先ほど、下記のような例文に関して回答を終えた者です。
昔、おじいさんとおばあさんがいました。
おじいさんは山へ柴刈りに行きました。
おばあさんは川へ洗濯に行きました。
おばあさんが洗濯をしていると、大きな桃が流れてきました。
こうした例文に関して、
『未知の場合は「が」で、既知の場合は「は」。既知でも従属節の場合は「が」』という解説を時折見かけますが、これは正しいでしょうか。
個人的には、この解説には普遍性が無いのではないか、つまり、誤った解説ではないだろうか、という疑念を常々持っています。
たとえば、
おじいさんは未知ですが、「おじいさんは山で柴を刈っていた」から始まる物語もあって良いでしょう。
逆に、おじいさんは既知ですが、「家でおじいさんが桃を割りました」という文が続いても自然です。
同じく、おばあさんは既知ですが、「そして、おばあさんが桃太郎を抱きあげました」という文が続いても自然です。
さらに、桃は既知ですが、「その時、桃が急に動いた」という表現もできます。
この場合、「が」を使ったからといって「桃が急に動いた」は従属節ということになるのだろうか?
などといった疑念です。
要するに、未知・既知・従属節といった要素だけで「は」と「が」の使い分けを規定するのは無理なのではないだろうか、ということなんですが、みなさんのご見解をお聞かせください。
わたしの知識不足で、上記の解説内容自体を誤解している可能性もありますが、もし、そうであれば、ご指摘いただけると助かります。
蛇足ですが、わたしの個人的な見解は以下のようになりますので、これに関しても何かご意見がございましたらご開陳いただければ有難いと思います。
「は」は主題提起の係助詞です。
「○○は」で始まるのは、「これから、○○に関して述べますが・・・」という意図の文になります。
「が」は特定用法の格助詞です。
「が」が特定するのは主体の場合もありますし、対象の場合もあります。
いずれにせよ、特定する意図のある場合に「が」を使う、という点が重要です。
「おじいさんとおばあさんがいました」という文は、
「おじいさんとおばあさんに関して述べている文ではない」ということに留意が必要です。
では、何に関して述べている文かというと、「いました」という事実に関して述べている文です。
「いた(いました)のは、誰か」ということを特定するために、「おじいさんとおばあさんが」と表現するわけです。
「おじいさんは山へ柴刈りに行きました」は、おじいさんに関して述べている文です。
「(今から)おじいさんに関して述べますが、彼(おじいさん)は山へ柴刈りに行きました」という意味の文です。
「おばあさんは川へ洗濯に行きました」も同様です。
これらの文は、「おじいさん(おばあさん)に関して、これから述べますよ」というのが本質的な意図であり、「柴刈りに行きました」「洗濯に行きました」は、その述べられた内容にすぎません。
つまり、「文の意図・文の構造」としては、あくまでおじいさん(おばあさん)に関して述べる、ということである点が重要です。
「おばあさんが洗濯をしていると、大きな桃が(1)流れてきました」という文の骨格は「大きな桃が流れてきました」です。
さらに厳密に言うと「流れてきました」です。
「(今から)大きな桃に関して述べますが・・・」という意図ではないので「桃は」とは表現しません。
「流れてきたのは何か」を特定するために「桃が」としているわけです。
従属節の「おばあさんが洗濯をしていると」の場合も同様で、「(今から)おばあさんに関して述べますが・・・」という意図ではありません。
あくまで「洗濯をしていると(桃が流れてきた)」という構造です。
「誰が洗濯をしていたのか」を特定するために「おばあさんが」と表現します。
No.14ベストアンサー
- 回答日時:
こんにちは。
NO.11 の saburoo (庭 三郎)です。どうお答えしたものかと考えているうちに、どんどん日にちがたってしまいます。
まず、「既知未知説」なるものですが、そう言われただけでは、説の詳細は分かりませんから、
賛成も反対もできません。
「は」に関して「既知」というのは、おそらく松下大三郎に始まるのでしょうが、数十年を経て、
大野晋がまた広めたので有名になっているようです。
そこでの問題は、「既知」の定義です。第一に考えるべきは、「既知」と「(文脈に)既出」とは
違うという点なのですが、これを明確に分けて考えない人がほとんどです。大野もそうだったかどうか
私はよく覚えていませんが。
太郎と次郎のどちらがそこにいますか。
太郎がいます。
という単純な例で、「太郎」は、二つ目の文を言うとき「既出」ですが、これは「既知」なのかどうか。
「既知」が、たんなる「既出」でないならば、「既知」はどう定義されるのか。
そこからはっきりさせなければいけません。(これは久野暲の論に従っています)
桃太郎の例でいえば、
おばあさんが桃を持って帰った時、おじいさんが言いました。
という文で、「おじいさん」は既知なのか。
そもそも、「既知」は、文章全体で言えることなのか。、、、などなど、「既知」および「未知」の
定義をしっかりしてからでないと、「既知未知説」なるものの内容がはっきりしません。
上の久野暲は、そこを考えたうえで、「新情報:旧情報」という用語を立てて議論しています。
これは1970年代のことです。専門家の議論は、その後いろいろ発展していますが、一般の人の議論は
