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最近、また靖国神社の参拝で問題が起きている。
そのそも、なぜ、A級戦犯をはずさないのか?
その理由が僕にはどーしてもわからない。

物理的に無理。というのならともかく、文化とか
伝統とかルールとか、そういう精神的なものであれば
少し柔軟な思考と思い切った決断をもてば、靖国神社から
A級戦犯を除外できるのでないだろうか?

そーすれば、他の国に遠慮なく、わが国の英霊の
参拝ができるはずなのに、この国の人は頭が固すぎる。

それと、この国にA級戦犯はいない。とか彼らに罪はない。とか
いう人がいるようだが、問題はA級戦犯がいる、いないや、
罪がある、なしではなく、A級戦犯が一緒に祀られているおかげで、
一国の首相がお国のために戦った英霊たちに手を合わすことができない。
という現実をよく考えてほしい。

みなさん どーおもいます?

A 回答 (23件中1~10件)

同じ意見です。

分けるべきだと思っています。
しかし、いろいろな、意見を見ていると、この問題がいかに難しい問題かがわかりました。やはり宗教とそれに纏わる考えは厄介だというのが正直な感想です。

日本の総理大臣が「日本の国の為に倒れた英霊の為の神社」へ真っ先に参拝するのは当然だと思います。ただし「国の命令で戦死された方が祀られているところに、日本国の代表者が参拝する。」事と「戦争を計画し、決定し、国民を戦わせた者を日本国の代表者が参拝する。」のは全く意味が違うと思います。それが日本の宗教上では同じというのです。これは他のものからは理解されないでしょう。
分けることが出来ない理由の1つが「死者は鞭打たない」という考え方?分けることが「鞭打つ事」という考え方自体が理解できません。祀らないというのなら別ですが。
戦犯と言うけれど「戦勝国側」が思っているだけの事?日本で総括していないだけでしょ?
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Q,   「靖国問題」 なぜA級戦犯をはずさない?



Q1,   その理由が僕にはどーしてもわからない。

A1,   21人の回答者が詳しく説明してして居るのにどうして分からにのか不思議。

Q2,   少し柔軟な思考と思い切った決断をもてば、靖国神社からA級戦犯を除外できるのでないだろうか?

A2,   我国伝統的考え方として、「死者は鞭打たない」が鉄則。戦犯と言うけれど「戦勝国側」が思っているだけの事。

Q3,   そーすれば、他の国に遠慮なく、わが国の英霊の参拝ができるはずなのに、この国の人は頭が固すぎる。

A3,   何故、日本国の為に、況して国民全体の身代りに成って「無念の刑死」をされた英霊を拝むのに、誰に遠慮せよと言     うのか?云われる意味が理解できない。「頭が固い」・・・要らぬお世話だ。

Q4,   A級戦犯が一緒に祀られているおかげで、一国の首相がお国のために戦った英霊たちに手を合わすことができない
  
A4,   そんな事はありません。日本国総理大臣は公式に堂々と「靖国参拝」が可能です。
     何故今まで、それを遠慮して来たか。その理由は多々あるけれども、最大の理由は敗戦国としての立場として、
     米国を始めとする戦勝国側への「政治的遠慮、心使い」であった。但し心ならずもであったのである。

*** しかし、あれから67年の歳月を耐え忍んで、そうそう何時までも節を曲げたままにする訳にはいかない。

*** 日本国民の中にも考え方が種々違うものが有るのは致しない事であり、靖国神社へ参拝する事を心良しとしない者      がいても、決して咎め立てなどしない。参拝しなくてもいいから、参拝したい者の邪魔だけはしないで欲しい。

*** 安倍晋三総理大臣は、靖国神社参拝を行うと広言し公約し、総選挙に臨み国民の圧倒的信任を得て政権を委託さ       れているのである。 日本は多数決で物事を決する「民主主義の法治国家」です。

Q5,   A級戦犯が一緒に祀られているおかげで、一国の首相がお国のために戦った英霊たちに手を合わすことができない

A5,   重ねて言う。日本の総理大臣が「日本の国の為に倒れた英霊の為の神社」へ真っ先に参拝するのが当然だ。


*****  みなさん どーおもいます? *****

これでも未だ・・・・・「その理由が僕にはどーしてもわからない。」・・・・・と言われるお積りか?

