その先行感覚(視覚、聴覚)
の作用パターンに対して、生理的感覚(味覚、触覚etc.)を
相関させた結果(予測=空想・妄想)が、空間的広がりなの
です。

量子論的世界像において有限な存在性(=環境)は、認識
される事によって派生しています。
全ての存在は量子的な不確定性(確率波動)に基づいており、
無限に詰め込むと存在確率の山が平らになって、無と等しく
なります。
この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に、
認識体の仮定断面(認識可能性)の運動(プランク定数の
収束の時系列化=物体収縮=宇宙膨張)を想定すれば相対的
に無の風は光になり、認識体はその光の向うに、自我仮説
の補完としての時空仮説=宇宙を認識するのです。
換言すれば、「全ての物はあなたが存在するための(物理的
根源にまで遡った)補完である」という事なのです。

そこにおいて、その「補完=自己の必要=物理」を考慮し
ていれば空想だし、そうでなければ“あり得ない”妄想と
言えるでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

説明のうち、2段落までは理解できましたが、それ以下は追いかけるのが、ほぼ不可能でした。
しかし、最後あたりでまとめて頂いた文章は何となく理解できました。
<「全ての物はあなたが存在するための(物理的根源にまで遡った)補完である」>
ということですね。
そして、
空想というものは、
<その「補完=自己の必要=物理」を考慮してい>
る場合であり、妄想というものは、考慮していない場合である、ということですね。

お礼日時:2013/01/24 10:40

まず、現実は、それが目の前で起こっていると感じている幻想。


空想は、自ら作り出していることを自覚している幻想。
妄想は、現実でも空想でもない幻想。

実は、空想が最も幻想から遠い「現実」になるんだな。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

なるほど、一見逆説的ですが、
<空想が最も幻想から遠い「現実」>
なのですね。

お礼日時:2013/01/25 08:02

空想と妄想の前に『真実の世界』があります。

自分と現実がぴたりと一致している世界です。この真実の世界から眺めたとするなら、空想とは『頭の中の世界を、現実とは、異なった世界と認識出来ている世界』と思います。

妄想となると、逆に『頭の中で作られた、仮の世界から、真実の世界を見ていて、どちらが真実の世界か区別が出来なくなった、頭の中で作られた世界』と言う事になると思います。

ではこう言う事が何故起きるのかを、書いてみます。

現実の世界と、頭の中の世界が一致する時、人間は『心の中が静寂に包まれます。』この境涯を『涅槃』と形容しています。その理由は『心の中で、自分の心同士が争う事をしていないからです。』

人間には、自我意識という自分の心(顕在意識)があります。ですが人間の脳内には、もう一つ意識があります。この意識は、全ての現実を、脳梁を介して正確に正直に『言葉によらない情報として』自我に送っています。

此処までが分かるなら後は簡単ですので、此処までの話が語られている動画を載せて見ますので、参考にして下さい。

URL:

この中で女史は一回『自分の人生全てを諦める場面があります。』この全てを諦める事を、禅の中では『大死一番』と言っています。自我が『自分の計らいを全て捨て去る瞬間です、或いは自我の計らいが無力だった事が分かる瞬間です。』

そうなった時、右脳の意識=命そのものの働き=自分の命の発生装置兼、命の維持装置としての機能が、自我意識と出会うようになります。この体験を見性(自分自身を知る)と言っています。

それ以後、自我は、自分の生命維持装置(神や仏)の前に出て、でしゃばる事がなくなります。この体験を仏教では『悟る』キリスト教では『神に会って和解する。』と書いています。

脳の中で機能が違う、『二つの人格』の間にホットラインが構築される事を意味します。その為にもう二度と会い争う事が無くなる、と言う意味になります。

天国に一番近い存在である幼子と『同じ脳の構造に近くなる。』と言う意味です。

幼子は脳の機能上の問題から『心が一つしかない』と言う意味ですが、機能分化が完成した大人の場合では機能が分化したまま、ホットラインの中で交替制や同調性がキープされた事によって、『心が争う事をしなくなる。』事を意味します。

こう云った観点から眺めた場合では、妄想とは『真実を見ている者=実存』からの情報の受け取りを否定して受け取ろうとしない事』を意味しますので、脳梁の中で『言い争いが激しくなる事を意味します。』

この結果、心の中は『現実の世界どころの騒ぎではなくなっています。』自我がその者から圧迫を受ける事を意味します。

つまり『心が苦しくなる、或いは漠然とした不安に悩まされる、或いは深刻な悩みを悩む、或いは生き難い想いが強くなる事』事を意味するからです。

湧き上る自分の考えや感情に『自分が圧迫を受ける』と言う現象が妄想です、言葉を変えて言うなら『意識地獄』と言う事になります。

それらを断ち切る方策が『悟り』と言う事になります。絶対肯定と言う足場が出来て、絶対の安心が手に入る事を意味します。それは『死によっても覆す事が出来ない安心や幸福感です。』
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

うまく対比ができませんが、
空想では、頭の中の世界が真実の世界とは異なっている、ということを認識できるのですね。
他方、妄想では、頭の中の世界と真実の世界との区別を認識できない、ということですね。

お礼日時:2013/01/25 08:39

こうした比較は意味を拡張し出したら切りがありません。


空想家と妄想家の比較にすりかえてもいけません。
希望的観測を解脱するのが科学ないし近代の学問です。

双方の条件を集約しましょう。必要条件を特定したら終わりです。
空想の必要条件は非現実。実態無視。
妄想の必要条件は無根拠。理屈無視。

もしかすると明日は地球最後の日になるかもしれないは妄想ではありません。説明できれば妄想になりません。

絶対、明日は雨が降るは妄想です。根拠に乏しければ。

妄想に自覚がないのは妄想自体が無根拠なのと表裏一体です。妄想症という意味ではなく妄想の性質です。

革命を起こして私有財産権のない世界を作ろうよは空想です。とにかくその世界が幸福を約束すると言えば妄想でしょう。

年金制度は破綻していないは空想です。年金制度が社会の福祉になるというのは妄想です。

神様が出てくる空想的な信仰と現実の行政を実質的に信仰する妄想があります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

難解でした。
お説に従って、双方の条件を構成すると、以下のようになります。
空想の必要条件は非現実。実態無視。しかし根拠はあり、理屈は立っている。
妄想の必要条件は無根拠。理屈無視。しかし現実的であり、実態にそくしている。
時間をかけて、考えてみます。

お礼日時:2013/01/26 18:33

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