この久野以前で止まっています。
適当な参考書を見ることができないということであれば、やはりネット上で探さざるを得ません。
googleその他の検索で、
「は」について
という検索語で探してみてください。多少長い解説があるはずです。関連部分を読んでみてください。
それから、
主題のつながり
という検索語でも。おそらく、何か見つかるだろうと思います。
これまでの研究者の説の検討は、
補説 久野暲
あるいは、
補説 野田尚史
で引っかかると思います。菊地康人の研究も重要です。
補説 菊地康人
菊池は、
http://www.nkc.u-tokyo.ac.jp/study_info/study_in …
の筆者でもあります。
以上の検索でいろいろ読んで、考えていただければと思います。
「は」あるいは「日本語の主題」の問題は、私の知るだけでも5編以上の博士論文が書かれ、
それ以上の専門書がある問題です。かなり面倒な問題なのです。
物理学でいえば、ヒッグス粒子だかなんだか、そんなような、まだ解決されていない問題なので、
私などがかんたんに「答え」を書ける問題ではありません。
ただ、ヒッグス粒子とは違って、私たちが毎日使っている、ほんとうに身近なことなので、
あれこれ考えてみることは楽しいことです。
その際に需要なことは、定義と議論の道筋をすっきりさせることだと思います。
そのためには、先行研究をきちんと理解し、それに基づいて考えることが必要です。
ちょっと聞きかじっただけの知識や、個人の思い付き・思い込みで結論を出してしまわないことです。
なんかエラそうな書き方ですみません。
今回はここまでにします。
saburoo
この回答への補足
他の方々にも、特に、辛抱強くお付き合いいただいたkine-oreさんに、この場を借りて改めて御礼申し上げます。
大変参考になりました。
この件に関してはまた質問するかもしれませんので、皆様、その際にも宜しくお願いいたします。
ご回答ありがとうございます。
またお礼が遅れましたことお詫び致します。
久野暲の説が面白そうですが、他とも合わせ、じっくり勉強してみる必要性を感じます。
No.13
- 回答日時:
#12です。
>「おじいさんが割ろうとすると、桃が動いた」という場合を考えてみます。
「おじいさんが」は従属節なので既知でも「が」を使う、という理屈になるのでしょうが、主節である「桃が」はどう説明されているのか。
:
このご質問文自体を整理すると、次のように後段はハを選んでいらっしゃいます。
前段は複雑なので、先に区分しておきます。
[{「おじいさんが」は従属節なの」で、既知でも「が」を使う}という理屈]に[なる]
↓
「「おじいさんが」は従属節なので既知でも「が」を使う、という理屈になるの」でしょう」が、{「主節である「桃が」」<は>「どう説明され」ているの}か。
この文章自体も、このままのガでは「動いた」が連用形のままで「事態」の表示に留まっており、付いた助動詞「た」が断定の機能を果たすためには、更に陳述の句点「。」が必要です。
「おじいさんが割ろうとすると、桃が動いた。」
しかし格助詞ガは叙述だけなので、このままでは落ち着きません。名詞化の「の」を付けて後をつなげ、次のような「事態に対する態度」や「聞き手に対する態度」としてのモダリティー(ムード/法)を付加して整えます。
{「おじいさんが割ろうとすると、桃ガ動いた」の}でした。
[{「おじいさんが割ろうとすると、桃ガ動いた」かの}よう]でした。
ところが陳述の力を持つ係助詞ハを用いれば、
「おじいさんが割ろうとすると、(その)桃ハ動いた。」
[おじいさんが割ろうとすると、(その)桃ハ{「動いた」の}でした。]
という風に、桃に「その」といった当該関連性さえ与えるならば、助詞「た」は言い切りの意味を持ち、さらに名詞化の「の」と断定の「だ」(その過去形)が付けば語りの調子はより強固になります。
その代り、モダリティーが必要とされていない文中では、つまりこの場合「事態に対する態度」を含まない従属節においては、係助詞ハは出現できないという事情をも指しています。
○私ガ転んだとき、君ハ笑ったね。
×私は転んだとき、君ハ笑ったね。
×私は転んだとき、君ガ笑ったね。
このように一つの文だけを問題とした場合には、山田孝雄の係助詞ハの考察だけで十分その原則が理解できると考えます。
肝心なことは、ハはあくまでも係助詞なのだという観点です。
ハとガが区別しづらいという日本語学習者の場合は、単に、ハは係り結びに由来して結語として終止形を要請する機能を持った係助詞であり終助詞でもあるという役割が身についていないせいなのだと考えます。
加えて、相手との質疑応答が絡む談話の場合は、その例題が多量に必要になり、その区分もモダリティーを交えてかなり複雑になるため、これらを、例えば既知未知といった単一視点のみで解き明かそうとすることは困難でしょう。あくまでもケースバイケースで当たる、なにより母語話者がそうであったように実地応答での慣れが肝要なのだと思われます。その正道を避けて、あるいは日本語特有の係助詞の機能も知ろうとしないまま、ガとハの違いを理屈だけが先行した形での偏向した疑義として、その原理説明を求められても困惑するばかりです。
母語話者も幼い頃には、そんな疑問はうっちゃられたまま、童謡や歌謡曲、また絵本などを通して、何よりもちろん友達同士の会話の中で「だから!」「どうして?」「そうなんだ。」といった「陳述イントネーション文法」を体験してきたものですから。
