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私は人から「よくそんなことを知っているね」と言われることがあります。自分ではそう思わないのですが、年上の方から見てそうであるらしいのです。

以下に例を挙げますが、私には知っていて当たり前のことを周囲の人が知らないだけのように見えます。

母は「猫又」を知らないと発言したり(つい1、2か月前のことです。私が「猫又って人の言葉を操れるんだっけ?」と言うと「猫又って何?」と返って来ました。ボケではありませんでした。)、戦前の日本に飛び級制度があったことを話題に出すと60代の方がそれを知らなかったり(教育への関心が強い博識な方だったのでなおさら驚きました)、「あれ?」と思うときがあります。


私自身は18歳ですが、最近20代の同性の方と仲良くなり、時々おしゃべりをします。その方と話していても「物知りだね」と言われるのですが、上記のように、「知っていて当たり前のことを何で知らない人がいるんだろう」という感覚があるだけです。友人も同じことを思うときがあると言っていました。別にこちら側が物知りなわけではないのにな……と不思議です。


この場合学歴はあまり関係ないような気がします。私の母親はごく普通に専門学校を卒業した身ですし、前述の60代と20代の方は共に大卒で、私は高校を中退しています。

これはどういうことなんでしょうか?
ずっとモヤモヤしています。
またあなたが思う「物知りとは何か」ということについても回答をいただけたら嬉しいです。

A 回答 (8件)

学校で習ったり、生活していく上で必要無い雑学に精通していると


物知りだと感じます。
よって学歴は関係ありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
やはり「物知り」は雑学的な意味合いで受け取られているようですね。
今思いつきましたが「教養がある」というのともまた違うんでしょうね。

お礼日時:2013/02/07 09:40

猫又は私も知りませんでした…



周りが知らないと言うより あなたがトリビア(無駄知識)を知りすぎているのでは?

ちなみに戦前の飛び級制度は祖父 祖母ともに知らなかったです…一応学校はでてる二人ですが…




ただ 得意分野(歴史)でなら同じように よく知ってるね と言われる事があります
逆に相手が知らないと え? こんな事も知らないの?と見下している自分がいます

あなたにも似たようなものを感じます
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

そうですか。歴史は私は学校であまり詳しく勉強しなかったので、憧れます。
日本史世界史という区分けを取り払うと面白くなりそうですよね。区分けされたままでも面白そうですが。

そうですね、それが全くないとは言えません。
例に挙げたようなことがあったとき、とっさに表情を繕えない状態なので、顔に出てしまっているのではないかと少し心配です。
実のある謙虚さを身につけたいです。

お礼日時:2013/02/07 09:46

こんにちは。



あなたの引用された事例は、
”調べなければ知らないこと”ですので、
あなたが積極的にお調べになって身につけた知識でしょう。

私も、世の中の様々な事象を知りたくて、
よけいな知識ばかり詰め込んでいる人間ですから、
人からは物知りと思われることが多いですよ。



一般人は、”教わったこと”しか知りません。
あなたや私は、”知ろうと”します。

その差が、ギャップとなって表れているだけですよ。

ではでは(^_^)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

猫又もそれなのでしょうか?
純粋に疑問であるところです。


個人的な意見になりますが、私は人には誰でも知的好奇心があり、誰しも「知ろう」としていると思っています。だからこそ質問文に書いたことが「不測の事態」となるのです。

実のある謙虚さを身につけたいと思います。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/02/07 09:52

聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。



知らない事は決して恥ではありません。
質問者さんのように「知ったかぶり」の人間こそ恥なんですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。


私が思うのは、「知らないこと」は時々恥や罪にもなるが、基本的にはそうならないし、人間が知らないことがあるのは仕方がないことだし、全知全能になるなんて不可能だ、ということです。
私が知らないことを相手が知っている場合は数え切れないくらいあるでしょうし、また「相手の持っている知識を自分は全て持っていて、なおかつその相手以上の知識量がある」場合もありえないと思います。

「知ったかぶり」の意味について考えたいです。ご回答ありがとうございました。
(自分では分からないのですが、険のある書き方になっていたらすみません。)

お礼日時:2013/02/07 10:00

>物知りって何?