以上

  
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単純に靖国神社側が勝手に一度祀られたものは外せない、って言ってるだけです。



私個人はA級戦犯は戦争を指揮した連中であり、徴兵された国民に戦って死ぬまで日本に帰ってくるな、と言った連中ですから、戦争で死んだ人達と同じ場所で祀られてるのは間違いだと思います。

また、A戦犯の広田弘毅の親族は、祀られることを靖国神社から説明は無かった、と言ってます、広田家には弘毅の仏教の墓があり、当時の状況では弘毅が罪をかぶるのは当然と言ってます。それなのに靖国神社側は、親族の同意は関係無いと主張してるんです。(なお、私個人としては広田はA級戦犯になるような人物ではなく、安倍総理のおじいさんの岸信介こそA級戦犯で処刑される人物だったと思ってますが。戦後の占領政策に岸が必要だったんでしょう。小沢一郎も、岸は政治の表舞台に出るなんてとんでもない人物で、死ぬまで戦死者に懺悔して生きる人間だったと言ってます。)

A戦犯を戦争の英雄として祀りたかったら、別の施設を造ったらいいんですよ。日本は自由主義の国家だから、A級戦犯を拝めるのは個人の自由です。でも、戦死した人と、同じ場所に祀られてるのは間違いです。
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私は、A級戦犯がなくても存在自体が不明確な神社です。



理由は、
靖国神社は、第122代目 睦仁(明治天皇)と縁のある神社のようです。
しかし、第124代目 裕仁(昭和天皇)が、歴史に自らニセ皇族、ニセ天皇家と刻みました。
と言うことは、ニセ天皇家と関係のある神社になり、存在存続事態があやふやなのです。
しかも、ニセ天皇家と癒着、媚びた人達が祀われており、関東圏内に置く理由がない。

また、日本の歴史書である竹内文書を消し炭にした悪党です。
なお、今現在公開されている竹内文書は、約20年以上先の遺物です。
その遺物に第125代目 天皇の正体が記されています。

この場合の英霊とは、第二次世界大戦を止めた竹内巨磨だと確信しています。
旧日本軍の戦意をなくしたと説明すべき所ですね。

創作でなく史実です。
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いやいや、既に中国以外の連合国が裁判中から「A級容疑はおかしい、国際法上疑問がある」と言われ、サンフランシスコ条約以降、公式にはA級戦犯は無い、或いは名誉回復をした」としているのです。

つまり全世界で国としてA級戦犯を持ち出すのは中国と韓国のみ。しかも韓国は連合国でもない。

貴方の言いようは「やくざが言うから言いなりになったほうがイイ」と言っているのと同じ。それを「ヤクザの言い様の真偽や是非を別にして言うことを聞けばいいのに」と言っているのど全く同じですよ。
言いがかりを受け入れれば、選択の余地など無いでしょう。
やがて奴らは「靖国を解体しろ、天皇制を廃止しろ、中韓の議員を作れ、大臣にしろ、」結局「日本を寄こせ」という事にしかならないのです。
なぜなら第二次大戦後、本来なら日本は五つに分けられ中国も日本を占領する予定だったからです。つまり中国が日本をよこせというのは戦勝国の当然の要求でしかないのです。(韓国はまったく別、単なるゆすりタカリです)
つまり貴方の言っていることは「日本を譲渡しろ」と言っているのと寸分の違いも無いのです。

「そんな事考えていないよ」「そこまで行くわけないじゃないか」と考えているなら浅はかだとしか言いようがありません。真の歴史をしっかりと勉強して下さい。


それに靖国は国の施設でも何でもありません。一民営の神社です。
だから本来国が誰を合祀しろとか辞めろとか言うこと自体、国の越権行為なのです。
つまり責めるべきはA級とされている人々を国会の場で合祀すると決めた事に対しての政教分離の違反についてです。
靖国に誰を祀るかは靖国の勝手であり、議員が靖国を参拝するか否かで正邪を判別する事もまた、政教分離の違反です。
国立としては千鳥ヶ淵があるし、戦没者を含めた合同慰霊祭がある。これ以上の第二次大戦犠牲者への公式追悼は意味ありません。
靖国を政治的に論ずるほうがおかしい。
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靖国神社=明治神道と古来の神道とを分けて考えないと、混乱します。



>物理的に無理。というのならともかく、文化とか伝統とかルールとか、そういう精神的なものであれば少し柔軟な思考と思い切った決断をもてば、靖国神社からA級戦犯を除外できるのでないだろうか?