参考:小池清治「現代日本語文法入門」
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480083 …
ご回答ありがとうございます。
今回も非常に参考になりました。
恐縮ですが、また、補足質問の形になります。
>
{「おじいさんが割ろうとすると、桃ガ動いた」の}でした。
[{「おじいさんが割ろうとすると、桃ガ動いた」かの}よう]でした。
:
この場合でも、桃が主節に含まれていることに変わりはありませんよね。
主節なのに「が」を使えるわけですが、その理由を『既知未知説』ではどのように説明しているのだろうか、という疑問です。
>桃に「その」といった当該関連性さえ与えるならば、助詞「た」は言い切りの意味を持ち、さらに名詞化の「の」と断定の「だ」(その過去形)が付けば語りの調子はより強固になります。
:
これもおっしゃることはよくわかりますが、しかし、
「おじいさんが割ろうとすると、桃が動いた。」と言わざるを得ないシチュエーションというのはあるはずですよね。
>その代り、モダリティーが必要とされていない文中では、つまりこの場合「事態に対する態度」を含まない従属節においては、係助詞ハは出現できないという事情をも指しています。
:
モダリティーが必要とされている例文を挙げていただけないでしょうか。
「事態に対する態度」を含む従属節において、ハがどのように出現するのか、理解力に乏しく、ちょっとわかりませんでした。
>肝心なことは、ハはあくまでも係助詞なのだという観点です。
ハとガが区別しづらいという日本語学習者の場合は、単に、ハは係り結びに由来して結語として終止形を要請する機能を持った係助詞であり終助詞でもあるという役割が身についていないせいなのだと考えます。
:
ここもまさに重要なご指摘ですね。
ただ、係助詞に関するわかりやすくて明快な説明がなかなか見当たらない、ということがあるように思われます。
係助詞にしろ格助詞にしろ、ネイティブは無意識に使っていますが、それを論理的に説明しようとして、このような名称がついたのだと思います。
ということは、説明の仕方を見直すことによって理解が深まる可能性はあるのでしょうね。
ここをずっと模索しています。
小池氏の本も、読んでみたいと思います。
No.12
- 回答日時:
#10です。
>カモメ=「地球は青かった」
に関しては、どのように思われますか。
:
「ハとガの規則」は、あくまでも「一つの文だけを問題とした場合」であって、このような談話形式にはそのままのスライドしませんが、それはともかく、一般的な天体にとどまらない「地球」「月」「太陽」などはやはり固有名詞扱いとして、ハがついて冒頭に現れても矛盾しないでしょう。
>このようにおっしゃる意図が不明です。
ご面倒でなければ例をいくつか挙げていただくわけにはいきませんか。
:
聞き手(実際には読み手)を考慮しない日記などでは「そのときお婆さんは洗濯していました。」と記すこともあるでしょうし、わざとそのような読み手の意表を突く記述手法もあるでしょう。また、それが固有名詞であれば、「聞き手の目撃しない事物を初出」であってもハの記述が自然になり、この規則外にあたるという意味です。
>「ハが従属節の範囲に収まって」いるようには見えないのですが、この文における主節はどの部分になるでしょうか。
:
私の例文の略し方が分かりにくかったようで申し訳ありません。
「お爺さんは山に…お婆さんは川に…行きました。」は、「お爺さんは山に柴刈りに、お婆さんは川に洗濯に行きました。」の意味です。
この場合の「お爺さんは」は「山に柴刈りに」にのみ掛かり、「お婆さんは」も「川に洗濯に」掛かる節を成し、それぞれが副詞節として対比的に「行きました。」に繋がる形であり、その場合のハは陳述に係り結びを及ぼさないので係助詞ではなく副助詞として、役割が異なってしまっているという意味です。
ですから、主節は対比の副詞節を持つ、述部の「行きました。」となります。
これが、「お爺さんは山に柴刈りに行き、お婆さんは川に洗濯に行きました。」であれば、前半が従属節で、後半は主節とされます。
>これだけ多様な要素を絡み合わせないと説明できないものなんでしょうかね・・・。
:
ご留意いただきたいのは、これはあくまでも談話の場合だということです。
いかんせん、相手あってのことですから、質疑応答さまざまなパターンを考慮の上で係助詞と格助詞の役割区分を行うためには、このような標識パターンを多く立てざるを得ないからでしょう。
>この既知未知説に関してはどう思われますか。
:
談話における表現分析に使われる一つの標識パターンである範囲を越脱して、これを以て第一義に説明できるという思いは皆目ありません。
このような論議の発端となった「複層従属語に於ける観念の新旧」(松下大三郎「標準日本文法」)が、やはり懇切で学び易いと思っています。(639頁:330/344)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/982965
>あるいは、「は・が」に関してのご見解を何かお持ちでしょうか。
:
ともすれば思い付きでの理屈本位に陥りがちな日本語学習者への対応問題は一旦脇において、まずは原点に立ち戻ることが肝心だと思います。