   ↓
私見<順不同>

◇雑学や非日常的な分野領域まで良く知っている人への称賛、褒め言葉。

◇しかし、言外に薄ペラな表面的な知恵やアンチョコ的な答えを直ぐに出すタイプで、深く専門的な知識や造詣のある博識とは違う様に微妙に使い分けて表現している。

◇意外性を持って、若年の割に世の中の事を良く知っているor年寄りの割に流行語や若者の話題にも合わせる知識が有る。
そういう場合に、敬意を持って評するのがオーソドックス、逆にマセテル(大人びてる)とか若ぶってるという皮肉を込めてる場合も・・・

物知りの意味合いは→前後の会話や文節、相手の表情や態度から、観察しその真意や意図を見抜く事も大切だと思います。
自覚・自戒・自省を込めて申し上げますと、物知りから博識へ変貌させるのが学習・精進・経験・謙虚さだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

そうですよね。「物知り」と「博識」って、重なるところはありますが、性質が違うような気がします。
賞賛にも皮肉にもなるのが面白いところですね。


>前後の会話や文節、相手の表情や態度から、観察しその真意や意図を見抜く事も大切だと思います。

これは観察力のある人、対人において冴えてる人という印象を受けました。


>学習・精進・経験・謙虚

これらを身につけたいものです。そのためには努力しなければいけませんね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/02/07 10:07

>私には知っていて当たり前のこと



というのが人それぞれあると思います。

興味のアンテナが違うので
嗜好するタイプの情報は記憶に残りやすいし
どんなためになる情報でも
興味がなければ忘れてしまうため
たとえば猫又について話をしたとしても
よほど印象に残らなければ
お母様は忘れてしまうでしょう。
というか私も知ってはいても
話題として猫又が出てきたことはついぞありません(^_^;)
そして出てこなくても何の不便もないので
とりあえず記憶にはあるけど使用頻度が低い
に分類されていると思います。

「物知り」は
何かしらの疑問がわいて聞いたときに
わかりやすく答えが返ってくる人
だと思います。
単語とその大体の内容を知っている、でもそうだし
その内容についてわかりやすく説明してくれる、と
かなり尊敬です。

なので私の中での「物知り」は
たとえば
AKBのメンバー一人一人について
名前と何かしらのエピソードを知っていて
私が飽きない程度の尺で語れる人、です。
話し相手の反応をみずに
自己満足で語り続ける人ではなく。
ですから言葉のイメージはとてもいいです。

マナー、鉄道、政治、歴史、などなど
何でもそういう風にいえるんじゃないかなと
思っています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

そうですね。だから人は補い合えるのだと思います。


>どんなためになる情報でも
興味がなければ忘れてしまうため

身につまされます(笑)
私の場合特に料理や掃除に関する情報がそれです。

呆れられることを覚悟で一つお聞きしたいのですが、猫又ってマニアックでしょうか?小学生がきゃらきゃら笑いながらネタにするイメージを持っています。尻尾が二股の猫なんて魅力的ですから。


>というか私も知ってはいても
話題として猫又が出てきたことはついぞありません(^_^;)
そして出てこなくても何の不便もないので
とりあえず記憶にはあるけど使用頻度が低い
に分類されていると思います。

なるほどです。


>「物知り」は
何かしらの疑問がわいて聞いたときに
わかりやすく答えが返ってくる人だと思います。

賢者タイプっぽいですね。知恵袋的存在というか……。「知恵」もまた意味が「物知り」「博識」とは違ってきそうではありますが……。
内容の説明をしてくれるということは、分かっているということですものね。そういう人は私も尊敬します。


>私が飽きない程度の尺で語れる人、です。
話し相手の反応をみずに
自己満足で語り続ける人ではなく。

これは大切ですね。知識だけでなく、もう一つ何かがあって、そこで両輪となって回るものだと思います。伝えるということにおいて、大切なことだと思います。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/02/07 10:27

再回答ですが・・・



ここは議論する場ではありません。
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 猫又の例であれば、さらにケット・シーを知っているか、さらにクー・シーを知っているか、あるいは九尾の猫(狐ではなく猫)はどうか、といったことも大事です。



 猫又だけでは、知識量が多いかどうかは不明です。普通の猫は大好きで、非常に知識が多くても、猫又といった想像上のことには興味が無ければ、それらを知らないことがよくあります。

 教育に詳しいといっても、現在の教育問題なのか、教育方法の歴史なのかでも、知っていることは大きく違っています。

 たとえば、「パソコンができる」という不可解な表現があります。「パソコン」を「スマホ」、「ネット」、あるいは「英語」などに置き換えても同じです。

 PCを大いに利用しているといっても、PCで何をしているかで、マスターしていることは大きく違うのに、あまり使いこなしていない人からの視点が「PC」になっているわけです。たとえば、表計算ソフトに詳しくて、ワープロソフトは上手く使いこなせないということはよくあります。