靖国神社には「霊璽簿」というものが備えられているようですが(回答14、15)これは仏教寺院の過去帳に相当する考え方に基づいたもので、古来の神道の考え方とは違います。
一方で靖国神社は、一度祀った霊を分離できないと説明しているようですが、これは古来の神道の一部の考え方です。
古来日本人は大雑把に言って二種の神様を祀ってきました。
古来、豊作を祈る「田の神」や「山の神」「海の神」は、亡くなった祖霊が全て一体となって、村や田圃を守る神様となったと考えていました。この考え方からすれば、祖霊は一体ですから「何の何兵衛だけ外すべぇ~」という訳にはいきません。
この考え方を靖国神社は取り入れています。
一方で「霊璽簿」なる過去帳紛いのものを備えているというのは、この「田の神」「山の神」「海の神」の考え方と矛盾します。
古来の神道流でいくのであれば、霊璽簿なるものは全く必要がありません。
ここでややこしいのが、古来の神道には「天神様」や「伊勢神宮」のように特定の神様を祀るものもあるということです。
神社へ行かれてよく見ると「八幡宮」でも「日枝神社」でも必ず複数の特定の神様を祀っています。
どこの神社にどの神様を祀るのかは、氏子と神主の意志できまります。村や町が寂れて放り出されてしまった神社はいくらでもありますが、別に問題にはなりません。
この流儀でいけば、靖国神社から特定の霊を取り出して「○○命」などとして別に祀ることは可能です。
「乃木神社」は別にあります。菅原道真も天神様として落ち着くまでには紆余曲折がありました。
このように、靖国神社の神道(明治神道)は古来の神道とは基本的に発想が異なります。

靖国神社には戊辰戦争以降の人々が祀られているとされていますが、彰義隊員や会津藩士、新選組は祀られていません。明治政府側の人だけです。
彰義隊は上野公園の西郷像の後ろ祀られています。江戸っ子にしてみれば、西郷は彰義隊に尻を向けて立っていることになり真に気分が悪いようです。

一方で日本人は、亡くなった人は全て仏になるとして、生前の罪科は問わない習慣がありますが、儒教精神の浸透した中国や韓国、北朝鮮には「死者を鞭打つ」という考え方があり、歴史的にも嘗ての政敵の墓を暴いて文字通り屍に鞭をふるった例が多々あります。
中国や韓国、北朝鮮では、死者は何時でも生者の要請に基づいてこの世に生前と同じ姿で蘇るという考え方があります。
逆に、祖霊を毎年この世に呼び戻す儀式をしないのは、非常識な不孝者と看做す習慣があります。(最近は薄れてはきているようですが)
すなわち、祖霊に対する風俗習慣思想に基本的な相違があり、話し合い程度のことでは解決は不能です。

以上のように、靖国神社は政治的な意図を含んで神道に名を借りて設立されたものであり、中国、韓国、北朝鮮とは思想風俗習慣が基本的に異なる以上は、今後とも政治的な問題に関与し続けて行くことでしょう。
即ち、文化論を持ち出してきても、何の解決にもなりません。

靖国神社に拘らずに、第二次世界大戦で命を落とされた方々にたいする気持ちを素直に表すことができるような方法を別途考えるのも一つの解決方法でしょう。
但し、政治的な意図を含んで、あれはだめ、これはだめ等と選別した施設を幾ら作っても無駄です。
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宗教とはそんなものです。



例えば、キリスト教徒に「神をアラーに変更したらどうですか?」とか、イスラム教徒に「アラーを祀るのはやめたほうがいいですよ」なんて言っても相手にされるわけがありません。

宗教にとって神は重要な信仰対象です。その神を変える事は簡単では無い事を理解しましょう。

靖国神道にとって英霊は複写はできても分割する事はできないとされています。それは教義で決まっている事なのです。


あともうひとつ大きな誤解をしています。靖国神道にとっては、「お国のために戦ったのが英霊」ですが、靖国神道の信者では無い一般の国民にとっては、「政府の為に戦わさせられたのが英霊」です。