その「特定の関係を示す句成分に関する」ガなど係助詞や副助詞と、一方で「特定の関係を示す句その者に関するもののうち、述素に関する」ハなど係助詞と終助詞という区分です。
参照:「助詞の一般性質及区分」(山田孝雄「日本文法論」551頁:291/793)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1126545
この昭和初期の頃まで、外国語文法の適用の形でハは主語を示すという定説に対して、ハは主語以外を示す場合もあることに直面して、ついに係助詞という「用言の述素に干與して文全体の意義性質に影響するもの」を立てて陳述を認めるに至ったというこの間の経緯を思い返すことを大切にしたいと思っています。
ありがたいことに、今日では希少となった斯学の泰斗の原典に直接このように触れることが叶うようになっているのですから、それを実際に読んで学ぶことが大切であって、ネット上での原典知らずのセカンドソースからの孫引き改竄引用など安直な情報からはなるべく距離を置きたいものです。
補足質問にお答えいただきまことにありがとうございます。
現在、ご紹介いただいた両氏の論文の一部を印刷して少しづつ読んでいるのですが、いかんせん文体が古すぎて判読不能の箇所で停滞してしまいます。
開き直って読めるとこだけ読んでいるのですが、文法書を超えて読み物としての面白さがありますね。
言葉は心理の表出であると予てから思っていましたが、文法はその仕組みを分析して具象化したものだという感を一層強くした次第です。
ところで、わたしの現在の懸案は、外国の方などに説明するさいに、では、どうするか、ということですが、これに関するヒントが埋もれていないか、と期待しつつ読み進めています。
同時に、現代文で簡潔に解説しているようなサイトに出会えるよう期待しておくことにします。
kine-oreさんのご見解も拝聴したいところですが、何かとお忙しいでしょうから無理は言えませんね。(むろん、ご開陳いただければこれにまさる喜びはありませんが)
いずれにせよ、興味深い資料を発掘していただきありがとうございました。
因みに、既知未知説をわたしとしては(確定ではありませんが)否定したい方向で考えています。
固有名詞や従属節という要素を別にしたとして、たとえば、
「おじいさんが割ろうとすると、桃が動いた」という場合を考えてみます。
「おじいさんが」は従属節なので既知でも「が」を使う、という理屈になるのでしょうが、主節である「桃が」はどう説明されているのか。
こうしたことなどが引っかかっています。
No.11
- 回答日時:
こんにちは。
日本語文法の研究を仕事としているものです。
「は」と「が」の問題については、次の本が読みやすく、学問的な水準も高くておすすめです。
野田尚史 「は」と「が」
http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E3%81%AF%E3%80 …
ただ、この本は一般の読者が読めるようにということを意識してかかれているので、文法研究者の目で見ると、用語の定義や、議論が多少はっきりしないところがあって、残念です。
あるいは、全7冊の記述文法書「現代日本語文法」の中の一冊、
「現代日本語文法5 とりたて・主題」
http://www.amazon.co.jp/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%97 …
も主題についてまとめています。さらに、このシリーズの「現代日本語文法7」には談話の中での「は」の用法についてまとめています。
このような本を読むと、いかに問題が複雑なのかということがおわかりいただけると思います。
そこまで詳しくはなく、もっと短い説明を、ということであれば、はなはだ不十分ですが私が日本語学習者たちの掲示板に書き込んだものがあります。
「が」と「は」の話 (投稿の#1と#10の2か所に分かれています)
http://www.guidetojapanese.org/forum/viewtopic.p …
しかし、これは問題のあらすじにすぎません。従属節の話や、「ハガ文」の話などは書いていません。
詳しく書こうとすれば、この数倍の分量が必要になります。
それと、少し前に、「主語 その2」という質問に回答した時にも書いたことですが、このような掲示板での応答でどのような答えが求められているのか、という疑問があります。
次のところの私の回答をお読みいただければ、私の疑問の一部がおわかりいただけるかと思います。
主語 その2
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7878213.html
とりあえずは、ここまでにします。
saburoo
ご回答ありがとうございます。
お示しいただいた本は、機会があれば読んでみたいと思います。
居住市の図書館サイトで蔵書検索してみましたが、残念ながらどちらも置いていないようです。
回答者さんの書き込みも興味深く拝見させていただきました。
若干質問させていただいてもよろしいでしょうか。
以下に列挙いたしますので、コメントをいただければ幸甚に存じます。
専門家の方とのことですので系統立ててのご解説も拝聴したいところですが、非常に長くなるとのことですので、断片的な質問に絞りました。
1.