 実は、相手が物知りではないと思っても、大した差がないことは多いです。ほとんどは同じ知識を共有できているので、ほとんどスムーズに話ができます。本当に差があると、話が通じません。

 これは、専門家同士の会話を聞いたり、専門家だけが読むようなもの(たとえば学術論文)を読んでみて、しばしば内容がさっぱり分からないということで経験したりします。専門用語が分かりませんし、たとえ各々の専門用語を説明されても、それを理解するだけの基礎知識もないことが多いです。

 そうしたことはあるのですが、ネットの普及以前と以後で「物知り」についての状況は変わってきているように思えます。

 ネット以前ですと、とにかく大量に知識を蓄えていることは役立ちました。分からないことは、たとえば図書館で関係してそうな本を片っ端から調べて行ったりする必要がありました。そうせずとも仕事ができる人や、聞いたら教えてくれる人は貴重な存在でした。

 もちろん、大量の知識を蓄えている人は、まさに本をどんどん読んだりして覚えて行ったという、大変な労力を費やして、物知りになれたのです。

 ネット普及以後は違ってきます。有効なキーワードさえ知ることができれば、ネット検索すれば、たいていは、そして、ある程度はすぐに分かります。そして、しばしば有効なキーワードは知らないことそのものです。

 昔のタイプの物知りは、二種類あります。

 一つは昔型の物知りで、知っているだけの人です。応用や複数の知識の組み合わせはできないタイプです。現在では、そういう人は役に立てなくなってきています。確かに何も見ずにあれこれ述べて説明できる様子を見ると、凄いような気もします。

 しかしネット検索すれば、それ以上の知識がネットにあることが分かるし、短時間でいろいろ知識を得ることもできます。たとえ、いったんは忘れても、必要に応じて検索し直すだけでいいわけです。

 もう一つのタイプは現代型の物知りで、たとえばネット検索したときに、そこに記載されている知らなかったことを瞬時に理解し、別の知らなかった記事内容と組み合わせて、新しい知識体系を手に入れることができる人です。

 昔型の物知りの特徴は、すぐには応用が効かない基礎知識は余り学んでおらず、既に基礎から応用され、組み合わされた結果としての知識を膨大に知っていることです。現代型の物知りは、基礎知識を学んでおり、それらから応用された例を少しだけを知っています。つまり、豊富な基礎知識と、その使い方のサンプルを知っているわけです。

 昔型の物知りは、最初は驚かれても、少し話していると、「ググれば分かる話を長々とするだけだなあ」といった印象になりがちです。実際、ネット検索すれば出てくる話ばかりになってしまいますから。

 現代型の物知りだと、最初は冴えない感じですし、しばしばPCやスマホで検索しながら話したりしてもたもたしていますが、少し話を続けると、どんどん話が深く、あるいは広くなっていきます。

 それとは別の視点も考える必要があります。ある分野について深く学び、研究している人は専門家と呼ばれます。それに対するよい対義語がないのですが(門外漢ではない人を説明したいので)、狭いが深い専門家を英語から持って来てスペシャリストとすれば、浅いが広い人をジェネラリストとしましょうか。

 現在では、特に先端技術に見られるように、専門性のある職種、特に研究職では膨大な知識と研究を行わねばなりません。そういう知識体系を持たねばならないのですが、厄介なことにレベルの高い知識ほど、学んでおくべき知識が増えます。

 ちょうど、ピラミッドみたいな感じです。高い位置に最後の一つの石を積むには、膨大な数の石を積み上げて行かねばなりません。充分でないと、崩れてしまいます。

 専門知識を得るのに、ピラミッドのようではなく、高層ビル、さらにはタワーのようにできればいいのですが、困ったことにそうできるよう学習方法は開発できていません。

 そうなると、専門性が高い人ほど、他のことについては門外漢の度合いが高くなります。そういう状況では、異分野にまたがる複合的なことをやるのが難しくなります。

 そのため、さまざまな分野の高レベルのスペシャリストの間にいて、スペシャリスト同士の橋渡しをしたり、異分野を組み合わせたものについて評価できる人がが必要になります。それが、ジェネラリストです。ジェネラリストは、いくつもの分野で、ある程度の専門知識を持ち、自分では考え出せないけれど、専門家の話をそこそこ理解できるという素養を持ちます。そういう人も、現代では必要です。

 スペシャリストとジェネラリストは、どちらも必要です。それぞれに特徴的な物知りでもあります。何かの分野はさっぱり知らなくても、あるいは、何についても深くは知らなくても、それで物知りではない、はなはだしきは無知だ、などと言うことはできません。
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