大日本帝国政府は、今ほど民主化された国家ではありませんでした。政府の命令で戦争に行かされた多くの国民には選挙権すらありませんでした。政府の為に死ぬことが郷土の為に死ぬことだとは限らない時代だったという事を重く受け止めて下さい。

参考URL:http://sites.google.com/site/yasukunijinjamondai
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他で回答した内容を転記します。



戦で、米国から受け身的に平和憲法を与えられ、自らが被害者であるとして、この平和憲法を守ることのみを考え、かつ共産主義国家から金銭を受け取って、活動していた左翼陣営からのプッシュもあって、今の形になったと思えます。

良い例が、北朝鮮の拉致問題です。真の国民政党であるならば、左翼も右翼も、中道も関係ありません。日本国民を拉致・監禁し、非道な所行を行っている北朝鮮にすり寄っていく、そして、真実が明るみになっても、一切の謝罪もしないで、口をぬぐう政党がまだ日本で生き残っていることが恥辱です。

また、戦後の日本人戦犯を自ら裁くことを怠ったことも大問題です。現在の靖国問題もA級戦犯の合祀から始まりました。昭和天皇ですら、その後、抗議の意味、謝罪の意味も込めて靖国に参拝していません。この合祀の時に、なぜ、国会で徹底的に問題にしなかったのかと思います。

極東裁判が手続きに問題があったなどということは小さい問題です。連合軍が裁き、日本が受け入れたこと、これが歴史となっていることは事実です。このA級戦犯の合祀することは、中国、朝鮮のみならず、連合軍全体(つまり、米国、英国、ロシアすべて)に対する侮辱になります。

かつ、数百万人にのぼる死んでいった戦争の英霊たち、無辜の日本人たちに対する最大の恥辱であると思えます。負けると分かっていた戦争を、自らの保身のために行い、かつ、原爆投下まで終結させることができなかった、そして、昭和天皇のご敗戦の詔勅が出されるまで、何らの責任をとろうとしなかったA級戦犯たちに対して、なんで、我々子孫が合祀を認めることができるでしょうか!

A級戦犯は、一般の人間ではありません。国と国民、そして天皇に対して重大な責任と義務を有することと引き替えに、国の重要な地位に就き、国を指導してきた人たちです。その責任を一般人と同じような論理で許すことなどできる訳がありません。「ノブレス・オブリージュ」です。

このA級戦犯の問題を、我々日本人が、日本人そのものの恥辱として重く受け入れるためにも、A級戦犯は靖国から放り出すべきです。
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>それと、この国にA級戦犯はいない。

とか彼らに罪はない。とか
いう人がいるようだが、問題はA級戦犯がいる、いないや、
罪がある、なしではなく、A級戦犯が一緒に祀られているおかげで、
一国の首相がお国のために戦った英霊たちに手を合わすことができない。
という現実をよく考えてほしい。

みなさん どーおもいます?

        ↓
A級戦犯の分祀とか国立墓地の建設を言われる方が有るが・・・

◇Aj級戦犯は我が国には存在しないし、まして250万余の英霊の遺骨は納められてはいない。
靖国神社には、国の為家族の為に尊い犠牲となられた今日の平和への礎を築かれた方々を霊璽簿に氏名が記載されているだけである。

◇御霊には、身分や階級や性別年齢を差別したり格付けしているものではないので、分祀とか別施設への移転とは現実的にも異例の心からもおかしな論議だと思う。
靖国で会おうと誓った仲間が、お国の為に献身し犠牲となった方々を選別して静かな眠りの杜から追放すると言うのだろうか?
それが、先人への御霊への異例や感謝の心だろうか、御霊が遺族が関係者が加に思われるのだろうか・・・
子孫同胞としての死者への感慨・思いなのだろうか・・・

<私見>
「靖国神社」を思想信条・歴史観は例え異なっていても政争の具や外国への迎合追従のプレゼントに利用は許せない!
まるで戦争犯罪人を祀った戦争賛美の軍国主義化の契機や象徴のように忌み嫌ったり、特別な周辺国に駄々っ子をあやすかのような配慮し追随したり冒涜するような戦犯や軍属の巣窟扱いは、尊い犠牲となられた先人・御霊・遺族に対し、後世を託され尊い犠牲の上の平和繁栄を享受する私達にとっては誠に申し訳なく情けなく恥ずかしい限りである。