教育現場では、『「は:主題」「が:焦点」』と教えているのでしょうか。それとも「既知未知論」で教えているのでしょうか。あるいは混在ですか。
2.
わたしは以前から、『「は:主題」「が:特定(あるいは強調)」』と考えているのですが、ご面倒でなければ質問文中の、これに関する拙論をごらんいただき、問題点をご指摘いただければ、と思います。
3.
A-1「は」は、主題となる名詞につき、主題であることを表す。
A-2「が」は、主体の名詞につき、主体であることを表す。
B-1 主体の名詞が主題になるときは、「が」でなく「は」が付けられる。
B-2 主体の名詞が文の焦点となるときは、「が」のままである。
----------------------------------
という説明手順は、僭越ですが、大変わかりやすいと感じました。
この前提ですと、日本語を勉強されている外国の方には「主題とは何か」を明確に提示できさえすれば、自然な作文に大きく寄与することになるのだと思いますが、まずは、何か適切な定義表現はないものでしょうか。
4.
問題は、なぜ「は」なのか、です。
この電話では「田中さん」という言葉が初めて使われています。仕事をしているとき、電話がかかってきて、とると、
「受付の佐藤ですが、営業の田中さんはそちらにいらっしゃいませんか」と聞かれるわけです。
質問者も、聞かれた人も、「田中さん」を知ってはいるのですが、この文脈Context では、話に出てきていません。この「田中さん」は、「旧情報」でしょうか。
ここで、「田中さん」は、話し手も聞き手も、それが誰だか知っていて、誰「について」話しているのかすぐわかるような人であることが必要です。「それ」について、情報を求めているのですから、「それ」は、両者に知られているものでなければなりません。「既知」がそういう意味なら、たしかに、主題は既知のものでなければなりません。
----------------------------------
この部分に関連してお伺いします。
たとえば、
「受付の佐藤ですが、営業の田中さんが本日休みたいそうです」
「受付の佐藤ですが、営業の田中さんは本日休みたいそうです」
どちらも正しい表現だと思いますが、これらのニュアンスの差異を説明する場合には、既知(旧情報)か否かを問題にできないように思います。
こうしたことも含めて、ハガの差異を説明するに既知未知論は意味が無いというのが一貫した私見なのですが、回答者さんはどのようなお立場でしょうか。
一通り拝見したのですが、理解力に乏しくてよくわかりませんでした。
今のところ質問は以上4つです。
しばらく締め切りません。
お気が向くようでしたら、都合のよろしいときにでもご返事をいただければ有難いと思います。
No.10
- 回答日時:
一つの文だけを問題とした場合には、「係助詞と副助詞との関連及び区分」について論述した、次の山田孝雄の次の説があります。
「具体的な事実の叙述に聞き手の目撃しない事物を初出するときにはガを用いてハを用いない」(ハとガの規則一)
ここから、「具体的な事実の叙述」において、聞き手が「目撃しない事物」=普通名詞が初出するときの条件である限りは、もっともなことです。言い換えれば、別に読み手を考慮しなければ、あるいは固有名詞であればこの規則外となります。
「従属節における主格は、対比の場合を除き、ガで表される」(ハとガの規則三)
この例外である「対比の場合」としては例えば「お爺さんは山に…お婆さんは川に…行きました。」となります。この対比の場合のハが従属節の範囲に収まって見えるのは、それが副助詞であって、係助詞のハではないからとみなせます。
一方、談話の中でのハとガの違った側面を課題にした松下大三郎は、題説構文と叙述構文の区分を設け、既定と未定や既知と未知、可変と未可変、自由と不自由などの原理からの整理を推し進めています。
巨大な象さんの、どこに焦点を当てるのか、またどのような道具で調べるのか、Q&Aにおいてお互いのそのような基本的認識が深まって行く形が望まれます。
ご回答ありがとうございます。
「ハとガの規則」というものがあるのですね。
興味深く拝見しました。
若干の感想と疑問を記してみますので、お気が向きましたら、さらにご教授いただけると有難いと思います。
>「具体的な事実の叙述に聞き手の目撃しない事物を初出するときにはガを用いてハを用いない」(ハとガの規則一)
ここから、「具体的な事実の叙述」において、聞き手が「目撃しない事物」=普通名詞が初出するときの条件である限りは、もっともなことです。
:
「聞き手の目撃しない事物」ということは、「聞き手の知らない事物」ということとは(当然でしょうが)別と考えて良いのだと思います。
そうすると、たとえば、
ナサ=「こちらヒューストン。今、何か言いたいことは?」(と実際に言ったかどうかはわかりませんが、あくまで仮定です。「地球を見た感想は?」ではないことが要点)
カモメ=「地球は青かった」
に関しては、どのように思われますか。
「地球」は、聞き手(ナサ)の目撃しない事物の初出になると思うのですが、わたしの勘違いですかね。
>言い換えれば、別に読み手を考慮しなければ、あるいは固有名詞であればこの規則外となります。
:
鈍くて、このようにおっしゃる意図が不明です。
ご面倒でなければ例をいくつか挙げていただくわけにはいきませんか。
>「従属節における主格は、対比の場合を除き、ガで表される」(ハとガの規則三)
この例外である「対比の場合」としては例えば「お爺さんは山に…お婆さんは川に…行きました。」となります。この対比の場合のハが従属節の範囲に収まって見えるのは、それが副助詞であって、係助詞のハではないからとみなせます。
:
「ハが従属節の範囲に収まって」いるようには見えないのですが、この文における主節はどの部分になるでしょうか。
従属節の意味をわたしが勘違いしているのかもしれませんが、もしそうであれば、合わせて教えていただけると助かります。
>一方、談話の中でのハとガの違った側面を課題にした松下大三郎は、題説構文と叙述構文の区分を設け、既定と未定や既知と未知、可変と未可変、自由と不自由などの原理からの整理を推し進めています。
:
これだけ多様な要素を絡み合わせないと説明できないものなんでしょうかね・・・。
専門家の方は大変だと思います。
それにしても、噛み砕いてありながら本質的な解説というのにお目にかかったことがないのですが、kine-oreさんご自身は、この既知未知説に関してはどう思われますか。
あるいは、「は・が」に関してのご見解を何かお持ちでしょうか。
しばらく締め切りませんので、お時間のあるときにでも、そしてお気が向きましたらご開陳いただけると光栄です。
No.9
- 回答日時:
英文は過去形に訂正です。
トンデモ説ですがそれが撒き散らかされるルートはあるのです。
ルートがでなくルートはで作文した理由は、がが連続しないようにするためです。がとはの論理的な違いど考えもしません。また次の文を、がは連続しないようにとすると一般化し、前文に焦点が当たりません。冠詞があれば話は整理されますがね。日本語といっても近代的な作文の議論でしょうね。
合理的理由が、あるんですかね、とも言えます。この文のがは、はよりも切れるからです。
国語文法は心理科学に以上に後付けの極みだと思います。
実際上、その文法はあくまでも骨子ですね。すべての肉の形態に対して責任を持ちません。
どこかに骨があればよく、その骨をもって日本語の文法(日本語学の近代化)としたのでしょう。
度々のご回答、まことにありがとうございます。
>国語文法は心理科学に以上に後付けの極みだと思います。
:
そうでしたか。^^
わたしは、国語文法は心理科学の具象だと考えていました。
>実際上、その文法はあくまでも骨子ですね。すべての肉の形態に対して責任を持ちません。
どこかに骨があればよく、その骨をもって日本語の文法(日本語学の近代化)としたのでしょう。
:
そうですね。
注釈なり例外的なことも含めて網羅しつつ解説できるのは専門家だと思いますが、わたしのような一素人では、あるひとつのシチュエーションにおける感想を述べる程度のことしかできないかもしれません。
No.8
- 回答日時:
お礼ありがとうございます。
国語学界がという質問に換えられた方がいいです。
既知未知説の定義が不明のお化け問答です。
最初の登場時だけ「が」にする法則と名付けたら誰も引っ掛けられないでしょ。「がはは」の法則になります。
迷った時!のノウハウとして、「は」の方が自然になる頻度が多いわけだから、その相関に合うような法則をこじつけるのです。しかし因果関係ではないので破綻します。
既知未知仮説は棄却。以上ですよ。
英語をあてにした国語科学が諸悪の根源であり、国語学者もその範疇で飯を食っていて、南方熊楠のような独立性がないのですから、こういう悩ましい議論が続くのでしょ。
国語学者が西洋とは無縁の原型から独自のパラダイムを用意しないので英語を対比的に借用する次第になりますが。
There are an old man and woman.
A big peach floated up.
で初出し、以降は、theになります。
おじいさんとおばあさんはいました。大きな桃は流れてきました。
にすると、ニュアンスが冠詞のない状態の英文に類似して、一般的ないし概念的な単語になって、お宅のおじいさんやこの世にある大きな桃を主題にしてしまうのです。
がが後追い的に、おじいさんや桃を物語における固有名詞に変えるむねを伝えるのです。あるおじいさんという英語手法を昔話の原文に使うはずもなく、主節従属節の概念も含めて、そういう図式ではない日本語を議論するための作業的文法であり、その稚拙な提案が既知未知説です。
従属節の概念だって、無理矢理、一文を複文という名の型(文法型)に押し込めて切り分けた片割れですよ。
従属節ならとか例外補則されているのが即席である証拠です。がははといかない場面用の後付けです。
No.7
- 回答日時:
はこぶる様 重ねての御礼恐縮です。
ないちえをふりしぼって宿題に悶々している気分ですw。
>「そろそろ出かけようか」
「そうね。雪は降ってるかしら」
「今は降ってないみたいだね」
などという会話の「雪は」に関してはどのよ
ここに出る「雪」は、季節が冬で、当然降ってもおかしくない、というより先ほどからその惧れを皆で話題にしていた、というような状況が設定されていてはじめて可能なセリフだろうと思います。これが「雨」なら
「そろそろ出かけようか」
「あら、雨が降りだしたようよ」
となるでしょう。想定外、未知の「雨」が、というわけです。
>>それに対して B は話手のなかでカップメンが主題になっているにせよ、先行するAのなかでそれは既に現れていますので、従属節とみなして不自然ではありません。
:
> 既知であっても従属節の場合は「が」を使う、という点は理解しているつもりです。
ただ、この文における「従属節」は「小腹が空くと」であり、「まっさきにカップめん が 思い浮かぶ よ」 は主節ではないかと思うのですが。
>「小腹が空くとまっさきにカップめん が 思い浮かぶ」
そうですね、なかなか微妙です。
小腹が空くと思い浮かぶ 真っ先に思い浮かぶ カップめんが思い浮かぶ
ABD を思い浮かぶ で括った状況ですね。
「秋になると真っ先に雁が飛んでくる」
こういった例ですね。
秋になると と まっさきに と 雁が とが並列になって 飛んでくる にかかってきます。
みんなまとめて主節? 少なくとも従属節とは言いがたいですね、確かに。
:
>こうした例からも、既知未知論には例外が多過ぎて論の体裁を為していないような気がするのですが、いかがでしょうか。
> 特に、日本語を勉強されている外国の方などに対して、既知・未知・従属節だけで「は・が」の説明をするのは好ましくないと考えるものですが
確かに仰るとおりだと思います。しっかりした説明が可能な文法ならそれが多少難解であっても普及させるべきと思います。
私はご質問の趣旨について特に反論しているわけではありませんが、最初に出された規則が私などには分かりやすく魅力的に思えましたので、ついここまで執着してしまいました。
>「は」は主題提起の係助詞です。
「○○は」で始まるのは、「これから、○○に関して述べますが・・・」という意図の文になります。
「が」は特定用法の格助詞です。
「が」が特定するのは主体の場合もありますし、対象の場合もあります。
いずれにせよ、特定する意図のある場合に「が」を使う、という点が重要です。
なるほどよく味わえばうまいまとめかたですね。
まだ理解が完全ではありませんので、更に勉強させていただきます。
ありがとうございました。
度々のご回答を強いてしまい恐縮です。
> 「そろそろ出かけようか」
「あら、雨が降りだしたようよ」
となるでしょう。想定外、未知の「雨」が、というわけです。
:
なるほど。
「そろそろ出かけようか」
「そうね。雨は降ってないようだし」
と反論したいところですが、くどくなるので自制しておきます。^^
この場合も、雨が降るという懸念が既知のこととして前提されているからこその表現、という解釈が可能になるのかもしれませんね。
いずれにせよ、既知未知論における正当性に関してのご見解を(一端なのかもしれませんが)お示しいただき、大変参考になりました。
持論に固執せず、謙虚に、より良い解説の道筋を探っていきたいと思います。
もう少しだけ開けておきます。
No.6
- 回答日時:
お礼ありがとうございます。
繰り返しになりますが、文法の是非ではなく、文章の巧拙の議論ではありませんか。
はでもがでも文法的に間違いでなければ学校で教えられません。
たぶん上手な日本語を書くコツを法則化しようとしたのが既知未知論でしょ。出所は、よくある、文章力をつけるコツ教えますでしょ。
たとえば、がを繰り返したらいけないは文法じゃないでしょ。過去形のたを繰り返すと退屈するというのも文芸です。
美しくなければ文法的に間違いとはなりませんよね。醜ければ間違いという願いが高じて単なるコツの法則を日本語の文法にまで仕立てた結果の幻想大戦なのでは。
つまりは法より感性という感覚論的日本語思考の常習からついにはコツと文法を識別しない大統一論の議論に至ったのですが無自覚なのです。
ご回答ありがとうございます。
>つまりは法より感性という感覚論的日本語思考の常習からついにはコツと文法を識別しない大統一論の議論に至ったのですが無自覚なのです。
:
そうなんですかねえ。
それにしては既知未知という括りかたを非常に良く目にするのですが。
#4さんのお礼にも書いたことですが、
『「重い桃を抱えて持ってきたので、わたしゃ疲れてしまいましたよ」