一方で街宣車で大音響で軍歌を流し、旭日旗で行進している似非右翼には全く賛同共感しません。
それは死者に御霊に非礼・冒涜する事になり、ご家族や関係者への心無い非情な発言、同胞として恥ずかしく悲しい心根だと思います。

私達には参拝する自由も、参拝しない自由もあり、靖国神社を御霊をどのように見るかは、それは国民一人一人の思想信教信条の自由であり、歴史観や価値観や死生観にも繋がる心の問題でありアイデンティティの範囲領域かもしれないが、他国や特定の政治団体・マスコミ等から参拝の自由&不参拝を束縛・強制・干渉される事では決してないと思います

お祀りされているのは靖国神社は250万余の御柱の眠られている静謐な杜である。
戊辰戦争:3,588柱以降
その後の佐賀の乱・西南戦争・日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・満州事変・支那事変・第二次世界大戦で戦死・傷病死された方々。
安政の大獄や禁門の変に倒れた方々、吉田松陰・橋本左内・坂本龍馬・高杉晋作・頼三樹三郎・真木和泉守・清川八郎・武智半平太・中岡慎太郎等の維新の志士、従軍看護婦を始め、沖縄で戦没したひめゆり・白梅等の七女学校部隊、樺太真岡の自決殉職された電話交換手の女性の御祭神も57,000余柱、小・中学校の児童生徒。
シベリア抑留中に死亡された軍人軍属方々、戦争終結時に責任を負って自決された方々、戦争犯罪人として処刑された千余命名の方々(その後、国会での全会一致による名誉回復・人権尊重の主旨で昭和殉難者と呼称)・学童疎開で潜水艦に撃沈された対馬丸の学徒・空襲下で軍需工場や防空防火活動中の爆死者等、私たちの先人であり、今日の安寧の為に犠牲となられ身を捧げられた方々である。

このように、我が国には死者は神仏になって土に還る、そして現世の子孫を見守って下さるとの思い、慰霊と感謝の気持ちから、由縁の方々を戦死・戦傷病死された軍人・軍属ばかりでなく、民間の方、女性や児童も含めて多種多様な御祭神をお祀り申し上げているのです。
そして、御霊の由縁の方々は日本全国に津々浦々に遺族・戦友・関係者が居られます。

明治天皇が命名された「やすくに」には「国を平安(安の字は靖に通ずる字)にし、平和な国をつくり上げる」というお心が込められている。
そして、霊ジ簿と言う和紙に一人一人の神様(死者)の名前を記し綴じ納められている、遺骨を納め祀っているのではない。
その神・仏と成られた御霊は→祖国永遠の平和とその栄光を願いつつ、掛け替えの無い尊い生命を国に捧げられた同胞たちで、これらの方々は身分・階級・職業・年齢・性別等にかかわりなく等しく祀られているのです。

個々の方々の遺骨は故郷や由縁の地に埋葬されており、靖国神社は戦友・同志・献身の人々の魂が霊ジ簿に記され、集い、国の行く末を見守り、子供や孫が後事を託した私達の訪ねて来るのを楽しみに待っていて下されている。
その御霊・英霊が静謐なる杜におわすと信じるからです。

そんな靖国神社を、戦争遂行のシンボルだった、軍国主義の復活への道だ、A級戦犯が合祀されている、他の宗教信者である、A級戦犯(我が国に戦犯は居ない国会でも全会一致で名誉回復:昭和殉難者とした)は出て行けの分祀合祀論、中国や韓国がクレームetcで参拝拒否?は信じられない。

誰のための誰が祀られた社なのだろうか・・・愛する国家・家族の為に身を捧げ、平和と繁栄の礎となり犠牲となられた方を国家が国民が(無論、天皇陛下や皇族の方々も含め)今日の平和を感謝し、これからも不戦を誓うのに、家族子孫の近況を報告するのに誰に憚る遠慮せねばならないのだろうか?
それを天皇陛下はじめ皇族も政治家も私たちも誰憚る事なく、1年365日、朝に夕に自由意思で参拝するも通りすがりに手を合わすのも個人の自由であると思うのです。

国難・存亡危急の時、国の為、家族の為、子孫の為に生命を捧げ犠牲となられた方々へ、外国への配慮だとか分祀云々は→国家として、同胞として、否、人間・個人として余にも軽薄・自主性無き無責任な発言だと思う。
非難する国が有れば、堂々と祖先を慰霊し、平和に感謝し、不戦の誓いを行い、子孫の近況を報告する為の社であり、参拝だと言えば良い。
それが言えぬ、思わぬなら、日本人として、心の中まで、死生観や死者の慰霊にまで、信念・信条・矜持を忘れたのか持てぬのかと、問いたい糾したい・・・。

あくまでも、人間として日本人として個人として、誰からも指図や強制されずに、自己の信条・心情・真心で、他人にも押しつけるものではなく、自由意志で参拝するもしないも決めれば良いのである。
ことさらに8月15日の参拝だとか公式参拝だと政治家が騒ぐのは迷惑であり、その思いが有るならば、何時でも静かに靖国神社や千鳥ヶ淵や各地の護国神社や平和記念公園に行き、<閣僚や総理にはSPの問題が有るので、早朝や夕刻に車からor事前通知せずに、集団では無く、個人個人で自由意思で参拝されたら良いのでは?>
報道陣に聞かれたら、参拝の事実のみを事後報道・総理の動静欄で記載すればそれで良いと思う。
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>「靖国問題」 なぜA級戦犯をはずさない?


最近、また靖国神社の参拝で問題が起きている。
そのそも、なぜ、A級戦犯をはずさないのか?
物理的に無理。というのならともかく、文化とか
伝統とかルールとか、そういう精神的なものであれば
少し柔軟な思考と思い切った決断をもてば、靖国神社から
A級戦犯を除外できるのでないだろうか?

それと、この国にA級戦犯はいない。とか彼らに罪はない。とか
いう人がいるようだが、問題はA級戦犯がいる、いないや、
罪がある、なしではなく、A級戦犯が一緒に祀られているおかげで、
一国の首相がお国のために戦った英霊たちに手を合わすことができない。
という現実をよく考えてほしい。

みなさん どーおもいます?

     ↓
最初に基本的な事実を申し上げます。
◇靖国神社は明治天皇が命名された1宗教法人(神社)である。

◇その250万余の御霊は、身分や階級や性別の区別なく、ただ国の安寧の為、今日の平和への礎となられた方々を霊璽簿と言う和紙に記載された名簿が祀られているだけであり、遺骨は其々の由縁の地、墳墓に納められたり、あるいは遠い戦地に海底に未だ帰国を果たせず埋まっている方も多く居られる。

◇戦争犯罪人と言われる方々は、現在の我が国には存在しない。
A・B・C・Dと犯罪種別で分けられ、多くの方が異国で簡単な軍事法廷・簡易裁判で裁かれ処刑されたり、長い投獄を余儀なくされた方々である。
中でもA級戦犯とは、東京裁判で戦争を主導した平和への罪と言う、新たに作られた罪状で裁かれ人々である。
だが、その後に戦争犯罪人と言う名称は→我が国の国会で全会一致にて戦争に伴う昭和殉難者として呼称を改め刑期を終え死を以て罪状を贖った戦争が齎した殉難者として名誉回復されている。

◇我が国の死生観や価値観では、刑を受け死して罪を贖い、その後は神仏に土に還るとする考えが底流にはあるのだが、靖国神社を問題視する一部の国(中国・韓国)では罪人や敵対勢力は、死しても魂魄が子孫が残る限り、意趣返しや報復を恐れ三族に亘って撲滅一掃したり、墳墓を掘り返し骨を砕き焼き尽くし投棄するような考えが有る。
その差異は批判ではないが、相互理解の難しい問題であり、靖国神社や昭和殉難者への視野視点でも誤解の根源だと思う、しかし説明や寛容の心を失い徒に対立したり批判するのは束縛・干渉・威嚇に繋がると思う。

◇死者への思い,慰霊の心、それは国民一人一人の思想信教信条の自由であり、歴史観や価値観や死生観にも繋がる心の問題であり、アイデンティティの根源・領域かもしれないが、他国や特定の政治団体・マスコミ等から参拝の自由&不参拝を束縛・強制・干渉される事では決してないと思います