おばあさんがそう言うので、おじいさんが桃を割りました。』
という表現が想定されていなかったはずはないと思うので、何か理由がありそう
なもんですけどね。
納得できるできないは別にして、それを知りたいと思うわけです。
「(おばあさんが疲れているので)桃を割ったのはおじいさんです」という意図を表現するには「が」を使うしかないでしょう。
いっそのこと、そういう意図は想定外となっております、とでも言ってもらうとすっきりするんですが。
この論の出所がはっきりわからないので、なんとも言えませんが、学校教育の現場でもこのような教え方をしているのですかね。
国語審議会辺りでは、このへんがどうなっているのか知りたいところではあります。
No.5
- 回答日時:
粗末な愚答にご丁寧なお礼を頂きました。
ありがとうございます。御大からのお問い合わせですので腕まくりして考えてみます。>A「あ、カップめん は あったかな。どれ探してみよう」
また、カップめんが出てきたのち、
B「小腹が空くと、まっさきにカップめん が 思い浮かぶよ」などと独語する。
「まっさきにカップめん が 思い浮かぶ」は従属節とは言えないように思うのですが、
A が劇の冒頭に発されるセリフとして、やはり話手の意識の中には「カップめん」の存在が発言以前、最初からあるという(ちょっと特殊な)印象です。それに対して B は話手のなかでカップメンが主題になっているにせよ、先行するAのなかでそれは既に現れていますので、従属節とみなして不自然ではありません。
>、では、次のような構文であればどうでしょうか。
『「重い桃を抱えて持ってきたので、わたしゃ疲れてしまいましたよ」
おばあさんがそう言うので、おじいさんが桃を割りました。』
Cなので Dがそうした。というより Cなので Dはそうした。というほうがやわらかく自然な気がします。
この場合
おばあさんがそう言うので、おじいさんは桃を割りました。』
のほうが文としては自然な気がします。でも、どちらでも意味が通り、間違いではないと思いますが。
これを件のお説に当てはめてみます。>特定する意図のある場合に「が」を使う、という
ならばこの場合は が がお勧めということになりますか。たしかに理詰めでいけば が を使うほうがいいのかもしれません。
>主節・従属節に対するわたしの誤解があるか、といった点に関してどう思われますか。
特に従属節の意味を私が広くとりすぎているのかもしれません。いずれたいした根拠なく印象的な思いつきで書いていますので、単なるご参考までにととめて頂きたく。
まことに失礼いたしました。
ご回答ありがとうございます。
【A「あ、カップめん は あったかな。どれ探してみよう」
また、カップめんが出てきたのち、
B「小腹が空くと、まっさきにカップめん が 思い浮かぶよ」などと独語する。
「まっさきにカップめん が 思い浮かぶ」は従属節とは言えないように思うのですが、】
>A が劇の冒頭に発されるセリフとして、やはり話手の意識の中には「カップめん」の存在が発言以前、最初からあるという(ちょっと特殊な)印象です。
:
なるほど。
それ以前にすでに意識の中で登場しているからこそ「あったかな」と独語するわけで、その意味で既知である。
こういうことですね。
一理あると思います。
では、
「そろそろ出かけようか」
「そうね。雪は降ってるかしら」
「今は降ってないみたいだね」
などという会話の「雪は」に関してはどのように思われますか。
>それに対して B は話手のなかでカップメンが主題になっているにせよ、先行するAのなかでそれは既に現れていますので、従属節とみなして不自然ではありません。
:
既知であっても従属節の場合は「が」を使う、という点は理解しているつもりです。
ただ、この文における「従属節」は「小腹が空くと」であり、「まっさきにカップめん が 思い浮かぶよ」は主節ではないかと思うのですが。
やっつけでネット辞書を検索した範囲での解釈ですが、違うようなら教えていただけると助かります。
>Cなので Dがそうした。というより Cなので Dはそうした。というほうがやわらかく自然な気がします。
この場合
『おばあさんがそう言うので、おじいさんは桃を割りました。』
のほうが文としては自然な気がします。でも、どちらでも意味が通り、間違いではないと思いますが。
:
たしかに「おじいさんは」のほうが柔らかな表現にはなりますね。
「おじいさんが」とすると、特定することによる強調の効果が出るため、おじいさんの自我が突出しているような印象を与えるからなのでしょう。
「桃を割ったのは俺だ~。ばあさんが疲れているから割ってやったんだぞ」的なイメージすら喚起してしまう可能性もあるかもしれません。
ただ、「Cなので Dが」という因果関係を明確にするほうが適切な場面も普通に多いでしょう。
>特定する意図のある場合に「が」を使う、という
ならばこの場合は が がお勧めということになりますか。たしかに理詰めでいけば が を使うほうがいいのかもしれません。
:
こうした例からも、既知未知論には例外が多過ぎて論の体裁を為していないような気がするのですが、いかがでしょうか。
特に、日本語を勉強されている外国の方などに対して、既知・未知・従属節だけで「は・が」の説明をするのは好ましくないと考えるものですが、考えすぎでしょうか。
たびたびの補足質問で恐縮です。
お気が向きましたらコメントをしていただけると有難いと思います。
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