◇お祀りされているのは靖国神社は250万余の御柱の眠られている静謐な杜である。
戊辰戦争:3,588柱以降
その後の佐賀の乱・西南戦争・日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・満州事変・支那事変・第二次世界大戦で戦死・傷病死された方々。
安政の大獄や禁門の変に倒れた方々、吉田松陰・橋本左内・坂本龍馬・高杉晋作・頼三樹三郎・真木和泉守・清川八郎・武智半平太・中岡慎太郎等の維新の志士、従軍看護婦を始め、沖縄で戦没したひめゆり・白梅等の七女学校部隊、樺太真岡の自決殉職された電話交換手の女性の御祭神も57,000余柱、小・中学校の児童生徒。
シベリア抑留中に死亡された軍人軍属方々、戦争終結時に責任を負って自決された方々、戦争犯罪人として処刑された千余命名の方々(その後、国会での全会一致による名誉回復・人権尊重の主旨で昭和殉難者と呼称)・学童疎開で潜水艦に撃沈された対馬丸の学徒・空襲下で軍需工場や防空防火活動中の爆死者等、私たちの先人であり、今日の安寧の為に犠牲となられ身を捧げられた方々である。

このように、我が国には死者は神仏になって土に還る、そして現世の子孫を見守って下さるとの思い、慰霊と感謝の気持ちから、由縁の方々を戦死・戦傷病死された軍人・軍属ばかりでなく、民間の方、女性や児童も含めて多種多様な御祭神をお祀り申し上げているのです。
そして、御霊の由縁の方々は日本全国に津々浦々に遺族・戦友・関係者が居られます。

国に殉じ尊い犠牲や献身的な礎となられた方を鎮魂する為に一宗教法人である。
靖国で会おうと誓い合い、その後に斃れ散った多くの方々の思いを魂を安んじる社である。
その遺族や関係者が、慰霊の心で参拝すると共に今日の平和と繁栄への感謝と現状を報告したり、平和と不戦を誓う場でもある。

我が国は八百万(やおよろず)の神を崇め祀り、死者に対する尊崇の念を表すには、全国各地でそれぞれの宗教や宗派に基づき、また分骨され様々な信教に基づく慰霊が為されている。
それは、靖国神社に限らず千鳥ヶ淵の戦没者墓苑(無名戦士の墓)や各地の護国神社・有志や由縁者による慰霊塔並びに各自の墳墓等が有る。
さらに言えば、靖国神社は身分の別なく遺骨も無く、国家に命を捧げられた方々、戦禍に犠牲になった方々の御霊をお慰めする為に霊璽簿が奉納されているだけである。
何も特別な制限や資格を必要としたり、宣誓して靖国神社を支持称賛する義務もない。
参拝する自由も参拝しない自由もあるし、まして死生観に関わる事柄を戦争賛美とか軍国主義と結び付けたり、中韓の国内不満のガス抜きや反日教育の副作用に伴う外交問題や内政干渉をされるものではないと思います。



※靖国神社への私の思い<既投稿>

       
先入観なしに素直に考えて、色んな意味で全国各地にある護国神社の中の一社であり、国の為に命を捧げ犠牲となられた御霊を祀った杜である。

そこに、遺骨は無くとも、
多くの方(男女や年齢や身分の違いを分け隔てなく)を祀り国家としての崇敬の念と慰霊を行い、将来に不戦・平和を祈願する所だと思います。
そして、由縁の人が、多くの同胞が、慰霊と共に子孫としての近況報告、平和祈願の為に参拝する社でもあります。

外国の偏見や謂われなき内政干渉に追随したり、説明努力を忌避し顔色をうかがう対応に、自主独立国としての自立性を危惧し、情けなく悲しい思いがすると共に、逆に徒に靖国神社を政治利用するかのパフォーマンスの目立つ参拝は静かに眠る御霊も迷惑だろうし、遺族&関係者にとっても困惑するばかりでは・・・
毎年毎年、例大祭や終戦記念日が来るたびの、為にするかの靖国神社批判や参拝問題の取り上げ方には、違和感と不可解な思いがする。
公人であれ私人であれ、慰霊の思いは、ことさら騒がず静かに個々人の心の問題として、参拝するのも参拝しないのも自由にされれば良いと思う。
そして、マスコミ等に聞かれたら、参拝したor参拝していないと事実のみコメントすれば良いのでは・・・
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